第72話 熟れ方の違う段熟豆と、断れない仕立屋
ハンナ・クレイスは四十三歳になる人間の女性であり、レーヴェン西区と中央市場を結ぶ通り沿いで、小さな仕立てと修繕の店《糸環屋》を営んでいた。黒に近い焦げ茶色の髪には数年前から白いものが混じり始め、仕事中には首の後ろで一つに束ねている。背はそれほど高くないものの姿勢はよく、三十年近く布を扱ってきた指先は細いわりに硬く、右手の人差し指と中指には針を押し込むための厚い皮ができていた。
《糸環屋》は、貴族が夜会で着るような豪華な礼服を一から仕立てる高級店ではなく、働く人々が毎日使う服を、できるだけ長く着られるよう整えることを得意としていた。破れた荷運び人の作業着へ丈夫な当て布を入れ、丈が合わなくなった子どもの上着へ別布を継ぎ、旅人の外套へできた裂け目を塞ぎ、宿屋や商会からまとめて持ち込まれる前掛けや制服を同じ寸法へ揃えていく。新品の仕立ても受けるが、「まだ使いたいから直してほしい」と持ち込まれる品の方が多く、ハンナ自身も、使える布を簡単に捨てず、その人がもう一度着られる形へ戻す仕事を好んでいた。
腕には長年の経験が積み重なっており、同じ裂け目でも、表から縫い合わせるだけでよいものと、裏へ補強布を広く入れなければ再び破れるものを見分けられる。見た目を優先する祝い着なら継ぎ目が目立たないよう時間をかけ、荷運びに使う上着なら多少当て布が見えても強度を優先するなど、服がどのように使われるのかを聞いてから直し方を変えるのも、彼女が客から信頼されている理由の一つだった。
そのため《糸環屋》には客が多かった。
市場で働く者の中には、服が破れたら最初にハンナへ持っていくと決めている人もおり、冬前や祭り前になれば作業台の横へ受け取り待ちの服が何段にも積まれる。店を開いたばかりの頃には一日中誰も来ない時間さえあったことを思えば、忙しい現在は本来なら喜ぶべき状態だった。
ただし、ハンナには一つ、店が繁盛するほど深刻になっていった癖があった。
客から頼まれると、ほとんど断れないのである。
「この外套、明後日までに何とかならない?」
普通に仕上げれば四日ほど必要でも、ハンナは注文台の上を一度見てから答える。
「何とかします」
「これも一緒に頼める?」
すでに受け取り待ちの服が何着も並んでいても、
「大丈夫ですよ」
と返してしまう。
「急で悪いけど、明日の朝までに」
その日の予定に入る余地がほとんど残っていなくても、
「少し遅くまでやれば間に合います」
という言葉が先に出る。
一件だけなら、本当に何とかできる。
二件重なっても、閉店後に一刻余分に働けば済む。
三件なら食事を短くし、朝を早くする。
そうやって長年仕事を回してきたため、ハンナ自身も「結局いつも何とかしてきた」という感覚を持っていた。
しかしここ一年ほどは、頼まれた仕事を新しく入れるたび、すでに約束している仕事のどれかを後ろへ押すことが増えていた。新しい客には「できます」と答え、その代わり以前から預かっている服を夜へ回し、夜に終わらなければ翌朝へ移す。そうして積み重なった遅れが限界を越えると、受け取りに来た客へ初めて「あと半刻だけ」「今日の夕方には」と頼むことになる。
ハンナ本人も、それがよくないことは理解していた。
最初から四日必要だと伝えれば、客は四日後のつもりで待てる。どうしても無理なら別の日を提案するか、急ぎに強い別の店を勧めることだってできる。
それでも、目の前に困っている人が立っていると、「できません」という言葉だけが喉の奥へ引っかかった。
◇
ハンナが裁縫を覚えたのは十四歳より少し前のことで、父は市場と倉庫の間を行き来する荷運び人、母は中央市場の端で古着を売っていた。父の仕事は天候や商隊の量によって収入が大きく変わり、母の古着商いにも売れる週とほとんど売れない週があったため、家は食べることに困るほどではなかったものの、衣服を傷んだだけで買い替えられるほど裕福でもなかった。
ハンナが子どもの頃に着ていた服の多くは、母が売り物にしにくい古着を直したものだった。袖が短ければ似た色の布を足し、膝が破れていれば内側から丈夫な布を入れ、表へ多少縫い目が残っても、日常着として使えるならそれでよい。母は専門の仕立職人ではなかったが、暮らしの中で身につけた実用的な針仕事には慣れており、幼いハンナもその横で糸通しや簡単な繕いを覚えた。
「見えないところまで同じ色の糸にしなくていいんだよ。毎日着るものなら、ほどけない方が大事だからね」
母はよくそう言っていた。
十三歳になる頃には、ハンナは自分の服だけでなく、父の作業着の簡単な破れまで直せるようになった。仕上がった服を父がまた着て仕事へ出ることが嬉しく、直したものが役に立っているという感覚は、子どもの頃から彼女にとって大きな喜びだった。
十四歳の春、市場近くの仕立屋《白花縫房》が下働きを募集していると聞き、母に勧められて働き始めた。
最初は床掃除、糸巻き、布片の整理といった仕事が中心だったが、手先の器用さを認められ、半年ほどすると布の端処理や簡単な繕いを任されるようになった。十八歳には日常着の仕立てを一部担当し、二十歳を過ぎる頃には、修繕仕事の多くを一人で処理できるようになっていた。
客から頼まれたことを断りにくい性格も、その頃からすでにあった。
ただし若い職人だった時代には、店へ入れる仕事の量も納期も、基本的には主人が決めていたため、ハンナの性格が店全体へ影響することは少なかった。
ある冬の日、閉店間際に中年の男性が上着を抱えて飛び込んできたことがある。
「明日の朝までに直せないか。息子の入職式で着るんだ」
肩から袖にかけて縫い目が大きく裂けていた。
店主は服を広げ、裏側まで確認してから答えた。
「明朝は無理です。明日の昼ならできます」
