第46話 煮崩れた骨肉と、荒っぽく見られたくないオーク料理人
グルムが料理人になって十五年ほど経つが、人間の客へ自分の料理を出す時だけ、鍋の中身より先に、自分がオーク族であることをどう見られるか考えてしまう癖は、いまだに完全には抜けていなかった。
三十七歳になるグルムは、レーヴェン南区にある小さな食堂《深鍋亭》で働いているオーク族の料理人であり、深い緑褐色の肌と、人間より一回り大きな身体、下顎からわずかに覗く二本の牙を持っている。太い腕や厚い指だけを見れば、細かな包丁仕事より大鍋を持ち上げる方が似合うと思われがちだったが、実際には薄切りや飾り切りも得意であり、豆ほどの香草をほとんど同じ大きさに刻むことにも不自由はなかった。
オーク族の料理は、山間部や森林地帯で暮らす集落ごとにかなり違いがあるものの、グルムの故郷では骨付き肉や硬い根菜を大鍋へ入れ、長い時間をかけて煮込む料理が多かった。肉を骨から自然に外れるほど柔らかく煮ることも珍しくなく、皿へ美しく並べるより、鍋を食卓の中央へ置き、それぞれが欲しい部分を取り分ける食べ方の方が馴染み深かった。
グルム自身も子どもの頃からそうした料理が好きだったが、人間の街で料理人として働き始めてから、「オーク料理は何でも鍋へ放り込むだけだ」「味が濃くて肉ばかり食べる」「見た目が汚い」といった言葉を何度も耳にしたことで、人間の客へ料理を出す時には、故郷の料理から遠ざかることの方が、腕のいい料理人として認められる道なのだと思うようになっていた。
◇
「グルム、これ本当に今日のおすすめにするのか?」
《深鍋亭》の厨房で、店主のハドックが皿を見ながら尋ねた。
人間の男性であるハドックは五十歳を越えており、グルムがこの店へ入った七年前から、料理長と店主を兼ねている。
皿の上には、薄く切った山鳥の胸肉が三枚重ねられ、その横へ黄芋を滑らかに潰したものと、細かく刻んだ青葉菜が整然と盛られていた。
「何か変ですか」
「変じゃない。むしろ綺麗すぎる」
「綺麗なら問題ないでしょう」
「問題っていうより、お前が作る必要あるのかと思ってな」
グルムの眉が少し動いた。
「どういう意味です?」
「この料理なら俺でも作れる」
「俺が作ったら駄目なんですか」
「そう言ってないだろ」
ハドックは困ったように頭を掻いた。
◇
「昨日、骨角羊が入っただろ」
「入ってます」
「あれを煮込むんじゃなかったのか?」
「人間の客には受けないでしょう」
「何で決める」
「骨付き肉を大鍋で煮て、崩れた肉と根菜を一緒に出すんですよ。見た目が悪い」
「食ったことある客から文句出たのか?」
「出る前に分かります」
「俺は食ったぞ」
「店主は何でも食べるじゃないですか」
「料理屋の店主だからな」
ハドックは笑ったものの、グルムは笑わなかった。
◇
七年前、グルムが《深鍋亭》へ入ったばかりの頃、一度だけ故郷の煮込みを賄いとして作ったことがある。
骨角羊の肩肉と首肉を骨ごと鍋へ入れ、根玉葱、硬い黄根、白豆、それに香りの強い山香草を加え、半日近く煮込んだ料理だった。
肉は骨から自然に外れ、黄根の一部は煮崩れて汁へ溶け、見た目だけなら整っているとは言い難かったものの、店の従業員からはかなり評判がよかった。
翌日、余った分を常連客へ出したところ、一人の男が笑いながら「いかにもオークの飯だな」と言い、そのあとに「骨まで鍋に入れて、ぐちゃぐちゃになるまで煮るんだろ」と続けた。
その男に悪意があったのかどうか、今となっては分からないが、言われた時に感じた小さな引っかかりだけは、七年経ってもグルムの中へ残り続けていた。
◇
それ以降、人間の客へ出す料理では骨を徹底的に取り除き、肉の形を崩さず、野菜も大きさを揃えて切るようになった。
煮込みを作る場合でも、肉がほどける前に火を止め、皿の上で形が残ることを優先し、味についても故郷で好まれる強い山香草や燻香辛料は量を減らして、人間の料理へ近い塩加減へ整えた。
