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異世界持ち込み食堂~あなたの食材を料理します~  作者: シロの空


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第40話 育ちすぎた牧草根と、仕事を減らせない牧畜家

 ゴードン・ヘイルは、自分が一日休んだ程度で牧場が立ち行かなくなるとは思っていなかったが、自分がいなくても何事もなく一日が終わることを想像すると、それはそれで妙に落ち着かなかった。


 五十五歳になる彼は、レーヴェンの南門から街道を一時間ほど進んだところで《ヘイル牧場》を営む牧畜家であり、肉用の角牛を中心に、荷車を引くための脚牛や数頭の山羊を育てている。父から牧場を継いで三十年以上が経ち、獣の歩き方を見れば蹄の違和感に気づき、餌を食べる速さが少し変わっただけでも体調を疑うほど、仕事は身体の一部になっていた。


 牧場にはゴードンのほかに三人の雇い人がおり、二十八歳になる娘のミーナも五年前から帳簿や飼料の仕入れを手伝っているため、人手だけを考えれば、ゴードンが半日ほど牧場を離れたところで大きな問題は起こらない。


 それでも彼は、朝一番の見回りから夜の柵確認まで、自分ができる仕事には必ず一度手を出し、誰かに任せられないわけではなく、自分がやった方が早いからそうしているだけだと、長い間その働き方を当然のように受け入れていた。


          ◇


「父さん、その袋は置いて」


 朝の飼料小屋で、ミーナが声を上げた。


 ゴードンは、大人一人が抱えるにはかなり大きな麻袋を両腕で持ち上げたところだった。


「これくらいなら平気だ」


「昨日、腰痛いって言ってたでしょ」


「痛いとは言ってない。少し張ると言っただけだ」


「同じようなものじゃない」


「全然違う」


 ゴードンはそう言いながら袋を運び、角牛の飼料を混ぜる大桶の横へ下ろしたものの、腰へ鈍い重さが走ったため、娘へ気づかれないよう何事もなかった顔で背筋を伸ばした。


「ほら」


「何がだ」


「今、痛かったでしょ」


「袋が重かっただけだ」


「だから、その重い袋を持つなって言ってるの」


 ミーナは呆れたように父を見た。


          ◇


 そこへ、若い雇い人のデイルが空になった飼料籠を持って入ってきた。


「旦那、次の袋も運びます?」


「俺がやる」


「俺、今空いてますけど」


「なら東柵を見てこい。昨日の雨で杭が緩んでるかもしれん」


「東柵は朝一番で見ました。問題なかったです」


「じゃあ水桶を――」


「それも終わってます」


 デイルは困ったように笑った。


「なので、袋くらい俺に運ばせてください」


「若いのに楽な仕事ばかり探すな」


「これ、楽じゃないですよ」


 ミーナが横から小さく笑ったため、ゴードンは面白くなさそうに鼻を鳴らした。


          ◇


 若い頃のゴードンであれば、麻袋を二つ続けて運んでも腰へ違和感など残らず、雨の中で半日柵を直したあと、そのまま夜の出産に付き添い、翌朝から普通に仕事をすることさえできた。


 しかし五十五歳になった現在では、一晩眠れば疲れがすべて消えるわけではなく、階段を下りた時に膝が重い日もあれば、寒い朝には指が以前ほど素早く動かず、無理をすれば翌日まで疲れが残ることも増えている。


