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異世界持ち込み食堂~あなたの食材を料理します~  作者: シロの空


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第60話 薄く切られた王茸と、同じに扱うことしかできない役人

 エリアス・ノルデンは四十一歳になる人間の男性であり、レーヴェン市政庁の物資管理局に所属する中級役人として、市場へ流入する食材や保存品の検査基準、商人へ交付する販売許可、街へ持ち込まれる特殊な農産物の登録などを担当していた。濃い金茶色の髪を耳へかからない長さに整え、細い銀縁の眼鏡をかけた痩せ型の男で、役所から支給される灰青色の制服も毎朝きちんと着込み、襟元の留め具が少しずれているだけでも気になって直してしまうほど、形式と順序を重んじる性格だった。


 数字と規則を扱う仕事には向いており、申請書類の記載漏れを見つけるのが早いだけでなく、前年の記録と比較して数量に不自然な点があれば、その場で該当資料を探し出して確認できる程度には過去の記録も覚えていた。上司から突然、三年前の冬に北門から入った乾燥肉の検査件数を調べるよう言われても、どの年度のどの棚を見ればよいのか迷わないため、同僚からは冗談半分に「歩く書庫」と呼ばれている。


 仕事ぶりは真面目で、不正を嫌い、相手によって態度を変えることもほとんどなかった。


 大商会の代理人が申請へ来ても、露店しか持たない行商人が泥のついた靴で窓口へ来ても、必要な書類は同じだけ求める。貴族家の使用人が急ぎだと言っても、定められた検査を省かず、逆に知り合いだからと順番を早めることもしなかった。


 エリアスは、そうした仕事の仕方に誇りを持っていた。


 身分や金によって扱いを変えず、誰に対しても同じ規則を同じように適用することこそ、公平な役人の仕事だと信じていたのである。


 ただし、同じ規則を全員へ同じ形で課すことと、誰もが同じように制度を利用できることが、本当に同じなのかという点については、これまで深く考えたことがなかった。


          ◇


 エリアスは、レーヴェン北区にある役人や書記の家が多い一角で生まれた。


 父親も市政庁の書記官で、母親は小さな学び舎で読み書きと計算を教えていたため、家の中には幼い頃から紙と帳面が溢れていた。夕食を終えれば、父が持ち帰った資料を整理し、母が翌日の授業で使う板書を準備する光景が日常だったので、エリアス自身も文字や数字を覚えるのが早かった。


 父は仕事の内容を家庭へ持ち込む人間ではなかったが、一つだけ何度も口にした言葉がある。


「役人が人を見て規則を変えたら、それはもう規則じゃない」


 幼いエリアスは、その言葉を強く覚えた。


 父には、そう言い切るだけの経験があった。


 若い頃、市場の営業許可を扱う部署にいた父は、有力商人から提出期限を過ぎた書類を受理し、さらに検査順まで早めてほしいと頼まれたことがあったという。相手は市政庁へ多額の税を納める商人で、上司からも暗に融通を利かせるよう求められたが、父は断った。


 その結果、しばらく昇進は遅れた。


 それでも父は後悔していなかった。


「金を持ってる奴だけ早く通して、持ってない奴には決まり通り待てって言うようになったら、役所の決まりなんて誰も信じなくなる」


 十二歳だったエリアスは、その考えを正しいと思った。


 身分が高いから、金があるから、知り合いだからという理由で規則が曲げられることを、彼はその頃から強く嫌うようになった。


          ◇


 十六歳で市政庁の下級試験を受けると、エリアスは書記見習いとして働き始めた。


 最初に配属されたのは税務関係の記録室で、毎日大量の数字を写し、村や商店から提出された帳票の合計を確認し、数字が合わなければ何度でも最初から計算し直す仕事だった。華やかさはなかったが、人の機嫌を読むより数字が合うかどうかを確かめる方が性に合っており、本人にとって苦痛の少ない職場だった。


 二十代になると物資管理局へ移り、食材の流通や市場許可を扱うようになった。最初は先輩役人の補助として働き、やがて自分で申請者と話す立場になると、父から教わった考え方をそのまま仕事へ持ち込んだ。


 大商会だからと順番を飛ばさせない。


 貴族家から急ぎの申請が来ても、必要な検査を省かない。


 反対に、読み書きの苦手な農民だからといって、役人側が勝手に内容を変えて書類を作ることもしない。


 誰に対しても同じ条件で接するという姿勢は上司からも一定の評価を受け、三十代前半には検査基準を見直す小委員会へ参加するようになった。


 そこでエリアスが特に力を入れたのが、珍しい食材の販売基準を統一する仕事だった。


 魔獣肉、毒性を持つ野草、特殊な茸、加熱しなければ食べられない地下茎など、レーヴェンへ持ち込まれる食材は非常に多い。冒険者や行商人が各地から集まる都市だからこそ、安全性を確認せずに何でも市場へ並べるわけにはいかなかった。


