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異世界持ち込み食堂~あなたの食材を料理します~  作者: シロの空


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第64話 皮の硬い雪瓜と、休み方を決められない薬草採り

 ノエル・ファレスは三十三歳になる人間の女性であり、レーヴェン北東部に広がる丘陵地帯と、その先に続く浅い山地を回りながら、薬草、香草、樹皮、茸、薬用の根などを採取して薬師や商人へ売る採集人として暮らしていた。灰色がかった淡い茶髪は肩より少し下まで伸びているが、山へ入る時には枝へ絡まないよう後頭部で固くまとめており、日差しと風にさらされてきた肌には薄いそばかすが散っている。細身ながら脚と背中には長年斜面を歩いてきた者らしい筋肉がつき、右手の親指と人差し指には、小刀と採集鋏を何年も使い続けたことでできた硬い皮が残っていた。


 薬草採りとしての腕は確かであり、若い葉と成長しきった葉では効き方が違うことや、雨の翌日に採った方がよい根と、逆に晴天が何日か続いた後でなければ採らない方がよい花の違いまで理解している。毒草と似た姿をした薬草も見分けられ、採取したものを自分で乾燥させ、状態や用途ごとに分けてから薬師へ渡していたため、北東区の薬師たちからは「ノエルが持ってきたものなら、まず状態を見てから買う価値がある」と言われる程度には信用されていた。


 経験を重ねるほど、一日にこなせる仕事の量も増えていった。以前なら半日で切り上げていた採集を朝から夕方まで続けられるようになり、目的の薬草を採り終えても、帰り道で別の香草を見つければ足を止め、明日でも間に合う根を今日のうちに掘り、荷籠に隙間が残っていれば「もう少しくらいなら持てる」と考えるようになっていた。


 本人は、それを勤勉さだと思っていたし、実際に長い間それで困ることもなかった。


 ところが三十三歳になった春頃から、山へ入った翌日に、以前より身体の重さが残ることに気づき始めた。朝起きても脚が重く、肩には張りが残り、細かな草を選り分ける時に指先が少し鈍く感じることもある。それでも一日山へ入らなければ大抵は戻ったため、年齢のせいかもしれないと思う程度で、仕事の仕方まで変える必要があるとは考えなかった。


 問題は、その「山へ入らない一日」を、自分では休みだと思っていたことだった。


          ◇


 ノエルは、レーヴェンから北東へ一日ほど進んだ小さな集落エリムで育った。


 父は森番で、母は薬草に詳しい産婆だった。幼い頃から家には乾燥させた葉や根が梁から吊るされ、母が村人の傷へ塗る軟膏を作り、父が山から持ち帰った樹皮を日陰へ並べて乾かす光景が日常の一部になっていた。ノエルも七歳になる頃には、食べられる野草と触らない方がよい草の違いを教えられ、十歳を過ぎると母について近くの丘へ入り、簡単な薬草を採るようになった。


 母の教え方には一つ特徴があり、何を採るかだけでなく、何を採らずに残すかを必ず説明した。


「全部取ったら駄目だよ」


 幼いノエルが薬草を見つけるたび、母は何度も同じことを言った。


「どうして?」


「来年なくなるから」


「でも、まだいっぱいあるよ」


「いっぱいあるから残せるんだよ。少ない時に残そうと思っても遅いんだから」


 株の半分以上は残し、花をつけているものは種が落ちるまで待ち、根を使う薬草でも周囲へ若い株が少ない時には掘らない。薬草採りとは、見つけたものをすべて持ち帰る仕事ではなく、また次の季節にも採れるよう、その場所へ残すところまで含めて仕事なのだと母は教えた。


 ノエルは、その考え方をよく守った。


 少なくとも、植物については。


 自分自身について同じように考えたことは、ほとんどなかった。


 十六歳になる頃には、母の手伝いだけでなく、自分で採った薬草を近隣の薬師へ売るようになった。最初は小遣い程度の収入だったが、珍しい薬草の季節や生える場所を覚えるにつれて稼ぎは増え、十九歳になる頃には、採集だけでも一人分の生活費を十分に賄えるようになっていた。


 その頃、父からは何度も時間について注意された。


「一人で行くなら、日が傾く前に戻れ」


「道は分かってる」


「分かってても怪我はする」


「大丈夫だよ」


「大丈夫かどうかは、怪我する前には分からん。戻る時間まで仕事に入れろ」


 父は森番として、山で起きた事故をいくつも見てきた。足を滑らせた木こりも、夕方まで欲を出した結果として道を失った採集人も、雨上がりの斜面で転んだ狩人も知っていたため、娘が一人で山へ入るようになってからは、天候と帰宅時間について特に厳しく言うようになった。


 若い頃のノエルも、その言いつけを守っていた。


 ところが経験が増えるにつれて、自分の限界を知ったつもりになった。この道なら日が傾いても迷わない、この程度の雨なら足場を選べば下りられる、もう一か所だけ確認しても十分明るいうちに帰れると判断し、少しずつ自分で境界を広げていった。


 実際に大きな事故を起こしたことがなかったため、そのやり方が間違っているとは思わなかった。


 二十代半ばになると、ノエルはレーヴェンの薬師と直接取引するようになり、週に二度か三度ほど山へ入り、まとまった量を採って街まで運ぶ生活が定着した。季節によっては薬草だけでなく、料理店へ渡せる山菜や香草も採り、薬師から「あれば欲しい」と頼まれたものは頭へ入れておき、別の目的で山へ入った時にも探すようになった。


