第24話 漏洩する命綱、炎中の決断
第2部 第24話:漏洩する命綱、炎中の決断
シュウウウウッ――!
フェリーの搬入口から噴き出した爆風と炎に煽られ、ゴムボートの底へ引き倒された大輔の背後で、甲高く耳障りな噴射音が響いた。
ボートが激しく跳ねた際、搬入口の縁から吹き飛んできたひしゃげた鉄片が、ボートの底に横たえてあった「神田用の予備シリンダー」の元弁の直下を深々と抉り取っていたのだ。二百気圧で充填された圧縮空気が、凄まじい勢いで白い霧となって噴き出している。
断熱膨張の物理法則により、真鍮製のバルブ周りは一瞬にして霜に覆われ、真っ白に凍りついていた。
スキン装備(素潜り)で海面待機していた大輔は、咄嗟に予備シリンダーの残圧計を掴んだ。
針が、目に見える速度でゼロに向かって滑り落ちていく。
百五十――百二十――九十――。
「しまっ……予備のシリンダーが……!」
「大輔、触るな!」
同じボートの上に伏せていた神田が、大輔の腕を強引に押さえつけた。
神田は凍りついた漏洩箇所を一瞥し、舌打ちをした。
「元弁のネックが逝ってる。バルブを締め直しても止まらねえ! あと数分で完全に空になるぞ!」
その時だった。
黒煙と炎が渦巻くフェリーの搬入口から、濁流を割って飛び出してきた影があった。
ジャパウ海上防衛隊の明だ。
「ブハァッ……!」
明は煤で真っ黒になった顔を上げ、激しく咽せ返りながら、右腕に抱え込んだ血まみれの男をボートの縁へ押し上げた。
「明!」
「確保……要救助者、一名確保……!」
明の背負った閉鎖循環式呼吸器のカバーは、爆燃の熱波で黒く焼け焦げ、エラーの警告音が甲高く鳴り響いていた。明自身も額から血を流し、息も絶え絶えだ。
大輔と神田は無我夢中で手を伸ばし、意識を失っている男をボートへ引きずり上げた。
「明、よくやった! 早くお前もボートへ上がれ!」
大輔が叫んだが、明はゴムボートのチューブにしがみついたまま、血走った目で首を横に振った。
「ダメだ……! 奥の下層客室に、もう一人残ってる……! ガソリンの炎が回る前に、引っ張り出さないと……!」
「バカ野郎、お前の装備はもう限界だ! そのリブリーザーじゃ熱と衝撃でスクラバー(二酸化炭素吸収剤)がイカれてる。今潜れば、二酸化炭素中毒で確実に死ぬぞ!」
神田の怒号に、明は悔しそうにマズルを歪め、ボートの縁を強く叩いた。
「でも……見殺しには……!」
「そこは俺がやる」
神田は短く言い放つと、傍らに置いてあった唯一無事なメインのシリンダーを背負い、フルフェイスマスクを掴み上げた。
「神田先輩!?」
大輔が凍りついた。
「先輩はドクターストップがかかっているはずです! 船長とも約束したじゃないですか!」
「だからって、指咥えてここで見殺しにしろってのか!」
神田の怒号が、燃え盛る船内からの爆裂音を切り裂いた。
神田の右目は、すでに赤く充血していた。中心に暗点を抱え、距離感も狂いかけているその目で、それでも大輔の甘えを一切許さず射抜いている。
「さっきの爆風と飛沫で、ボートの無線機がショートして逝った。明の通信ユニットも焼き切れてる。外の佐々木班長に連絡が取れねえ」
「……っ!」
「俺が一人で、奥の区画に残る最後の一人を引っ張り出す。……大輔、お前はスキン装備だ。空気なしで火の海に突っ込めば秒で死ぬ。お前は明とその要救助者を連れて、ただちに『ながら』へ戻れ」
神田は素早くマスクを被り、シリンダーのバルブを開いた。
「佐々木班長に伝えろ。『浸水速度、毎分一メートル。機関室隔壁に亀裂あり、残された猶予は五分』とな。……五分だ。五分で俺が戻らなければ、船長に伝えて俺を見捨てろ」
「そんなこと……!」
「プロが情に流されりゃ、全員が水底のゴミになるぞ! お前が外へ繋ぐ情報だけが、俺の命綱になるんだ。行けッ!」
神田はそれ以上一言も交わさず、反転した。
猛火と浸水がせめぎ合う最深部――暗黒の搬入口へ、黒いドライスーツのパグが躊躇なく飛び込んでいく。
ボートの底に転がる予備のシリンダーから、プシューと虚しく空気が漏れ続けている。真鍮のバルブは、真っ白な氷の塊となっていた。
大輔はぐったりとした要救助者の体を、ボートの底でしっかりと抱え込んだ。
自分がスキン装備であるがゆえに、視界の狂った先輩をたった一人で炎の中へ送り出すしかない無力さ。大輔は奥歯を砕けんばかりに噛み締め、溢れそうになる涙と悔しさを喉の奥へ呑み込んだ。
――生き残って、情報を繋ぐ。
それが、何もできない新米の自分に、歴戦の潜水士から託された唯一の任務だった。
大輔はゴムボートの船外機を握りしめ、明を引き上げると、炎を吐く座礁船から全速力で離脱を開始した。




