第44話 熱を逃がさない石卵と、休まない石人の石工
ガランは、自分たち石人族について人間が抱いている誤解の中で、「身体が石なのだから疲れない」というものが最も厄介だと思っていたが、その誤解を誰より強く信じているのが、近頃では自分自身ではないかと考えることがあった。
八十歳になるガランは、レーヴェンで四十年以上石工として働いている石人族の男であり、人間より頭一つほど大きな身体の表面には灰褐色の岩を思わせる硬い皮膚が広がり、眉の上から頬、肩、腕にかけて混じる細かな鉱物の粒が、陽の光を受けるとところどころ鈍く輝いて見える。その外見のため、彼を初めて見た人間から、本当に動く石像だと思われたことも一度や二度ではなかった。
石人族は人間より身体が重く、表層も硬いため、多少の打撃や擦り傷には強いうえ、長時間同じ姿勢で力をかけ続ける作業にも向いているが、内部には人間の筋肉に近い組織が存在し、使えば当然消耗する。さらに体内へ蓄えた水分と鉱分が不足すれば動きは鈍くなり、無理を続ければ皮膚の表面へ細かな亀裂が入ることもあるため、人間とは疲れ方が違うだけで、限界そのものが存在しないわけではなかった。
それでもガランは若い頃から「石人ならこのくらい平気だろう」と言われ続け、それに応え続けることを職人としての誇りに変えてきたため、身体が以前と同じではなくなった今になっても、自分だけは他の職人より多く働くべきだという感覚を捨てきれずにいた。
◇
「親方、昼にしませんか」
西区の改修現場で、若い石工のネルトが声をかけた。
その日の仕事は古い共同住宅の外壁を補修することであり、朝から崩れかけた石材を外し、新しい切石へ入れ替える作業が続いていた。
ガランは壁の前へ膝をつき、石と石の隙間へ灰色の接着材を押し込みながら答えた。
「お前たちは先に行け」
「親方もですよ」
「この列を終わらせてからだ」
「朝もそう言って、休憩遅らせたじゃないですか」
「朝と昼は別だ」
「親方にとっては全部同じでしょう」
ネルトは呆れたように言った。
「石人だから腹減らないとかじゃないんですよね?」
「減る」
「じゃあ食べましょうよ」
「この石が落ち着くまでやる」
ガランはそう答えたまま、手を止めようとしなかった。
◇
ネルトの隣では、同じ職場で働いている人間の石工二人がすでに道具を置いており、彼らはガランより経験こそ浅いものの、決して仕事を怠けるような職人ではなかった。午前中に予定していた量は十分進んでおり、現場全体としても遅れはなかったため、そこで休んだからといって誰かが困るわけでもない。
それでもガランは、まだ自分が動けるのに休むことへ抵抗を感じていた。
人間が一度休む間に、自分ならもう一段積めるうえ、人間が重い石を二人で運ぶところを自分なら一人でも運べるのだから、そうして仕事を早く進めることこそ、石人族の自分がこの街で長く職人として認められてきた理由だと、どこかで考えていたのである。
◇
「親方、その手」
ネルトが指した。
「何だ」
「白くなってますよ」
ガランは右手の甲を見た。
灰褐色の皮膚の一部には、粉を吹いたような白い筋が浮かんでいる。
「乾いただけだ」
「朝、水飲みました?」
「飲んだ」
「どのくらい?」
「一杯」
「今、昼ですよ」
「仕事中に何杯も飲めるか」
「飲んでくださいよ」
ネルトは自分の水筒を差し出した。
ガランは少し嫌そうな顔をしたものの、手の白い筋が消えていないことには気づいていたため、結局水筒を受け取った。
◇
石人族の身体は、人間ほど頻繁に汗をかかない代わりに、皮膚と内部組織へ多くの水分を保持しているため、乾燥した環境で長時間働くと、本人が強い喉の渇きを感じるより先に、表面へ白い乾燥線が出ることがある。
ガランはその兆候について十分に知っており、若い石人の職人が同じ状態になれば、間違いなく仕事を止めて水を飲めと注意するだろうが、自分のことになると、この程度ならまだ動けると判断してしまう。