 以前は担当者によって判断が異なり、ある市場では販売できた食材が、別の市場では危険物として止められることもあった。商人からの苦情も多かったため、エリアスたちは分類基準を作り、必要な加熱時間、毒抜きの有無、保管温度、販売時に表示すべき注意事項まで整理していった。


 この改革は成功し、事故は減り、商人側も必要な条件を事前に確認しやすくなった。


 その成功体験があったからこそ、エリアスの中では、統一することそのものが公平さへつながるという考えが、以前よりさらに強くなっていったのである。


          ◇


 問題が起きたのは、秋の終わりに《王茸》の新しい流通申請が出された時だった。


 王茸は北東部の湿った森に生える大型の茸で、傘は大人の掌ほど広く、軸も太い。生ではわずかな苦味があるが、じっくり火を通すと肉に近い弾力と濃い旨味が出るため、レーヴェンでは比較的高級な食材として扱われていた。


 これまで街へ入ってくる王茸の多くは、大きな商会を通じて運ばれている。森の近くで採取された茸をまとめて選別し、箱へ詰め、冷却石を入れた荷車で運び、中央市場へ卸すという大規模な流通だった。


 特殊菌類に分類されるため、初回登録時には採取地の確認、似た毒茸との混入検査、保存方法の確認などが必要になり、登録料も通常の農産物より高く設定されている。大商会にとっては決して安い額ではないものの、一度に扱う量が多いため、事業全体から見れば吸収できる程度の負担だった。


 今回申請へ来たのは、そのような商会ではなかった。


 《ミルダ村》という北東部の小さな山村に作られた共同組合だった。


 村では以前から王茸を採っていたが、自分たちだけで都市へ売る手段がなく、大商会へ安い価格でまとめて引き渡すしかなかったという。そこで今年から、収穫した一部だけでも自分たちでレーヴェンへ運び、市場の料理店や小売商へ直接販売できないか試したいと考えたらしい。