「朝じゃないと困るんだ。式があるって言っただろう」
「表から裂け目を閉じるだけなら今夜できますが、裏地まで傷んでいます。そのままだとまたすぐ裂けます」
「少し残ればできるんじゃないか?」
「できます。しかし今日中に仕上げると約束した別の服があります」
「何とかならないか」
「なりません」
客は不満そうな表情を見せ、上着を持って帰った。
若いハンナには、その対応がずいぶん冷たく見えた。
「少しくらい残れば、両方できたんじゃないですか」
客が帰った後、思わず主人へ尋ねた。
「今日だけならできる」
「じゃあ何で断ったんです?」
「今日だけじゃないからだ」
主人は作業台の上へ、すでに仕上げ待ちになっていた別の服を広げた。
「困っている客は、今目の前にいた一人だけじゃない。先に約束した客も、明日必要だからここへ預けている。その一件を毎日『あと少しだから』と入れたら、毎日誰かの約束を後ろへずらすことになる」
「でも、本当に困ってたのに」
「だから昼ならできると伝えた。朝でなければ意味がないなら、別の店へ行ってもらうしかない」
当時のハンナには、その考え方が完全には理解できなかった。
助けられるなら助ければよい。
自分が少し多く働けば済むなら、その方が親切ではないか。
その気持ちの方が強かった。
二十七歳になる頃、母が病気になり、長く働けなくなった。父も腰を痛めて以前ほど荷を運べなくなっていたため、ハンナが家計の多くを支える時期が数年続いた。
その頃には、頼まれた仕事を断らないことが、単なる性格ではなく生活を守る方法にもなった。
小さな修繕でも受ける。
利益の少ない仕事も受ける。
他店で今週は無理だと断られた急ぎ仕事も、自分の手が動くなら引き受ける。
収入は増えた。
母の薬代も払い、父が仕事を減らしても家の暮らしを維持することができた。
その経験は強かった。
仕事を断らなかったから家族を支えられた。
頼まれたものへ応え続けたから、自分の仕事が途切れなかった。
母が亡くなり、数年後に父も他界した後、三十二歳になったハンナは《糸環屋》を開いた。
独立した直後の小さな店には、当然ながら客が少なかった。
通りには他にも仕立屋があり、新しくできた名前も知られていない店へ、わざわざ服を預ける理由はない。
だから、やはり何でも受けた。
他店では一週間と言われたものを四日で。
閉店間際の修繕も。
祭り前日の急ぎも。
夜まで働いた。
そのやり方は、開店直後には確かに《糸環屋》を助けた。
「急ぎならハンナのところへ持っていけば見てくれる」
そんな評判が生まれ、客が増えた。
店は安定した。
それでもハンナは、店が客を選ばなくても十分続くようになった後まで、開店当初と同じやり方を変えなかった。
一度でも断れば、その客はもう戻ってこない気がした。
せっかく「頼れる店」と思って来てくれた人へできないと言えば、《糸環屋》の価値そのものが減ってしまうように感じていたのである。
◇
三年前から《糸環屋》にはフェンという二十二歳の青年が働いている。旅商人の家に生まれながら、荷車で各地を回る生活より手先を使う仕事を好み、十八歳の時にハンナの店へ入った。難しい礼服を一人で仕立てるにはまだ経験が足りないものの、裾直し、作業着の補修、宿屋の前掛けのような量仕事なら十分に任せられ、最近では簡単な注文なら客との相談から仕上げまで担当するようになっていた。
フェンは、ハンナよりも納期について現実的だった。
「この上着、三日でお願いできる?」
客に聞かれれば、注文台と予定表を確認してから答える。
「裾だけなら三日でできます。内側の補強までなら五日ください」
「急ぎなんだけど」
「三日後に使うなら裾だけ先に直して、補強は後からでもできます」
客は少し考える。
「じゃあ今回は裾だけで」
「分かりました」
説明すれば、多くの客は納得した。
そのやり取りをハンナも見ている。
自分だって同じように言えばよいと分かっている。
ところが自分の前へ客が来ると、事情が違った。
「これ、三日でいける?」
本当は五日ほしい。
「大丈夫ですよ」
フェンが作業台から顔を上げる。
客が帰った後で、予定表を持ってくる。
「五日ですよね」
「何が?」
「今の上着」
「夜少しやれば三日でいける」
「その夜、宿屋の前掛け仕上げる予定です」
「昼に少し進める」
「昼は新しい外套があります」
「どこかで調整するよ」
「どこですか」
聞かれると答えられない。
その「どこか」は、たいてい食事の時間か、睡眠か、すでに受けている仕事のどれかだった。
フェンも、最初の頃は店主であるハンナの判断へ口を出さなかったが、最近ではかなりはっきり言うようになっていた。
「受ける前に予定表見てください」
「見てるよ」
「見てから三日って言いました?」
「急いでるみたいだったから」
「急いでる人、ほかにもいます。昨日受けた人も、明日の人も」
その言葉を聞くと、昔の《白花縫房》の主人が言っていたことを思い出す。
今なら意味は分かる。
それでも断ることだけは難しかった。
その年の秋の終わり、問題はとうとう一日の遅れでは済まない形になった。
冬支度の時期は仕立屋が一年でも特に忙しく、夏物から冬物へ替えるため、外套の裏地を厚くしたい者、子どもの服へ布を足したい家族、去年使った毛織物の破れを直したい商人などが一斉に店へ来る。《糸環屋》にも普段の倍近い服が積まれていた。
そんな中で、三つの急ぎ仕事が続けて入った。
最初は、長年の常連である荷運び人のガロだった。
「肩が裂けちまった。五日後から北へ行く」
厚い冬外套の肩部分が大きく傷んでいる。
本来なら四日ほど欲しい。
「四日でできます」
これは予定を見ても問題なかった。
ところが同じ日の午後、近くの宿屋から前掛け十二枚が持ち込まれた。