 その結果、一度の採集へ持ち込む目的が増えていった。


 春なら《霞葉草》の若葉を採り、その先で《赤芯根》を掘り、帰り道で《眠り花》の蕾を探す。料理店へ頼まれた香草も採り、干して茶へ使う木の葉まで籠へ入れ、途中で状態のよい食用茸を見つければ、それも持ち帰る。


 何か一つを採り終えたから帰るということが、次第になくなっていった。


 効率がよいと考えていたし、実際に収入も増えていた。しかし、一日で歩く距離も、持ち帰る荷物の重さも、家へ戻ってから必要になる処理の量も、同じように増えていた。


 それでも翌日に山へ入らない日を作れば問題ないと思っていた。


 ノエルにとっての「休み」とは、山へ入らない日だったからである。


 山へ入らないから、採ってきた薬草を乾燥棚へ広げる。根についた土を落とし、状態の悪いものを取り除き、薬師へ渡す量ごとに袋へ分ける。道具の刃を研ぎ、採集籠の傷んだ紐を直し、次の依頼を確認し、必要なら納品へ出かける。


 本人は、それらを本格的な仕事だとは考えていなかった。


 山へ行っていない以上、自分は休んでいるつもりだったのである。


          ◇


 その考えを最初に疑ったのは、五歳下の妹リナだった。


 リナは結婚後もエリムの近くに住んでおり、ノエルとは今でもよく行き来している。ある夏の日、採集帰りのノエルが妹の家へ寄ると、甥が庭で遊んでいた。


「叔母さん、明日も山?」


「明日は休み」


「じゃあ遊べる?」


 ノエルは少し考えた。


「午前中は乾燥棚を見ないといけないから、午後なら」


 それを聞いていたリナが横から口を挟んだ。


「午後は?」


「薬師へ納品」


「休みじゃないじゃない」


「山には行かないよ」


「それを休みって言うの?」


「仕事量は少ないから」


「一日中、仕事のことしてるじゃない」


 ノエルは笑って流した。


「採集人なんてそんなものだよ」


「誰が決めたの?」


「みんなそうでしょう」


「父さんは休んでたよ」


「父さんは森番だから、仕事場と家がはっきり分かれてたでしょ」


「仕事場が山なら、姉さんだって同じじゃない?」


 リナはそれ以上追及しなかったし、ノエルも深く考えなかった。翌日は予定通り乾燥棚を確認し、薬師へ納品へ行き、帰宅してから小刀を研いだため、本人の感覚では十分に軽い一日だった。


 身体の変化がはっきり現れたのは、その年の初秋だった。


 朝から北東の山へ入り、午前中に霞葉草を採り、昼を過ぎてから赤芯根の群生地へ向かった。本来なら、そこでその日の予定は終わるはずだった。


 ところが帰路の途中で、薬師から頼まれていた《青眠苔》を見つけた。


 青眠苔は乾燥させて鎮静薬へ使われる苔で、湿った岩陰にしか生えない。その年は夏が暑く、状態のよいものが少なかったため、薬師から見つけたら少量でも欲しいと頼まれていた。


 見つけた群生は思ったより広く、状態もよかった。


 ノエルは足を止めた。


 荷籠はすでに十分重く、日も少しずつ傾き始めている。今から採れば、帰宅は予定より遅くなる。


 分かっていた。


 それでも、今取らなければ誰か別の採集人が取るか、天候が変わって乾燥してしまうかもしれない。


「少しだけにしよう」


 そう考えて採り始めた。


 ところが良い株を選びながら進んでいるうちに、「ここまで来たなら、あの岩陰も確認しておこう」「採った分をまとめるなら、もう一束増えても処理は同じだ」と考えるようになり、気づけば半刻以上が過ぎていた。


 立ち上がった時、右脚が一瞬だけ震えた。


 疲れていることは自分でも分かった。


 それでも帰路は知っており、怪我もしていない。


 その日は問題なく山を下りた。


 問題が起きたのは、翌朝だった。


 寝台から立ち上がろうとした瞬間、右のふくらはぎへ強い張りを感じた。怪我の痛みではなく、歩くこともできるが、いつもの疲労より明らかに重い。肩も痛み、腰にも鈍い重さが残っている。


 幸い、その日は最初から休みにしていた。


 だから一日山へ入らなければ戻るだろうと思った。


 朝食後、昨日採った霞葉草を乾燥棚へ広げた。赤芯根の土を落とし、青眠苔から傷んだ部分を除き、昼には薬師から頼まれた量を袋へ分ける。午後になると小刀の刃がわずかに欠けていることへ気づき、研ぎ直したうえで、夕方には翌日の採集予定まで帳面へ書いた。