その結果、グルムの料理を「オーク料理らしくない」と褒める客が増えたため、最初の頃はその言葉を、自分の腕を認められた証拠だと思って素直に喜んでいた。
しかし最近では、その褒め言葉を聞くたびに、料理そのものではなく、オークらしくないことを評価されているような感覚が残るようになっていた。
◇
「今日、骨角羊は俺が煮るぞ」
ハドックが言った。
「店で出すんですか?」
「賄いだ」
「なら俺がやります」
「お前、作りたいんだろ」
「別に」
「昨日から三回倉庫見に行ってる奴が何言ってる」
グルムは答えなかった。
「賄いなら、好きに作れ」
「店主も食べる?」
「食う」
「形崩れますよ」
「煮込みなら崩れる時もある」
「脂も出る」
「すくえばいい」
「香草強いですよ」
「嫌なら減らす。俺が決める」
ハドックの言い方に、グルムは少しだけ眉を寄せた。
◇
「そういう言い方するなら作りますよ」
「作れ」
グルムは骨角羊の肩肉と首肉を大きく切り分け、骨を残したまま鍋へ入れた。
表面へ焼き色をつけてから水を加え、浮いてきた脂と灰汁を取り除き、根玉葱と黄根を大きめに切って加えていく。
故郷なら山香草をかなり多く入れるところだったが、いざ壺へ手を伸ばしたところで、人間の店の賄いなのだから少し減らした方がいいのではないかという考えが、無意識に浮かんで手が止まった。
「何で止まった」
横からハドックが尋ねた。
「香草」
「入れればいいだろ」
「多いと思います」
「お前はどうしたい」
「……故郷なら、もう少し入れる」
「じゃあそうしろ」
グルムは山香草を追加した。
◇
鍋は昼を過ぎても弱い火にかけ続けられ、肉の繊維が少しずつ柔らかくなるにつれて、黄根の角も崩れ始め、煮汁には自然なとろみがついていった。
午後の仕込みが一段落した頃、グルムが木杓子を入れると、肩肉の一部が骨から外れた。
「崩れた」
グルムが言った。
「煮えたんだろ」
「客に出すなら失敗です」
「賄いだ」
「そうだけど」
ハドックは鍋を覗いた。
「うまそうじゃないか」
「見た目悪いでしょう」
「鍋の中に見た目求めてどうする」
「料理屋の店主がそれ言います?」
「皿に盛る時は考えるが、全部を同じ形にする必要はない」
◇
夕方前、従業員たちが遅い賄いを取る時間になったため、グルムは大きめの深皿へ煮込みを盛った。
骨から外れた肉には形を保った部分と細くほぐれた部分が混ざり、黄根の一部は煮汁へ溶け込んでいるため、整然とした皿とは言い難かった。
「これこれ」
配膳係の女性が嬉しそうに言った。
「前に作ってくれたやつに似てる」
「覚えてたのか」
「七年前でしょう。美味しかったもの」
「見た目は?」
「煮込みの見た目なんてこんなもんじゃない?」
グルムは少し不満そうに彼女を見た。
「お前まで店主みたいなこと言うな」
「美味しいならいいじゃない」
◇
ハドックも一口食べ、ゆっくり頷いた。
「やっぱりうまいな」
「香草強くない?」
「俺にはちょうどいい」
「人間全員には?」
「知らん」
グルムは顔を上げた。
「知らないって」
「全員に同じ味が合うわけないだろ」
「でも店で出すなら、多くの客に食べてもらえないと意味ない」
「それはそうだが、多くに合わせることと、誰にも嫌われない味にすることは同じじゃない」
「じゃあこれ出せって?」
「そこまでは言ってない」
ハドックはもう一口食べた。
◇
「出すなら、客に説明すればいい。骨付きで長く煮て、肉が崩れる料理ですってな」
「それで『オーク料理はやっぱり雑だ』って言われたら?」
「言う奴はいるかもな」
「だから嫌なんです」
「料理が嫌なのか、言われるのが嫌なのか、どっちだ」
グルムはすぐに答えられなかった。
「料理は好きなんだろ」
「……好きですよ」
「なら、その料理を嫌いになる必要はない」
「簡単に言わないでください」
「簡単じゃないから、七年黙って見てた」
