第45話 濃すぎる花蜜と、大人に見られたい妖精の採蜜師
フィーネがレーヴェンへ来てから最も腹を立てた言葉は、「小さいのに偉いね」でも、「お菓子をあげようか」でもなく、宿の主人から悪意なく言われた「お嬢ちゃん一人で旅してるのかい?」という一言だった。
妖精族の採蜜師であるフィーネは、人間の年齢へ換算すれば十九歳ほどの女性であり、淡い金色の髪を肩まで伸ばし、背中には薄緑色の半透明な翅が四枚ある。身長は人間の成人男性の膝より少し高い程度しかなく、華奢な腕や丸みの残る顔立ちもあって、人間から見れば幼い子どものように見えることが多かったが、故郷ではすでに独立した採蜜師として三年働いており、一人で森へ入り、危険な魔花から蜜を集め、商人との価格交渉まで自分で行っていた。
妖精族は身体が小さいため、一度に食べられる量も人間よりかなり少なく、その代わり糖分や魔力を多く含む花蜜、木の実、果実などから効率よくエネルギーを取る身体を持っているが、甘いものしか食べないわけではなく、肉も魚も野菜も普通に食べる。ただし、必要な量や味付けの濃さは人間と異なるため、人間の食卓へそのまま合わせれば、食べきれないことも珍しくなかった。
フィーネ自身、それを恥ずかしいと思ったことは故郷にいた頃には一度もなかったものの、人間の街へ旅に出てからは、小さな皿を頼むたびに子ども扱いされ、料理を残せば「好き嫌いは駄目だよ」と笑われることが続いたため、いつしか人間と同じ量を食べることが、自分が大人だと認めてもらうための一つの方法になっていた。
◇
「フィーネさん、本当にこれ全部食べるの?」
中央市場の露店で昼食を注文した時、顔馴染みになった店主の女性が尋ねた。
卓へ置かれたのは、大きな平焼きパンに焼いた鳥肉、豆、根玉葱を挟み、濃い乳酪のソースをかけた料理であり、人間の荷運び人でも十分腹が膨れる量があった。
「食べるよ」
「昨日も半分くらいで苦しそうだったじゃない」
「昨日は朝ご飯食べてたから」
「今日は?」
「食べてない」
フィーネが答えると、店主はさらに心配そうな顔をした。
「だからって朝抜いて昼をたくさん食べるの、身体にいいの?」
「私もう子どもじゃないから、自分で決められるよ」
「子ども扱いしたつもりじゃないんだけど」
「だったら普通に出して」
「分かったよ」
店主はそれ以上言わず、別の客へ向かった。
◇
フィーネは両手で平焼きパンを持ち、一口ずつ食べ始めたが、味そのものには何の不満もなかった。焼いた鳥肉には香ばしさがあり、豆のほのかな甘さと乳酪の塩気もよく合っているため、空腹であれば素直に美味しいと思える料理だった。
しかし三分の一ほど食べたところで、すでに腹はかなり満たされていた。
妖精族の故郷であれば、そこで残りを包んでもらうか、最初から小さな量を注文するところだったが、周囲には人間の客が何人もおり、自分の皿だけが大量に残っていれば、また誰かから「小さいから仕方ない」と言われるような気がした。
フィーネは少し休み、水を飲んでから、腹の重さを無視するように再び食べ始めた。
◇
「無理してない?」
向かいの席に座っていた行商人の男が声をかけた。
「してないよ」
「顔色悪くないか」
「平気」
「妖精ってそんなに食べるんだな」
その言葉を聞いた瞬間、フィーネは食べる手を止めた。
「何で?」
「いや、身体小さいから、もっと少ないと思ってた」
「食べる妖精だっているよ」
「そうなのか」
「人間だって全員同じ量じゃないでしょ」
「まあ、そうだな」
男は悪気なく頷いた。
フィーネはそのまま残りへ手を伸ばしたが、口へ入れる前から胃の辺りが重くなっていることには気づいていた。
◇
結局、皿には四分の一ほど残り、フィーネは店主へ包んでもらって代金を払ったものの、宿へ戻る途中で腹が痛くなり、道端の石段へ腰を下ろすことになった。