ネルトから渡された水を一気に半分ほど飲むと、乾いていた口の奥がようやく潤った。
「ほら」
「何がだ」
「喉渇いてたでしょう」
「飲めば誰でも潤う」
「そういう話じゃないです」
◇
昼食を終えたあとも、ガランは予定より早く仕事へ戻った。
午後には壁の上部へ大きな石材を入れる作業があり、通常なら三人で滑車を使って持ち上げるところを、ガランは下から支える役を一人で引き受けた。
「親方、俺も持ちます」
「位置だけ見ろ」
「でも重いですよ」
「分かってる」
石材は人間一人では持ち上げられないほど重かったが、石人族のガランなら支えること自体はできる。ただし、その日の午前中から腕と腰へ疲労が溜まっていたため、滑車で上がっていく石を下から押さえている途中、右肩の奥へ鈍い痛みが走った。
それでもガランは声を出さなかった。
◇
「少し右!」
上からネルトが指示を出す。
ガランは石を押し、位置を合わせた。
「そこです!」
石材が溝へ収まり、支えが不要になったため、ガランが手を離すと、右腕がわずかに下がった。
「親方?」
「何でもない」
「肩やったんじゃないですか」
「石を支えたんだから重いのは当たり前だ」
「だから二人でやればよかったでしょう」
「できたんだから問題ない」
そう答えたものの、右肩を回すと内部で引っかかるような感覚が残っており、自分でも完全に問題がないとは思っていなかった。
◇
夕方まで仕事を続けたあと、ガランは現場を出た。
普段であれば自宅へ戻り、簡単に食事を済ませて眠るところだったが、その日は石材商へ寄る用事があり、店まで歩く途中で、朝には気にならなかった脚の重さが少しずつ増していった。
石人族の足音は人間より重く、石畳へ硬い音を響かせるが、いつもなら一定の間隔で続くその音が、今日はわずかに乱れている。
右脚を出すたびに腰へ重さが残り、肩も先ほどより動かしづらかったが、それでもガランは予定していた石材商との話を済ませた。
◇
「ガランさん、今日はもう帰るんですか?」
店主が尋ねた。
「そのつもりだ」
「だったら、これ持っていきません?」
店主は奥から灰色の丸い塊を三つ持ってきた。
「何だ」
「《石卵》ですよ。東の岩場から入った」
石卵と呼ばれているものの本当の卵ではなく、岩場に生息する大型の甲殻獣が、体内へ余分に取り込んだ鉱分を脂肪と一緒に固めた食材であり、殻のような硬い外皮の内側には、卵黄に似た濃い橙色の中身が詰まっている。
石人族の一部では好んで食べられており、鉱分補給に向く食材として知られていた。
「仕入れ先が数を間違えてな。余ってるから安くする」
「俺に売るつもりか」
「石人なら好きでしょう?」
ガランは店主を見た。
◇
「俺が石人だからって、石卵が好きだと思ったのか」
「違うんですか?」
「嫌いではない」
「じゃあいいじゃないですか」
「俺の一族では、若い頃に食うくらいだ」
「そうなんです?」
「身体を作る時期には鉱分が要るからな。年寄りはそこまで大量に食わん」
「石人ならみんな食べるものだと思ってました」
「誰から聞いた」
「石人の荷運び人が、これ三つ食ってるの見たことあるんで」
「一人見ただけじゃないか」
ガランが呆れたように言うと、店主は気まずそうに笑った。
◇
「でも余ってるのは本当なんですよ」
「そこは別の話だ」
「一つだけでも買いません?」
ガランは石卵を見ながら、鉱分を補う食材として悪いものではなく、久しぶりに食べてみてもいいとは思った。
ただし自宅で調理するには殻を割り、内部へじっくり火を通す必要があり、今日の身体ではその作業をすることさえ少し面倒に感じられた。
「これ、料理屋に持っていったら使えるか」
「普通の店は嫌がるかもしれませんね。殻も硬いし、中まで火が入りにくいから」
「そうか」
「西区に持ち込みの店があるって聞きましたよ。珍しい食材でも料理するところ」