ハドックはそう言うと、食事を続けた。
◇
その日の営業が終わったあと、グルムは余った骨角羊の煮込みを小さな鍋へ移した。
「持って帰るのか?」
「明日食べます」
「家で?」
「どこでもいいでしょう」
そう答えたものの、自宅へ持ち帰って一人で食べる気にはなれなかった。
賄いで作った時には美味しいと思えたが、ハドックから店へ出す話をされたことで、七年前に言われた言葉がまた頭へ戻ってきている。
自分が本当にこの料理を客へ出したいのか、それとも故郷の料理を認めさせたいだけなのかについても、考えれば考えるほど分からなくなっていた。
そんなことを考えながら歩いているうちに、以前市場の商人から聞いた《持ち込み食堂》の看板が視界へ入った。
◇
「いらっしゃいませ」
ミレイアが迎えた。
「持ち込みって、調理済みでもいいのか」
「料理ですか?」
「煮込みだ」
「店主に確認しますね」
しばらくすると悠斗が出てきた。
「もう料理してあるんです?」
「そうだ。味を変えてほしいわけじゃない」
「じゃあ何を?」
「……食ってみてほしい」
悠斗は少し意外そうな顔をした。
「いいですけど」
「金は払う」
「味見だけならそんなにいらないです」
「料理人に料理見てもらうんだから払う」
「じゃあ、少しだけいただきます」
◇
温め直した煮込みを小皿へ取り、悠斗は最初に香りを確かめてから、肉と黄根を一緒に口へ入れた。
山香草の強い香りが最初に鼻へ抜け、そのあとから骨付き肉を長く煮た濃い旨味と、煮崩れた黄根の甘さが広がっていく。
「美味しいです」
悠斗が言った。
「本当に?」
「はい」
「形崩れてるぞ」
「煮込みなので」
グルムは少し目を細めた。
「それ、今日二人目に言われた」
「そうなんですか」
「もっと料理人らしい感想ないのか」
「じゃあ、香草はかなり強いですね。苦手な人はいると思います」
「やっぱり」
「でも好きな人もいると思います」
「それで?」
「それだけです」
◇
「もっと直すところとかないのか」
「料理として?」
「そうだ」
「俺が食べた感じだと、肉は柔らかいし、根菜も味が入ってます。塩も濃すぎないです」
「見た目」
「皿へどう盛るかなら変えられますけど、肉を崩さないよう作り直したら別の料理になると思います」
「別でいいんじゃないか」
「グルムさんは、それを作りたいんです?」
自分の名前をまだ伝えていなかったことに気づき、グルムは少し戸惑った。
「ああ、名前言ってなかったな。グルムだ」
「鏡悠斗です」
「知ってる。この店の店主だろ」
「そうです」
◇
「俺が何を作りたいかって?」
「はい」
「客に出せる料理だ」
「この煮込みは客に出せない?」
「見れば分かるだろ」
「俺は出してもいいと思いますけど」
「オーク料理を知らないから言えるんだ」
「知らないです」
悠斗はあっさり認めた。
「オーク料理って、これが普通なんです?」
「俺の故郷では似たものが多い。ほかの地方は知らん」
「じゃあ、これはグルムさんの故郷の料理?」
「そうだ」
「なら、俺がオーク料理全体について言えることはないですね」
「それでいいのか」
「知らないので」
グルムはしばらく黙った。
◇
「人間は、オーク料理って聞くと、雑だと思う奴がいる」
「そうなんですか」
「肉を大きく切って、大鍋で煮て、崩れたまま食うからな」
「グルムさんもそう思う?」
「昔は思ってなかった」
「今は?」
「……人間にそう見られるなら、店で出す料理には向かないと思ってる」
「人間向けに別の料理を作るのは嫌なんです?」
「嫌じゃない。俺は人間の料理も好きだし、覚えたくてこの街に来た」
「じゃあ、それはそれでいい?」
「いい」
「故郷の料理を出さないのも、グルムさんが選んでるならいいんじゃないですか」
「話終わらせるな」
「すみません」
◇
「ただ、出したいのに出せないなら、別の話かなと思って」