 夜になっても、脚の重さは取れていなかった。


 翌朝には、むしろ前日より身体全体が重く感じられた。


「一日休んだのに、何で……」


 口にしたところで、本人にはまだ理由が分かっていなかった。


          ◇


 結局、その日は山へ入るのをやめたものの、薬師への納品だけは行くことにした。


 北東区にある《メルド薬房》へ袋を届けると、店主のメルドがノエルの歩き方を見た瞬間に眉を寄せた。


「脚どうした」


「疲れただけ」


「痛めたのか?」


「違う。筋肉が張ってるだけで、歩けるよ」


「昨日休んだんじゃないのか」


「休んだ」


「何した?」


「乾燥棚を見て、根の整理して、苔を選別して、小刀研いで、それから明日の予定を――」


「それ、休んでないだろ」


 妹と同じことを言われ、ノエルは少し不機嫌になった。


「山に入ってない」


「山へ入らなければ休みなのか?」


「少なくとも採集はしてない」


「昨日採ったものの後処理を一日してたんだろ」


「仕事ってほどじゃない」


「金になるものを仕分けて、道具を直して、次の予定を立ててるなら十分仕事だ」


 ノエルは言い返そうとした。


「じゃあ全部放っておけって言うの?」


「誰もそんなこと言ってない」


「薬草は採った日に処理しないと傷むものもあるし、翌日まで置けないものだってある」


「知ってる。だから採る量を減らすか、後処理まで含めて仕事の日として考えろって話だ」


「頼まれたものを減らしたら、別の採集人へ回るよ」


「回せばいいだろ」


「簡単に言わないで」


 メルドは薬師であり、ノエルから薬草が入らなければ困る側である。それでも、少しも譲らなかった。


「最近、一回で持ってくる量増えたよな」


「依頼が増えたから」


「全部受けてるのか」


「できる分は」


「その『できる』って、何を基準にしてる」


「採れるかどうか」


「採った後の処理まで入ってるか?」


「それもやってる」


「やってる結果が今の歩き方だろ」


 ノエルは黙った。


「頼まれた分を採れたかどうかだけじゃなく、持ち帰って処理して、次に山へ入れるところまでが仕事なんじゃないのか」


 言われてみれば、母が植物について教えていたこととよく似ている。


 しかし、その時のノエルには素直に認められなかった。


「潰れるほど働いてないよ」


「今、脚引きずってる」


「少しだけ」


「その少しを何年続けるつもりだ」


 返す言葉がなかった。


 メルドは怪我ではないと確認すると、薬を出そうとはしなかった。


「今日は帰って寝ろ」


「納品まだ二軒ある」


「明日でいい」


「向こうも待ってる」


「俺から連絡してやる」


「私が行く」


「何でそこまで自分でやりたいんだ」


 その質問にも、明確な答えは出なかった。


 自分で行く方が早い。


 他人へ頼むために説明するのが面倒。


 今日できることを明日へ残すと、仕事が遅れたように感じる。


 理由を並べても、それが「今日でなければならない理由」にはならない。


「休むの苦手なんだな」


 メルドが言った。


「休んでる」


「その話はもういい」


 ノエルは薬房を出た後、結局残り二軒にも納品した。


 そして、その日の夜には脚の張りがさらに強くなった。


          ◇


 三日ほど山へ入らなかったことで、身体はようやく軽くなった。


 もっとも、その間も完全に何もしなかったわけではなく、二日目には妹のリナが家へ来て、作業台へ向かおうとする姉から道具を取り上げた。


「今日何するつもり?」


「採集籠の紐が少し緩んでるから」


「置いて」


「次使う時困る」


「今日切れるわけじゃないでしょ」


「明日直すなら同じじゃない」


「明日山へ行きたいんでしょう?」


「行けたらね」


「だから今日休むの」


 甥まで一緒に来ており、叔母の袖を引いた。


「叔母さん、今日遊べる?」


 ノエルは作業台と甥の顔を見比べた。


「……何するの?」


「川行く」


「寒くない?」


「まだ大丈夫」


 リナが笑う。


「遊ぶのも休みだよ」


「分かってる」


「本当に?」


「うるさいな」


 その日は久しぶりに甥と川辺まで歩いた。


 採集籠は持たず、小刀も持たず、売り物になるものを探すつもりもなく出かけた。


 途中で食べられる野草を見つけると、甥が指を差した。


「これ、食べられる?」


「食べられるよ」


「採らないの?」


「今日は採らない」


「何で?」


 ノエルは少し考えてから答えた。


「休みだから」


 自分の口から出た言葉なのに、妙に慣れなかった。


 それでも、その日は本当に何も持ち帰らなかった。


 身体が戻ると、また山へ入った。


 ただし、最初から以前と同じ量を採るのはやめ、薬師のメルドからも一部の依頼を減らされた。


「今週は赤芯根いらない」


「在庫あるの?」


「ある」


「本当に?」


「お前が取りすぎたからある」


「そんな言い方しなくてもいいでしょう」


「来週必要なら頼む」


 それでも習慣は簡単には変わらなかった。


 山へ入れば、予定外の薬草へ目が行く。帰る途中で珍しい草を見つけると、採集鋏へ手を伸ばしたくなる。休みの日にも、乾燥棚の状態が気になる。


 分かっているのに、すぐには止められない。


 そんな時に《雪瓜》を手に入れたのは、偶然にも山へ入らないと決めていた日のことだった。


          ◇


 雪瓜は、北東の高地で栽培される大型の瓜であり、白に近い薄緑色の皮は非常に硬く、熟すと表面へ細かな銀色の筋が入る。冬まで保存できるほど丈夫なことからその名がつけられ、中の果肉は淡い黄白色で水分が多く、甘味は弱いものの、煮ると柔らかくなって肉や豆の旨味をよく吸うため、高地では冬の煮込みによく使われていた。