「冬市が三日後から始まるんだ。追加が欲しいんだけど、間に合う?」
フェンが予定表へ手を伸ばした。
本来なら四日から五日。
「三日でできます」
ハンナが先に答えた。
フェンは一度口を開きかけ、客の前では何も言わなかった。
三つ目は翌日の昼に来た。
若い女性が紺色の上着を大切そうに抱えている。
「姉の結婚祝いで着たいんです。式が明後日なんですけど、直せますか?」
袖口についた飾り布が大きく解けていた。
見える部分を直すだけなら一日で十分である。
ただし反対側の袖も糸が弱っており、長く使うことを考えるなら左右とも一度解いて補強した方がよい。
「明日の夕方までにできますか」
ハンナは反射的に予定表を思い出した。
ガロの外套。
宿屋の十二枚。
通常注文の作業着と上着。
すでに余裕はない。
「明日は……」
一度言葉が止まった。
女性が不安そうな顔をする。
「難しいですか」
断るべきだった。
あるいは、「見える側だけなら明日、反対側まで完全に補強するなら三日」と提案すればよかった。
しかし、姉の結婚式という言葉が残った。
「いえ。明日の夕方までに仕上げます」
女性はほっとしたように何度も頭を下げて帰った。
扉が閉じる。
フェンが無言で予定表を作業台へ置く。
「どれを後ろへ回します?」
「回さないよ」
「全部は入りません」
「今日は遅くまでやる」
「昨日も遅かったでしょう」
「大丈夫。まず宿屋の前掛けから進めよう」
口ではそう言った。
実際、その夜は閉店後も三刻近く仕事を続けた。
翌朝もいつもより早く店へ入り、フェンが来た時には前掛けを四枚仕上げていた。
「寝ました?」
「寝たよ」
「何刻です?」
「仕事しよう」
答えずに済ませる。
午前中は何とか予定通り進んだ。
ところが昼過ぎ、以前から預かっていた作業着の客が受け取りに来た。
「今日の昼って言ってたやつ、できてる?」
ハンナの手が止まった。
本来なら、昨日のうちに終わらせておくはずだった。
三件の急ぎを入れたため、手をつける時間が後ろへずれている。
「すみません。夕方には必ず」
「今日の仕事で使うんだけど」
「今すぐ直します」
また別の仕事を止める。
フェンは何も言わず、ハンナが途中まで縫っていた前掛けを引き取った。
作業着を急いで直し、客へ渡す。
その分、結婚式用の上着が遅れる。
夕方になり、若い女性が来た時、袖飾りは片側しか終わっていなかった。
「できました?」
期待した顔で聞かれる。
「あと……半刻ほどください」
「待っていてもいいですか」
「本当にすみません」
急いで縫う。
急ぐほど細い飾り糸が絡まり、一度ほどかなければならなくなる。
フェンが手元を見る。
「反対側の裏補強、僕がやります」
「飾りは私が」
「飾りには触りません。裏だけです」
「……お願い」
二人で進めても、約束した時間から一刻近く遅れた。
女性は怒鳴らなかった。
「式には間に合うので、大丈夫です」
そう言ってくれた。
それでもハンナには、その言葉が重かった。
困っている人を断らないために引き受けたはずなのに、結局その本人を店で待たせた。
翌日は宿屋の前掛けの納期だった。
十二枚のうち十枚しか終わっていない。
フェンが残り二枚を縫っている。
「あとどれくらい?」
「一刻半です」
「私もやる」
「ガロさんの外套は?」
「肩の補強だけ残ってる。今日の夜でも」
「四日で渡すって、今日ですよ」
「ガロは明後日から北へ出るんだから、明日でも使うのには間に合う」
「でも約束は今日です」
ハンナの手が止まった。
自分の中で、いつの間にか期限を書き換えていた。
客が実際に使う日へ間に合えばよいのだから、一日遅れても問題ないだろう。
そう決めたのは自分だけだった。
「前掛けは僕がやります。宿屋には、夕方遅くになるって先に伝えます」
「怒られるよ」
「遅れるのに、取りに来るまで黙ってる方が困ります」
フェンは宿屋へ連絡した。
すると主人は、「冬市は明日の朝からだから、今日の夕方なら何刻でも構わない」と答えた。
ハンナは驚いた。
自分は「三日で」と言われた瞬間、昼までに十二枚すべてを揃えるつもりでいた。
相手は、そこまで指定していなかった。
ガロの外套を仕上げ、夕方に渡した時にも似たことが起きた。
「悪い。遅くなったね」
「何が?」
「今日の受け取り」
「別に明日でもよかったぞ。北へ行くのは明後日だから」
「でも私、四日でって」
「そっちが言ったんじゃねえか」
ガロは笑いながら外套を羽織る。
ハンナは、急ぎの三日間が終わった夜、作業台の前へ座ったまましばらく動けなかった。
◇
「ハンナさん、客が言った期限より、自分で短くしてる時ありますよね」
店を閉めた後、フェンが静かに言った。
「そんなことないよ」
「ガロさんは五日後に使うって言いました。宿屋も冬市までにって言っただけです。結婚式の人だって、明日までに両袖を完全補強しないと駄目だったかは聞いてません」
「きちんと直して返したかったから」
「それは分かります。でも『明日なら飾りだけ、全部なら三日』って聞けば、本人が選べたかもしれません」
ハンナは針差しから針を一本抜き、また戻した。
「中途半端な仕事を渡したくないんだよ」
「じゃあ、明日までに完全にできないって言えばいいでしょう」
「それで別の店へ行ったら?」
ようやく本音が出た。
フェンがハンナを見る。
「それが怖いんですか」
「店を始めた頃、一度断った客が本当に戻ってこなかったことがある。急ぎで、どうしても無理だったから断った。その人、その後ずっと別の仕立屋へ行った」
「一人ですか?」
「覚えてるのは一人」
「無理に受けて、遅れて来なくなった客は?」
ハンナは黙った。
思い当たる人がいた。
旅立ち前の外套を預かり、約束より半日遅れた客。その後は一度も来ていない。
