第26話 血煙の海路、瀬戸内海賊対処
第2部 第26話:血煙の海路、瀬戸内海賊対処
フェリー沈没の修羅場から、わずか三日後。
安芸灘の海水を洗い流す間もなく、第六管区沿岸警備本部に、最悪の凶報が飛び込んできた。
『――緊急打電! 備讃瀬戸南航路にて、十万トン級の大型原油タンカー「あきつ丸」が武装集団に急襲、占拠された! 犯行グループの首謀者は「ムラカミ」と名乗る男! 自動小銃および対戦車ロケットで武装、乗組員二十名を人質に取り、船橋および主機関を制圧中!』
潜水班控室のモニターに映し出された海図を見て、大輔の喉が張り詰めた。
備讃瀬戸。本州と四国を繋ぐ瀬戸内海の中枢航路であり、一日に数百隻の船が行き交う、ジャパウ国の生命線だ。
もし十万トンの原油を積んだタンカーが、瀬戸大橋の直下で自沈、あるいは爆破されればどうなるか。瀬戸内全域が火の海と化し、航路は数か月にわたって封鎖される。海運は麻痺し、経済は深く傷つくだろう。
「……沿岸警備庁発足以来、最大規模のシージャック事案だ」
佐々木班長が重い鉄扉を開けて入ってきた。その手には、普段の潜水装備ではなく、鈍い鉛色のプレートキャリア(防弾ベスト)と、ケブラー製の防弾ヘルメットが抱えられていた。
「これより本船『ながら』は、沿岸警備庁法に基づき、『あきつ丸』の追尾、封じ込め作戦に参加する。相手はただの暴徒じゃない。重火器で武装した、プロの傭兵集団だ。本庁から特殊警備隊がヘリで急行しているが、到着を待っていては瀬戸大橋に突っ込まれる」
「俺たちが、突入するんですか……?」
「正面から行けばハチの巣だ。俺たち潜水班の任務は、海中からの隠密接近と、操舵機能の物理的無力化だ」
佐々木は海図上のタンカーの船尾を指差した。
「あきつ丸は、航路の狭まる海域に入って速力を落とした。そこが唯一の機会だ。船の進路上で海中に潜み、頭上を巨大な船体が通過した直後、スクリューの死角となる船尾のラダートランク(舵の格納部)へ浮上して取り付く。そこから外部点検口を通り、舵機室の油圧系統をロックして、テロリストから船の制御を奪い返す」
佐々木はそこで言葉を区切り、鋭い眼光を大輔と神田へ向けた。
「だが、ラダートランクの点検口は極めて狭い。大型犬の肩幅や、空気呼吸器を背負った状態では絶対に通り抜けられん。小柄なハウンドが、シリンダー無しのスキン装備で入り込むしかない」
大輔は息を呑んだ。
「さらに、内部の油圧ロックの解除手順は複雑だ。タンカーの構造を知り尽くしている神田の知識が不可欠になる。……神田、間。本来ならドクターストップの病人と無資格の新米を突入部隊に入れるなど、万死に値する軍紀違反だ。だが、あの点検口を通り抜け、暗闇で作業できるのは、お前ら二匹のハウンドの組み合わせしかいない」
「……了解しました」
神田が低く答え、潰れたマズルを擦った。
「俺の右目の視界は使い物にならねえが……大輔。お前が俺の目になって、油圧弁の場所へ確実に誘導しろ。できるな」
「はいッ!」
部屋の空気が、これまでの海難救助とは全く異なる、血と硝煙の匂いを帯びた。
佐々木の後ろから入ってきた武器庫の管理官が、ガンロッカーから引き出した黒光りする銃器を次々と隊員たちへ手渡していく。
大輔も、その冷たい鋼鉄の塊を胸の前に受け取った。
六十四式自動小銃。かつての基本教練で分解結合を叩き込まれた際、あまりの部品の多さと手入れの煩雑さに閉口した旧式の銃だ。だが、木製の銃床のずしりとした重みと、その銃身から放たれる7.62ミリ弾の骨を砕くような強烈な反動と衝撃は、今も大輔の掌に生々しく記憶されている。
狭い鉄の船内でこれが放たれれば、隔壁など容易く貫き、人体を肉塊へと変える。その暴力の前に、潜水具という最も無防備な姿で潜入するというのだ。
「おい、大輔。震えてんじゃねえぞ」
隣で防弾ヘルメットの顎紐を締め上げた神田が、低く濁った声で言った。
パグの太い首に、防弾襟が食い込んでいる。その右目は網膜症の歪みがさらに悪化しているはずだったが、瞳の奥には、数々の修羅場をくぐり抜けてきた戦士の光が宿っていた。
「防弾装具と銃は防水パックに収めて俺が引く。泳ぐ間は身につけるな。鉛より重いぞ。……相手が波だろうが弾丸だろうが、俺たちのやることは変わらねえ。海に爪を立てて、仕事をするだけだ。行くぞ」
「……はい!」
呉港の岸壁を離れる大型巡視船「ながら」のツインディーゼルが、最大戦速の唸りを上げて海面を叩き割った。
舷側には防弾板が展開され、遠隔操作式の二十ミリ多銃身機関砲が空を睨む。
命を救うための救助から、命を奪い合う制圧へ。ジャパウ国の海を守る白き鉄の城が、暗雲立ち込める備讃瀬戸へ向けて、全速力で針路を取った。