 窓口へ来たのは、五十歳前後の女性だった。


 名前をネラ・フィオスといい、ミルダ村の共同組合で会計を担当している。


「申請書をお願いします」


 エリアスが受け取り、記載内容を順番に確認していく。


 採取地。


 数量。


 運搬方法。


 保存方法。


 書類そのものに大きな不足はなかった。


 ただし、添えられた金額を確認した時点で、エリアスは手を止めた。


「登録料が不足しています」


 ネラの顔が曇った。


「不足ですか?」


「はい。王茸は特殊菌類第二種に分類されますので、初回登録料は銀貨十二枚です」


「十二枚……」


「規定表にも記載されています」


「村では、銀貨五枚と聞いてきたのですが」


「それは一般農産物の登録料です。菌類は保存状態による傷みや、似た毒茸との混入検査が必要ですので、検査工程が異なります」


 ネラは手にしていた布袋を握り直した。


「検査が必要なのは分かります。でも銀貨十二枚を払うと、今回持ってきた分の利益がほとんど残りません」


「登録料は販売量によって変わりません」


「少ない量でも?」


「はい」


「大きな商会と同じ額ですか?」


「同じ王茸を販売する以上、同じです」


 エリアスは、それが公平であることを説明するような気持ちで答えた。


 しかし、ネラの表情は明るくならなかった。


          ◇


「今回だけ、少ない量で試す方法はありませんか?」


「ありません」


「たとえば、最初は二箱だけとか」


「販売量を減らしても、初回登録で確認すべき内容は変わりません」


「検査をしなくてもいいという意味ではなくて……」


「安全基準を一部だけ省くことはできません」


 ネラはそこで口を閉じた。


 エリアスは少しだけ苛立った。


 安全基準には、これまでに起きた事故を踏まえた理由がある。実際に似た毒茸が混入した事例もあり、保存状態の悪い菌類を食べた人間が体調を崩したこともある。


 小さな村だからという理由で検査を省き、その結果として事故が起きれば、被害を受けるのは購入者である。


「フィオスさん、あなた方だけに厳しくしているわけではありません」


「分かっています」


「どの商会でも同じ条件です」


「それも分かっています。ただ、私たちは最初からそんなにたくさん売れないので」


「でしたら、必要な費用を用意してから再申請してください」


 しばらく黙った後、ネラは書類を受け取った。


「分かりました」


 小さく頭を下げ、そのまま窓口を離れていった。


 エリアスは、自分が間違った対応をしたとは思わなかった。


 規則を説明し、例外を作らなかった。


 それこそが役人の仕事だと思っていた。


          ◇


 ところが数日後、同じミルダ村から別の男が窓口へ来た。


 三十歳前後の農夫で、今度は登録料ではなく、運搬と検査単位について尋ねたいという。


「王茸は一箱単位で検査するんですよね?」


「初回は採取地の確認に加えて、持ち込み箱ごとの目視検査があります」


「箱を小さくしたら?」


「検査箱数が増えます」


「費用も増える?」


「箱ごとの検査手数料は増えます」


「じゃあ、大きい箱へまとめた方がいいんですね」


「費用だけを考えるなら、そうです」


 男はしばらく考え込んだ。


「でも村の荷車じゃ、大箱を六つ積んだら他の作物が乗らないんです。王茸だけ運ぶなら帰りの荷も減るし、それだと運賃が合わなくて」


「それは運送方法の問題ですね」


「……はい」


「検査規則としては変更できません」


「何か他の方法はないですか?」


 エリアスは規則書を確認するまでもなく答えた。


「現在はありません」


 男は困った顔をしたまま頭を下げ、帰っていった。


          ◇


 その日の夕方、同僚のラウルが書類を整理しながら口を開いた。


「ミルダ村、難しそうだな」


「何がだ」


「王茸の直売だよ。あの規模だと登録料と運搬費だけで相当消えるだろ」


「必要な費用を準備できないなら仕方ない」


「でも制度上は、小規模生産者でも直接登録できることになってるんだろ?」


「できる。申請資格に商会規模の制限はない」


「実際には最初の銀貨十二枚が重すぎて通れない」


「大商会も同じ額を払っている」


「同じ十二枚でも、大商会と山村じゃ負担が全然違うだろ」


 エリアスは書類をめくる手を止めた。


「だからといって、相手の資金力で料金を変えれば不公平になる」


「俺も、貧乏だから半額にしろって言ってるわけじゃない」


「では何を言いたい」


 ラウルはしばらく考えてから肩をすくめた。


「分からん。ただ、いきなり本登録する前に、少ない量だけ試せる仕組みがあってもいいんじゃないかと思っただけだ」


「検査を簡略化するのか?」


「そこまで言ってない。安全は同じように見ればいい」


「検査を同じだけするなら、費用も同じだけかかる」


「なら、その費用の取り方を変えられないか考えるとか」


「根拠のない例外を増やせば、制度が複雑になって不正の原因になる」


 エリアスはそう答え、そこで話を終わらせた。


 しかし、ラウルの言葉は、その後も妙に耳へ残った。


          ◇


 それから一週間後、市場監督課から一件の報告が上がってきた。


 北門近くの小さな露店で、正式登録されていない王茸が少量販売されていたという。売っていたのはミルダ村から来た若い農夫で、知り合いの料理店へ数個ずつ直接渡そうとしていたところを、市場監督員に見つかったらしい。


 確認した結果、王茸そのものに毒性の問題はなかった。


 しかし、無許可販売である以上、その場にあった商品は押収され、販売した農夫には規定通り罰金が科された。


 エリアスは報告書へ目を通した。


「やはり規則を理解していなかったのか」


 そう呟くと、近くにいたラウルが書類を覗いた。


「いや、知ってただろ」


「何?」


「申請に来た村じゃないか。知らなかったんじゃなくて、正式な道を諦めて勝手に売ったんだろ」


「知っていて破ったなら、なお悪い」


「それはそうなんだけどさ」


「何だ」


「正規に売る道が現実的に使えなかったから、こっちへ行ったんじゃないかと思って」


 エリアスは眉を寄せた。


「それを理由に、規則違反を認めることはできない」


「認めろとは言ってない。違反は違反で処分すればいい」


「なら?」


「制度は誰でも使えることになってるのに、実際には使えない人間がいるって話だ」


 その言葉を聞いた時、エリアスはすぐに反論できなかった。


          ◇


 制度は存在している。


 必要な申請をすれば、身分に関係なく利用できる。


 条件も料金も公開されており、大商会だけに隠れた優遇があるわけでもない。


 それなら公平なはずだった。


 しかし現実には、ミルダ村の者たちは制度の入口まで来たところで諦め、結果として一人が無許可販売へ流れてしまった。


 もちろん、違反した本人の責任まで制度のせいにするつもりはない。


 罰金が不当だとも思わなかった。


 それでも、ラウルの言う「制度があるのに使えない人間がいる」という状態については、一度考える必要があるのではないかという疑問が残った。


 数日後、押収された王茸の処分確認のため、エリアス自身が市場監督課へ行くことになった。


 食用に問題がないことは確認されているが、正式な販売許可を得ていない以上、そのまま市場へ戻すことはできない。規則上は廃棄するか、検査用資料として一部を保存することになる。


