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求め行く者  作者: 祓川雄次


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1998年8月15日(土)  (1)

(一)

 太陽が登り始めたのは、数時間前の事である。その太陽を少し薄い雲が覆っていた。そんな天候に関係なく、都会の朝は、いつもと何一つ変わることはなくはじまった。

 烏たちがポリのゴミ容器に溜まり、静かな空気を切り裂くようにして、荷を積んだトラックたちがエンジン音と共に、軋むようにして走り出していく。

 そんな中を、軽くとも重くとも感じさせない足音が、硬いアスファルトの上で、湿度の高い空に、重く鳴り響くかのように聞こえてくる。まるでメトロノームのように、変わることのない一定のリズムで奏でられる足音は、時折バイクや車のエンジン音にかき消されていく。

 走り続ける男の衣服は、着古されたのが明確にわかるほどの色のあせたトレーナーとジャージである。三ヶ月もの間放おって置かれた伸び放題の黒の髪、黒の髭が見た目以上に、更に暑さを誘う。

 緩むことのない男の足取りは、変わらず一定のリズムを刻みながら、力強くアスファルトを蹴りつけていく。ルームランナーを相手にするように、ただ足を上げるだけでは前に進むことはできない、地面をしっかりと蹴っている証明である。

 早い出勤のサラリーマンたちが数人、男とすれ違っていく。そこには走る男に取って味わったことのない【勤め人】という世界が広がっている。

 駅へと向かう人たちは、走っていく男の姿を視線に入れないか、もしくは見たとしても嘲笑するかのような視線で後方へと追いやっていく。自分の中に昔あった【情熱】という文字を忘れ、生活に追われるだけの社会人の中には、必死に頑張る者を莫迦だと言わんばかりに冷淡な視線を送る者もいる。他の視線には、恨めしいと思う物もあるのだろう。自らが望んでいてもできなかった事をやっている人への、ある種のやっかみや恨めしさという感情が、自身の中でうごめいているのかもしれない。

 だが、走り続ける男に取っては、そんな人たちの視線や感情はどうでも良いことであった。他人の視線に一喜一憂している時間は無いのである。他人を気にすることなく、常に自分の事だけに集中したかった。

 いつも通り男は、ある狭くなった路地を右へと折れた。その前方に見えてくる公園は、子供のいない朝の時間帯に、欠かさず男が寄る場所である。

 青々と茂った木々たちは、先ほどのサラリーマンたちよりも、少なからず男を歓迎してくれているように思える。喋らないで迎え入れてくれるものたちは、男に取って居心地が良く感じられた。

 そんな事もあってか、失った感情の中でもこの公園に関しては愛着があるように思えて仕方がない。人間社会の見えないしがらみよりも、自然の中、ほんの小さな【都会のオアシス】と呼べる公園のほうが、男に取っては気が休まるように思えていた。

 しかし現在は、この公園に一つだけ障害があった。それは【水飲み場】である。恨めしくも恋しく思える。それが今の男の、水に対しての気持ちであった。

 勿論、家に水道が無いとかの理由ではない。六畳一間の万年床ではあるが、流石にこんな時代であるから、水道があるのは当然である。

 カラカラの男の、喉の奥底から、出てこない唾液がカサリと音を立てた。走り続けている身体が自然に水分を欲しているのである。だからこそ家の水道よりも、より恋しく思えてしまうのである。しかし男は敢えてそれを口にはしなかった。今現在の苦しみよりも、のちのち苦しむことの方が嫌だったからである。

 走ってきたことによって失われていった水分…意に反して身体はそれ以上の水分を欲している。汗まみれの身体ではあるが、走っている距離と服装を考えると、汗の量は比例していない。喉が枯渇している事を、水道を見ることによって更に実感してしまう。だがそれを口にすることは強い意志が阻んでいた。