グルムは少し眉を寄せた。
「出したいと思ってるように見えるか」
「わざわざ鍋をここまで持ってきたので」
「……それは」
「嫌いな料理なら、人に食べてほしいとは思わないですよね」
グルムは小さな鍋へ視線を落とした。
「俺はこの料理が好きだ」
「はい」
「客にも食ってほしい」
「じゃあ出したいんですね」
「でも、これ出して『やっぱりオークは雑だ』って言われるのが嫌なんだよ」
「料理を嫌われるより?」
「料理が嫌いなら仕方ない。香草が強いとか、骨付きが食べにくいとか、それは味の話だろ」
「種族の話にされるのが嫌?」
「そうだ」
◇
グルムの声は、少しずつ低くなっていた。
「俺が包丁を細かく使えば、『オークなのに器用だ』と言われる。肉を綺麗に盛れば、『オーク料理っぽくない』って褒められる。褒めてるつもりなのは分かる」
「でも嬉しくない?」
「最初は嬉しかったよ」
「今は?」
「俺の料理がうまいんじゃなくて、オークらしくないから褒められてるみたいで嫌になってきた」
悠斗はすぐに返事をせず、煮込みをもう一口食べた。
「これ、手間かかってますよね」
「半日くらい」
「骨から味出す?」
「それもある。最初に焼いて、脂を取りながら煮る。香草も最初から全部入れるわけじゃない」
「雑ではないですね」
「見た目だけなら分からない」
◇
「説明したら駄目です?」
「何を」
「どう作ってるか」
「客に全部?」
「全部じゃなくても、骨付き肉と根菜を長く煮た故郷の料理です、くらいなら」
「それで偏見がなくなると思うか」
「思わないです」
グルムは少し意外そうに悠斗を見た。
「なくならないのか」
「料理一皿で、誰かが持ってる種族の考え方全部変えるのは無理だと思います」
「なら意味ないだろ」
「でも、食べた人がこの料理について判断する材料は増えるんじゃないですか」
「料理について」
「はい」
悠斗は小皿を置いた。
◇
「オーク料理だからうまいとか、オーク料理だから雑とかじゃなくて、この煮込みは好き、この香草は苦手って言ってもらえるところまでは、出してみないと分からないですよね」
「嫌な客が来たら?」
「来るかもしれません」
「『オークらしい雑な飯だ』って言われたら?」
「店の人なら、そういう言い方はやめてくださいって言えるんじゃないですか」
「味の文句は?」
「聞く」
「種族の文句は?」
「料理と関係ないなら聞かなくていいと思います」
グルムは少し黙った。
◇
「お前の店ならそうするのか」
「たぶん」
「客減るぞ」
「その人が二度と来ない可能性はありますね」
「平気なのか」
「店のルール次第です」
「俺の店じゃない」
「じゃあ店主さんと相談ですね」
「結局そこか」
「俺が勝手に決められないので」
悠斗の返事は、グルムが期待していたほど格好のいいものではなかったが、自分の店でもないのに「出せばいい」と簡単に言い切られるよりは、その方が信用できた。
◇
「この煮込み、何か変えたいところあります?」
悠斗が尋ねた。
「お前ならどうする」
「俺が店で出すなら、骨が混ざってることが分かるようにします」
「骨を抜く?」
「全部は抜かないです。大きい骨は残して、小さい欠片だけ確認する」
「なるほど」
「あと、初めて食べる人には香草を少し控えた版も作るかもしれません」
「それじゃ故郷の味じゃない」
「故郷の味として出すなら変えません」
「どっちだ」
「二種類あってもいいんじゃないですか」
グルムは顔をしかめた。
◇
「何でも二種類作ればいいって話じゃないだろ」
「そうですね」
「厨房の手間もある」
「じゃあ一種類」
「切り替え早いな」
「店の事情知らないので」
グルムは鼻から息を吐いた。
「でも、客に合わせて変えること自体は嫌じゃない」
「はい」
「俺は人間料理だって作る」
「じゃあ、故郷の味を残す時と変える時を、自分で決めたい?」
その言葉に、グルムは少しだけ目を細めた。