「……やっぱり食べすぎた」
自分しか聞いていないのを確かめてから、小さく呟いた。
故郷の姉が見ていれば間違いなく呆れられるだろうし、人間に大人だと認めてもらうために、人間の成人と同じ量を食べて腹を痛めるなど、自分でも馬鹿らしいと思う。
それでも次の店へ入れば、また同じことをしてしまう気がした。
◇
フィーネがレーヴェンへ来た本来の目的は、食べる量を競うことではなく、森に咲く魔力を帯びた花から蜜を採取し、薬師や菓子職人、飲料商へ卸す採蜜師として、故郷から持ち込んだ商品が内陸でも売れるか確かめることだった。
その中でも最も扱いに困っているのが、《月蜜花》から採った濃縮蜜だった。
月蜜花は夜にだけ青白い花を開く魔花であり、通常の花蜜より糖分と魔力がはるかに濃く、妖精族の間では水や果汁へ数滴混ぜて飲むことが多い。人間でも口にできるものの、妖精族と同じ感覚で使えば甘すぎるため、人間向けにはかなり薄める必要があった。
ところが市場では、試食した菓子職人から「甘すぎて使いにくい」と言われ、飲料商からも「一滴の量が安定しないから商品にしづらい」と断られており、珍しさだけでは商品にならないことを思い知らされていた。
◇
「人間向けに薄めて売ったら?」
宿で同室になった旅商人の女性から言われたこともある。
「薄めたら月蜜花の価値が下がるでしょう」
「でも使えなかったら売れないじゃない」
「使い方を知らないだけだよ」
「なら教えればいい」
「説明してる」
「それでも買わないなら、向こうが使いやすい形にした方がいいんじゃない?」
フィーネはその意見が間違っているとは思わなかったが、妖精族が何世代もかけて濃い状態で保存してきた蜜を、人間が使いやすいという理由だけで最初から薄めて売ることにはどこか抵抗があり、素直に受け入れることもできなかった。
◇
翌日、フィーネは再び中央市場を回り、月蜜花の蜜を扱ってくれそうな店を探した。
小さな瓶の中には透明に近い青銀色の蜜が入っており、光へ透かすと細かな粒が星のようにきらめいて見えるため、珍しい品として興味を持つ者は多かった。
「綺麗ねえ」
果実酒を売っている女性商人が瓶を持ち上げた。
「一滴だけ水に入れてみて」
「一滴?」
「本当に一滴でいいよ」
フィーネが念を押したものの、商人は人間用の小さな匙へ半分ほど蜜を取り、杯の水へ入れようとした。
「そんなに入れたら多い!」
「これくらいで?」
「多いよ!」
フィーネが止めるより先に、蜜は水へ溶けてしまった。
◇
商人が一口飲むとすぐに眉を寄せた。
「甘っ」
「だから多いって言ったでしょ」
「一滴って、本当に一滴なのね」
「そうだよ」
「こんなの扱いづらくない?」
「妖精族は普通に使ってる」
「妖精族の匙ってどれくらい?」
フィーネは自分の腰袋から小さな金属匙を取り出した。
人間の小指の爪よりさらに小さく、一杯すくっても人間用の匙の数分の一しか入らない。
「それを基準にしてるの?」
「そう」
「じゃあ人間には分かりにくいよ」
「一滴って言えば分かるでしょう」
「毎回瓶から一滴だけ落とすのも難しいわよ」
商人の指摘に、フィーネは黙った。
◇
「量を測れる道具つけたら?」
「道具?」
「細い注ぎ口とか、小さい匙とか。蜜は面白いけど、使うたび失敗するなら買いにくいもの」
「味が悪いわけじゃない?」
「薄くしたら美味しいと思う。でも今のままだと怖いわね」
商人は瓶を返した。
「試し用の小瓶と専用匙があれば、一つくらい置いてもいいかも」
「本当?」
「使い方が分かればね」
フィーネはすぐに帳面へ書き留め、初めて完全には断られなかったことを嬉しく思う一方で、人間の側に合わせた道具を用意するという発想については、まだ少し複雑な気持ちが残った。
◇