 子供のいない、朝の場違いの公園。

 二つしかないブランコは、主がいないためにもちろん動くことはない。滑り台は男にしてみれば高くはないが、子供たちの視線を考えれば、それ相応の高さに見えるのだろう。

 細く鋭い目で水飲み場を見ると、少しだけ不快な感情を覚える。そんな自分の中の感情を無視して、今までの早さとは異なり、男の足取りはゆっくりになった。

 体重は、少しは落ちたであろうか…。

 何度か頭の中で反芻するようにそんな事を考えてしまう。

 都会にしては綺麗な朝の空気を、自らの考えを消すために、肺の奥底まで大きく吸い込み、天を仰いだ。空には薄い雲がそびえていた。その雲の存在を、自分の中に生まれているモヤモヤと共にぶち壊したい気持ちであった。

 そんな気持ちを一度落ち着かせると、両足を肩幅くらいに開き、ほんの少しだけ内股にし、軽やかにステップを踏んでみる。

 それがしっくりこないのか、それとも力を抜くためなのか、一度動きを止めて歩きながら首をニ、三回左右へと回してみる。

 一度閉じた目を見開き、睨むような視線の前に、軽く、少し開き気味に握られた二つの拳が上げられる。ステップを踏みながら、素早く二度三度と左拳を顔の前方へと突き出す。伸びた拳は構えた時とは異なり、力強く握られている。ステップと拳……連動するようにして動く二つの動作は、見た目程簡単なものではない。慣れていない人が真似をしても、不自然な動きにしかならない。

 男の運動量が増えるにつれ、眼光は比例するように変化していく。それは獲物を狙う獣のように鋭いものであった。

 出された左拳は、鞭のように伸びては、カメレオンの舌のように素早く元の位置へと戻ってくる。

 ステップを止めると、今度は両の拳を額辺りへと上げる。腰を中心にして、上体を左右へと振るう。土台になっている膝は、体重を受けながらも柔らかく、滑らかに動き、まるで吊り橋の動きのように見える。そして身体を支え抵抗なく動かしていく。

 再びステップを踏みながら、絶え間なく左拳が前方へと伸びる。左の腰骨、左の肩が膝と共に後ろ足に押し出され、真っ直ぐに伸びる。素人ではない。誰が見てもそんな事が理解できる。

 その左拳が頬に着けられ、取って代わるかのように、右拳がピクリと反応した。右の蹴り足が、その上部に付いている膝を、一直線上に押し出す。腰骨、肩が連動して、更に遠心力が拳に加わる。その力を逃さないように、左膝が沈まずに体重を全て受け止める。左拳の時よりも若干の早さを感じる。右拳はバットで弾かれたボールのように、素早く遠くへと伸びる。

 ボクサー。

 それが男の職業である。

 一昔、下手をすれば二昔前であれば日本でもボクシングを仕事として、大金を稼ぐことも可能であっただろう。ショービジネスの確立しているアメリカであれば今でも可能であるが、日本の現在のボクシング界では中々そうはいかない。本業であるボクシングだけでは生活が成り立たない者が殆どで、トップ選手でなければサラリーマンをやるか、アルバイトで生計を立てる必要がある。

 一番プロに成りやすく、一番プロという名のつくもので稼げない。そんな言葉さえ耳にする事がある。その上、死をも直感させるようなスポーツなのである。例え死に結びつかなくても、脳障害、言語や身体の障害、その他にも失明など、その後の日常生活に対する心配さえも付きまとう。だが、それを行う者達の覚悟は、そんな事は関係ないのかもしれない。

 そう、男たちがそれだけの物を代償として上がる、自らの存在を懸けたリングの上では意味を成さないのだろう。だからこそ、自らに取って神聖な物になるのであろう。


 ボクサーには、幾つかのタイプがある。いわゆるファイトスタイルだ。基本的に大きく3つに分けることができる。

 ボクサー、ファイター、ボクサーファイターである。

 男はその中で右利きのファイターに当たる。パンチを裁き、素早くパンチを当てるような華麗な華のあるファイターではない。泥臭く接近して力強いパンチを、力一杯に振るう。余りに不器用で、ある種特攻を美化した日本人好みのスタイルである。