 本人もそうした変化へ気づいていないわけではなかったが、それでも仕事の量を減らそうとは考えなかった。


 長年自分がやってきたことを、身体が少し重くなったという理由だけで人へ渡してしまえば、その分だけ自分が牧場主ではなくなっていくような気がしていたからである。


          ◇


「今日は昼から街へ行くんでしょう?」


 ミーナが尋ねた。


「ああ。飼料商と話がある」


「だったら、そのまま夕方まで戻ってこなくてもいいよ」


「何でだ」


「たまには街でゆっくりしてきたら?」


「何をするんだ」


「食事するとか、道具屋見るとか」


「必要なものは買ってある」


「じゃあ食事だけでもしてくればいいでしょう」


「牧場で食えばいい」


 ゴードンが即答すると、ミーナは肩を落とした。


「父さん、仕事以外で街へ行くことないよね」


「仕事があるのに遊びに行く必要がどこにある」


「遊びじゃなくてもいいけど、牧場から離れる時間くらいあってもいいんじゃない?」


「離れる必要がない」


 ゴードンはそう言い切り、話を終わらせるように飼料桶を混ぜ始めた。


          ◇


 昼前、牧草畑から掘り起こした《白芯根》が荷車で運ばれてきた。


 白芯根は、家畜の冬用飼料として広く育てられている太い根菜であり、若いうちは人間が食べることもできるものの、大きく育つほど繊維が強くなるため、通常は刻んで牛や山羊へ与えられる。