別の町へ移った可能性もある。
別店を使うようになったのかもしれない。
理由は分からない。
それでも、「断ったから失った客」のことばかり強く記憶し、「引き受けたのに守れず失ったかもしれない客」については考えないようにしていた。
「全部受けて全部遅れたら、それでも客は残りますか」
フェンの問いに、ハンナは答えられなかった。
翌日は、珍しく急ぎの依頼が少なかった。
昼頃、近郊で小さな畑を営む常連の女性が、大きな布袋を抱えて店へ来た。
「これ、食べる?」
「何?」
「《段熟豆》。畑を片づけるからまとめて採っちゃった」
袋から出されたのは、一本の太い茎へ大小さまざまな莢がついた不思議な豆だった。
根元側の莢は大きく膨らみ、皮も厚くなっている。中央辺りはちょうど食べ頃に見え、先端側にはまだ細く若い莢が残っていた。
「全部同じ豆?」
「同じ株だよ。段熟豆は下から順番に熟すから、普通は食べ頃のところだけ何回かに分けて採るんだけどね。今日は畑片づけるから全部持ってきた」
「一緒に煮れば食べられる?」
「食べられるけど、硬いのが柔らかくなるまで煮たら若い莢はぐずぐずになるし、若い方に合わせたら下の豆は硬いよ。分けるのが楽」
「面倒だね」
「だから商売には少し扱いにくいんだよ」
女性が笑った後、思い出したように言った。
「そうだ。代わりってわけじゃないけど、夫の作業着も来週お願いしたいんだ」
ハンナは反射的に答えかけた。
「いいよ。いつまで――」
そこで止まり、予定表へ目を向けた。
「来週の、いつ使う?」
女性が少し意外そうにする。
「十日後までならいいよ。別に急がない」
「じゃあ十日後で」
「そんなに早くなくてもいいけど」
「……十日後で十分なんだよね」
「うん。畑仕事だから、それまで別の着るし」
簡単だった。
それだけ聞けばよかった。
その夜、ハンナは段熟豆を自宅へ持ち帰り、机の上へ並べた。
同じ一本の茎についていたとは思えないほど状態が違う。
下側の莢は指で押しても硬く、中の豆も大きい。中央のものはほどよくふくらみ、上側の若い莢はそのまま炒めても食べられそうな柔らかさだった。
農家の女性から「分けて調理する」と聞いている。
しかし仕事で疲れていたハンナは、全部を大きな鍋へ放り込み、一度に終わらせたくなった。
水を張る。
硬い豆を入れる。
若い莢も手へ取る。
そこで止まった。
『硬い方へ合わせたら若い莢がぐずぐずになる』
分かっている。
それでも、全部同じ時に終われば楽だと思っている。
今週の仕事と似ているような気がして、急に嫌になった。
早く全部終わらせるために、それぞれの都合を見ず、同じ鍋へ入れる。
自分は客の仕事にも似たことをしているのではないか。
料理は専門ではない。
段熟豆を扱った経験もない。
ハンナは鍋から豆を戻し、翌日の昼休みに一本分をそのまま《持ち込み食堂》へ持っていくことにした。
◇
店へ入ると、ミレイアは長い茎へついた莢を見て目を丸くした。
「これ、全部一つの豆?」
「《段熟豆》。下から順番に熟れるらしいよ」
「本当に大きさ違うね」
悠斗も厨房から出てきて、莢を一つずつ確認した。
「若いところは莢ごと食べられそうですね。下はもう豆だけ外した方がよさそう」
「一つの鍋にできる?」
「できます。ただ、全部同時に入れるのはやめた方がよさそうです」
「やっぱり?」
「硬い豆を先に煮て、途中で中央の豆、若い莢は最後ですね。同じ時間だけ火を入れると、どこかが合わなくなると思います」
「全部柔らかくなるまで煮たら?」
「食べられるとは思います。でも若い莢は形がほとんど残らないかもしれません。それが食べたいなら、それでもいいです」
最後は自分で決める話だった。
ハンナは莢を見比べた。
「せっかくなら、それぞれ美味しい方がいい」
「じゃあ分けて入れましょう」
悠斗は段熟豆を三つに分けた。
最も熟した豆は莢から外し、先に鍋へ入れて煮る。少し時間を置いて中央の豆を加え、塩漬け肉と根玉葱も一緒に火へかける。若い莢はまだ使わず、他の豆が柔らかくなり始めてから斜めに切り、最後の短い時間だけ鍋へ入れた。
「一つの料理なのに、入れる時間が全部違うんだね」
「食べる時は一緒でも、準備を始める時間まで同じにする必要はないですから」
悠斗は何気なく答えた。
完成した《段熟豆と塩肉の乳煮》には、同じ豆とは思えないほど違う食感が残っていた。熟した豆はほくほくして煮汁へ少し溶け、中央の豆には軽い歯応えがあり、若い莢は柔らかくなりながらも形を保っている。最後に加えた少量の乳が塩漬け肉の強さを和らげ、それぞれの豆の甘さをまとめていた。
「全部同じ柔らかさじゃないんだ」
ハンナが言う。
「状態が違いますからね」
「でも、一つの料理として変じゃない」
「違いが残ってる方が、俺は好きです」
ハンナも食べてみる。
確かに、どれも違う。
しかし、硬い豆だけが失敗しているわけでも、柔らかな莢だけが正解というわけでもなかった。
ミレイアが、針だこのあるハンナの指へ気づいた。
「仕立屋さん?」
「小さい店をやってる」
「忙しい?」
「最近はかなり」
「じゃあ繁盛してるんだ」
「仕事があるのはありがたいんだけどね」
そこから、ここ数日のことを話した。
ガロの外套。
宿屋の前掛け。
結婚式の上着。
全部を引き受け、結局別の客を待たせたこと。
「断れないんだ」
ミレイアが言う。
「目の前で困ってるのを見るとね」
「でも、先に頼んでた人も困ったんでしょう?」
「そうなんだよ」
「じゃあ、一人を困らせないために別の人を困らせた?」
まっすぐ言われると痛い。
「そういうことになる」
悠斗が尋ねた。
「頼まれた仕事って、全部その日に完全な形で受けるか、断るかの二つだけなんですか?」
「どういう意味?」