「たぶん、それだな」
◇
人間に受けるからという理由で変えること自体が嫌だったわけではなく、グルムは人間の香草も乳酪も好きであり、故郷にはなかった料理法を覚えることも楽しんでいた。
腹が立っていたのは、「オーク料理らしくない方が上等だ」と自分まで無意識に考え、料理として確かめる前から、故郷の味を店の外へ追い出していたことだった。
煮崩れた肉を残すか、形を保つよう火を止めるか、香草を強くするか、初めての客に合わせて軽くするかといった判断を、オークらしいと言われないためではなく、作りたい料理と食べてもらいたい相手に合わせて自分で決めることなら、これまで学んできた人間料理を捨てることにもならなかった。
◇
「一つ頼めるか」
グルムが言った。
「何です?」
「この煮込み、お前なら皿にどう盛る」
「料理自体は変えずに?」
「そうだ」
「じゃあやってみます」
悠斗は煮込みを温め直し、深めの皿へまず黄根と白豆を入れ、その上へ骨付き肉を一つ置いた。
周囲には自然にほぐれた肉を煮汁と一緒に注ぎ、最後に山香草を少量だけ散らしたため、整然と形を揃えた料理ではないものの、どこに骨付き肉があり、どこから食べればいいのかは分かりやすくなっていた。
「こんな感じです」
「ずいぶん普通だな」
「前にも誰かに言われました、それ」
「誰だ」
「石人の人です」
「何の話だ」
「何でもないです」
◇
グルムは皿を眺めた。
「料理は変わってないな」
「はい」
「少し見やすくなった」
「そうですね」
「こういうのもありか」
「グルムさんがよければ」
「何でも俺に返すな」
「作る人なので」
グルムはしばらく皿を眺めたあと、小さく頷いた。
「分かった。店主と話す」
「出す?」
「まだ決めてない」
「そうですか」
「でも、出さない理由を『オーク料理だから』にするのはやめる」
その言葉を口にすると、思っていたより気持ちが軽くなった。
◇
翌朝、《深鍋亭》へ入ったグルムは、仕込みを始める前にハドックへ声をかけた。
「昨日の煮込み」
「どうした」
「試しで店に出したい」
ハドックはすぐに笑わず、グルムの顔を見た。
「本気か?」
「本気だ」
「どんな形で」
「三日だけ。数量限定にする」
「値段は?」
「骨角羊の仕入れ考えたら、このくらい」
グルムは紙へ書いた金額を見せた。
「安くしないんだな」
「手間かかってるからな」
「それでいい」
ハドックは頷いた。
◇
「料理名は?」
「《骨角羊と黄根の山香草煮込み》」
「オーク風ってつけないのか」
「つけてもいいけど、それで珍しさだけで売るのは嫌だ」
「故郷の料理って説明は?」
「札に書く」
「何て?」
グルムは少し考えた。
《グルムの故郷で食べられている、骨付き肉と根菜を長時間煮込んだ料理。肉は骨から外れるほど柔らかく、山香草の香りは強めです》
「長いな」
「分かる方がいい」
「お前がいいならいい」
「それと、小さい骨がある可能性は説明する」
「当然だな」
◇
三日後、最初の試験提供が始まった。
昼の客が増える前に煮込みを十皿分だけ用意し、注文が入らなければ従業員の賄いへ回すつもりだったが、最初の一刻は誰も頼まなかった。
入口近くの札を読んでは、聞き慣れない料理名に首を傾げ、普段の鳥肉料理や豆煮込みを注文する客が多い。
「やっぱり駄目じゃないか」
グルムが呟いた。
「まだ一刻だぞ」
ハドックは気にしていなかった。
「十皿も作った」
「賄い増えるな」
「嬉しそうに言うな」
◇
最初に注文したのは、南門近くで荷運びをしている人間の男性だった。
「香草強めって、かなり強い?」
「人による」
グルムが答える。
「初めてなら半量にできる?」
以前なら、その頼みを「故郷の味を否定された」と受け取ったかもしれないが、今回は少し考えたあとで頷いた。
「できる。仕上げの香草を減らす」
「じゃあそれで」
煮込みそのものに入っている香草は変えられないが、最後へ加える量を少なくして出した。