市場を出たところで、フィーネはまた腹の重さを感じた。
昨日食べすぎた影響がまだ残っているらしく、朝はほとんど食欲がなかったものの、昼まで抜けば身体がもたないため、何か少しは食べる必要がある。
ところが市場の料理店へ入れば、また人間用の大きな皿が出てくるのではないかと思うと気が重かった。
そんな時、以前月蜜花を見せた薬師から聞いた《持ち込み食堂》のことを思い出し、「変わった食材でも相談できる」という話だったため、月蜜花の蜜の使い方を試すついでに、自分の昼食も頼めるかもしれないと考えて西区へ向かった。
◇
《持ち込み食堂》の扉は、フィーネの身体にはかなり大きく、取っ手へ手が届かないほどではないものの、重い扉を引くには全身を使う必要があった。
背中の翅を広げ、少し浮き上がって取っ手へ両手を掛けようとしたところで、内側から扉が開いた。
「危なっ」
出ようとしていたミレイアが慌てて止まった。
フィーネは翅を震わせて後ろへ下がった。
「ご、ごめんなさい!」
「こっちこそ急に開けてごめん」
ミレイアはフィーネを見て一瞬だけ目を丸くしたものの、年齢について決めつけるような言葉は口にしなかった。
「お客様ですか?」
「そうだけど」
「どうぞ。扉、押さえますね」
それ以上、子どもかどうかを尋ねられなかったことに、フィーネは少し意外な気持ちで店へ入った。
◇
「持ち込みしたいんだけど」
「はい。何をお持ちですか?」
「月蜜花の蜜」
フィーネは小瓶を取り出した。
ちょうど厨房から出てきた悠斗が受け取り、光へ透かした。
「綺麗ですね」
「すごく甘いから、絶対そのまま舐めないで」
「どのくらい?」
「人間の匙一杯なんか入れたら、しばらく甘いもの見たくなくなると思う」
「かなりですね」
「一滴から試して」
「分かりました」
悠斗は素直に小さな皿へ水を用意した。
◇
問題は一滴だけ取り出す方法であり、瓶を傾ければ粘りの強い蜜がまとまって落ちる可能性があった。
「いつもどうしてます?」
「これ」
フィーネは自分の小さな匙を出した。
「小さいですね」
「妖精用だから」
「これ一杯で?」
「水ならこの杯の半分くらいに十分」
悠斗は人間用の杯と妖精用の匙を見比べた。
「じゃあ、人間が使うなら量を測れるものが必要ですね」
「市場でも言われた」
「細い棒につけるとか?」
「棒?」
「先に少しだけ蜜をつけて、それを水へ溶かす」
「できるかな」
「試します」
◇
悠斗は細い木串の先を蜜へほんの少し触れさせ、それを水へ入れて混ぜた。
フィーネが味を見てから首を横へ振った。
「まだ薄い」
もう一度同じ量を加える。
「今くらい」
悠斗も少量を口へ含むと、柔らかな花の香りが広がったあと、強すぎない甘さと、ごくわずかな清涼感が舌へ残った。
「美味しいですね」
「でしょ」
「これなら飲み物に使えそうです」
「でも毎回串使う?」
「売るなら専用の棒をつける方法もあるかもしれないですね」
「匙より作りやすい?」
「細い木なら安いと思います」
フィーネはすぐに帳面を取り出した。
◇
「料理にも使えます?」
「やってみます。ただ、味が強いなら少量ずつですね」
「絶対少しずつ」
「分かってます」
悠斗は鳥肉を小さく切って根玉葱と一緒に焼き、月蜜花の蜜を直接かけるのではなく、水でかなり薄めたものを少量だけ加え、塩と酸味のある果汁を合わせていった。
甘さだけを強くしないよう慎重に調整すると、月蜜花の香りが肉へ薄くまとい、果汁の酸味と塩気の後ろに花の甘さが残る仕上がりになった。
「《鳥肉の月蜜花焼き》です」
悠斗は普通の皿を出しかけたところで、一度フィーネを見た。
「量、どれくらい食べます?」
フィーネは一瞬答えられなかった。
◇
「普通でいいよ」
「普通って、どのくらいです?」
「人間の一人分」
「多くないです?」
「食べられる」