 箱の中には、まだ状態のよい王茸が十数本残っていた。


「これも全部廃棄か?」


 エリアスが尋ねる。


「資料として必要な分以外は」


「食用に問題がないものも?」


「販売へは戻せませんから」


 担当者の返答に間違いはない。


 それでも、エリアスは箱の中をしばらく見ていた。


          ◇


 これまでなら、そのまま処分記録へ署名して終わっていただろう。


 しかし今回は、ミルダ村の者たちがわざわざ運んできたものを自分がほとんど知らないことが、なぜか気になった。


「検査資料として一本、こちらで使えるか?」


「用途を書いておけば問題ありません」


「では一本だけ持っていく」


 選んだのは、傘が大きく開いた王茸だった。


 端に少し傷はあるものの、匂いにも変色にも異常はない。


 自宅で料理するつもりがあったわけではない。


 ただ、この茸を売るために、村の者が銀貨十二枚を重いと感じた理由を、せめて食材そのものを見たうえで考えてみたくなった。


 その日の勤務後、紙へ包んだ王茸を持ったまま役所を出ると、エリアスは最近何度か耳にしていた《持ち込み食堂》のことを思い出した。


 伯爵家の関係者まで利用しているという変わった店で、珍しい食材を持ち込む客も多いらしい。


 少し迷った末、西区へ向かった。


          ◇


 《持ち込み食堂》へ入ったのは、夕食時にはまだ少し早い時間だった。


「いらっしゃいませ」


 ミレイアが迎える。


「持ち込みを頼みたい」


「はい。何ですか?」


 エリアスは紙包みを開いた。


「王茸です」


「大きいですね」


「北東部産だ」


 悠斗も厨房から出てきた。


「状態を見てもいいですか?」


「構わない」


 悠斗は傘の裏、軸の硬さ、表面の傷を順番に確認し、最後に香りを確かめた。


「傷んではいないですね。今日採れたものではなさそうですけど、十分使えそうです」


「検査済みだ」


「役所の?」


「ああ」


「役所の人なんですか?」


「市政庁物資管理局のエリアス・ノルデンだ」


 ミレイアが少し姿勢を正した。


「何か危ない茸なんですか?」


「食材としては問題ない。無許可販売で押収されたものだ」


 悠斗が王茸から視線を上げた。


「じゃあ、売った人に問題があった?」


「規則違反だ」


「事情は?」


 エリアスは少し眉を寄せた。


「事情があれば規則を破ってよいわけではない」


「それはそうですね。でも事情はあったんですか?」


「……ある」


 自分でも、なぜここで説明しようと思ったのかは分からなかった。


          ◇


 エリアスは、ミルダ村が王茸を直接販売しようとしたことから話した。


 初回登録には銀貨十二枚が必要なこと。


 販売量が少なくても登録料は同じであること。


 運搬箱ごとの検査費用もかかること。


 村側が正式な申請を諦めた後、その中の一人が少量を無許可で売ろうとして押収されたことまで説明した。


 ミレイアは金額を聞いてから少し考えた。


「銀貨十二枚って、高いんですか?」


「大商会にとっては、それほど大きな負担ではない」


「村だと?」


「今回売ろうとしていた量では、利益のかなりの部分が消えるらしい」


「じゃあ最初に払ったら、ほとんど儲からない?」


「初回だけだ。本登録が終われば、毎回同じ額を取るわけではない」


「でも最初を越えられないんですね」


 その言い方に、エリアスは反射的に反論しようとした。


「だが、検査には費用がかかる。毒茸が混じれば事故になるし、保存状態が悪ければ食中毒も起きる以上、安全基準を下げるわけにはいかない」


「それは下げない方がいいですね」


 悠斗はあっさり同意した。


「なら」


「でも、検査をちゃんとやることと、最初に銀貨十二枚を全部払うことって、同じ話なんですか?」


 エリアスは言葉を止めた。


          ◇


「どういう意味だ」


「安全に売るために必要な検査は全部やる。それは変えないんですよね」


「当然だ」


「じゃあ小さい村でも同じ検査をする」


「そうだ」


「でも、料金を一度に全部取る方法しかないことまで、安全のために必要なんですか?」


「検査費を回収するためだ」


「分けて払ったら検査そのものができなくなる?」


「そう単純ではない。途中で販売をやめれば、未払い分を回収できなくなるかもしれないし、管理する書類も増える」


「じゃあ簡単には変えられないんですね」


「当然だ」


「でも、考えたことはあります?」


 エリアスは返答できなかった。


 考えたことがなかった。


 同じ食材を販売する者へ同じ登録料を求めることが公平だと思っていたため、それ以外の方法を検討する必要そのものを感じていなかったのである。


「料理、どうします?」


 悠斗が話を戻した。


「任せる」


「普段、王茸はどう食べるんです?」


「焼くか煮込むと聞いている」


「厚く切るのと薄く切るのだったら、どっちがいいですか?」


「同じ茸だろう」


「同じですけど、切り方でかなり変わります」


 悠斗はそう言いながら、大きな王茸を縦に半分へ切った。


          ◇


 一方は厚みを残し、もう一方は数枚に薄く切り分ける。


「両方焼きます」


「同じ茸を?」


「はい。同じ火加減から始めて、様子を見ます」


 鉄板を温めて少量の油を敷き、厚切りと薄切りを並べる。


