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海嶺のハウンド  作者: 水前寺鯉太郎
第4部

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第62話 孤高の過ち、冷酷なる減点

第4部 第62話:孤高の過ち、冷酷なる減点

 ドボォォォンッ!

 漆黒の潜水槽へ、第一班の四つの影が吸い込まれた。

 水深十五メートル。水圧はおよそ二・五気圧。

 遮光シャッターに閉ざされた水底は、目を開けても閉じても寸分の違いすらない完全な漆黒。冷たい水圧がウェットスーツ越しに肋骨を締め上げ、視覚を奪われた脳は容易に空間識失調(バーティゴ)へと傾きかける。

 四頭の腰を結ぶのは、一本のテンションガイドライン。

 手探りの環状捜索(サークルサーチ)において、命綱の張力こそが唯一の羅針盤だった。

 だが――暗闇を切り裂いて突出したのは、明(あきら)と安藤の圧倒的な推進力だった。

 防衛隊EODの重爆処理スーツで爆発的な突進力を鍛え抜かれてきたビーグルの明と、三陸の荒波をねじ伏せてきたニューファンドランドの安藤。二頭の頑強な骨格から繰り出される豪快なフィンキックは、暴力的な水押しとなって水底の冷水を掻き乱した。

 水底のコンクリートの継ぎ目を手探りで捉え、最短ルートで中央へ突進する。

 開始わずか三分。明の掌が、冷たく沈む六十キロの沈降ダミーの頭部を捉えた。

(――確保!)

 明がラインを二回強く引き、安藤が怪力でダミーの胸部ハーネスを抱え込む。驚異的な突破力、タイムアタックとしては神業に近いスピード。

 だが――その瞬間、ラインの反対側で致命的な破綻が起きていた。

 ゴボボッ、ヒューッ、ゴボッ!

 レギュレーターから漏れ出す、異常な呼気音。

 先頭二頭の爆発的なスピードによってガイドラインを強引に引きずり回された末端で、フレンチブルドッグの神尾が激しい呼吸不全に陥っていたのだ。

 二・五気圧の高圧下で急激な運動を強いられ、短頭種特有の狭窄した鼻腔と軟口蓋が吸気抵抗を跳ね上げる。肺に空気が入ってこない。視界ゼロの恐怖と相まって過呼吸を起こしかけた神尾を、後方にいた俊平が横から必死に抱きとめていた。

(クソッ……速すぎる! ラインが張り詰めている張力(テンション)を完全に無視して突っ走りやがった!)

 俊平もまた、先頭二頭の強引なペースに引きずられ、神尾の異変を察知してブレーキをかけるのが遅れた己の未熟さに奥歯を食いしばっていた。

 四頭が合流し、ダミーを抱えて浮上速度を守りながら水面を割ったのは、開始から六分三十秒――制限時間を三分半も残す、驚異的な記録だった。

 ザバァァァッ!

 水面に顔を出した四頭を待ち受けていたのは、だが、称賛などでは微塵もなかった。

「バカモンがッ!!」

 潜水槽を見下ろすキャットウォークから、源教官の剥き出しの牙が四頭を撃ち抜いた。ロットワイラーの顔の古傷が、怒気によって赤黒く跳ね上がっている。

「誰が勝手に独走していいと許可したッ! チームの命綱を何だと思っている!」

 水面で肩を揺らす明と安藤の表情が、凍りついた。

「桧垣! 安藤! 貴様らのその突出した推進力は、何のためにある! ここは孤高の爆弾処理の現場じゃない! 後方のバディの呼吸音も聞かず、ラインの異常な張力も確かめずに突っ走って何が特救隊だ! 神尾が暗黒の底で過呼吸を起こしてブラックアウトしていたらどうするつもりだった!」

「……っ!」

 明が濡れた耳を伏せ、悔しそうにマズルを歪める。防衛隊の「個の力」でねじ伏せる戦術が、沿岸警備庁の海難救助では最悪の悪手となることを、文字通り叩きつけられた瞬間だった。

「現場でバディを一人ロストすれば、その瞬間に要救助者の捜索は打ち切り、全員で仲間の遺体捜索に切り替えざるを得なくなるんだぞ! 貴様らのその無駄な数分のスタンドプレーが、救えるはずだった命を見殺しにするんだ! 速く上がればいいという競技会気分なら、今すぐ荷物をまとめて出ていけ!」

 痛烈な一喝が、コンクリートの訓練棟に重く反響した。

 源教官は手元のバインダーへ、無造作に赤いチェックを叩きつけた。

「第一班――チーム連携破綻、失格寸前の『大幅減点』だ! とっとと上がれ!」

 明は奥歯を砕けんばかりに噛み締め、プールサイドの手すりを掴んだ。俊平もまた、連携を制御できなかった己の不甲斐なさに、水中で拳を固く握りしめる。

 プールサイドで見守る大輔と大田原の背筋に、冷や汗が伝った。

 羽田特救隊が求めているのは、突出した力を持つ個の怪物ではない。

 極限の暗黒の中で、異なる犬種、異なる呼吸のすべてを束ね、最後の一頭まで命を繋ぎ合わせる「完全なる連携」だった。

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