「例えば明日使う服なら、明日までに絶対必要なところだけ直して、時間がかかる補強は後にするとか」
「それ、フェンにも言われた」
「できる仕事もあります?」
「ある。でも中途半端なものを渡すみたいで嫌なんだよ」
「客が事情を知った上で、それを選んでも?」
ハンナは少し考える。
結婚式の上着なら、見える袖飾りだけを先に直し、反対側の補強は式の後でもよかったかもしれない。
自分は客へ選択肢を渡していなかった。
「断ったら、その人が二度と来なくなるのが怖いんだよ」
やがてハンナは言った。
「独立したばかりの頃に、本当にそういう人がいたから」
ミレイアが尋ねる。
「戻ってこなかった人は何人くらい?」
「はっきり覚えてるのは一人」
「無理に受けて、遅れて来なくなった人は?」
痛いところへ来る。
「一人は思い当たる」
「じゃあ、受けても失うことあるんだ」
「あるんだろうね」
認めると、不思議と少しだけ楽になった。
「全部の客を残すのは無理なのかもしれないね」
ミレイアが言う。
「商売してる人にそれ言う?」
「でも、一日の長さは増えないでしょう?」
否定はできない。
悠斗は、残った段熟豆を三つの小袋へ分けた。
「これ、持って帰ります?」
「全部?」
「はい。若い莢は早めに。中央は数日のうち。硬い豆は少し置けますし、乾かしてもいいと思います」
「全部今日料理しなくていいんだ」
「食べ頃が違いますから」
農家の女性も、最初から同じことを言っていた。
食堂を出る前、ミレイアが笑いながら尋ねた。
「明日、急ぎの服持ってくる人がいたらどうする?」
ハンナは少し考えた。
「まず、いつ使うか聞く」
「全部入らなかったら?」
「できる範囲を言う」
「それでも無理だったら?」
言葉が少し止まる。
「……その時は断る、かな」
「言えそう?」
「まだ分からない」
それが本当だった。
◇
翌朝、《糸環屋》へ最初に来たのは、市場の魚商だった。厚い前掛けの腰紐が根元からちぎれており、このままでは使えない。
「これ、今日の昼までに直せる?」
ハンナの口が、ほとんど反射で「できます」と動きかけた。
その前に予定表を見る。
午前中には、以前から約束している商会の制服三着がある。昼までにこの前掛けを入れれば、制服の仕上げが遅れる可能性が高い。
「何時から使う?」
魚商が首を傾げる。
「夕市。三刻目から」
「じゃあ昼じゃなくて、二刻目の終わりでも間に合う?」
「十分だよ」
「それならできます」
それだけだった。
客が帰る。
フェンが作業台の向こうからハンナを見る。
「今、ちゃんと聞きましたね」
「何が」
「本当に必要な時間」
「今までだって聞いてたよ」
「『今日まで』って言われたら、朝一番までに作ろうとしてました」
否定できないので、針仕事へ戻る。
魚商の前掛けは約束した時間より少し早く完成し、制服も予定通り渡せた。
しかし、その日の午後に来た依頼は簡単ではなかった。
旅支度をした男性が、長い外套を持ち込む。
「明日の朝ここを出る。直せるか?」
背中から肩へ大きな裂け目があり、裏地まで傷んでいる。きちんと直すなら丸一日は欲しい。閉店までの時間と、すでにある注文を考えれば、完全な修繕は無理だった。
「明日の朝までに、きちんと全部直すのは無理です」
言ってから、胸が縮んだ。
旅人の眉が寄る。
「困るな。明日、山道を通るんだ」
やっぱり受けようか。
夜まで働けば。
一瞬そう考えた。
それでも予定表を見た。
「裂け目が広がらないよう裏から厚い布を当てて、旅で使える強度にするだけなら、夕方までにできます。ただし縫い目は見えます。見た目まで綺麗にするなら、次の町で改めて直してもらうことになります」
旅人は外套を見た。
「山道で破れなきゃいい。見た目はどうでもいい」
「なら、応急補強だけならできます」
「それで頼む」
怒って帰ると思っていた。
客は自分の必要なところを選んだ。
ハンナは丈夫な当て布を裏へ入れ、裂け目の周囲まで広く縫い止めた。表から見れば修繕跡は分かる。それでも強く引っ張っても広がらない。
夕方、旅人は肩を動かして確認した。
「これで十分だ」
「次の町で時間が取れたら、表側も直してください」
「分かった。助かったよ」
代金を払い、普通に帰っていった。
扉が閉じた後、フェンが言う。
「断れましたね」
「断ってない。別の方法を出した」
「完全修繕は断ったでしょう」
そう言われれば、そうだった。
「客、怒らなかったですね」
「たまたまだよ」
「毎回怒ると思ってるんですか」
「少しは」
フェンは苦笑した。
「僕だって断るの好きじゃないですよ」
「そうなの?」
「嫌です。でも、できないのにできますって言って、約束の日にできてませんって言う方がもっと嫌です」
その言葉は、ハンナが思っていたより重く残った。
それから数日、注文を受ける時に三つのことを意識して聞くようにした。
いつ使うのか。
どこまで直す必要があるのか。
期限は動かせるのか。
質問してみると、今まで自分が勝手に急いでいた仕事が驚くほど多いことが分かった。
「三日で十二枚」と持ち込んだ宿屋は、三日後に全部必要なのではなく、最初の六枚だけ先に欲しいと言った。残り六枚は二日遅くても問題ない。
「週末までに」と上着三着を持ってきた商人は、会食で着る一着だけが急ぎで、残り二着は翌週でもよかった。
「できるだけ早く」と子どもの服を頼んだ母親は、今週中なら何曜日でもよいと言った。
客より自分の方が急いでいた。
その事実へ気づき始めた頃、本当に断らなければならない依頼が来た。
長年《糸環屋》へ通っている商人が、上等な上着を持ち込んだのである。
「明後日の晩餐に着る。襟を全部直してくれ」
襟芯が傷み、表布にも擦れがある。
表面だけ整えるなら明後日に間に合う。