 今年は秋の雨が長かったことで、一部の畑では収穫時期を逃し、普段よりかなり大きく育ったものが混じっていた。


 ミーナは荷車の中から一本を持ち上げた。


「これ、ずいぶん大きいね」


「育ちすぎだな」


「牛にやる?」


「刻めば食うだろう」


「いつもの機械に入るかな」


「縦に割ればいい」


 ゴードンは一本を受け取り、表面の硬さを指で確かめた。


          ◇


「父さん、これ街へ持っていったら?」


「何に使う」


「食べられるか聞いてみればいいじゃない」


「誰に」


「《持ち込み食堂》って知ってる?」


「知らん」


「市場の人から聞いたの。変わった食材でも、状態を見ながら料理してくれる店」


「これは家畜の餌だぞ」


「若い白芯根なら人も食べるでしょう」


「こんな大きいのを食う奴はいない」


「だから持っていくんでしょ」


 ミーナはそう言いながら、育ちすぎた白芯根を一本、父が街へ持っていく荷袋の横へ置いた。


「いらん」


「飼料商との話が終わったら持っていって。食べられなかったら、そのまま持って帰って牛にやればいいんだから」


「何で俺が」


「たまには仕事と関係ないことしてきて」


「白芯根の確認なら仕事だろ」


「じゃあ、それでもいいよ」


 娘に押し切られ、ゴードンは不満そうな顔のまま白芯根を荷車へ積んだ。


          ◇


 午後、レーヴェンへ入ったゴードンは予定していた飼料商との商談を済ませ、冬用の乾草について数量と価格を確認したうえで、来月から運び込む日程まで決めた。


 その日の仕事として街で行うべきことは、これですべて終わっている。


 いつもなら、そのまま南門へ向かって牧場へ戻るところだったが、荷車の隅にはミーナが勝手に積んだ白芯根が残っていた。


「まったく……」


 ゴードンは小さく呟きながらも、娘から聞いた西区の《持ち込み食堂》を探すことにし、場所を二人ほどに尋ねたところ、思っていたより簡単に店を見つけることができた。


          ◇


「いらっしゃいませ」


 店へ入ると、ミレイアが声をかけた。


「ここ、変な食材でも料理するって聞いたんだが」


「食べられるか分からないものなら、店主が確認しますよ」


「家畜の餌でもか?」


「状態によります」


 ゴードンは持ってきた白芯根を卓へ置いた。


 一本だけとはいえ、通常のものよりかなり大きいため、ミレイアも少し驚いた顔をした。


 厨房から出てきた悠斗は、白芯根を持ち上げて重さを確かめ、表面を指で押した。


「かなり育ってますね」


「いつもの倍近い」


「普段はどう使うんです?」


「家畜の餌だ。若いのなら人間も煮て食うが、ここまで育ったら硬い」


「切ってみてもいいです?」


「好きにしろ」


          ◇


 悠斗が包丁を入れると、中心まで刃は入ったものの、若い根菜を切る時よりかなり強い抵抗があり、断面には白い繊維が何本も走っていた。


「外側はかなり硬いですね」


「だから言っただろ」


「でも、中心は使えるかもしれません」


「わざわざそこだけ食うのか」


「試すなら、それが一番分かりやすそうです」


 悠斗は外側と中心を少しずつ切り分け、それぞれ小鍋で茹で始めたため、ゴードンは腕を組んだまま、その様子を眺めていた。


          ◇


 短時間茹でただけでは外側の繊維はほとんど柔らかくならなかった一方、中心部は若い白芯根ほどではないものの、少し長く火を入れると歯で潰せる程度まで柔らかくなった。


「外は家畜用の方がよさそうです」


「中心だけなら食えるのか」


「食べられます。ただ、普通の根菜みたいに大きく切るより、細かくした方がよさそうですね」


「面倒な食い物だな」


「わざわざ人用に育てるなら、若いうちに収穫した方がいいでしょうね」


「そりゃそうだ」


 悠斗は柔らかくなった中心部を刻み、黄芋と根玉葱、それに挽いた鳥肉を用意した。


          ◇


「肉と混ぜるのか」


「白芯根だけだと少し繊維が残るので、細かくして焼いてみます」


 茹でた黄芋を潰し、刻んだ白芯根と炒めた根玉葱、鳥肉を混ぜると、小さく平たい形へ整えて鉄鍋へ並べた。


 焼き色がつくまでゆっくり火を入れると、外側から香ばしい匂いが立ってくる。


「《白芯根と鳥肉の焼き団子》です」


「団子に見えんぞ」


「名前は適当です」


「商売で適当って言うな」


 ゴードンは呆れながら、一つを口へ運んだ。


          ◇


 表面には軽い焼き目がつき、中は黄芋によって柔らかくまとまっており、細かく刻んだ白芯根の繊維はわずかに残るものの、噛む邪魔になるほどではない。


 根玉葱の甘さと鳥肉の旨味の中へ、白芯根特有の少し土っぽい風味も混じっていた。


「食えなくはないな」


「褒めてます?」


「牧場主の評価としては高い方だ」


「ありがとうございます」


 悠斗が笑うと、ゴードンは二つ目へ手を伸ばした。


「これ、普段なら全部牛に?」


「ここまで育ったやつはな。若いやつを人間用に売ることもある」


「飼料と人用で収穫時期を変えるんですね」


「当然だ」


          ◇


「牧場、大きいんです?」


 悠斗が尋ねた。


「角牛が四十七、脚牛が十二、山羊が九。時期で多少変わる」


「一人で全部見てるんです?」


「従業員が三人いる。娘も帳簿や仕入れをやってる」


「じゃあ今日は、その人たちへ任せて街へ?」


「商談があっただけだ」


「終わったら戻るんです?」


「そのつもりだ」


「夕方までまだありますけど」


「牧場へ戻ればやることはある」


「毎日、朝から夜まで?」


「牧畜なんてそんなもんだ」


「従業員の人は休みあります?」


「順番で休ませてる」


「娘さんも?」


「週に一日は休む」


「ゴードンさんは?」


「俺は牧場主だ」


 悠斗は少し間を置いた。


「それ、休まない理由になるんです?」


 ゴードンは眉を寄せた。


          ◇


「店主のお前が言うのか」


「俺も休まない時はありますけど」


「なら同じだろ」


「たぶん、あまり人のことは言えません」


 悠斗が素直に認めたため、ゴードンは少し鼻で笑った。


「ただ、従業員には休ませるんですね」


「当たり前だ。疲れたまま牛を扱わせる方が危ない」


「娘さんにも?」


「あいつは帳簿仕事が多いが、それでも休みは必要だろ」


「自分は別?」


「さっきからそればかりだな」


 ゴードンは水を飲んだ。


「俺がやらなくても牧場が回ると思ってるのか」


「回らないんです?」


 ゴードンはすぐに否定しようとしたものの、結局少し間を置いて答えた。


「……一日くらいなら回る」


「じゃあ、どうして休まないんでしょう」


「俺の牧場だからだ」


          ◇


「牧場主が仕事しないで何する」


「一日休んだだけで、仕事しない人になるんです?」


「そういう意味じゃない」


「なら、何が気になるんでしょう」


「別に気になってない」


 ゴードンは少し強めに答えたものの、娘からも似たようなことを言われていたため、悠斗の言葉は思った以上に胸へ残った。


 自分がいなければ牛の状態を見落とすかもしれず、餌の量が少し違うかもしれず、柵の傷みに気づくのが半日遅れる可能性もある。


 それらは確かに起こり得ることだったが、三人の雇い人と娘へ何年も仕事を教えてきた以上、自分が半日離れただけで何も判断できなくなるほど、彼らを頼りないとも思っていなかった。