「昨日から何食べました?」
「何で?」
「量を決める参考にしたいので」
フィーネは少し眉を寄せた。
「私が妖精だから少なくするの?」
「フィーネさんがどれくらい食べたいか分からないから聞いてます」
「人間には聞かないでしょ」
「初めての人には聞くことありますよ。特に持ち込み料理は量が分からないので」
「……本当に?」
「はい」
悠斗は不思議そうに答えた。
◇
フィーネは昨日の昼食を思い出し、腹が痛くなるまで人間と同じ量を食べたせいで、今朝もまだ食欲が戻っていなかったことを認めざるを得なかった。
「……小さいのでいい」
「どのくらい?」
「その鳥肉、三切れくらい」
「黄芋か豆、つけます?」
「豆少し」
「分かりました」
悠斗はそれ以上何も言わず、小さな器へ料理を盛った。
器そのものは人間用の取り皿だったが、フィーネにとっては十分な大きさがあり、鳥肉三切れと豆を少し食べれば、今の腹にはちょうどよさそうだった。
◇
「子どもみたいな皿って思わない?」
食べ始める前に、フィーネが尋ねた。
「思わないです」
「何で?」
「注文された量なので」
「妖精だから少ないって思わない?」
「妖精の人がどのくらい食べるのか知らないので」
「人間より少ないよ」
「そうなんですね」
「それだけ?」
「はい」
フィーネは拍子抜けしたように悠斗を見た。
「普通、もっと驚くよ」
「何に?」
「こんなに少なくて足りるのかとか」
「足りなかったら追加してください」
「簡単だね」
「料理屋なので」
◇
フィーネは鳥肉を一口食べた。
月蜜花の蜜は確かに入っているものの、甘い料理というほどではなく、鳥肉の塩気と果汁の酸味のあとへ、花の香りがふわりと残った。
「美味しい」
「蜜の量、これくらいなら大丈夫?」
「うん。むしろもう少し少なくてもいいかも」
「じゃあ次は減らせます」
「人間向けなら?」
「好みによると思います。ただ、甘い肉が苦手な人もいるので、香りが分かるくらいでも十分かもしれません」
「人間用って一つじゃないんだ」
「もちろん」
「でも妖精用って言うと、みんな一つだと思う」
「フィーネさんも、人間用を一つだと思ってません?」
悠斗が言った。
◇
「どういう意味?」
「さっき、人間の一人分って言いましたよね」
「言ったけど」
「人間でも食べる量、かなり違いますよ」
フィーネは黙った。
「大きい人でも少食な人いるし、小柄でもよく食べる人います。俺も店で出す時はある程度の基準を作りますけど、それが全員にちょうどいいわけじゃないです」
「でも、私が少なく頼むと子ども扱いされるんだよ」
「そうなんですか」
「『それだけでいいの?』とか、『もっと食べないと大きくなれないよ』とか言われる」
「それは嫌ですね」
「だから人間と同じ量頼むようになった」
「食べられるんです?」
フィーネは視線を逸らした。
◇
「昨日、ちょっと腹痛くなった」
「じゃあ合ってないんじゃないですか」
「分かってるよ」
「何で続けるんです?」
「大人に見られたいから」
言葉にしてしまうと予想以上に子どもっぽい理由に聞こえ、フィーネは少し不機嫌になった。
「笑わないの?」
「笑うところですか?」
「十九にもなって、食べる量で大人に見せようとしてるんだよ」
「十九なんですね」
「そこから?」
「年齢知らなかったので」
「十九くらい。妖精の数え方だと二十三巡だけど、人間なら十九くらいって言われる」
「じゃあ成人?」
「とっくに」
「なら大人なんですね」
悠斗は普通に答えた。
◇
「見た目で子どもだと思わなかった?」
「小さいなとは思いました」
「それだけ?」
「翅あるなとも思いました」
「何それ」
「妖精の人、初めてなので」
フィーネは少し笑った。
「でも、最初に年齢聞かなかったでしょ」
「料理するのに必要なかったので」