 ノエル自身も何度か食べたことはあるが、丸ごと一個を手に入れたことはなかった。


 その日は以前薬草を分けた高地の農家がレーヴェンへ来ており、その礼として一個渡されたのである。


「持っていけ」


「こんな大きいのを?」


「保存利くから」


「一人じゃ食べ切れないよ」


「半分誰かにやればいい」


 大人の頭より大きく、抱えれば両腕が塞がるほど重かったが、断る理由もなく受け取った。


 家へ戻ってから切ろうとしたところ、思っていた以上に皮が硬く、普段使っている包丁では簡単に刃が入らなかった。


「これは面倒だな……」


 本来なら、その日は休みのつもりだった。


 ところが雪瓜を前にしていると、どう処理すれば最も無駄が少ないか考え始めてしまう。半分は煮物へ使い、残りは乾燥できるかもしれない。種は食べられるのか、皮にも利用法があるのではないかと、食べる前から使い切る方法ばかり考えている自分に気づいた。


 しばらく雪瓜と包丁を見比べた後、ノエルは小さく息を吐いた。


「食べ物くらい、普通に食べればいいのに」


 そう呟いた時、以前メルド薬房の客から聞いた《持ち込み食堂》のことを思い出した。


 客が食材を持ち込み、料理してもらえる店。


 珍しいものでも、状態を見ながら使い方を考えてくれるという。


 その日の午後、レーヴェンへ出る予定はなかった。


 休みだったからである。


 それでも、雪瓜を自分一人で全部処理するより、誰かに料理してもらう方が休みに近いのではないかと思った。


 少し矛盾している気もしたが、「自分で全部やらない」ということを試すには、ちょうどよい機会にも思えた。


 ノエルは雪瓜を布へ包み、近所から小さな荷車を借りて西区へ向かった。


          ◇


 《持ち込み食堂》へ入ると、ミレイアが抱えられている雪瓜を見て目を丸くした。


「大きいですね」


「重かった」


「それ、ずっと持ってきたんですか?」


「途中までは荷車。最後だけ抱えた」


 悠斗も厨房から出てきた。


「雪瓜ですか?」


「知ってる?」


「食べたことはありますけど、丸ごと触るのは初めてかもしれません」


「皮がかなり硬いよ」


「見てもいいですか?」


「どうぞ」


 悠斗は雪瓜を作業台へ置き、表面を押して傷や変色を確かめた。


「状態よさそうですね」


「今日もらったばかりだから」


「今日はどうしたいです?」


 ノエルは少し考えた。


「任せたい」


「完全に?」


「できれば」


「苦手な味とかあります?」


「特にない」


「食べたい料理は?」


「それも決めたくない」


 ミレイアが少し不思議そうな顔をした。


「疲れてます?」


「何でそうなるの」


「全部任せたいって言うから」


「今日は休みなの」


「なるほど」


 妙に納得されたことが少し気に入らなかったが、否定する理由もなかった。


 悠斗は雪瓜を作業台の中央へ置いた。


「まず切りますね」


 大きめの包丁を当てるが、それでも簡単には刃が入らない。


「硬いでしょう」


「思った以上ですね」


「端から少しずつ切れ目を入れて、広げる方がいいよ」


「やったことあるんですか?」


「昔一回だけ」


「じゃあ教えてください」


 ノエルは反射的に口を開きかけたが、そこで今日ここへ来た理由を思い出した。


「……今日は任せる」


「分かりました」


 悠斗は無理に刃を押し込まず、浅い切れ目を何度か作ってから方向を変え、少しずつ割るように開いていった。


 時間がかかる。


 ノエルなら、もう少し早くできる気がした。


「その角度だと滑りやすいよ」


 結局、口を出した。


「ありがとうございます」


「でも今日は任せるから」


「はい」


 横で見ていたミレイアが笑った。


「難しそうですね」


「何が?」


「任せるのが」


 ノエルは返事をしなかった。


 ようやく雪瓜が割れると、中には淡い黄白色の果肉と、大きな種が並んでいた。悠斗は少量を生のまま切り、匂いと食感を確かめる。


「かなり水分ありますね」


「そのまま食べても、あまり味しないよ」


「少し食べても?」


「もちろん」


 悠斗が一切れ味を見る。


「確かに淡いですね。でも、煮たら他の味をよく吸いそうです」


「肉の汁はよく吸う」


「じゃあ今日は、煮るのと焼くのを両方やってみます」


「二つも?」


「これだけ大きいので、少量ずつなら」


「一人で食べるには多いよ」


「残りは持ち帰れます」


「それも帰って処理しないといけないのか……」


 思わず嫌そうな声が出た。


 悠斗は少し考えてから提案した。


「今日使う分以外は、皮付きのまま保存しやすい大きさへ分けておきます?」


「全部細かく切らない?」


「切り口だけきちんと包めば、その方が持つと思うので」


「それがいい」


 それだけで少し気持ちが軽くなった。


 いつもなら、せっかく切ったのだから全部処理しようと考えていた。


 今日は、必要な分だけ使うという選択肢がある。


 悠斗は一部を大きめの角切りへし、根玉葱と一緒に鍋へ入れ、そこへ鶏に似た白い肉を加えて薄い出汁で煮始めた。もう一部は薄く切り、少量の塩を振って余分な水分を出してから鉄板へ置く。