客は一口食べ、しばらく噛んだ。
「肉、柔らかいな」
「長く煮てるから」
「骨から全部取れてくる」
「それが狙いだ」
◇
「うまいよ」
客は普通に言った。
グルムは返事が少し遅れた。
「……そうか」
「ただ、俺は香草これくらいでいい」
「分かった」
「次もこの量にできる?」
「言ってくれればな」
客はそのまま食事を続けた。
オーク料理について何か言われるのではないかと身構えていたグルムには、あまりにも普通のやり取りだった。
◇
二人目の客は、逆に香草を増やしてほしいと言った。
「これで強めなのか?」
「十分入ってる」
「もっといける」
「初めてだろ」
「香草好きなんだよ」
「知らんぞ」
「食べる俺が言ってる」
グルムは追加の香草を少し散らした。
食べた男は満足そうに頷いた。
「もっとあってもいいな」
「それ以上は自分で作れ」
「冷たいな」
「これ以上入れたら肉の味消える」
「料理人が言うなら従うよ」
男は笑った。
◇
四皿目を注文した客は、札を読みながらグルムを見た。
「これ、お前の故郷の飯?」
「そうだ」
「へえ。もっと肉の塊をそのまま焼くようなの想像してた」
グルムの背中が少し固くなった。
「何で」
「オークってそういうの好きなのかと思ってた」
「地方による。俺の故郷は煮込みが多い」
「そうなのか」
「肉だけでもない。豆も根菜も食う」
「知らなかった」
客はそれ以上決めつけるようなことを言わず、煮込みを注文した。
◇
食べ終えたあと、その客は皿を見ながら言った。
「俺、黄根が溶けすぎてるのはあんまり好きじゃないな」
「そうか」
「味は好きだけど、もう少し形ある方がいい」
「分かった」
「怒らないんだな」
「何で怒る」
「故郷の料理だから」
「お前の好みだろ」
「そうだけど」
グルムはそこで、自分でも少し驚いた。
客が料理そのものへ好みを言っただけなら、腹は立たないどころか、次に別の煮込みを作る時の参考にもなる。
嫌だったのは、料理を食べる前から種族の名前だけで評価を決められることであり、味を食べたうえで好みを言われることではなかった。
◇
初日の十皿は夕方前にすべて売れ、二日目には十二皿へ増やし、三日目には十五皿作った。
全員が絶賛したわけではなく、香草が強すぎると残した客もいれば、骨付き肉が食べにくいから次回は頼まないと言った客もいた一方で、煮崩れた黄根が汁へ溶けているのが好きだと言う客もおり、骨の周りの肉が一番うまいと喜ぶ者もいた。
グルムは一つずつ聞きながら、料理への感想と、自分がオークであることへの決めつけを、以前より明確に分けて受け取れるようになっていった。
◇
三日目の夕方、若い男性客が煮込みを注文した。
料理を運ぶと、男は皿を見て笑った。
「本当にぐちゃぐちゃだな。やっぱオークの飯ってこんな感じなんだ」
グルムの手が一瞬止まった。
七年前の記憶とよく似た言葉だった。
以前なら黙るか、料理そのものを出したことを後悔していただろうが、今回は皿を置いてから、男へ向き直った。
「この料理が好みじゃないなら別の料理へ替える」
「いや、まだ食ってないけど」
「なら食ってから味の話をしてくれ」
「え?」
「俺がオークだからって、他のオークの料理全部までこの皿で決めるな」
◇
厨房の近くにいたハドックが、こちらを見ていた。
グルムは続けた。
「俺の故郷にはこういう煮込みがある。それだけだ。別の地方には違う料理もあるし、同じ村でも作り方は家で違う」
「怒った?」
「少しな」
「悪かったよ」
男は素直に謝った。
「じゃあ食っていい?」
「そのために出した」
男は肉を一口食べた。
「……うまい」
「そうか」
「香草はちょっと強い」
「それは料理の感想だから聞く」
周囲で聞いていた客が何人か笑った。
◇
三日間の試験提供を終え、ハドックと売上を確認した。
「残すか?」
ハドックが尋ねる。
「毎日はやらない」