          ◇


「娘が最近、俺に仕事を減らせってうるさいんだ」


 ゴードンが言った。


「心配してる?」


「腰がどうとか膝がどうとか、余計なことばかり見てる」


「実際、痛いんです?」


「五十五にもなれば多少はな」


「仕事に影響するくらい?」


「まだそこまでじゃない」


「だから今のうちに少し変えたいとか?」


「大げさなんだよ」


 ゴードンは皿に残っていた焼き団子へ視線を落とした。


「俺の親父は六十八まで毎日牧場に出てた」


「六十八で引退したんです?」


「死んだ」


 悠斗は少し表情を変えた。


          ◇


「朝まで普通に働いて、昼に胸が苦しいって座り込んで、その日の夜に死んだ。医者には前から身体へ負担が出ていたはずだと言われたが、親父は何も言わなかった」


「そうだったんですね」


「最後の日まで働いたんだ」


「ゴードンさんも、同じように働きたい?」


「そんなこと言ってない」


「すみません」


 悠斗が謝ると、ゴードンはすぐには続けなかった。


 父が最後の日まで働いていたことを、ゴードンは長い間立派なことだと思ってきた。


 牧場主は動ける限り牧場へ立ち、牛の声を聞き、土を踏んで一日を終えるものであり、そういう姿を見て育ったからこそ、自分も同じようにするのが当然だと思っていたのである。