ガランは少し考えたあと、一つだけ買った。
◇
《持ち込み食堂》へ着いた頃には、空が夕方の色へ変わり始めていた。
「いらっしゃいませ」
ミレイアが迎え、ガランが抱えている灰色の塊を見る。
「大きな石ですね」
「食い物だ」
「石なんですか?」
「石卵という」
「卵?」
「名前だけだ」
ミレイアは少し混乱した顔をしたものの、すぐに悠斗を呼んだ。
厨房から出てきた悠斗は、石卵を両手で受け取った瞬間、その重さへ少し驚いた。
「かなり重いですね」
「殻に鉱分が多い」
「中身を食べる?」
「そうだ」
◇
「どうやって開けるんです?」
「槌で割る」
「前にも似た食材あったな……」
「何か言ったか」
「いえ。殻の継ぎ目とかあります?」
「一周、少し色の違う線があるだろう。そこを叩けば割れる」
悠斗が確認すると、確かに表面には細い帯状の線が走っていた。
「じゃあ割ってみます」
厚い布を被せ、木槌で何度か位置を変えながら叩くと、最初はほとんど変化しなかったものの、ガランが「もう少し強くていい」と言うため力を増したところ、やがて乾いた音とともに殻へ亀裂が入った。
◇
殻を外すと、中には濃い橙色の塊が詰まっており、見た目は大きな卵黄にも似ているが、触れるとそれより硬く、練った乳酪のような弾力があった。
「これ、生で食べられます?」
「やめた方がいい。腹を壊す」
「じゃあしっかり加熱ですね」
「火が入りにくいぞ」
「薄く切る?」
「それなら早い」
悠斗は一部を切り出し、まず小さく焼いて味を確かめた。
熱が入ると表面から油が滲み出し、鉱物を思わせる独特の香りと、木の実に近い濃厚な匂いが立ってくる。
「塩気はあまりないですね」
「だから普通は塩をつける」
「食感は?」
「焼きすぎると固くなる」
◇
悠斗は薄切りにした石卵を弱い火で焼き、外側へ軽く焼き色をつけてから根玉葱と黄芋を加え、石卵から出た油を絡ませながら炒めていった。
さらに少量の水を入れて蓋をし、黄芋まで柔らかくなるよう蒸し焼きにすると、石卵そのものは硬くなりすぎず、内部まで十分に熱が通ったため、仕上げに塩を少量だけ加え、香りの強くない葉香草を散らした。
「《石卵と黄芋の蒸し焼き》です」
ガランは料理を見た。
「ずいぶん普通だな」
「もっと石っぽくした方がよかったです?」
「料理を石っぽくするって何だ」
「俺にも分からないです」
ガランは鼻で笑った。
◇
一口食べると、石卵は表面に軽い歯応えを残しながら、内側は柔らかく仕上がっており、濃厚な風味は黄芋へよく染み込み、根玉葱の甘さも重なっていたため、子どもの頃に食べた単純な塩焼きよりずっと食べやすかった。
「悪くない」
「石人の評価としては?」
「何で石人の評価になる」
「すみません」
「俺の評価でいい」
「どうです?」
「うまい」
悠斗は少し笑った。
◇
「石人族って、石卵よく食べるんですか?」
「またそれか」
「聞き方まずかったです?」
「さっき石材商にも同じことを聞かれた」
「じゃあやめます」
「聞くなら聞け」
ガランは料理を食べながら続けた。
「一部の一族ではよく食う。俺の故郷では若い時期に多い。身体を作るために鉱分が必要だからだ」
「年齢で変わる?」
「人間だって子どもと老人で食う量が違うだろ」
「確かに」
「石人だからって全員が石卵を好物にしてるわけじゃない」
「覚えておきます」
◇
「でも、身体はやっぱり石みたいなんですね」
悠斗が言った。
「表面はな」
「中まで石?」
「違う。そんな身体で動けるか」
「すみません」
「知らん奴はよく言う」
ガランは慣れた様子で答えた。
「石人は寝ないとか、飯が要らないとか、百年動き続けられるとか、好き勝手言われる」
「実際は?」
「寝るし食うし疲れる」
「疲れるんですね」
その言葉を聞いた時、ガランの眉が少し動いた。
「何だ」
「いえ、今日ちょっと疲れてそうに見えたので」
◇