「何でだ」
「仕込みに半日かかる。ほかの料理まで遅れる」
「それはそうだな」
「週に二回ならできる」
「じゃあそうするか」
「それと、冬は黄根多めにしてもいい」
「春は?」
「豆を変える」
「人間向けに?」
ハドックがわざと尋ねた。
「季節向けだ」
グルムは答えた。
◇
「香草を減らした版は?」
「客が言えば仕上げだけ減らす。鍋の味までは変えない」
「それがお前の決め方か」
「今はな」
「気が変わったら?」
「その時変える」
「いいじゃないか」
ハドックは売上帳を閉じた。
「ずいぶん長かったな」
「何が」
「七年前の賄いからだよ」
「覚えてたのか」
「だから最初から出せって言ってた」
「言ってない」
「何回か遠回しに言った」
「遠回しじゃ分からん」
「お前も面倒な奴だな」
「オークだから?」
「グルムだからだ」
グルムは少し笑った。
◇
その週の休みの日、グルムは骨角羊の肩肉を少しだけ買い、《持ち込み食堂》を訪れた。
「また煮込み?」
悠斗が尋ねる。
「今日は別だ」
「どうするんです?」
「俺が料理するわけじゃない。お前に使ってほしい」
「肩肉?」
「骨付きだ」
「何か希望あります?」
「お前が作るならどうするか見たい」
「故郷風じゃなくていい?」
「いい」
以前なら、自分の食材を使う以上、故郷の味へ近づけてほしいと思ったかもしれないが、今は違う料理になること自体を嫌だとは思わなかった。
◇
悠斗は骨角羊の肩肉をそのまま長時間煮込まず、骨際へ包丁を入れて大きく二つに分け、表面を焼いてから根玉葱と豆と一緒に短めに煮た。
肉は柔らかくなっているものの完全には崩れず、骨から外しながら食べる仕上がりになっており、味付けには山香草を控えめにして、代わりに酸味のある果実を少し加えていた。
「《骨角羊と白豆の酸味煮》です」
グルムは一口食べた。
「俺のとは全然違うな」
「そうですね」
「でもうまい」
「よかったです」
「故郷じゃ作らない味だ」
「嫌です?」
「別に」
グルムはもう一口食べた。
◇
「これをオーク料理って出したら怒るけどな」
「俺の料理ですから」
「それならいい」
「グルムさんの煮込みは?」
「週二回の定番にした」
「売れてます?」
「そこそこ」
「よかったですね」
「嫌いな客もいるぞ」
「それも普通ですよね」
「今ならそう思える」
グルムは皿から骨付き肉を外した。
「前は、故郷の料理を一人に嫌われたら、オーク料理全部を否定されたみたいに思ってた」
「今は?」
「この客はこれが嫌い、で終わる」
◇
「逆も同じだな」
「逆?」
「一人にうまいって言われたからって、オーク料理全部が認められたわけじゃない」
「それはそうですね」
「お前、そこはもう少し喜べ」
「すみません」
「でも、その方がいい」
グルムは少し笑った。
「料理一皿で種族全部背負うなんて重すぎる」
「料理人一人の肩に載せるには大きすぎますね」
「俺の肩は人間より広いぞ」
「そういう話じゃないです」
「知ってる」
◇
食事を終える頃には、皿には骨だけが残った。
「店で新しい料理増やすんです?」
悠斗が尋ねた。
「増やす」
「故郷の?」
「それもあるし、人間料理も作る」
「両方?」
「俺が作りたいならな」
「いいですね」
「今度、人間の魚料理をオークの燻香辛料で作ってみる」
「それは気になります」
「オーク料理か人間料理か聞くなよ」
「じゃあ何料理?」
「グルムの料理だ」
悠斗は少しだけ笑った。
◇
《深鍋亭》では、それからも週に二度、骨角羊の煮込みが出るようになり、料理札から「試験提供」の文字が外されても、説明文だけは残された。
《グルムの故郷で食べられている、骨付き肉と根菜の長時間煮込み。山香草は強めです》
常連の中には毎週頼む者もいれば、一度食べて十分だと言う者もいたが、グルムはどちらの客にも同じように料理を出し、味についての感想ならきちんと聞いた。