「薄い方は焼くんだ」


「はい。水分が多いので、少し抜いてから焼いた方が表面に焼き目がつきそうです」


「厚くすると中まで柔らかくなるのに時間かかるよ」


「じゃあこれくらいで」


 ノエルは、また口を出していた。


「任せるんじゃなかったんですか?」


 ミレイアに言われる。


「知ってることは言った方が早いでしょう」


「料理でも?」


「失敗するよりいい」


「仕事でも?」


 ノエルは少し眉を寄せた。


「何が言いたいの」


「何でも自分で見てた方が安心する人なのかなって思っただけです」


 その言葉は、あまり外れていなかった。


 ノエルは山で一人仕事をしている。採る場所も量も戻る時間も自分で決め、乾燥も仕分けも道具の手入れも自分で行う。他人へ任せる必要がほとんどない暮らしを長く続けた結果、自分が見ていないところで何かが進むことを不安に感じるようになっていた。


「一人仕事だから仕方ないよ」


「休みも自分で決める?」


「そう」


「じゃあ、休まないって決めるのも自分?」


「休んでる」


「山へ行かない日ですよね」


 また同じことを言われた。


「誰から聞いたの」


「何を?」


「休みの話」


「誰からも聞いてません。さっき自分で今日は休みって言ってたのに、雪瓜を持ち帰ったら全部自分で処理しようとしてたから」


 ノエルは黙った。


 悠斗が鍋へ目を向けながら尋ねた。


「休みの日って、普段何してるんです?」


「山には入らないよ」


「他は?」


「採ったものを乾かしたり、仕分けしたり、道具直したり、納品したり」


「かなりやってますね」


「採集じゃないから」


「料理で言うと、店を閉めてる日に一日仕込みだけしてる感じですかね」


 ノエルは反射的に答えた。


「それは休みじゃないでしょう」


 言い切ったところで、自分の言葉へ自分で気づいた。


 ミレイアが笑う。


「今、自分で言いましたね」


「……違う」


「どこが?」


「採集は山へ入る仕事で、後処理は……」


 言いながら、自分でも説明が苦しくなった。


 後処理がなければ商品にはならない。乾燥させなければ薬草は腐り、仕分けなければ売れず、納品しなければ金にならない。


 どう考えても仕事だった。


「だからって、全部やめられない」


 ノエルは少し強い口調になった。


「採った日に処理しないと駄目なものもあるし、翌日に回せないものも多い。道具だって使えば傷む」


「なら、休みの日に処理が残らない量だけ採るとか?」


「それだと採れる量が減る」


「減ったら困る?」


「収入も減るし、依頼も受けられない」


「全部受けないと駄目?」


「頼まれてるんだから」


「断ったことは?」


「採れないものなら断る」


「時間が足りない時は?」


「時間を作る」


「疲れてる時は?」


「次の日を休みにする」


「その日に処理する?」


「……する」


 ミレイアは何も言わず、こちらを見ていた。


「分かってるよ」


 ノエルは少し不機嫌になった。


 それでも、少ししてから自分から話を続けた。


「最近、一回だけ疲れが抜けなくなったことがあった。歩きすぎた日の翌日を休みにしたのに、乾燥と仕分けと納品をやってたら、その次の日の方が身体が重くなった」


「それでちゃんと休んだんですか?」


 悠斗が尋ねる。


「三日くらい山へ行かなかった」


「三日とも仕事してた?」


「二日目から妹に止められた」


「じゃあ、その時は休めたんですね」


「暇だった」


「嫌でした?」


「最初は落ち着かなかった」


「最後は?」


「甥と川へ行ったよ」


「楽しかった?」


「まあ、それなりに」


「仕事したくなりました?」


「野草を見たら採りたくなった」


「採った?」


「採らなかった」


 ミレイアが少し笑った。


「できるじゃないですか」


「一日だけならね」


「一日でいいんじゃないですか?」


 その言い方に、ノエルは少し戸惑った。


 自分は、休み方まで必要以上に大きなものとして考えていたのかもしれない。


 完全に仕事を減らし、何日も何もしない。


 依頼も断り、収入も落として、生活そのものを変える。


 そこまでしなければ「ちゃんと休む」とは言えない気がしており、そこまでできないなら今まで通り働くしかないと思っていた。


「一日全部休んだら、次の日が忙しくなる」


 ノエルが言うと、悠斗が答えた。


「なら、その前の日に採る量を少し減らすとか」


「簡単に言うね」


「簡単ではないと思います。でも、次の日まで処理が残る量を毎回採ってるなら、山から帰ったところで仕事が終わってないんですよね」


 同じことを、メルドにも言われた。


 採集量は、荷籠へ入る量だけで決めるものではない。帰宅後に処理できる量まで含めて考える。


 当たり前のことなのに、今まで一度も自分の基準にしていなかった。


          ◇


 鍋の雪瓜が柔らかくなってくると、悠斗は塩を控えめに整え、最後に少量の乳を加えた。


「乳入れるんだ」


「雪瓜の味が淡いので、少し丸くしたくて」


「入れすぎると雪瓜の味まで消えるよ」


「じゃあ少なめにします」


 焼いていた薄切りの雪瓜にも焦げ目がつき始め、表面の水分が抜けたことで少し透き通って見える。悠斗はそこへ薄く切った燻製肉を乗せ、最後に香草油を少量だけ回しかけた。


「二つできました」


 一皿は《雪瓜と白肉の乳煮》、もう一皿は《焼き雪瓜と燻製肉の香草仕立て》だった。


 同じ雪瓜を使っているのに、見た目も香りもかなり違う。


 ノエルは、まず乳煮から口にした。


 雪瓜は匙で簡単に切れるほど柔らかくなっており、白肉と根玉葱の旨味を十分に吸っている。もともとの味が淡いからこそ、煮汁の味を受け止めながら重くなりすぎず、少量の乳も全体を穏やかにまとめていた。


「こういうのは高地でも食べる」


「似てます?」


「向こうはもっと塩が強いけど、これは軽いね」


「休みの日に食べるなら、これくらいでもいいかなと思って」


「何で料理まで休みに寄せるの」


「今日休みって聞いたので」


 ノエルは思わず笑った。


 次に焼き雪瓜を食べると、こちらは煮たものより水分が少なく、外側へ軽い歯ごたえが残っている。燻製肉の塩気が強いため、雪瓜そのものの淡さがむしろ合い、香草油の香りも後から穏やかに抜けた。