 厚切りの方はゆっくり水分が出始め、表面に焼き色がつくまで時間がかかった。一方で薄切りは短い時間で縁が乾き始め、香ばしい匂いも先に立ち上がる。


「薄い方はもう上げた方がいい」


 エリアスが思わず言った。


「ですよね」


 悠斗は薄切りだけを先に火から外した。


「なぜ厚い方と同じ時間焼かない」


「厚さが違うからです」


「当たり前だ」


 答えた直後、エリアスは自分が何を言ったのかに気づいた。


 ミレイアも同じことを考えたらしい。


「同じ茸なのに?」


「条件が違う」


「じゃあ扱いを変えてもいいんですね」


「料理と制度を一緒にするな」


「同じだとは言ってません。ただ、ちょっと似てるなと思っただけです」


 エリアスは眼鏡の位置を直した。


          ◇


「料理では、同じ結果にするために扱いを変えることがある」


 エリアスが自分で言う。


「同じ結果って?」


「食べられる状態まで適切に火を通すことだ」


「役所だと?」


 ミレイアに尋ねられ、少し考えた。


「安全に販売できる状態へすることになる」


 口にした瞬間、それまで一つにして考えていたものが、少し分かれた気がした。


 毒茸が混じっていないか確認する。


 保存状態を見る。


 必要な表示を求める。


 事故が起きた際に追跡できるよう記録を残す。


 そうした安全基準は、小さな村でも大商会でも同じでよいし、むしろ同じでなければならない。


 しかし、その基準へ到達するまでの手続きや支払い方法まで、必ず一つでなければならないのか。


 大商会と小さな村では、一度に扱う量も資金も違う。


 同じ安全水準へ到達することを求めながら、入口だけは違う形を用意することが、本当に不公平なのか。


 初めて、その疑問をまともに考えた。


          ◇


 悠斗は焼いた王茸を二種類、別々の小皿へ移した。


 厚切りには少量の塩と香草油をかけ、薄切りには細かく削った乳酪を乗せてから、もう一度だけ短く熱を加える。


「《王茸の厚切り香草焼き》と、《薄切り王茸の乳酪焼き》です」


 エリアスはまず厚切りから食べた。


 噛むとしっかりした弾力があり、内部には水分が十分に残っている。肉ほど脂っこくないにもかかわらず、噛むほど旨味が出てくるため、一皿の中心に置いても物足りなさを感じない味だった。


 次に薄切りへ箸を伸ばす。


 こちらは表面の焼けた部分が多く、厚切りより香ばしさが強い。乳酪の塩気も全体へ行き渡りやすいため、同じ王茸から作ったとは思えないほど印象が違った。


「かなり違うな」


「切り方だけでも変わります」


「どちらが正しい?」


「何に使いたいかによります。一皿の主役なら厚い方が合うかもしれないし、他の料理と合わせるなら薄い方が食べやすいかもしれません」


「同じ食材でも、目的で扱いを変える」


「はい」


「それは不公平ではないのか」


 ミレイアが笑った。


「茸に同じ扱いしてないって怒られました?」


「そういう意味ではない」


「なら、人の制度でも、守るものが同じなら方法が少し違ってもいい場合があるんじゃないですか?」


「簡単に言うな。制度を一つ増やせば、人も書類も金も動く」


「大変そうですね」


「非常に大変だ」


「でも、考える価値はある?」


 エリアスは少し時間を置いてから答えた。


「それは、あるかもしれない」


          ◇


 食事を続けながら、エリアスはこれまで自分が扱ってきた申請を思い返した。


 読み書きの苦手な者にも同じ用紙を渡した。


 遠方の村から二日かけて来た者でも、書類が一枚足りなければ再訪を求めた。


 大商会と小規模生産者へ同じ初回登録料を求め、それを相手によって変えないことが公平だと考えていた。


 もちろん、今でも変えてはいけないと思う部分は多い。


 本人確認を省けば不正が起きる。


 検査を減らせば安全性が下がる。


 販売記録を残さなければ、事故が起きた時に流通経路を追えなくなる。


 しかし、そうした目的を守るための手段が本当に一つしかないのかについては、自分が勝手に答えを決めていたのかもしれない。


「同じに扱うことと、公平に扱うことは、違う場合があるのか」


 エリアスがほとんど独り言のように言った。


 悠斗は少し考えてから答えた。


「俺は役人じゃないですけど、同じだけ満足して食べてもらいたいからって、子どもと大人に同じ量を出すとは限らないですよ」


「必要量が違うからだ」


「はい」


「……また同じ話か」


「たぶん」


 エリアスは、わずかに笑った。


          ◇


「ただし、相手によって都合よく変えれば不正になる」


「そうですね」


「金を持つ者だけ簡単な手続きにしたり、知り合いだから条件を軽くしたりするのは駄目だ」


「はい」


「では、何を基準に分ける」


 悠斗は少し首を傾けた。


「それを決めるのがエリアスさんの仕事じゃないですか?」


 エリアスは眉を寄せた。


「随分簡単に押し返すな」


「俺が決めたらまずいでしょう」


「それはそうだ」


「でも、今までのやり方が、本当に規則の目的に合ってるか確かめることはできるんじゃないですか」


 その言葉には反論できなかった。


 エリアスは二皿を最後まで食べ、代金を払った。


 厚切りと薄切りでは、同じ王茸を使いながら、火を入れる時間も、切り方も、味付けも違っていた。それでも片方だけを特別扱いしたわけではなく、最終的に美味しく食べられる状態へするため、必要な方法を選んだだけである。