 しかし今、公園でシャドー・ボクシングをしている男の動きを見ている限りでは、そうは見えない。

軽やかなステップワークに体捌き、ロングレンジでも戦えるように見えるストロークの長いパンチ。まるでボクサーかボクサーファイターと言ったほうが自然であろう。

 けれども試合やスパーリングになると、彼はガラリとベタ足のファイターへと変化する。

 誰にでも経験があると思うが、練習やリハーサルではできていた事が、本番になると急に頭の中から消え去り、できなくなってしまう。まあ男の場合には緊張からではなく、闘争本能によるものであると思えてしまうのであるが……。

 リングへと上がった瞬間に、目の前にいる相手を倒すという気持ちが先走ってしまうのである。突貫小僧…そんな言葉が良く似合う。そしてそれは男の戦績からも伺える。

 プロテストに合格して以来九年。

 この九年間の間に男がリングへと上がった回数は二九回。二四勝五敗。勝った試合、負けた試合共に、一度たりとも最終ラウンドのゴングを聞くことはなく、それゆえに判定へともつれ込んだ事もない。一番長く闘った試合は、いつもと同じように突進して、倒すか倒されるかの中で、一一ラウンドにKO負けを喫したものである。回りからは男の試合の中で一番良いものであったと言われる試合がそれであったが、負けてしまえば他者がいくら良いと評価をしても、男としては良いとは思えなかった。

 それは、ちょうど二年前、八月二九日の試合であった。

 そんな彼の試合は、確かに客受けが良く、名前が知られるようになってからは観客動員数も多くなった。

 サラリーマンたちは、様々な環境でストレスを抱え、ただただ人間が大木のように倒れるシーンを期待して、会場へと足を運ぶ。純粋なボクシングファンもいるが、そんな人たち以外は、個々の選手の身内のような人たちが多いのかもしれない。彼の試合は、見ず知らずの人たちからしても、楽しみとなるのだから、やはり知らない人たちが多いのだろう。

 所属ジムの会長に言わせれば、そんな試合をしていたのでは、将来パンチ・ドランカーになると散々言われるが、男にしてみれば倒すか、倒されるか……そんな単純な理論のみが頭の中に存在していた。

 単に強いか弱いかを試すことができるボクシングがたまらなく好きなのであった。だから危険とか、将来に対する考えは、頭の中に存在しないに等しかった。

 男はしばらく続けていたシャドー・ボクシングを終えると、一度だけ恨めしそうな瞳で水飲み場を、一瞬ではあるが視界に入れた。男に取ってはその瞬間ですら、長く感じられる。それほどまでに水に執着する気持ちがあった。

【飲みたい】

 欲望に動かされる人間とは、弱いものである。気持ちは風にあおられる炎のように、揺れ動いた。一滴すら出ないように感じられる唾が、衝動にかられてゴクリと喉を鳴らした。

 間近に迫った試合のリミットまで、あと約二キログラム。もう食事どころではない。これまで散々節制した身体では、残りの体重は水分すら制限しなければならないのであった。

 水道に駆り立てられ、本当に自分に対して弱くなる前に、彼は足を前方へと向けた。

 烏たちは、一日の始まりを思わせるような人間たちの動きが多くなると、それに反応するように飛び去っていく。遠くへ飛べる翼があれば、人間も少しはストレスというものは感じないのかもしれない。荒らされたポリのゴミ容器は、誰も片付ける事なく、そのまま佇んでいた。