「こっちは酒に合いそう」


「飲みます?」


「今日はいい」


「休みだから?」


「それは関係ない」


 そんなやり取りをしているうちに、最初より気持ちが軽くなっていた。


「雪瓜って、皮が硬いですよね」


 悠斗が残った雪瓜を見ながら言う。


「硬いよ」


「中は柔らかいのに」


「保存するには便利だけどね」


「なら全部一気に処理しなくても、皮が残ってる方が持ちます?」


「切り口をちゃんと包めば、しばらくは」


「じゃあ今日食べる分だけ使えばいいですね」


 ノエルは、まだ大きく残っている雪瓜を見た。


 最初は家へ帰ったら全部切り分け、煮る分、保存する分、種を干す分まで一度に決めるつもりだった。


 今は、そこまでやる気が起きない。


「残り、半分は妹にあげようかな」


「いいんじゃないですか」


「人数いるから、あっちの方が食べるし」


「種も何かにします?」


「母が炒ってた気がするから、今度聞いてみる」


「自分で全部試さないんですか?」


 ミレイアが尋ねる。


 ノエルは残った雪瓜を見た後、ゆっくり首を振った。


「今日はやめとく。分からないまま残しておいても、明日困るものじゃないから」


 その言葉が思っていたより自然に出た。


 食事を終えた後、残りの雪瓜は持ち帰りやすいよう大きな塊へ分けてもらい、皮もできるだけ残してもらった。


「皮、全部削らなくていい」


「保存するなら残しますね」


「ありがとう」


 支払いを済ませたところで、ミレイアが尋ねた。


「明日は山?」


「行く予定だった」


「だった?」


「今考えてるところ」


 明日は赤芯根を採る予定がある。


 ただ、納品期限は三日後であり、明後日に採っても十分間に合う。


 以前なら、予定帳へ書いてあるという理由だけで行った。


「明日は、道具の修理だけして午後休む」


 口にしてから、自分で首を振った。


「違うな。それだとまた休みって言い張ってるだけだ」


「じゃあ?」


「午前中に道具を直すなら、それは仕事にする。午後は本当に何もしない」


「半日休み?」


「そう。別に一日全部じゃなくてもいいんでしょう?」


「誰が一日じゃないと駄目って決めたんです?」


 その通りだった。


          ◇


 ノエルは家へ戻る途中で妹の家へ寄り、雪瓜の半分を渡した。


「何これ」


「雪瓜」


「見れば分かる。何で半分?」


「一人で食べきれないから」


 リナは姉の顔をしばらく見た。


「珍しいね。いつも何でも自分で保存しようとするのに」


「今日は面倒になった」


「体調悪い?」


「何でそうなるの」


「姉さんが面倒って言って人に渡すから」


「普通に食べてくれればいい」


「どう料理する?」


 ノエルは一瞬、《持ち込み食堂》で食べたものを細かく説明しようとした。雪瓜の厚さや煮る時間、乳の量まで伝えれば失敗しにくい。


 しかし、「任せる」と言ったばかりだったことを思い出した。


「好きにして」


「本当に?」


「煮ても焼いても食べられる。皮は硬いから、そこだけ気をつけて」


「それだけ?」


「それだけ」


 妹が少し笑った。


「少し休み方覚えた?」


「まだ」


「じゃあ練習中?」


「そんなところ」


 翌朝、ノエルは予定より遅く起きた。


 山へ入るなら、すでに遅い時間だった。


 以前なら、その時点で一日を無駄にしたような気持ちになったかもしれない。


 朝食を食べ、道具箱を開く。


 採集鋏の留め具が少し緩んでいたため直し、小刀も必要な分だけ研いだ。採集籠の紐にも目を向けたが、まだ十分使える。


 いつもなら、ついでだからと予備の紐まで直しただろう。


 今日は手をつけなかった。


 昼前には作業が終わった。


 その後、何をすればよいのか少し迷った。


 乾燥棚を見れば、前日に処理した薬草がある。


 確認したくなった。


 一度だけ見に行った。


 状態に問題はない。


 そこで終わりにした。


 午後は妹の家へ向かった。


 甥が、昨日渡した雪瓜を食べていた。リナは豆と一緒に煮たらしく、雪瓜には豆の旨味が染みている。


「乳入れなかったんだ」


「家になかったから」


「塩は少し強めだね」


「そう?」


「それなら――」


 言いかけて、ノエルは止めた。


「何?」


「いや、好きにしてって言ったから」


「言えばいいのに」


「気にはなるけど、今日は客だから」


「客?」


「食べるだけの人」


 リナが笑った。


「それ、休みっぽい」


 ノエルも笑い、豆煮を食べた。


 持ち込み食堂の料理とは違い、少し塩が強い。


 それでも美味しかったし、甥は気に入って何度もおかわりしている。


 自分が一番よい食べ方を決めなくても、食材はちゃんと料理になる。