 料理を役所の制度へそのまま当てはめるほど単純ではない。


 それでも、自分が考え直すきっかけとしては十分だった。


          ◇


 翌朝、エリアスは通常より早く市政庁へ入り、過去三年間の特殊食材登録記録を棚から取り出した。


 大商会、中規模の卸売業者、個人商店、村の共同組合という形で申請者を分け、初回申請から実際の登録まで進んだ件数を確認する。これまでは一件ずつ個別案件として処理していた記録を、申請者の規模ごとにまとめて見るのは初めてだった。


 数字を出してみると、はっきりした差があった。


 大商会や中規模業者は、初回申請の大半が登録まで進んでいる。


 一方、小さな共同組合や個人採取者は、書類不備で止まる者、登録料を確認した段階で取り下げる者、運搬条件を満たせず断念する者が多く、正式登録まで到達する割合がかなり低かった。


 ラウルが出勤してくると、机いっぱいに広げた資料を見て驚いた。


「朝から何してるんだ?」


「小規模申請者の登録率を確認している」


「急にどうした」


「必要だと思った」


 午前中いっぱい調べると、さらに別の傾向も見えてきた。


 小規模生産者は初回登録まで進みにくいものの、一度登録した後の違反率が、大商会より特別高いわけではなかった。


 つまり、小規模だから安全管理ができないのではなく、正規市場へ入る最初の段階で脱落しやすい可能性がある。


          ◇


「ラウル」


「何だ」


「前に小規模試験販売と言っていたな」


「言ったけど、思いつきだぞ」


「なら、その思いつきを具体化する」


「何で俺まで」


「言い出した責任だ」


「そういうところは変わらないんだな」


 ラウルは苦笑しながらも、椅子を引いて隣へ座った。


 二人で条件を書き出していく。


 まず、安全検査の基準は下げない。


 王茸なら、採取地、混入、保存状態、表示内容の確認は通常登録と同じように行う。


 その一方で、初めて販売する生産者については、最初から大きな数量を扱わせず、販売量を一定以下へ限定する。


 初回登録料の全額を最初に徴収するのではなく、試験検査に必要な費用だけを先に納め、本登録へ進む場合には差額を支払う。


 販売先についても最初は無制限にせず、登録済みの料理店や小売商へ限定して、何か問題が起きた場合に追跡しやすくする。


 案を書きながら、ラウルが横目で見た。


「お前がこういう制度を考えるとは思わなかった」


「規則を緩めたいわけではない」


「分かってる」


「安全基準は同じにする」


「それ今日何回目だ」


「重要だからだ」


「じゃあ何を変えたいんだよ」


 エリアスは書きかけの紙を見ながら答えた。


「制度へ入るための入口だ」


          ◇


 午後になると、二人でまとめた案を上司へ持っていった。


 当然、その場で承認されるほど簡単ではなかった。


「制度を増やせば事務が増える」


 課長は最初にそこを指摘した。


「承知しています」


「試験販売を繰り返して、本登録料を払わずに済ませようとする者も出るだろう」


「同一採取者について年度内一回までに制限します」


「販売量をどう確認する?」


「北門の搬入記録と中央市場の販売記録を照合します」


「それで現場が回るのか」


「最初は三か月に限定し、対象も特殊菌類第二種の一部だけに絞ります」


 エリアスは準備してきた資料を机へ置いた。


 申請者の規模別登録率。


 申請取り下げの理由。


 無許可販売の発生件数。


 正式登録後の違反率。


 課長は、しばらく何も言わず数字を見ていた。


「なぜ急に、こんなものを調べた?」


「現行制度では、誰に対しても同じ基準と料金を課しています。その意味では形式上公平です」


「そうだな」


「ですが、小規模生産者ほど正規市場へ入る前に脱落しやすい傾向があります」


「だから負担を軽くする?」


「安全基準そのものは軽くしません。扱える販売量を限定したうえで同じ検査を行い、本登録へ進む前に小規模で試せる入口を作りたいと考えています」


「大商会から不公平だと言われたら?」


「同じ条件を満たせば、大商会でも利用できます。ただし試験販売の数量上限が低いため、大量流通を前提にする商会には通常登録の方が有利です」


 課長は少し考えた後、口元を緩めた。


「相手が農民か商人かではなく、取扱量と登録段階で分けるわけか」


「はい。それなら、誰に対しても同じ条件を説明できます」


          ◇


 案はそのまま通らず、法務部門からは制度上の例外規定を明確にするよう求められ、検査担当者からは月ごとの対応件数を増やせないと指摘され、料金管理を行う部署からも徴収方法が複雑すぎると修正を求められた。