「酒なら?」
「年齢確認します」
「それはするんだ」
「必要なので」
悠斗の基準は単純であり、フィーネにはその単純さが少し心地よかった。
◇
「小さいって言われるのも嫌なんです?」
「小さいのは事実だから、それ自体は別にいいよ」
「じゃあ何が嫌?」
「小さいから子どもだって決められるのが嫌。仕事の話してるのに、親はどこって聞かれたり、値段交渉してるのに『大人呼んでおいで』って言われたりする」
「それは困りますね」
「だから、人間と同じ量食べたり、人間用の大きい杯使ったり、大人っぽく見えるようにしてる」
「効果あります?」
「……あんまりない」
「腹痛くなるだけ?」
「今の言い方腹立つ」
「すみません」
悠斗は素直に謝った。
◇
「でも、本当に大人として扱ってほしいなら、食事の量より仕事の方を見せた方が早くないですか」
「仕事?」
「月蜜花の蜜、フィーネさんが採ったんですよね」
「そうだよ」
「危ない花?」
「夜しか咲かないし、蜜を吸いに来る《灯翅蛾》に触ると痺れるから、採るの難しいよ」
「それを一人で?」
「もちろん」
「じゃあ、それを説明した方が大人っぽく見えません?」
「大人っぽいっていうか、採蜜師なんだけど」
「その方が伝わりそうです」
フィーネは少し考えた。
◇
これまでフィーネは、仕事を見せる前に見た目で子ども扱いされることへ腹を立て、その扱いを否定するために人間と同じことをしようとしてきた。
人間用の椅子へ無理に座り、人間用の大きな杯を両手で持ち、人間と同じ量の料理を頼むことで、一時的に驚かれることはあっても、相手がフィーネを一人の採蜜師として見るようになったわけではなかった。
「大人って、同じ量食べる人のことじゃないですよね」
悠斗が言った。
「分かってるよ」
「なら、無理しなくてもいいんじゃないですか」
「簡単に言うね」
「俺は見た目で困ったことないので、簡単にしか言えないです」
「そこは分かってるんだ」
「はい」
◇
「じゃあ、店でどうしたらいいと思う?」
「何がです?」
「私みたいなのが来た時」
「量?」
「うん」
「どれくらい食べますかって聞く」
「人間にも?」
「必要なら」
「それだけ?」
「それ以上あります?」
フィーネはしばらく考えた。
「小さい皿を出す時に、子ども用って言わない」
「分かりました」
「あと、甘いものだけ出さない」
「はい」
「妖精だから花蜜好きでしょって決めつけない」
「今、月蜜花持ってきてるのに?」
「今日は私が持ってきたからいいの」
「なるほど」
悠斗は頷いた。
◇
食事を終えた時、フィーネの腹にはまだ少し余裕が残っており、いつものように苦しくなるまで詰め込んでいないため、食後に身体が重くなる感覚もなかった。
「もう少し食べます?」
悠斗が尋ねた。
「豆を少しだけ」
「はい」
追加されたのは、本当に小さな一匙分だった。
フィーネはそれを食べ終えると、水を少し飲んだ。
「ちょうどいい」
「ならよかったです」
「これだけでいいんだ」
「何がです?」
「食べたい量だけ頼むの」
「普通じゃないですか」
「私には最近、普通じゃなかった」
◇
帰る前に、フィーネは月蜜花の蜜について悠斗ともう少し相談し、人間用の小瓶へ細い木の計量棒を一本つけ、棒の先へ蜜を一度だけ付着させれば、人間用の杯一杯に対しておおよその適量になるよう試してみることにした。
さらに説明札には、「妖精用匙一杯」ではなく、人間が実際に使える単位で書くことにした。
《水一杯に対し、計量棒の先へ蜜を薄く一度つけて溶かす。甘さを見て少量ずつ追加する》
フィーネはその文章を書きながら、少し複雑な気分になった。
「これって、人間に合わせすぎじゃない?」
「レーヴェンで売るなら、分かりやすい方がいいと思います」
「妖精の使い方じゃなくなる」