 そんな当たり前のことまで、仕事を続けるうちに忘れていたらしい。


          ◇


 その後、ノエルは仕事の仕方を一気に変えたわけではなかった。


 山へ入れば、今でも予定外の薬草へ目が行く。


 珍しいものを見つければ採りたくなる。


 依頼を断ることも得意ではなく、今までなら迷わず受けていた注文を前にすると、「もう少しくらいなら」と考えてしまうこともある。


 それでも、一つだけ新しい基準を作った。


 採集日の翌日まで後処理が大量に残るほどは採らない。


 以前は、荷籠へ入る量がその日の限界だった。


 今は、帰宅後に無理なくその日のうちへ処理できる量を限界にする。


 その基準を初めて試したのは、青眠苔をまた大量に見つけた日だった。


 状態のよい群生であり、以前なら日が傾いても採っただろう。


 その日は、持ち帰った後の乾燥作業まで考え、必要な量だけ採ったところで立ち上がった。


 一緒に山へ入っていた若い採集人が不思議そうに尋ねる。


「残すんですか?」


「残すよ」


「誰かに取られますよ」


「取られてもいい」


「珍しいですね」


「全部私のものじゃないし、次に残ってたらまた採れるから」


 口にした瞬間、母から教わった言葉を久しぶりに思い出した。


 いっぱいあるから残せる。


 採集人としてなら、昔から知っていたことだった。


 薬草を全部採れば、次の季節に困る。その日の利益だけを見て、次をなくしてはいけない。


 自分の身体についても、まったく同じとは言えなくても、似た考え方はできるのかもしれない。


 今日動けるからといって、今日使い切る必要はない。


 明日動く分まで残す。


 一週間後にも山へ入れるように、今日は少し早く帰る。


 そう考えると、自分には理解しやすかった。


 ノエルは、以前より早い時間に山を下りる日を少しずつ増やしていった。


 薬師のメルドは、最初のうちは信用していなかった。


「今日は早いな」


「予定分採れたから」


「ついでは?」


「見つけたけど残した」


「熱ある?」


「妹と同じこと言わないで」


「本当にお前か?」


「失礼だな」


 納品量は少し減ったが、その代わり状態は安定した。


 以前は疲れて帰った日の乾燥が雑になり、一部を選別で落とすこともあったが、今は持ち帰った量をその日のうちに落ち着いて処理できる。


 結果として廃棄も減り、思っていたほど売上は落ちなかった。


「そんなに変わってないな」


 メルドが帳面を見ながら言う。


「私も思ったより減ってない」


「前が採りすぎだったんじゃないか?」


「それは認めたくない」


「認めろ」


「少しだけなら」


 ノエルは笑った。


          ◇


 休み方についても、自分なりの決まりを作った。


 一日すべて空けられない週は、半日を仕事にして、残りの半日を休みにする。ただし、その休みへ乾燥、納品、道具修理を「少しだけ」と持ち込まない。


 何か一つ気になっても、翌日で間に合うなら翌日へ回す。


 最初のうちは落ち着かなかった。


 午後になると乾燥棚を見たくなり、依頼帳を開いて翌日の道順を考えたくなる。


 それでも、一度確認して問題がなければ閉じる。


 何もしないことを目的にするのではなく、仕事をしない時間を作る。


 その程度の考え方の方が、ノエルには合っていた。


 一か月ほど経った頃、妹から声をかけられた。


「明後日、甥と丘へ行くけど来る?」


「何しに?」


「何もしに」


「その言い方嫌い」


「お弁当食べる」


「それなら分かる」


「採集籠持ってこないでね」


「分かってる」


「小刀も」


「食べ物切るのにいるでしょう」


「私が持つ」


「信用ないな」


「ない」


 結局、ノエルは本当に手ぶらで行った。


 途中で薬草を見つけた。


 状態のよい株だった。


 必要になれば使える。


 場所だけ覚え、採らずに通り過ぎた。


 次に来た時も残っていれば採ればよく、誰かが先に採ったとしても、それはそれで構わないと思えるようになっていた。


          ◇


 秋が深くなった頃、ノエルは再び《持ち込み食堂》を訪れた。


 今回は大きな食材を持っておらず、小さな袋へ乾燥させた香草を少し入れているだけだった。


「いらっしゃいませ」


 ミレイアが気づく。


「あ、雪瓜の人」


「その呼び方やめて」


「今日はずいぶん小さいですね」


「香草だけ」


 悠斗も厨房から出てくる。


「今日は何を作ります?」


「食事したい」


「香草は?」


「使えそうなら使って」


「任せます?」


 ノエルは少し笑った。


「任せる」


「本当に全部?」


「今日はなるべく口出さない」


「難しそうですね」