「石人だから分かりにくいと思ったんですけど、右肩をあまり上げてないですよね」
ガランは自分の肩を見た。
「よく見てるな」
「料理してる時に、皿取る方が左ばかりだったので」
「仕事で少し重い石を持っただけだ」
「痛いんです?」
「多少はな」
「休んだ方がいいんじゃないですか」
「料理屋まで来てまで言われるとは思わなかった」
「職場でも言われた?」
「若い奴がうるさい」
悠斗はそれ以上すぐに何か言わず、ガランの水が減っているのを見て新しく注いだ。
◇
「今日は水、どれくらい飲みました?」
「何でそんなことまで聞く」
「手が白く乾いてるので」
ガランは右手を見た。
昼より少し薄くなったとはいえ、まだ白い筋が残っている。
「石人のこと知ってるのか」
「知らないです。ただ、皮膚が乾いてるように見えたので」
「朝一杯、昼に少し飲んだ」
「少なくないです?」
「人間よりは水を保てる」
「必要量も少ない?」
「多少はな」
「じゃあ十分?」
ガランは答えなかった。
◇
「足りてないなら飲んだ方がいいですよ」
「お前まで俺を年寄り扱いするのか」
「年齢関係あります?」
「八十だぞ」
「石人族では何歳くらいなんです?」
「人間なら五十前後に近い」
「じゃあ、まだ働ける?」
「当たり前だ」
「働けることと、疲れないことは別ですよね」
ガランは料理から顔を上げた。
「お前、時々嫌なことを簡単に言うな」
「すみません」
「最近その言葉ばかり聞いてる」
「職場で?」
「若い職人にな」
◇
ガランは、今日の現場でネルトから何度も休めと言われたことを話し、朝から水をほとんど飲まず、昼休みも遅らせ、午後には本来二人で支える石材を一人で持ったことまで説明した。
「それ、石人だからできる?」
「できた」
「安全だった?」
「……できた」
「質問変わってます」
「分かってる」
ガランは少し不機嫌そうに水を飲んだ。
「俺は長いこと、そうやって仕事してきた」
「無理して?」
「無理とは思ってなかった」
◇
「人間より身体が強いんだから、その分働けるのは事実だ」
「そうなんですね」
「人間が二人で持つ石を一人で持てるし、暑さにも寒さにも少し強い。だから俺が多くやれば現場が早く進む」
「ずっと?」
「何がだ」
「四十年ずっと、同じように?」
ガランは答えを止めた。
若い頃の身体と今が同じではないことくらい、本人が最もよく分かっており、以前なら一日働いた翌朝には何も残らなかった疲労が、最近では二日ほど続くこともあり、冬場には腰や膝の内部が固く感じられる日も増えていた。
◇
「若い頃よりは落ちた」
「それを周りに言ってます?」
「言う必要があるか」
「仕事の分担に関わるなら?」
「石人の親方が、人間の若造に重い物を持たせるのか」
「持てる人数で持てばいいんじゃないですか」
「簡単に言うな」
「石工の仕事知らないので」
「だったら黙ってろ」
「はい」
悠斗は素直に黙った。
その反応が逆に気に障り、ガランはしばらくして自分から話を続けた。
◇
「俺が若い頃、石人の職人は珍しかった」
「レーヴェンに?」
「今ほど他種族が多くなかったからな。最初の現場じゃ、人間の職人に『石なんだから荷運びだけしてろ』と言われた」
「石工なのに?」
「石を運ぶ力だけは認められたが、細かい加工はできないと思われてた」
「どうしたんです?」
「やった」
「加工を?」
「誰より細かくな」
ガランの声には、今でも少し誇らしさが残っていた。
◇
石人族の大きな手では繊細な加工ができないと言われたため、ガランは夜まで残って小さな彫刻を練習し、重い石を運びながら、人間と同じ量の仕上げ仕事まで引き受けた。
休めば「やっぱり石人でも疲れるのか」と笑われるのが嫌で、人一倍長く現場へ残り続けた結果、数年後には誰も彼の技術を疑わなくなり、さらに年月が経つと、種族ではなくガランという名前で仕事を頼まれる職人になった。