 エリアスは、それを当然だと思った。


 一つの負担を軽くすれば、別の場所へ負担が移る。


 何かを変えるなら、その影響まで確認しなければならない。


 結局、三週間かけて案を修正した。


 試験販売量を当初案より減らし、検査日は月に二回だけ設定することで担当者の負担を抑え、試験料は本登録料から単純に差し引く方式にする。さらに、試験制度を利用して違反した場合には、一定期間本登録を申請できないという条件も加えた。


 何度も書き直した末、ようやく三か月限定の試験制度として承認された。


          ◇


 制度開始の対象として、最初に連絡を送ったのはミルダ村だった。


 数日後、以前窓口へ来たネラ・フィオスが再び市政庁へ現れた。


「ノルデンさん」


「フィオスさん」


「手紙をいただきました。本当に、少ない量から売れるようになったのですか?」


「試験制度ですので、通常登録とは条件が違います」


 エリアスは新しい書類を出した。


「安全検査は通常と同じ水準で行います。ただし、最初に販売できるのは二箱までで、登録費用も全額ではなく試験検査分だけを先に納めてもらいます」


「残りは?」


「本登録へ進む場合に差額を支払ってください」


「試してみて、村には合わないと思ったら?」


「本登録へ進まず終了できます。ただし、同じ採取者が何度も試験だけ利用することはできません」


 ネラは何度も書類を読み返した。


「私たちのために作ってくださったのですか?」


「あなた方だけのためではありません」


 エリアスは迷わず答えた。


「同じ条件に該当する生産者であれば、誰でも利用できます」


 その答えを聞き、ネラが少し笑った。


「ノルデンさんらしいですね」


「以前二度ほど会っただけでしょう」


「それでも分かります」


「それから一つ、勘違いしないでください。前回の無許可販売について科された罰金は、そのままです」


「分かっています」


「制度が利用しにくかったことと、規則を破って販売したことは別の問題です」


「村でも本人にはきつく言いました」


「それなら結構です」


 エリアスは、ようやく少しだけ表情を緩めた。


          ◇


 最初の試験販売では、ミルダ村から王茸二箱が持ち込まれた。


 毒茸の混入はなく、保存状態にも大きな問題はなかったが、一部の茸には土が多く残っており、販売先で洗浄が必要であることを表示するよう修正を求められた。


 ネラたちは、その条件を受け入れた。


 販売先は中央市場の小売店二軒と、事前登録された料理店三軒に限定された。


 二箱は数日で売れた。


 運搬費も検査料もあるため、莫大な利益が残ったわけではない。それでも、大商会へまとめて引き渡していた時より、村の手元へ残る金額は多かった。


 二回目には箱の詰め方を変え、移動中の傷みが減った。


 三回目の試験を終えたところで、ミルダ村は正式登録へ進むことを決めた。


 手続きの日、ネラが書類へ署名しながら言った。


「最初に銀貨十二枚って聞いた時、本当にもう無理だと思いました」


「金額そのものが間違っていたわけではありません」


「はい」


「本登録するなら、今も必要な総額は同じです」


「でも先に少し売って、続けられそうだって分かったので、今なら払えます」


「それが試験制度の目的です」


 ネラは少し考えた後、エリアスを見た。


「前は、同じ額だから公平だって言ってましたよね」


「言いました」


「今は違うんですか?」


「同じ基準で安全を確認することは、今でも必要だと思っています。ただし、同じ場所へ到達するための方法まで一つに固定する必要はない場合があると考えるようになりました」


「難しいですね」


「非常に難しいです」


 ネラは笑い、エリアスもわずかに笑った。


          ◇


 試験制度は、すべての申請者にとって都合のよい結果を生んだわけではなかった。


 別の村から持ち込まれた茸は保存状態が悪く、試験販売の段階で不合格になった。ある個人採取者は、二箱という数量制限では少なすぎるとして、最初から通常登録へ進むことを選んだ。


 逆に、試験制度だけを繰り返して手数料を減らそうとした商人も一人現れたが、過去の申請記録と照合したことで発覚し、規定通り利用資格を停止した。


 エリアスは、それらもすべて記録した。


 制度を利用しやすくすることと、好き勝手を認めることは違う。


 安全基準を守ることと、手続きの形を一つに固定することも違う。


 その境界を決めることこそ、今まで以上に役人の判断を必要とする仕事だった。


 以前より面倒になったと感じる日もある。


 それでも窓口で「この条件では難しい」と言われた時、規則の条文を読み上げるだけで終わらず、その規則が何を守るために存在するのかを一度確認する癖が、少しずつ身についていった。