香草の量や骨の大きさについて改善できる部分は直したものの、肉が骨から外れるまで煮ることや、黄根の一部を煮崩して汁へ溶かすところまでは変えなかった。
そこは、この料理で自分が残したい部分だったからである。
◇
ある昼、初めて店へ来たオーク族の旅人が料理札を見つけた。
「これ、どこの料理だ?」
「北西の森沿いだ」
「俺の村と全然違うな」
グルムが振り返る。
「お前のところは?」
「骨角羊なら焼く。煮るなら茸を入れる」
「山香草は?」
「そんなに使わん」
「同じオークでも違うな」
「当たり前だろ」
旅人は当然のように答えた。
グルムは一瞬黙ったあと、笑った。
「何だよ」
「いや。何でもない」
「煮込み一つ」
「香草強いぞ」
「札に書いてある」
「ならいい」
◇
料理を出すと、旅人は最初の一口で眉を上げた。
「本当に強いな」
「嫌か」
「いや。酒欲しくなる」
「昼だぞ」
「一杯だけ」
「勝手にしろ」
二人はそれ以上、オークらしさについて話さなかった。
◇
営業を終えたあと、グルムは翌日の仕込み表を書いていた。
明日は骨角羊の煮込みを出さない日であり、代わりに人間の川魚料理と豆の焼き物を予定していたため、その横へ来週試すつもりの新しい料理として、《川魚の燻香辛料焼き》と書き加えた。
故郷の香辛料を人間の街で馴染み深い魚へ合わせた料理であり、これを誰かがオーク料理と呼ぶのか、人間料理と呼ぶのかは、グルムにはもう大した問題ではなかった。
自分が故郷から覚えてきたものも、人間の街で覚えたものも、どちらかを捨てなければ料理人として認められないわけではない。
◇
ハドックが厨房を閉めながら、仕込み表を覗いた。
「また新しいのやるのか」
「試すだけだ」
「燻香辛料、強すぎるんじゃないか」
「魚に合わせて減らす」
「故郷の量じゃなくていいのか?」
「料理が違うんだから変える」
「前は変えるの嫌がってなかったか」
「変えろと言われたから変えるのと、自分で合うと思って変えるのは違う」
「面倒くさい理屈だな」
「料理人だからな」
「種族関係あるか?」
「ない」
グルムは即答した。
◇
翌日の朝、グルムは店の裏口から厨房へ入り、最初に川魚の状態を確認した。
脂の少ない白身だったため、燻香辛料をそのまま大量に使えば香りだけが勝ってしまうと判断し、故郷で肉へ使う量より大幅に減らしたうえで、代わりに根玉葱をゆっくり焼いて甘さを加え、果実酢も少し合わせることにした。
それは故郷の料理を人間へ合わせて薄めたものではなく、この魚を美味しく食べるために、グルム自身が必要だと考えて選んだ使い方だった。
隣では週末に出す骨角羊の煮込み用として大きな鍋が洗われており、その二つが同じ厨房に並んでいることを、以前のようにどちらかが間違っているとは思わなくなっていた。
◇
グルムは魚へ香辛料を振りながら、自分がオーク族であることを隠したいとは一度も思っていなかったのだと、今ではよく分かっていた。
嫌だったのは、オークだというだけで料理の出来まで先に決められ、その決めつけを否定するために、自分まで「オークらしくない料理」の方が優れていると思い込んでしまったことだった。
骨付き肉を長く煮込み、形が崩れるまで柔らかくする料理も、薄く切った肉を整えて盛る料理も、どちらか一方だけが料理人らしいわけではなく、故郷の味を残すことと、新しい土地の食材に合わせて変えることも、本来なら対立するものではない。
グルムは焼け始めた川魚の香りを確かめ、燻香辛料をもう少し加えるべきか一度考えてから、今の量で十分だと判断した。
誰かが思い描く「オークらしさ」から遠ざかるためでも、逆に故郷らしさを証明するためでもなく、今日使う食材へ自分が最も合うと思った味を選ぶ料理人として、グルムはその日の最初の一皿を仕上げていった。
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