それでも、最初に身につけた「人間より働いて見せる」という癖だけは、必要がなくなったあとも身体の中へ残り続けていた。
「昔は、必要だったんですね」
悠斗が言った。
「何がだ」
「石人だからって馬鹿にされないために、たくさん働くのが」
◇
「そうかもしれんな」
ガランはしばらくして答えた。
「でも今の人たちは?」
「今?」
「ネルトさんたちも、ガランさんが石人だから休むなって言う?」
「逆だな」
「休めって?」
「うるさいくらい言う」
「じゃあ、昔と同じ証明を続けなくてもいい?」
ガランは皿へ視線を落とした。
「四十年やってきたものを、簡単に変えられると思うか」
「思いません」
「即答か」
「四十年なら無理そうなので」
ガランは思わず低く笑った。
◇
「ただ、一日で全部変える必要もないんじゃないですか」
「どういう意味だ」
「水飲む時間を決めるとか、二人で持つ石は二人で持つとか、そのくらいからなら」
「それで俺が余るだろ」
「別の仕事ないんです?」
「いくらでもある」
「じゃあ余らないですね」
「お前、さっきから理屈が単純だな」
「複雑にできないので」
悠斗が答えると、ガランは再び水を飲み、今度は勧められたからではなく、自分から杯を手に取って口へ運んだ。
◇
食事を終えて立ち上がると、右肩へまだ重さが残っていた。
「その石卵、残り持って帰ります?」
悠斗が尋ねた。
「半分残ってるな」
「明日でも使えます。しっかり冷やせるなら」
「持って帰る」
「重いですよ」
「このくらい――」
ガランは言いかけて止まった。
「何です?」
「袋に入れろ」
「持てます?」
「左手で持つ」
「なら大丈夫そうですね」
ガランは少し不満そうだったが、右肩で荷物を抱えようとはしなかった。
◇
翌朝、現場へ入ったガランは、いつものように誰より先に道具を確認した。
右肩は昨日より少し楽になっているものの、完全には戻っておらず、その様子にはネルトもすぐ気づいた。
「親方、肩どうです?」
「少し張ってる」
ネルトは目を見開いた。
「今、痛いって認めました?」
「張ってると言った」
「昨日は何でもないって」
「昨日より分かっただけだ」
「今日は重いの持たないでください」
「持てる」
「親方」
「二人で持つ」
ガランが続けると、ネルトはさらに驚いた。
◇
「どうしたんです?」
「お前は俺が言うことを聞いても文句を言うのか」
「いや、だって昨日まで――」
「昨日の話をするな」
「昨日なんですけど」
「仕事を始めろ」
ガランは不機嫌そうに命じた。
その日の午前中、大きな石材を動かす場面ではガランとネルトが両側を持ち、もう一人が位置を確認したところ、ガラン一人でも持てない重量ではないにもかかわらず、二人で支えることで肩への負担は明らかに減り、位置合わせも以前より細かくできた。
「早いな」
ガランが言った。
「何がです?」
「位置決めだ」
「三人いるからでしょう」
「前からそうしろと言え」
「ずっと言ってましたよ」
「そうだったか」
◇
昼前になると、ネルトが声をかけるより先に、ガランは道具を置いた。
「水にするぞ」
「親方が?」
「俺が言って何が悪い」
「雪でも降るのかと思って」
「冬だ。降ることもある」
「そういう意味じゃないです」
職人たちは笑いながら水筒を出した。
ガランも自分の杯へ水を注ぎ、一度に大量に飲むのではなく、作業の区切りごとに少しずつ口へ入れるようにしたところ、午後になっても手の甲に白い乾燥線はほとんど出なかった。
◇
それでも、長年の癖が数日で消えるわけではなく、誰かが重い石を運んでいれば反射的に手を出し、自分の方が早いと思えば道具を取り上げそうになることは何度もあった。
ある日には、ネルトが石の角を整えているのを見て、思わず横から鑿を取った。
「ここはこうする」
「親方」
「何だ」
「俺がやってたんですけど」
「遅い」
「練習しないと速くならないでしょう」