          ◇


「親父が死んだあと、俺がそのまま牧場を継いだ」


 ゴードンは少しずつ話した。


「三十二だった。仕事はほとんど教わってたから困らなかったけど、最初の一年は何を決めるにも親父ならどうするか考えてた」


「今も?」


「今は自分で決める」


「休まないところは?」


 ゴードンは悠斗を睨んだ。


「お前、意外としつこいな」


「すみません」


「謝るなら聞くな」


「それは無理です」


 ゴードンは思わず笑いそうになり、すぐに顔を戻した。


          ◇


「仕事を減らしたら、親父より怠けてるみたいで嫌なのかもしれんな」


 しばらくして、ゴードンは自分でも確かめるように言った。


「娘に言ったことあります?」


「言うわけないだろ」


「どうして?」


「格好悪い。五十五の男が、死んだ親父と比べて働きすぎてるなんて話、娘にできるか」


「娘さんは、別の理由だと思ってる?」


「年寄り扱いしてるだけだろ」


「本当に?」


「知らん」


 ゴードンは水を飲み干し、そこで話を打ち切った。


          ◇


 会計を済ませて店を出たあと、ゴードンはすぐに南門へ向かわなかった。


 いつも使っている道具店へ入り、蹄を削る刃をしばらく眺めたものの、今使っているものがまだ十分使えるため何も買わず、そのあと市場を一周してみた。


 しかし仕事と関係のない用事を作ることに慣れていないため、間もなくやることがなくなり、結局予定より少し早い程度で牧場へ戻った。


 入口へ着くと、東側の放牧柵をデイルが修理していた。


「何か壊れたのか」


「下の横木が少し割れてました」


「朝は問題なかっただろ」


「昼に角牛がぶつけたみたいです」


「どうしてすぐ呼ばなかった」


「旦那、街でしょう」


「使いを出せばいい」


「この程度なら俺たちで直せますよ」


 デイルはそう答え、最後の釘を打った。


          ◇


「牛は?」


「怪我なしです。ミーナさんも見ました」


「ちゃんと脚も確認したか」


「しました」


「角の根元は?」


「そこも見てあります」


 ゴードンは放牧場へ入り、該当する牛を自分でも確認した。


 脚に異常はなく、角の根元にも傷はなく、デイルが直した柵についても固定の仕方に問題は見当たらなかった。


「何か駄目でした?」


 デイルが尋ねる。


「いや、問題ない」


「だったら大丈夫です」


「俺が見るまで分からんだろ」


「だから見てもらっていいですけど、旦那が街から走って戻るほどのことじゃないって話ですよ」


 若い雇い人の言葉に、ゴードンは何も返さなかった。


          ◇


 夕食のあと、ミーナが帳簿を持って居間へ来た。


「今日、食堂行った?」


「何で分かる」


「白芯根がないから」


「余計なことしやがって」


「食べられた?」


「中心だけならな」


「美味しかった?」


「まあまあだ」


「父さんがまあまあって言うなら、美味しかったんだね」


「勝手に決めるな」


 ミーナは笑いながら帳簿を開いた。


「それより、来週の休み決めたいんだけど」


「お前のか?」


「父さんの」


 その言葉を聞いた瞬間、ゴードンの表情が険しくなった。


          ◇


「またその話か」


「今日、父さんがいない間に柵壊れたでしょ」


「だから休めないって話になるだろ」


「逆だよ。父さんがいなくても、ちゃんと直ったでしょう」


「俺が最後に確認した」


「確認はしてくれていい。でも最初の対応はデイルたちでできた」


「今日は運がよかっただけかもしれん」


「毎回そう言うつもり?」


 ミーナは帳簿を閉じた。


「父さん、私たちを信用してないの?」


「そんなことは言ってない」


「じゃあ、どうして何でも自分でやらないと気が済まないの」


「牧場主だからだ」


「それ、答えになってないよ」


 食堂で悠斗から似たようなことを言われたばかりだったため、ゴードンは余計に機嫌が悪くなった。


          ◇


「お前まで何なんだ今日は」


「今日だけじゃないよ。ずっと言ってる」


「俺はまだ働ける」


「働くななんて言ってない」


「じゃあ何だ」


「全部やるなって言ってるの」


 ミーナは父の手を指した。


「朝は餌袋を運んで、昼は畑を見て、夕方は牛の脚を全部自分で確認して、夜は最後の柵まで見に行くでしょう。それだけじゃなくて、デイルたちがやった仕事も、最後には父さんが全部やり直すみたいに確認する」