 徐々にトラックだけではなく、通勤などで使われる自家用車たちも慌しく動きはじめた。

それと共に都会の空気は、いつもと同じように、排気ガスにまみれ、人の出す二酸化炭素にまみれて汚れていく。

 ガヤガヤと騒音に比例するように、静かな空気が一変していく。

一日の始まり…そんな事を改めて実感できる。

 不快指数が多く、湿った暑い日本独特の空気が、人々の顔をしかませていく。

 汗がじわりじわりと、背中に浮かんできた感覚を男は受けた。

 もったいない、それとも少しでも体重が減る。水分を欲している男はどのような気持ちで、公園を去り、走り続けていくのであろうか……。


 駅に向かう人たちに逆行するように走り続けていく先に、二階建ての建物が見えてくる。木造のボロとしか言い様がない古臭い外見が、女どころか男の姿をも容易に寄せ付けない、貧乏臭い雰囲気を醸し出す。

 入り口には幾つか連なった郵便受けが見られる。その数カ所に灰色の紙の束が入れられている。一人の日本人の居住者が、その新聞紙を取り出して持っていった。

 男はその光景を見てか、新聞などを取っていないにもかかわらずに思わず郵便受けを確認した。そこには紙にサインペンで【松崎】という姓名が書かれていた。

 そのアパートの一階の一番奥の部屋が、彼の居住区域である。そこにたどり着くまでに古くなった床は、ところどころ歩みと共に、ギシギシと軋む音を立てる。

 薄い扉を開け、その中へと身を置き換える。南向きの一つしかない窓を開けるが、隣の建物に遮られて光は少ししか入って来なかった。

 軽く吹いている程度の風は、特に進入してくる気配はなかった。

 家財道具と呼べるものは、キッチンの横へと置かれた冷蔵庫と、一つしかないタンスだけである。エアコンは入居した時に備え付けてあった古いもので、前の入居者が置いていったものであった。

 壁には、髭もなく、髪も短く切られた自らが写ったプロのリング上での写真が二枚、白黒とカラーの物が貼られている。その上には尊敬する人のポスターが貼られている。

 ロッキー・マルシアノ。本名ロッコ・フランシス・マルケジアーノ。高性能爆撃機と呼ばれたマルシアノは、一八〇センチ、八三キロの、ヘビー級としては小柄な身体で、不器用な技術を闘志で補い、殴り合いという中で、四九勝四三KOの不敗記録を樹立したチャンピオンである。そのチャンピオンの写真を一度見るようにして、松崎国松は部屋の中に入り立ちすくんだ。

 運動量のわりにあまり汗をかいてはいなかったが、脱ごうとする衣服が身体にまとわりつく感覚がして気持ち悪かった。それが嫌で全ての衣服を脱ぎ捨て開放感を味わうと、生まれたままの姿を、長い鏡の中へと入れた。

 自然に拳が上がる。筋骨隆々で中世ヨーロッパの彫刻のような身体から感じるオーラは、まさにボクサーのファイティングポーズと言うことができる。隙がない構えが、素人のそれと異なることは、一目瞭然である。

 左拳を突き出したその先にある自らの瞳を、鋭く睨みつける。その直後に出された素早い右ストレートが、鏡の中の国松を弾き飛ばしたように見えた。

 出したスピードと同等の早さで戻された拳は、いつものガードの位置よりも後方へと引かれている。気持ちが高まっている時の彼の癖であった。

 今日は仕事を休ませてもらっていた。本業をボクシングにしている彼にしてみれば、この場合はアルバイトになるのだが、それが無いというだけで気持ちがボクシングのみに行きたがる。アルバイト中でもボクシングの事を忘れることのない国松が六畳一間で休みとなると、頭の中でボクシングの事を考えてしまうのは当然の事であった。

 万年床へと寝転がり、思わず試合のイメージを思い浮かべる。

 二年前、自身が一番長く闘った試合の時の事をである。

 青コーナーよりリングへと上がった国松は、初の世界タイトルマッチという緊張を、表情どころか、内面にも見せていなかった。

 対する赤コーナーからリングへと姿を見せたチャンピオンは、WBA(世界ボクシング協会)ライト級のタイトルを八度連続防衛中の強者であった。

 そのチャンピオンに対して、国松は一進一退の攻防を繰り広げる。そんな中ついに一一ラウンド、右ストレートから左フックの返しで、この回チャンピオンから二度目のダウンを奪った。