ガランは鑿を持ったまま止まった。
「前に誰かに同じこと言われました?」
「誰にだ」
「親方の親方とか」
ガランは昔を思い出し、渋い顔をした。
◇
「俺の師匠はもっとひどかった」
「じゃあ親方は同じにならないでください」
「口だけは一人前だな」
「親方が育てたんで」
「それを言われると怒りにくい」
ガランは鑿をネルトへ返した。
「もう一回やれ。角度はさっきより少し浅くしろ」
「はい」
「割ったら自分で直せ」
「分かってます」
少し離れて見ていると、手を出すより時間はかかったものの、ネルトは自分で石の形を整え、最後にガランが確認した時には、修正するところはほとんど残っていなかった。
◇
一週間ほど経った頃、右肩の痛みはほぼ消えていた。
ガランは石卵の残りを自宅で焼いて食べたが、《持ち込み食堂》で作ってもらった料理を思い出し、黄芋と根玉葱を一緒に焼いてみたところ、思ったよりうまくできたため、翌日には現場へ弁当として少し持っていった。
「何です、それ」
ネルトが覗き込む。
「石卵だ」
「石人の食べ物?」
ガランはじろりと見た。
「俺が食ってる食い物だ」
「あ、はい」
「お前も食うか」
「人間でも食べられるんです?」
「食える。十分火は通してある」
ネルトは少しだけ受け取った。
◇
「うまいですね」
「そうだろ」
「もっと石みたいな味かと思ってました」
「石の味を知ってるのか」
「知らないです」
「なら言うな」
「すみません」
ネルトは笑いながらもう一口食べた。
「これ、石人はよく食べるんですか?」
「お前もか」
「何がです?」
「いや、もういい」
ガランは呆れながらも、俺の故郷では若い者がよく食べること、石人なら全員好きというわけではないこと、地方によってはほとんど食べない一族もいることまで説明した。
「そうなんですね」
「覚えたか」
「はい」
「次に石人を見ても、いきなり石卵を出すなよ」
「そんなことしませんよ」
◇
「でも親方も、人間ならこうだって言うことありますよね」
ネルトが何気なく言った。
「俺が?」
「この前も、『人間は石を長く持てないから』って俺から取ったでしょう」
「実際、石人より力は弱いだろ」
「平均ならそうかもしれないですけど、俺より弱い石人もいるんじゃないですか」
ガランは少し考えた。
「いる」
「じゃあ同じですよ」
「何がだ」
「親方も結構、種族で決めてます」
ガランはしばらくネルトを睨んだ。
「お前、誰に向かってそんなことを言ってる」
「最近休憩取るようになった親方です」
周りにいた職人たちが笑った。
◇
腹は立ったものの、完全に否定することもできなかった。
ガラン自身、人間は石人より力仕事に弱いと思っており、若い人間の職人が重い石を持とうとすると、本人の力量を確かめるより先に自分が代わってきた。
かつて自分が「石人だから細かい仕事はできない」と決めつけられたことへ腹を立てた一方で、自分も別の形で似たことをしていたのかもしれない。
「なら持ってみろ」
ガランは近くにあった切石を示した。
「え?」
「これくらいなら人間でも持てる。腰は曲げるな」
「やっていいんです?」
「落とすなよ」
ネルトは慎重に持ち上げた。
◇
切石は重かったが持ち上がらないほどではなく、ネルトは両腕で抱え、数歩先の作業台まで運んだ。
「どうだ」
「重いです」
「当たり前だ」
「でも持てました」
「見れば分かる」
「じゃあ次から、全部親方が持たなくてもいいですね」
「調子に乗るな。重量を見て決める」
「種族じゃなくて?」
ガランは一瞬黙ったあと、少し低い声で答えた。
「……本人を見て決める」
「はい」
ネルトは満足そうに笑った。
◇
その後、現場での仕事の分け方は少しずつ変わり、石人だから重いものを担当し、人間だから軽い加工を担当するという大まかな分け方ではなく、それぞれの体格や経験、得意な作業を見ながら配置を考えるようになった。