芯を交換し、見えないところまできちんと補強するなら四日は欲しい。
「全部直すなら、明後日は難しいです」
商人の顔が曇った。
「前ならやってくれただろ」
その一言が一番怖かった。
「夜までやれば何とかならんのか?」
昔なら、ここで受けていた。
今も口の奥まで「何とかします」が出かかった。
予定表を見る。
明日の夜まで、すでに約束した仕事が入っている。
「表の擦れだけ目立たなくして、襟芯は晩餐の後に直すなら間に合います。全部直したいなら四日ください」
「全部やってほしい」
「それなら明後日は間に合いません」
「じゃあ別の店へ持っていくぞ」
胸が痛んだ。
「……分かりました」
商人は本当に上着を持って帰った。
扉が閉じる。
ハンナは立ったまましばらく動けなかった。
「行っちゃった」
「はい」
「もう来ないかもしれない」
「そうかもしれません」
「そこは否定してくれてもいいでしょう」
「分からないことなので」
腹が立った。
しかし、フェンの言っていることは正しい。
その夜、自宅へ戻っても商人のことが頭から離れなかった。
受ければよかったのではないか。
睡眠を少し削ればできたかもしれない。
長年の客だった。
別の店が気に入れば、もう戻ってこないだろう。
一人失った。
そんな感覚が強かった。
食卓の端には、持ち帰った段熟豆の最後の袋がある。
若い莢はすでに炒めて食べ、中央の豆も前日に煮た。残っているのは一番熟した硬い豆で、翌日ゆっくり煮るため水へ浸してあった。
今すぐ食べられないからといって、駄目になったわけではない。
食べる時を後ろへずらしただけである。
客と豆を同じものだと言うつもりはなかった。
それでも、「今できないなら、後でやる」という選択が存在することを、以前より実感できるようになっていた。
翌日、商人は戻ってこなかった。
次の日も来なかった。
寂しかった。
しかし、その間に預かっていた三件の仕事は、すべて約束した日に渡すことができた。
二週間ほど経った頃、その商人が再び店へ現れた。
手には以前とは別の上着を持っている。
「前のは?」
「別の店で直した。明後日までにやってくれた」
「そうですか」
「ただ、内側が少し気に入らん。こっちも擦れてきたから、これはお前に頼む」
ハンナは思わず笑いそうになった。
「いつまで必要です?」
商人も笑った。
「今度は聞くのか」
「聞きます」
「急ぎじゃない。一週間でもいい」
「では五日ください」
「分かった」
普通に置いていった。
「もう別の店を使うのかと思いました」
少しだけ意地悪く言う。
「急ぎならあっちも使う。普段はこっちの方が丈夫だ」
客は一つの店だけを使わなければならないわけではない。
一度断れば、関係がすべて終わるわけでもなかった。
もちろん、戻ってこない人もいるだろう。
それでも、必ず失うと決めつけていたのは自分だった。
◇
冬が深まる頃、《糸環屋》の注文台には新しい小さな札が置かれた。
『急ぎはご相談ください。使用予定日と必要な修繕を確認し、可能な方法をご案内します。』
最初にハンナが考えた文章は、もっと長かった。
『急ぎの場合、通常納期とは異なる場合があります。部分修繕、応急補強、後日仕上げなど――』
そこまで書いたところで、フェンに止められた。
「長すぎます」
「説明不足になるでしょう」
「必要なら口で説明してください」
結局、短い札になった。
客が「急ぎ相談って何?」と聞けば、ハンナかフェンが説明する。
明日着る必要があるなら、最低限どこまで直せば使えるのか。
完全な仕上げには何日必要なのか。
そのどちらを客が選ぶか。
急ぎだからといって、金を足せば何でもねじ込める仕組みにはしなかった。予定が本当に埋まっている時は、追加料金をもらっても受けない。
最初の頃は、その空白が怖かった。
今日もう一件入れられたのではないか。
断った分だけ売上を失っているのではないか。
しかし一か月ほど経ち、帳簿を見比べると、思っていたほど売上は減っていなかった。
夜遅くまで作業する日が減ったため、灯り用の油代が少し下がっている。
疲れた状態で縫い目を間違え、翌朝ほどいてやり直す回数も減った。
約束へ遅れたため値引きしたり、謝罪のつもりで小さな修繕を無料にしていた件数も明らかに少ない。
「ほとんど変わらないですね」
月末の帳簿を見ながらフェンが言った。
「もっと減ると思ってた」
「急ぎを断った日に、普通の仕事を予定通り受けられてるからじゃないですか」
「そんなもの?」
「あと、ハンナさんが寝てます」
「それ、売上に関係ある?」
「寝不足で縫い直してたでしょう」
否定できなかった。
春が近づく頃には、フェンが初めて一件の注文を最初から最後まで一人で任されることになった。
市場の小さな食料品店から、前掛け六枚の新調である。
採寸をし、布を選び、フェンが客へ尋ねた。
「いつから必要です?」
「十日後くらい」
「では八日後にお渡しできます」
横で聞いていたハンナは、思わず口を出しかけた。
六枚だけなら五日でも作れる。
しかし他の注文もある。
八日なら余裕を持って仕上げられる。
何も言わなかった。
客が帰った後、フェンが尋ねる。
「八日で大丈夫ですよね」
「いいと思う」
「もっと早くできると思いました?」
「少し」
「でも言わなかった」
「あなたの仕事だからね」
六日目には前掛けが完成した。
「もうできたって連絡します?」
フェンが聞く。
「してもいいけど、八日目まで置いてもいいよ。客が早く欲しいか聞いてみたら」
連絡すると、客は予定通り八日目の受け取りでよいと答えた。
早くできたから、その瞬間に渡さなければならないわけでもない。
空いた二日は別の仕事へ使うことができた。
そうした小さな経験が重なり、店の予定は以前より見通しやすくなった。