          ◇


 一か月ほど経った頃、エリアスは勤務後に《持ち込み食堂》を再び訪れた。


 手には小さな籠を持っている。


「いらっしゃいませ」


 ミレイアがすぐに気づいた。


「あ、役所の人」


「その呼び方はやめてくれ」


「今日は王茸?」


「ああ」


 籠を開くと、大きさの異なる王茸が三本入っていた。


「ミルダ村のものだ」


「今度は押収品じゃない?」


「正式に金を払って買った」


 悠斗が笑った。


「じゃあ今日は普通のお客さんですね」


「最初から客だったはずだ」


「今日はどうします?」


 エリアスは三本を見た。


「三本とも、同じ料理にしてくれ」


 悠斗も茸を見る。


 一本はかなり大きい。


 一本は中くらい。


 最後の一本は小さい。


「本当に、全部同じ切り方と火入れで?」


 エリアスは言いかけた言葉を止め、少し考えてから答え直した。


「同じ料理になるように、必要なら扱いは変えてくれ」


 ミレイアが笑った。


「変わりましたね」


「何がだ」


「前だったら、全部同じ厚さに切って同じ時間焼けって言いそう」


「料理まで規則化する気はない」


「じゃあ大きい茸は?」


「厚く切るなら長めに火を入れろ」


「小さいのは?」


「焦がさない程度に早く上げればいい」


「ちゃんと言えるじゃないですか」


 エリアスは眼鏡を直した。


「うるさい」


          ◇


 悠斗は三本の王茸を、大きさに合わせて切り分けた。


 大きいものは厚めに切り、中くらいのものはそれより少し薄くし、小さいものは縦半分に切るだけにする。それぞれ鉄板へ置く時間をずらし、途中で状態を見ながら火から外す順番も変えた。


 最後には、すべてへ同じ香草油と乳酪を使って仕上げる。


 皿へ並べれば、一つ一つの形は違っている。


 それでも食べてみれば、全体として同じ料理にまとまっていた。


「どうです?」


 悠斗が尋ねる。


 エリアスは一つずつ味わってから答えた。


「前より分かる気がする」


「何が?」


「同じ結果を求めるからこそ、途中の扱いを変えることがある」


 ミレイアが頷いた。


「役所でも?」


「変えてはいけないところと、変えられるところを分ける」


「大変そうですね」


「以前より仕事は増えた」


「じゃあ嫌ですか?」


 エリアスは少し考えた。


「……以前よりは面白い」


 それは自分でも意外な答えだった。


          ◇


 翌朝になれば、また市政庁の窓口へ座る。


 規則をなくすつもりはない。


 申請書も必要で、検査も必要で、違反があれば処分する。誰かが貴族だから便宜を図ることも、大商会だから順番を早めることも、これからも認めるつもりはなかった。


 父から教わった「人を見て規則を変えるな」という言葉まで捨てる必要はない。


 ただ、その言葉を守ることと、すべての人へ同じ形の負担を与えることは、必ずしも同じではなかった。


 違いを誰かの好みや身分で決めれば不正になる。


 けれど、誰にでも説明できる条件を定め、その条件へ当てはまる者なら誰でも同じ方法を利用できるようにするなら、それもまた規則の一つになる。


 そこまで考えられるようになったことが、エリアスにとって一番大きな変化だった。


          ◇


 数日後、市政庁の窓口へ、若い女性が一人やって来た。


 山間部で乾燥果実を作っている小さな家族経営の加工所から来たという。


「初めて販売登録をしたいのですが」


「書類を見せてください」


 エリアスは受け取り、内容を順番に確認した。


 記載内容に大きな問題はない。


 ただし、採取地証明が一枚不足していた。


「採取地証明がありません」


 女性の表情が曇った。


「それ、村長の署名が必要なものですか?」


「はい」


「村まで戻ると二日かかります。今日中に全部出さないと駄目ですか?」


 以前のエリアスなら、その場で必要書類の名前を伝え、揃えてから再訪するよう求めただろう。


 今も証明そのものを省くことはできない。


 そこで規則書を開き、提出時期まで確認した。


 すると、採取地証明は販売開始までに原本を提出すればよく、初回申請時点では写しによる仮確認も認められているという補足規定があった。


「村に、証明の写しを持っている人はいますか?」


「兄が持っています」


「北門へ来る定期便で送ってもらえますか?」


「できます」


「では、今日の申請は仮受付にします。写しが届けば検査日を確定し、原本は販売開始までに提出してください」


 女性が驚いた顔をした。


「村へ戻らなくてもいいんですか?」


「必要な証明を省くわけではありません。規則上、提出する順序を変えられるだけです」


「ありがとうございます」


「礼を言われることではありません。規則の範囲内です」


 そこまで言ってから、エリアスは以前の自分なら、補足規定そのものを調べずに再訪を求めていたかもしれないと思った。


 規則を守るということは、最初に見つけた一つの手順へ全員を押し込むことではない。


 何を確認するための規則なのかを理解し、その目的を損なわない方法が他にも認められているなら、それを利用することも役人の仕事である。


 エリアスは仮受付の印を申請書へ押すと、次に待っていた申請者を呼び寄せた。以前と同じ灰青色の制服を着て、以前と同じ窓口へ座りながらも、誰に対しても同じ答えを返すだけではなく、誰に対しても同じように説明できる規則の使い方を探す役人として、その日の仕事を続けていった。


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