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求め行く者  作者: 祓川雄次


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1998年8月21日(金) (1)

(一)

 国松は朝一番で起きると、自らの身体に力がみなぎってきている事を実感していた。昨日の食事だけでも随分と身体の感覚は異なっていた。

 久しぶりに髭剃りを顔にあてた。髪はその前にバリカンで切りそろえていた。これで本番のリングに万全で立てる。そんな思いを感じていた。

 雲が少し厚く、どこかのタイミングで雨が降るかもしれない。だが今の国松には関係がなかった。いつものように一定のリズムを刻んだ足取りで、いつもと変わらない公園へと入り込んだ。

 青々と茂った木々たちは、少し湿気を含んでいるために、独特の香気を発している。昨日まではあんなに恨めしく思えていた水道も、今は全く気にはならなかった。

 子供のいない公園は場違いのように佇み、二つしかないブランコは主がいないために動くことはなかった。

 滑り台は国松からしてみれば大した高さではないが、子供の目線を考えれば、結構な高さになるのだろう。

 ただいつもと違うことは、昨日留守番電話をくれた人と会えるという事であった。

 久恵は公園に入ると、子供の頃両親につれてきてもらっていた地元の公園を思い出した。あの低く感じるようになった滑り台も、昔は大きく見えたのに……決して人間が大きくなった訳ではない、身体だけなのに、そんな事を感じてしまった。

 国松は久恵の存在を見つけると、ゆっくりと歩き出した。

「いよいよですね」

 久恵の心地良い感覚が、その言葉と共に国松の胸に入り込んできた。今までとは異なり、それを迷うことなく受け入れた。今までは全てを受け入れず、はじき出すことで自らの存在を確認してきた。だがそれを受け入れたことにより、今日は何かが違う。違う意味で強さというものを得た気がしていた。

「ああ」

 久恵の言葉に対して、小さく国松は返した。ただその言葉に国松は多くの意味を込めたつもりであった。出会ってからの七日間……全て込めたつもりであった。

「頑張ってください。それしか私には言えないですけれど……」

「それで充分だよ」

 国松は不器用に笑った。その笑顔を見て久恵は先日、国松が最後に語った事を思い出していた。

 国松の父親であった松崎国松というボクサーは、世界タイトルに挑戦する前に網膜剥離で引退を余儀なくされてしまった。それは国松が産まれる前だったと言う。そして国松が産まれた後、両親は久恵の両親と同じように交通事故で亡くなってしまったという。

 その時に国松が預けられたのが伯母であった三上美和のところであった。美和自体は国松を身内としてかわいがろうとしていたのであるが、急にやってきた国松を夫である三上は受け入れなかった。そして酷い仕打ちをすることもあったという。それが原因で国松は横着をしたり、暴力を振るったりした。その結果、人を、世の中を憎むようになったという。だから愛情などという物が存在しなかったのである。

 しかし今の国松は自分を受け入れてくれた。それだけで久恵は充分であった。そんな眼差しを久恵は国松へと向けた。

 その国松は久恵から少しだけ距離を取り、シャドー・ボクシングをはじめた。これ以上の言葉はいらない。お互いに存在を理解していれば良かった。

久恵はそんな国松を見守った。国松はそんな視線を感じてはいなかった。自然で居られるからこそ、無理にそれを感じる必要がなかった。分かり合えていなかったら気になってしかたがなかったかも知れないが……。

 少し開き気味に握られた二つの拳が、すっと眼前に上げられている。

ステップと同時に連動するように、素早く左ジャブが飛び出す。

動く量に伴い眼光は鋭くなっていく。

 ボクサー。

 久恵はそんな人種の人間を身近に感じていた。そのボクサーが松崎国松でなければ、今後もリングに上がる人たちには接することはなかったかもしれない。ただ人が理由もなく、ただ殴りあうというボクシングを、恐く、野蛮なものとしか考えられなかったのであろう。国松に接してやっと理解ができた。

 ただ純粋に強さというものを求める、透き通るほど透明に近い、ボクサーという存在というものを……。


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