もちろん、昔の癖が完全に消えたわけではない。
春市の直前には急ぎの客が三人続けて来て、一人目は普通に受けられ、二人目は部分修繕で対応できたものの、三人目はどうしても予定へ入らなかった。
「明日までにお願いできない?」
若い男性が作業着を持っている。
肩の縫い目が大きく裂けていた。
「明日までの完全修繕は難しいです。明後日の昼なら」
「明日一日だけ必要なんです」
また「何とかします」と言いそうになる。
予定表を見る。
入らない。
「では、明日着られるよう肩だけ今から補強できます。ただし長く使う仕上げではありません。明日の仕事が終わった後、もう一度持ってきてもらえれば、そこから四日で直します」
「明日使えればそれで助かります」
応急修繕をする。
男性は数日後、本当に戻ってきた。
「今度はちゃんと直して」
「四日ください」
「分かりました」
客もまた、一つの修繕を二回へ分けることを自然に受け入れていた。
ハンナは少しずつ、断ること、待ってもらうこと、仕事を分けることが、必ずしも「客の頼みへ応えなかった」という意味ではないのだと理解し始めていた。
◇
夏の終わり、最初に段熟豆をくれた農家の女性が、夫の作業着を受け取りにやって来た。
「今年も段熟豆いる?」
「欲しいけど、今度はあの大きな茎全部?」
「今年は畑片づけじゃないから、普通に食べ頃で持ってくるよ」
「普通はそうなんだ」
「去年も言っただろ」
数日後、本当に若い莢だけが小さな籠で届いた。
ハンナは昼休みにフェンと炒めて食べた。
さらに一週間ほどすると、中央のふっくらした豆が届き、今度は塩漬け肉と煮た。
さらに後から十分熟した硬い豆が届き、その一部はすぐ煮込み、残りは乾燥させて保存した。
同じ畑で育った同じ作物なのに、三度に分かれてやってくる。
どれも別の時期に食べ、それぞれ美味しかった。
秋になる頃、《糸環屋》には通常の注文帳とは別に、《急ぎ相談》と書かれた薄い帳面まで作られた。
フェンの提案だった。
最初の欄には使用予定日。
次に、最低限必要な修繕。
その次に、完全修繕へ必要な日数。
最後に、客が選んだ内容を書く。
「ここまで必要?」
ハンナは最初、少し嫌そうな顔をした。
「ハンナさん、目の前で困ってる人見ると、たまに全部最優先へ戻しますから」
「もうそんなにしないよ」
「念のためです」
「信用ないね」
「信用してるから仕組みも作るんです」
意味がよく分からないと言いながらも使い始めると、確かに役に立った。
急ぎの客が来ても、感情だけで「できます」と答える前に、一度帳面へ目を落とす。
いつ使うのか。
最低限どこまで必要か。
全部直すなら何日かかるか。
その数息の間があるだけで、以前のように反射で仕事を入れることが減った。
冬前には、運送商会から外套十五着の修繕が持ち込まれた。
「十日でできる?」
以前なら、その場で十五着すべてを十日と答えただろう。
今はフェンと予定表を見る。
「十日後、全部必要ですか?」
ハンナが尋ねる。
「遠征組の八着は必要。残りは三日遅くてもいい」
「では八着を九日後、残り七着を十三日後でどうでしょう」
「それで頼む」
話は一分もかからなかった。
作業を始めると、そのうち一着だけ予想以上に傷みが深く、裏地を外したところで広い範囲の補強が必要だと分かった。
以前なら、その一着を自分の残業で吸収した。
今回は先に商会へ連絡した。
「一着だけ、九日目の完全修繕に間に合わない可能性があります。応急までなら間に合います」
「番号は?」
伝える。
「ああ、そいつだけ出発が一日遅い。十日目でいい」
また、聞けば済んだ。
九日目には先発の七着と問題のない一着を渡し、十日目に傷みの深かった一着、十三日目に残り七着を渡した。
商会の担当者が受け取り表を見ながら言う。
「前より分かりやすくなったな」
「何がです?」
「どれがいつできるか。前は全部『何とかします』だっただろ」
「そんなに言ってました?」
「かなりな」
担当者は笑う。
「実際何とかしてた時も多かったけど、駄目な時まで何とかしますだったからな。今の方がこっちも予定組みやすい」
断らないことだけが、頼れる店の条件ではない。
できる日を正確に伝えることも、相手が予定を組むためには必要なのだと、その言葉で改めて分かった。
◇
年の終わりが近づいた頃、ハンナは仕事をいつもより少し早く切り上げ、《持ち込み食堂》へ夕食を食べに行った。
今回は食材を持っていない。
「最近、急ぎの服どう?」
ミレイアが尋ねる。
「相変わらず来るよ」
「全部受けてる?」
「受けられるのは」
「受けられないのは?」
「別の日を提案する。最低限だけ先に直すこともあるし、本当に無理なら断る」
「客減った?」
ハンナは少し考えた。
「減った人もいると思う。急ぎ専門の店へ行く人もいるし」
「困ってる?」
「思ってたほどは」
悠斗が献立を持ってくる。
「今日は何にします?」
「豆の煮込み」
「段熟豆ではないですけど」
「普通のでいいよ」
「店、急ぎ来たら?」
ミレイアが意地悪そうに聞く。
「閉めてきたから、明日の朝相談する」
以前なら、閉店後に戸を叩かれれば開けてしまうこともあった。
今は営業時間まで少しずつ守るようになっている。
食事を待つ間、ハンナは通りを歩く人々を窓越しに見た。
誰かにとっては、今日必要なものがある。
別の人にとっては来週でよい。
一週間先でよい仕事を今日仕上げても構わないが、そのために明日必要なものが遅れれば意味がない。
自分は長い間、頼まれた瞬間にすべてを最優先へ置いていた。
しかし最優先が五つも六つもあれば、それはもう順番ではない。
一人を早くするために、別の誰かを遅らせる。
それを見ないまま「全部できます」と言うのは、今では親切とは思えなくなっていた。
