1998年8月15日(土) (3)
(三)
就職活動を終えて、雪藤久恵はコーヒースタンドで、友人の岡橋陽子を待っていた。
店内でちょうど太陽の明かりが届く所だからなのか、薄化粧の久恵の顔は綺麗に見えた。真新しい就職活動用のスーツも、それを更に引き立てる要因になっていたのかもしれないが……透明感という言葉が似合っていた。
就職活動を無難にこなして来たが、今日一日の始まりは気持ちが重たかった。
それは小さなアパートの一室で朝食を取り終えてから、鏡台に向かい、身支度のために化粧などの準備をしている時であった。
「昨日、国道で居眠り運転のトラックがセンターラインを超えて、対向車の乗用車と衝突しました。
乗用車を運転していた方と、同乗者の計三名は病院に搬送されましたが、三名全ての死亡が確認されました」
耳だけを傾けていたテレビから聞こえる、事実のみを伝えようとするアナウンサーの抑揚のない言葉であった。久恵は思わず鏡から視線を離し、テレビの画面を見た。
その事故は四年前に、両親が亡くなった事故と類似しているものであった。
久恵へ高校三年生の、受験をこれから迎えるために三者面談などを控えている時期であった。両親に取っては結婚記念の旅行であった。
「いってきます」
そんな出かけ間際の母の笑顔が思い出される。父はその横で手を振り、運転席へと乗り込んだ。そこから数時間後、授業中に先生に呼び出されて行った警察署で、無残な姿になった両親を泣きながら確認したものである。
「久恵は本を良く読んでいるから、将来は文章の仕事につくのかな」
そんな事を言っていた母は、大学は文学部に進みたいと言う久恵の気持ちを理解してくれていた。
事故の賠償金や、両親の生命保険などの金を元にして、アルバイトをしながら久恵は大学へと通った。そして今、就職氷河期などと言われる時代に、雑誌社などを中心に就職活動をしているのである。
ふと嫌な朝の出来事を思い出してしまった。それを払拭するようにして久恵はアイスティーが入っているグラスを持ち上げ、ストローに口を着けた。
「久恵、ごめん遅くなっちゃった」
岡橋陽子はアイスコーヒーを入口のカウンターで受け取り、久恵の元へと来た。
「そんなに遅くないよ、面接はどうだった」
岡橋が座るなり、久恵はすぐに今日の成果を聞いた。
「どうだろう。取りあえずこなしてきた感じかな。もう疲れたよ」
久恵の問いに、一瞬疲れたというような表情を見せてから、岡橋はグラスに砂糖とポーションクリームを入れた。
「おつかれさま。でももう少しだね」
「そう、何とか最終面接に残って、もう一つか二つくらい内定をもらいたいよ。
久恵は何社もらった」
「まだ一社だけだよ。雑誌を作っている会社だけどね。私はもう一社、出版社を受けるだけかな」
就職に余裕はないが、二人は笑顔で語った。雑誌社より出版社はもっと高いハードルであると久恵は考えていた。
「そっか。お互いラストスパートだ」
「そうだね、頑張ろう」
励ましあいながらお互いの笑顔を見ると、少し落ち着くような気がした。同じ境遇だからこその安心感がそこには存在していた。
二人は同時に液体を口腔へと流し込んだ。
「それにしても久恵は、よくそんな薄化粧で面接受けるよね」
岡橋は、まじまじと久恵の表情を見た。
「なんで」
薄化粧が悪いとは考えていない久恵はきょとんと、摘ままれたような表情を見せた。
「だって化粧によって印象が変わるでしょう。女なんだからそれを有利に使わないと」
「まあ、それもありなんだろうけれども、別に容姿にこだわるような会社ならば行かなくてもいいしね」
久恵は優しい口調ながら突っぱねるような自己主張をした。受けている職種が受付などの人目につく職業ではないので、別段問題ではないとも思っていた。
けれども就職氷河期では、どのような手を使ってでも、内定をもらえるように必死になる人たちは大勢いるのだ。だから久恵のその覚悟のなさとも思える状態が、岡橋にはあり得ないものであると思えた。
「今日、この後は」
「夕方からアルバイトだよ」
「そうか、大変だね」
「そんな事ないよ、生活しなきゃだし」
久恵は両親の死を受けて、人間の人生はいつどうなるかわからないものであると実感していた。だからこそ、いつでも真剣に生きていこうと考えている。その中で何かが見えてくる時があるはずである。
岡橋と別れて一度家へと帰り、アルバイトへと出かけよう。そう思いアイスティーを飲み干した。
少しだけ他愛のない、就職活動の緊張から解き放たれた時間を過ごしてから、岡橋と別れた久恵は地元の駅へと向かった。