 スリー・ノックダウン制(一つのラウンドに三回ダウンを喫したら、自動的にノックアウトになる)の用いられているWBAルールでは、あと一回国松がチャンピオンを倒せば、勝敗が決することになる。

 そんな期待に感情を煽られた観客たちは、満員の後楽園ホールを大歓声で大きく揺らしていた。

 国松は中立コーナーで鋭く牙を研ぎ澄ませていた。チャンピオンが立ち上がってきたら、もう一度倒せばいい。いつもの試合と変わらない気持ちを、胸元に上げた拳に秘めた。

 どうにか立ち上がったチャンピオンの足元は定かではない。蒼白な顔の下には、今までに味わった事のない、弱気と戸惑い、それと共に勝利を棄てないプライドが居場所を争っていた。

 赤コーナーの下ではセコンド陣たちが大声を上げるが、歓声と自らのダメージに阻まれて、何を叫んでいるのかわからず、チャンピオンの耳に届くことはなかった。

 国松はその歓声に気圧されるように、中立コーナーを飛び出し、立ち上がったチャンピオンを一気にロープへと詰めていく。そのまま試合が終わる可能性が期待される中で、国松のラッシュが続くが、チャンピオンはストップをされないために、力ない拳を数発振るう。このままレフリーストップがかかってもおかしくはない状態である。

 そんな状況の中で国松は、一度ロープを抜けだしたチャンピオンを再びラッシュでロープ際へと追いやっていく。

 誰もが国松の勝利を確信する中で、そこに見えない闇は潜んでいた。

 国松もその闇を見極める程の余力は残っていなかった。ロープの反動を使い弾かれるように出したチャンピオンのパンチに、全ての力が注ぎ込まれているようであった。

 お互いに勝負所である。チャンピオンの気持ちの中で、弱気に勝ったプライドが居場所をもぎ取ったのである。

 国松のラッシュの一発にパンチが合わせられた。それはカウンターとなり、国松を捕らえた。

 試合は一転した。数秒後、ダウンをすることに慣れている国松は、意識がしっかりと残っていても、立ち上がる力は存在しなかった。身体が反応しないのである。

 たった一発。それが苦しみ抜いてきたボクサーの明暗を分ける。

残酷な話であるが、それがボクシングであり、勝負の世界であった。


 しかしチャンスは、再び国松に巡ってきた。

 逆転のKO負けを喫してから二年、世界ランカーや東洋チャンピオンらの強豪ばかりを相手に五連勝を、勿論全てKOでおさめた国松は、今月二一日の金曜日に、ボクシングの殿堂と呼ばれる後楽園ホールで、前回対戦したチャンピオンとリターンマッチを行うことになったのである。

 チケットは完売となり、いつもながらにフラストレーションを抱えたサラリーマンたちは、豪快に人間が倒れるシーンを早くも期待しているようであった。

 いや観客だけではない、リングへと上がる二人のボクサーも前回の勝敗に拘り、しっかりとした形での決着を考えているに違いなかった。

 国松は前回の試合のイメージを終えると、天井を一瞬だけ睨みつけて立ち上がった。その足で冷蔵庫へと向かう。明るくなった庫内からミネラルウォーターを取り出す。五〇〇ミリのペットボトルに半分以上はゆうに残った揺れ動く水面は、国松の乾いた心を同じように揺れ動かす。

 この水を一気に飲み干せるとしたら、枯れた身体に華を咲かすこともできるのではないか……乾いた思考がそんな錯覚に陥る。

 そんな事を思いながらも、いつ買ったかわからないミネラルウォーターを一口だけ、じっくりと味わうようにして、体内に流し込んだ。

 そんな量であるが、体の全ての細胞が水分を吸収して生き返るような気がした。それと共に集中力が増していく。

 もう水は必要ではない。水分と共に精神力までも回復した国松の瞳に、確固たる意思の力が蘇った。


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