ネルトはガランほど力はないものの、細かな水平を取る作業が得意であり、別の人間の職人は滑車の扱いに慣れている一方、ガラン自身は重い石の扱いと、長年の経験を必要とする加工判断に優れている。
種族による特徴がなくなるわけではなく、それを無視する必要もないが、その特徴だけで目の前にいる一人についてすべてを決める必要もなかった。
◇
工事が一段落した日の午後、ガランは久しぶりに《持ち込み食堂》へ向かった。
今回は石卵ではなく、小さな包みだけを持っている。
「いらっしゃいませ」
悠斗が出てきた。
「肩、どうです?」
「もう問題ない」
「それならよかったです」
「今日は食材じゃない」
「何です?」
ガランは包みを開いた。
中には薄い灰色の石板が入っており、表面には小さな文字で《持ち込み食堂》と彫られていた。
「看板?」
「鍋敷きだ」
「すみません」
「何で看板にする」
「店名入ってるから」
◇
「石卵の礼だ。熱い鍋を置いても割れにくい石を使った」
「もらっていいんです?」
「いらなければ持って帰る」
「いります」
悠斗はすぐに受け取った。
「ありがとうございます」
「料理代は払ったから、礼というほどでもないがな」
「じゃあ何で?」
「作りたかっただけだ」
「それならもっと嬉しいです」
ガランは少し居心地悪そうに席へ座った。
◇
「今日は何食べます?」
「何でもいい」
「石人向けに鉱分多めで?」
悠斗がわざと言うと、ガランは低い声で返した。
「お前、分かってて言ってるだろ」
「はい」
「普通の飯でいい」
「分かりました」
しばらくして出てきたのは、鳥肉と豆、根玉葱をゆっくり煮込んだ料理であり、石人族だけを想定した特別なものではなかった。
ガランはそれを一口食べてから、黙って頷いた。
◇
「仕事、休めてます?」
悠斗が尋ねた。
「休んではいない」
「水は?」
「飲んでる」
「重い石は?」
「必要なら二人で持つ」
「かなり変わりましたね」
「別に弱くなったわけじゃない」
「誰も言ってません」
「先に言っただけだ」
ガランは少し水を飲んだ。
「若い奴にも仕事を任せるようにした」
「うまくいってます?」
「遅い時もある」
「手を出す?」
「前よりは待つ」
「大変そうですね」
「大変だ」
◇
「でも、俺が全部やってたら、あいつらがいつまで経ってもできるようにならん」
「そうですね」
「それに、人間だから持てないと思ってた石を、あいつが持った」
「石人じゃなくても?」
「持てる重さならな」
「逆に石人でも苦手なことある?」
「いくらでもある」
「例えば?」
「俺は泳げん」
「石だから沈む?」
悠斗が尋ねると、ガランの目が細くなった。
「今のは偏見か?」
「すみません」
「だが沈みやすいのは本当だ」
「本当なんですか」
「身体が重いからな。浮具なしでは難しい」
悠斗は笑いを堪えながら頷いた。
◇
「石人の中には泳げる奴もいるぞ」
「いるんですね」
「鉱分が少なくて身体が軽い一族もいる」
「やっぱり違うんですね」
「人間だって全員同じじゃないだろ」
「最近よく聞きます、それ」
「誰からだ」
「いろんな人からです」
悠斗はククルやメアリー、サフィのことを少し思い出したものの、具体的な名前までは口にしなかった。
ガランは料理を食べながら、自分が若い頃に何度も言いたかった言葉を、今になって別の誰かへ繰り返していることへ気づいた。
◇
食事を終えたガランは、悠斗が早速新しい石板の上へ熱い鍋を置いているのを確認した。
「大丈夫です?」
「そのくらいで割れる石を渡すか」
「熱で変色は?」
「少しする。それも使った跡だ」
「戻らない?」
「戻らん」
「じゃあ大事に使います」
「大事にしすぎるな。鍋敷きなんだから鍋を置け」
ガランはそう言って立ち上がった。
◇
店を出たあと、現場へ戻る必要はなく、その日の仕事は午前中ですでに終わっており、若い職人たちも解散していた。