「蜜そのものは変えてないですよ」
◇
「でも道具は変わる」
「使う人が違うので」
「味も?」
「人間向けに少し薄くするかもしれない」
「それでも月蜜花?」
「月蜜花の蜜ですよね」
「そうだけど」
「フィーネさんが人間より少ない量を食べても、フィーネさんが子どもになるわけじゃないのと同じじゃないですか」
フィーネは顔を上げた。
「そこ繋げる?」
「変でした?」
「ちょっと強引」
「すみません」
「でも、分からなくはない」
フィーネは瓶を見た。
◇
妖精族の身体に合う量と、人間の身体に合う量が違うのなら、同じ蜜でも使い方が変わるのは当然なのかもしれない。
それを人間へ合わせたから偽物になると考えるのは、自分が人間と同じ量を食べなければ大人に見えないと思っていたことと、どこか似ている。
同じであることが対等であることとは限らず、量や道具が違っていても、その違いを理由に子ども扱いされたり、価値を低く決められたりしなければいい。
フィーネは帳面の横へ、《人間向け計量棒を試作》と新しく書き込んだ。
◇
三日後、フィーネは市場の木工職人へ細い棒を二十本作ってもらった。
棒の先端には浅い溝を一つだけ彫り、そこへ付着する蜜の量がなるべく一定になるよう調整しているため、完全に同じ量にはならないものの、瓶から直接一滴落とすよりは失敗が少ない。
以前話した果実酒の商人へ持っていくと、女性は興味深そうに棒を見た。
「これで量るの?」
「先を蜜につけて、水か果汁へ溶かす。最初は一回だけ」
「試していい?」
「いいよ」
商人は言われた通りに使った。
◇
今度は前回のような強烈な甘さにはならず、果汁の酸味の後ろへ花の香りが残った。
「これなら分かりやすいわ」
「でしょう?」
「小瓶三つだけ置いてみる?」
「本当?」
「売れるかは分からないけど、説明はしやすくなった」
「三つでいい」
フィーネは価格を伝えた。
商人は少し考えてから、いつもの商売人の顔になる。
「もう少し安くならない?」
「ならない」
「三つ買うのよ?」
「三つでも採る手間は同じだから」
「そこは子どもみたいに可愛く負けてくれない?」
フィーネの表情が止まった。
◇
「今、それ本気で言った?」
声が低くなったため、商人もすぐに気づいた。
「あ、ごめん。冗談のつもりだった」
「私は採蜜師として売りに来てる」
「悪かったわ。値段はそのままでいい」
「本当に?」
「本当に。さっきのは私が悪い」
以前のフィーネなら、怒って商談そのものを打ち切るか、大人だと認めさせるために必要以上に強く言い返していたかもしれないが、今回は相手が謝ったことを確認したうえで、そのまま商売の話へ戻した。
「じゃあ三つ。売れたら次は五つ持ってくる」
「分かった」
◇
「ところで、本当に十九なの?」
商人が尋ねた。
「人間換算ならそのくらい」
「妖精って分かりにくいわね」
「人間も妖精から見たら分かりにくいよ」
「そうなの?」
「三十と四十、見ただけじゃ分からない人いる」
「それはそうね」
「だから年齢必要なら聞けばいい」
「今後そうするわ」
「お菓子はくれてもいいけど」
「好きなの?」
「甘くない焼き菓子なら」
「妖精なのに?」
商人は言いかけて、自分で口を閉じた。
「今のは忘れて」
「学んだね」
二人は笑った。
◇
月蜜花の蜜は、最初の三瓶がすぐに売り切れたわけではなく、一瓶目を買ったのは香りの違う果実水を作るのが趣味だという女性であり、二瓶目は菓子職人が試作用に持っていった。
三瓶目が売れるまでにはさらに数日かかったものの、最初の客がもう一度店へ来て、同じ蜜がまだあるか尋ねた。
「どう使ったの?」
たまたま店へ来ていたフィーネが聞く。
「水に入れたあと、薄切りの酸実を浮かべたの。香りがよかったわ」
「棒、一回?」
「私は二回が好き」
「じゃあ、それも書いていい?」