「うるさい」


 それでも、前回よりはずっと気楽だった。


 悠斗は香草を使い、薄切り肉と根菜の簡単な焼き料理を作り始めた。


 ノエルは途中で何度か口を出したくなった。


 香草はもう少し遅く入れた方が香りが残る。


 根菜は少し厚くてもよい。


 そう考えながらも、今日は黙って見ることにした。


 出来上がった料理は、自分が想像していたものとは少し違った。


 それでも十分に美味しい。


「どうです?」


 悠斗が尋ねる。


「思ってたよりいい」


「思ってたより?」


「私なら香草をもう少し遅く入れると思う」


「じゃあ次はそうします?」


 ノエルは少し考えた。


「今日はこれでいい」


 自分からそう言えたことが、少し面白かった。


「休めてます?」


 ミレイアが尋ねる。


「前よりはね」


「どれくらい?」


「週に半日か一日、仕事を入れない時間を作ってる」


「山だけじゃなく?」


「乾燥も納品も道具もやらない時間」


「ちゃんとできてます?」


「たまに破る」


「じゃあ失敗?」


「次の週に直す」


 以前なら、休みへ一度仕事を入れてしまえば、「やっぱり自分には無理だ」と考えたかもしれない。


 今は違う。


 仕事と同じで、毎回完璧にできる必要はない。


 予定より採りすぎた週があれば、次は少し減らす。


 休みへ仕事を入れてしまったら、別の日へ空きを作る。


 身体が重い日は、予定を一つ落とす。


 そのくらいの調整なら続けられた。


          ◇


 冬の初め、ノエルは北東の高地へ雪瓜の農家を訪ねた。


 以前、大きな雪瓜をくれた農家である。


「今年も持っていくか?」


 農家の男が笑った。


「一個なら」


「去年、食べ切れた?」


「半分妹にあげた」


「珍しいな」


「何が?」


「採集人は何でも自分で使い切ろうとするからな」


「私だけじゃないんだ」


「特に薬草採りは、余ると保存方法まで考え始める」


 ノエルは苦笑した。


 男は大きな雪瓜を一つ選んだ。


「今年は少し皮の薄いやつにしとく」


「味違う?」


「去年のより水分少ない」


「なら煮る時間も少し変えた方がいいね」


「仕事の顔になってるぞ」


 ノエルは笑った。


「食べ物の話だから」


 それでも、その場で全部の使い道を考え始めることはしなかった。


 家へ持ち帰った雪瓜は、翌日の夕食へ必要な分だけ切った。


 全部を一度に処理しない。


 残りは皮をつけたまま保存する。


 以前なら、一度包丁を入れた勢いで全部切り分け、保存袋を用意し、種まで処理しただろう。


 今は、必要なところで止められる。


 夕食後、残った時間で採集帳を開こうとした。


 手が止まった。


 明日でも間に合う。


 そのまま閉じた。


 代わりに、久しぶりに母から譲られた古い薬草帳を開いた。仕事のために確認するのではなく、昔の書き込みを見るためだった。


 ページの端へ、母の字で一文残っていた。


『残す分を決めてから採ること。見つけてから考えると、欲が勝つ。』


 ノエルはしばらく、その文字を眺めた。


 薬草について書かれた言葉だった。


 けれど今の自分には、別の意味にも読めた。


 翌週、山へ入る前に採集帳へ予定を書いた。


 霞葉草、赤芯根、それに香草を少量。


 その下へ、以前なら書かなかった一文を加える。


『帰宅後の処理一刻以内。越える分は採らない。』


 山へ入れば、予定外のものは必ず見つかる。


 状態のよい茸、珍しい苔、高く売れる根、その日にしか採れない花。


 見つけるたびに迷う。


 それでも、先に残す分を決める。


 植物だけではなく、自分の時間も、自分の体力も。


 その日の採集を予定より少し早く終えた帰路、以前なら迷わず立ち止まったであろう青眠苔の群生を見つけた。ノエルは荷籠の残りと、帰宅してから乾燥へ使える時間を考え、必要な分だけを丁寧に採ると、まだ十分に残っている岩陰から立ち上がった。


 夕方、明るいうちに家へ戻り、薬草を予定通り一刻ほどで処理した後、採集鋏についた汚れだけを落とす。刃には欠けもなく、今夜研ぐ必要もないため、そのまま道具箱へ戻した。


 以前なら「今できるから」という理由だけで、明日でも間に合う手入れまで始めていただろう。


 今は、その日に使わなかった体力まで無理に使い切ることはしなかった。


 休むことは仕事を嫌うことではなく、明日も、その先の季節も、自分の足で山へ入り続けるために残す時間なのだと考えられるようになったノエルは、まだ空に夕方の明るさが残っているうちに道具箱の蓋を閉じ、明日へ回しても困らない仕事を、そのまま明日の自分へ残した。


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