以前のガランであれば、空いた時間を使って翌日の石材を確認しに行くか、道具の手入れを始めていたかもしれない。
しかしその日は、右肩にも腰にも痛みがなく、手の甲にも乾燥線が出ていないことを確かめると、そのまま自宅へ戻る道を選んだ。
休む必要があるほど疲れているわけではなかったが、疲れ切ってからでなければ仕事を終えてはいけない理由もなかった。
◇
途中の広場では、数人の子どもが平たい石をどこまで高く重ねられるか競う遊びをしており、一人の人間の少年が何度積んでも途中で崩していた。
ガランが横を通ると、少年が気づいた。
「石人のおじさんなら、石の積み方全部分かる?」
昔の自分なら、「石人だからではなく石工だからだ」と少し苛立って答えたかもしれないが、ガランは積まれた石を一度確認してから、落ち着いた声で答えた。
「石人だからでは分からんが、石工だから少しは分かる」
「教えて」
「下の石を大きくしろ。それと平らな面を探せ」
「どれ?」
ガランはしゃがみ込んだ。
◇
子どもが選んだ石を一つずつ見ながら、どの面を下へ向けると安定するかを教えたが、すべて自分で積むことはせず、子ども自身に置かせた。
何度か崩れたものの、そのたびにどこが傾いていたかを一緒に確かめ、やがて子どもの背丈の半分ほどまで石が積み上がった。
「できた!」
「まだ手を離すな。上がずれてる」
「どこ?」
「自分で見ろ」
少年は少し離れて眺め、上から二つ目の石を直したところ、今度は倒れなかった。
◇
「おじさん、石人だから石と話せる?」
「話せん」
「本当に?」
「本当だ」
「ちょっとくらい?」
「一言も話せん」
「つまんない」
「石工は石と話すって言う人いるけど」
「それは様子を見ろって意味だ」
「じゃあ話してるじゃん」
「そういう話じゃない」
ガランは呆れながらも、少し笑った。
◇
子どもたちと別れ、自宅へ向かう頃には陽が傾いていた。
自分が石人族であることを、ガランは今も誇りに思っており、人間より重いものを持てる身体も、硬い皮膚も、長い時間をかけて石を削ることに向いた手も、自分の仕事を支えてきた大切な特徴だと考えている。
だからといって、その特徴へ合わせて疲れないふりまで続ける必要はなく、石人だから力が強いことと、ガランという一人の職人が今日どれだけ働けるのかは、完全に同じ話ではなかった。
同じように、人間だから何ができない、石人だから何を好むと、種族の名前だけで目の前の相手を決める必要もない。
◇
翌朝、ガランが現場へ到着すると、ネルトがすでに石材を確認していた。
「親方、おはようございます」
「早いな」
「昨日のうちに言われたところ見てます」
「どうだ」
「この二枚、少し厚さ違います」
ガランは横へ並んで確認した。
「そうだな。薄い方を上へ回せ」
「はい」
「それと、午前の大石は三人で持つぞ」
「親方込みで?」
「俺とお前とリードだ」
「分かりました」
ネルトは普通に頷いた。
◇
以前なら、その返事に少し物足りなさを感じていたかもしれない。
石人の自分が一人でやれると見せることに、どこかで意味を求め続けていたからである。
今は三人で同じ石を持つことが自分の価値を減らすとは思わず、力を使う必要がある時には使い、判断が必要な時には経験を出し、若い職人へ任せられるところは任せればいいと考えられるようになっていた。
ガランは朝の作業へ入る前に自分の水筒を壁際へ置き、午前の途中で一度休む時間を決めてから、ネルトたちと一緒に最初の石材へ手を掛けた。
石人だから疲れない職人として働くのではなく、疲れれば休み、それでも誰より長く磨いてきた技術を必要な場所で使える石工として働く方が、自分にはずっと性に合っているのだと受け入れながら、ガランは一人ではなく三人分の手で持ち上がっていく石の位置を確かめた。
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