「何を?」
「好みで二回って」
「もちろん」
フィーネは帳面を出した。
◇
その後、説明札には《まず計量棒一回分を溶かし、好みで追加》と書き直した。
妖精族が決めた量を人間へそのまま押しつけるのではなく、人間の中でも好みが違うことを前提にするようになり、フィーネ自身が「人間の一人分」という言葉へ縛られていた頃には、そんな当たり前の違いさえ考えていなかったことへ気づいた。
市場での昼食も変わった。
いつもの露店へ行き、店主の女性へ初めて自分から量を指定した。
「鳥肉の平焼き、四分の一くらいにできる?」
「できるよ」
「値段もその分で」
「もちろん」
「子ども用じゃないからね」
「分かってるって」
◇
店主は人間用の平焼きパンを四分の一に切り、鳥肉と豆を少量だけ挟んだ。
「少なすぎない?」
隣の客が何気なく言った。
以前なら、フィーネはそこで意地になって追加注文していたかもしれない。
「私にはこれで昼一食分」
「そうなのか」
「妖精は身体小さいからね」
「便利だな。食費安そう」
「月蜜花の採蜜道具は人間用より高いけどね」
「結局同じか」
「たぶん」
会話はそれだけで終わり、フィーネが腹を痛めることもなかった。
◇
一週間後、フィーネは残りの滞在を終える前に《持ち込み食堂》へ立ち寄った。
「売れました?」
悠斗が尋ねる。
「三瓶全部。次は五瓶置いてもらう」
「計量棒は?」
「評判いいよ。菓子職人は棒じゃ足りないから専用匙欲しいって言ってたけど」
「使う量が違うんですね」
「そう。飲み物と菓子でも違うし、人によっても違う」
「じゃあ増えそうですね、道具」
「面倒だけどね」
そう言いながらも、フィーネの声には嫌そうな響きがなかった。
◇
「今日は何を食べます?」
「鳥肉少しと、黄芋一切れ。それと何か野菜」
「それで足ります?」
「足りなかったら追加する」
「分かりました」
悠斗はすぐに厨房へ戻った。
以前のフィーネなら、量を確認された時点で「もっと食べられる」と反射的に答えていただろうが、今は自分の腹がどのくらい空いているかを確かめ、食べたい量をそのまま伝えられるため、それだけのことでも食事の前から身体が楽だった。
◇
出てきたのは、薄く焼いた鳥肉に黄芋と青葉菜を添えた小さな一皿であり、味付けには月蜜花を使わず、塩と果実酢だけが使われていた。
「今日は蜜なし?」
「毎回使わなくてもいいかなと思って」
「正解」
「持ってきた本人なのに?」
「私だって毎食花蜜食べるわけじゃないよ」
「覚えました」
フィーネは満足そうに鳥肉を食べた。
◇
「レーヴェン出たら、次はどこへ?」
「東の薬草都市。月蜜花を薬用にも売れるか見てくる」
「また子どもに間違われるかもしれませんね」
「間違われると思う」
「どうします?」
「必要なら年齢言うし、商売なら採蜜師だって言う。それでも話聞かないなら別の店に行く」
「人間と同じ量食べる?」
「食べない」
「大きい杯は?」
「持ちにくいから小さいの頼む」
「甘いお菓子は?」
「欲しかったら食べる」
「いらなかったら?」
「断る」
フィーネは迷うことなく答えた。
◇
「大人に見られなくても平気になった?」
悠斗が尋ねると、フィーネは少し考えた。
「平気ではないよ。子ども扱いされたら今でも腹立つ」
「じゃあ変わってない?」
「でも、大人に見せるために腹壊すのはやめた」
「それはよかったです」
「それに、私がどれだけ食べても、見た目は急に大きくならないしね」
「確かに」
「そこ笑うところ?」
「すみません」
フィーネも少し笑った。
◇
食事を終えると皿には何も残っておらず、腹は苦しくない一方で、まだ足りないとも感じなかった。
「ちょうどよかった」
「追加なし?」
「なし」
「じゃあ今日は成功ですね」
「何が?」
「量」