翌朝、《糸環屋》を開くと、若い母親が子どもの上着を持ってきた。
「今日預けて、明日できますか? 明後日、祖母の家へ行くんです」
袖がかなり短くなっている。
別布を足してきちんと伸ばすなら三日は必要だった。
「明日までに完全に伸ばすのは難しいです」
母親が困った顔をする。
「明後日着せたいんです」
ハンナは袖口をめくった。
「内側に折り込んである布を出すだけなら、今日できます。指二本分くらいは長くできます。ただ、きちんと別布を足すなら帰ってきてから三日ください」
母親は子どもへ着せてみる。
「指二本分あれば、今回は大丈夫そう。じゃあ今日はそれで、帰ってきたらちゃんとお願いします」
「分かりました」
今日必要な仕事と、後でよい仕事へ分ける。
客自身が選ぶ。
昼前、予定していた一件がキャンセルになり、半刻ほど仕事が空いた。
「急ぎ一件くらい入れられますね」
フェンが冗談めかして言う。
「探しに行かないよ」
「前なら入口見てましたよ」
「失礼だね」
作業台の奥を見ると、春まででよいと言われて預かった老女の冬外套がある。
「じゃあ、これ少し進めようか」
「予定よりかなり早く終わりそうですね」
「終わったら連絡して、早く欲しいか聞けばいい」
急ぎではない仕事を、空いた時間に少し進める。
それで十分だった。
夕方になり、閉店札を出そうとしたところで、一人の男性が走ってきた。
「すみません、まだ相談できますか!」
以前なら、そのまま何でも受けただろう。
「相談だけなら」
男性が外套を広げる。
「これ、明日の朝までに直したいんです」
裂け目は大きい。
明朝までの完全修繕は無理だった。
「全部をきちんと直すのは明朝までにはできません。ただ、明日着られるよう裂け目を止めるだけなら、今からできます。完全な補強は、その後二日ください」
男性は少し考えた。
「明日は荷物を運ぶだけなので、見た目はどうでもいいです」
「それなら応急で大丈夫だと思います」
「お願いします」
閉店は少し遅れる。
それでも十分ほどの作業だった。
全部を入れたわけではない。
今日できるところだけ受けた。
作業を終え、外套を返す。
「明日の仕事が終わったら、また持ってきます」
「その時から二日ください」
「分かりました」
客が帰り、今度こそ戸を閉める。
フェンが笑った。
「結局、閉店後も仕事しましたね」
「十分で終わるところだけ」
「昔なら全部やって、今日も夜中でした」
「昔の話を毎回出さない」
ハンナも笑った。
頼まれた仕事を引き受けること自体を、やめたいわけではない。
困っている人へ手を貸せるなら、これからも貸す。
ただし、すでに交わした約束を壊してまで、何でもその場で抱えることとは分けて考える。
翌週、応急修繕を頼んだ男性は本当に外套を持って戻ってきた。
「今度はちゃんと直してください」
「三日ください」
「二日って言ってませんでした?」
「二日でもできます。でも三日もらえるなら、その方が余裕があります」
男性が笑う。
「正直ですね」
「最近そうすることにしたんです」
三日後、外套は丈夫に仕上がった。
「また破れたら持ってきます」
「その時は、いつ使うか先に教えてください」
「分かりました」
客が帰った後、ハンナは次の注文票を取った。
次は五日後に渡す上着。
その後は明日の前掛け。
順番がある。
全部自分の仕事ではあるが、全部今日の仕事ではない。
それは今では当たり前に見える。
しかし、その当たり前を理解するまで、ハンナにはずいぶん長い時間が必要だった。
《糸環屋》を始めた頃、何でも引き受けたことまで間違いだったとは思っていない。客が少なかった時期には、急ぎでも小さな仕事でも受けたからこそ店を知ってもらえたし、家族を支えなければならなかった頃には、一件でも多く働く必要があった。
ただし、一度役に立ったやり方を、状況が変わった後まで続けなければならない理由はなかった。
今の《糸環屋》には、昔とは違う数の客がいる。
フェンもいる。
ハンナ自身も四十三歳になった。
その今の条件で、守れる約束を作ればよい。
昼休み、フェンが市場から小さな袋を持って戻ってきた。
「段熟豆、売ってました」
「どの辺の?」
「若いやつです。農家の人が今日食べ頃って」
「じゃあ昼に炒めようか」
「仕事、大丈夫です?」
ハンナは予定表を見る。
「午後の最初は半刻空いてる」
「なら大丈夫ですね」
若い莢を斜めに切り、簡単に油で焼いて塩を振る。
「硬い豆も買った?」
ハンナが尋ねる。
「まだ畑だそうです」
「いつ来るの?」
「熟したら」
フェンが答える。
ハンナは若い莢を一つ食べて笑った。
「じゃあ、その時食べればいいね」
同じ作物だからといって、全部が同じ日に食べ頃になるわけではない。
頼まれた仕事も、すべてをその瞬間に最優先へ変える必要はない。
今日必要なもの。
明日でよいもの。
一週間後でもよいもの。
最低限だけ先に直すもの。
時間をもらって完全に仕上げるもの。
その違いを客と一緒に確かめ、自分が守れる期限を伝える方が、何でも「できます」と答えて最後に誰かを待たせるより、ずっと相手へ誠実なのだと今では思える。
昼食を終えたハンナは針差しを胸元へ留め直し、作業台へ次の上着を広げた。
受け渡しは四日後。
今日終わらせる必要はない。
予定表に書かれたところまで、丁寧に進めればよい。
ハンナは急いで針を動かすのではなく、まず破れの位置と布の傷みを確かめてから糸を選んだ。頼まれたものを全部すぐ抱え込むのではなく、それぞれが本当に必要とされる時までに、きちんと仕上げるための順番を守ることこそが、今の彼女にとって《糸環屋》を長く続けていくための仕事になっていた。
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