「最初から成功する量を頼んだの」
「それもそうですね」
フィーネは代金を払い、月蜜花の小瓶を鞄へ戻した。
◇
翌朝、フィーネは宿を出る前に主人へ鍵を返した。
「もう発つのかい、お嬢ちゃん」
初日に同じ呼び方をされて腹を立てた相手だった。
「主人さん」
「あ」
男は自分で気づいたらしい。
「フィーネさん、だったな。悪い」
「うん」
「東まで一人で?」
「一人で行くよ」
「危なくないか?」
「危ないことはある。でも採蜜の森よりは道の方が安全」
「そうなのか」
「私、採蜜師だから」
フィーネはそう答えた。
◇
「そういえば、何の仕事してるか聞いてなかったな」
「最初から聞いてくれてたら、もう少し早く分かったかもね」
「悪かったよ」
主人は少し首を傾げたあと、フィーネの大きな鞄を見た。
「持とうか?」
「階段の下までお願いしていい?」
以前なら、大人として扱ってほしいという意地から、その程度の手助けさえ断っていたかもしれないが、鞄はフィーネの身体に対してかなり大きく、階段を下ろす間だけ人間の主人へ任せれば、転ぶ危険も減る。
「もちろん」
主人は鞄を持ち上げた。
◇
一階まで下りると、フィーネは鞄を受け取った。
「ここからは飛べるから大丈夫」
「飛びながら持てるのか?」
「長距離じゃなければね」
「やっぱり妖精ってすごいな」
「妖精全部が同じ重さ持てるわけじゃないよ」
「ああ、そういうものか」
「そういうもの」
フィーネは笑った。
相手が知らなければ、必要なところだけ説明すればよく、知らないことそのものまで責める必要はないと考えられるようになっていた。
◇
東門へ向かう途中、フィーネは中央市場の果実酒商へ寄り、次回分の月蜜花をいつ届けるか確認した。
「五瓶でお願い」
「分かった」
「計量棒も五本?」
「予備つけて七本」
「追加代は?」
「棒はこっちで払う」
「じゃあ蜜の値段は前と同じね」
「うん」
商談は短く終わり、相手はフィーネを子ども扱いせず、フィーネも必要以上に大人らしく振る舞おうとはしなかった。
◇
市場を出る前に昼食を買った。
小さく切ってもらった平焼きパンと、焼いた豆を包んだものだけであり、人間の一人分から見ればかなり少ない量だったが、フィーネにとっては次の宿場まで移動するために十分だった。
包みを鞄へ入れ、街道へ出たところで、行き違った旅人の男が声をかけた。
「嬢ちゃん、一人旅か?」
フィーネは少しだけ眉を上げた。
「十九くらい。採蜜師。東の薬草都市まで仕事で行くところ」
「お、おう。悪かった」
「道、この先で合ってる?」
「合ってる。二刻くらい行くと分かれ道があるから、右だ」
「ありがとう」
それだけ聞き、フィーネは歩き出した。
◇
身体が小さいことは変わらず、これから先も子どもと間違われることはあるだろうし、妖精族が人間より少ない量で腹を満たせることも変わらず、人間用の食器や家具が大きすぎて困る場面も、おそらく何度もある。
しかし、違う身体に合った量や道具を使うことは、誰かより幼いという意味でも、能力が低いという意味でもなかった。
月蜜花の蜜が、人間の杯へ合うよう計量棒を変えても月蜜花であり続けるように、フィーネも人間と同じ量を食べず、人間用の大きな杯を使わなくても、一人で仕事を引き受け、その結果へ責任を持つ採蜜師であることには何も変わりがない。
フィーネは次の宿場で食べるために用意した、自分の身体へちょうどいい大きさの昼食を鞄へ収めたまま、誰かと同じ大きさや同じ量を選ぶことで大人らしさを証明するのではなく、自分に必要なものを自分で決め、その選択を必要な相手へきちんと伝えられることの方を大切にしながら、東へ続く街道を歩いていった。
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