「確認は必要だ」


「牧場主の確認は必要。でも、自分で袋を運ぶことまで牧場主の仕事なの?」


 ゴードンはすぐには答えられなかった。


          ◇


「腰、痛いんでしょう」


「少し張るだけだ」


「この前、夜中に起きる時、壁につかまってたの見たよ」


「見てたのか」


「同じ家に住んでるんだから見るよ」


「大したことじゃない」


「大したことになる前に減らしてって言ってるの」


 ミーナの声が少しだけ強くなった。


「私は、父さんに牧場を辞めてほしいんじゃない。六十八まででも七十まででも、できるなら働けばいいと思ってる」


「なら――」


「だからこそ、五十五で身体を使い切るみたいな働き方をやめてほしいの」


 その言葉に、ゴードンは口を閉じた。


          ◇


「爺ちゃんみたいになってほしくないんだよ」


 ミーナが続けると、ゴードンは少し驚いたように娘を見た。


「お前、覚えてるのか」


「十二歳だったからね」


 父が死んだ時、ミーナも同じ牧場にいた。


 昼過ぎに祖父が倒れ、大人たちが慌ただしく走り回り、その夜には戻ってこなかったことを、覚えていないはずがなかった。


「父さん、爺ちゃんが最後まで働いたことを誇りに思ってるでしょ」


「悪いか」


「悪くない。でも、私は同じ終わり方をしてほしいわけじゃない」


 ミーナは静かに言った。


          ◇


「爺ちゃんがどう思ってたかは知らない。でも私は、父さんが仕事を減らしたら怠けたなんて思わないよ」


 ゴードンは娘を見たまま、少し黙った。


「何で今それを言う」


「何となく」


「誰かに聞いたのか」


「誰から?」


「……いや」


 ゴードンは食堂で悠斗へ話したことを思い出したものの、当然ながらミーナが知っているはずはない。


 それでも、自分が仕事を減らせない理由を娘に見透かされたような気がして、少し居心地が悪かった。


「一日休めって言うのか」


「最初から一日じゃなくてもいいよ。週に半日」


「半日?」


「昼まで牧場を見たら、午後は出ない」


「午後に何かあったら」


「本当に父さんが必要なことなら呼ぶ。それ以外は私たちでやる」


          ◇


「何をするんだ、午後」


「好きにすればいいでしょう」


「だから、その好きにすることがない」


「街へ行ってもいいし、寝てもいいし、散歩でもいいし」


「散歩なら牧場でやる」


「それは見回りになるでしょ」


 ミーナは頭を抱えた。


「じゃあ、最初は本当に何もしなくていいよ」


「何もしないのが一番難しい」


「知ってる」


「何だその言い方は」


「父さんだから」


 ミーナは笑った。


          ◇


 結局、翌週からゴードンは週に一度だけ、午後の仕事を雇い人と娘へ任せることになった。


 最初の半休の日も、午前中は普段以上に細かく牧場を見回り、昼食の前にはデイルへ何度も注意を伝えた。


「西側の三番柵、下の杭が少し湿ってる。夕方にもう一回見ろ」


「はい」


「赤耳の三十二番、朝の食い方が少し遅かった」


「昼にも確認します」


「脚牛の水桶は――」


「旦那」


「何だ」


「そこも、さっき聞きました」


「忘れるかもしれんだろ」


「紙にも書いてあります」


 デイルが掲げた板には、ゴードン自身が朝のうちに書いた注意事項が並んでいた。


「じゃあ……頼む」


「任せてください」


 そう言われても、ゴードンはなかなか門を出る気になれなかった。


          ◇


 ようやく牧場を離れたものの、最初の半休はひどく長く感じた。


 自宅へ戻れば牧場の音が聞こえるため、少し牛が鳴くだけでも外へ出たくなり、そのたびに自分が何かを見落としているような気分になる。


 そこでミーナから追い出されるように街道を歩き、近くの川まで行った。


 若い頃には釣りをしたこともあったが、その日は道具を持っていなかったため、川辺の石へ座って流れる水を眺めるくらいしかすることがない。


 何度も牧場へ戻ろうかと考えたものの、二時間ほど経ってから帰ると、特別な問題は何も起きていなかった。


「赤耳は?」


「昼には普通に食べたよ」


「柵は?」


「デイルが杭を一本替えた」


「脚牛は?」


「全頭問題なし」


 ミーナが順番に答えた。


          ◇


「俺がいなくても平気だったな」


 思わず出た言葉に、ミーナは少しだけ表情を変えた。


「父さん」


「分かってる。いいことだ」


 ゴードンは、自分へ言い聞かせるように続けた。


「俺が一から教えた連中なんだから、できて当然だ。お前も帳簿だけじゃなく、牛の状態を見る目はある」


「五年いるからね」


「まだ見落としもあるが」


「褒めた直後にそれ言う?」


 ミーナは笑った。


 ゴードンも少しだけ口元を緩め、牧場が自分の不在を必要としていなかったのではなく、自分が教えてきた人間たちによって動いていたのだと考えるようにした。


          ◇


 二度目の半休には、ゴードンは古い釣り竿を物置から出した。


 三度目には川辺で一時間ほど眠り、四度目には午前中から雨が降っていたため、自宅で壊れた椅子を直そうとして、ミーナから「それも仕事みたいなものじゃない?」と言われた。


 本人が好きでやるなら構わないだろうということで、その日は椅子の修理を続けた。


 半日牧場から離れるようになったからといって、仕事への興味が薄れたわけではなく、むしろ午後に任せる仕事を決める必要が生まれたことで、雇い人それぞれが何を判断でき、何をまだ教えなければならないのかを、以前より意識するようになった。


 自分が全部やっていた頃には、相手ができるようになったかを確かめる前に、自分で手を出して終わらせていた仕事も多かったのである。


          ◇


 一か月ほど経った頃、ゴードンは再び育ちすぎた白芯根を持って《持ち込み食堂》へやって来た。


「また大きいですね」


 悠斗が言った。


「今度は少し早く掘った。前のよりましなはずだ」


「実験ですか?」


「娘が、人用にも使える大きさの限界を見ておけば、来年少し売れるんじゃないかって言い出した」


「いいですね」


「飼料畑を勝手に商売にするなと言ったんだがな」


「でも持ってきた?」


「試すだけだ」


 ゴードンは以前より少し小さい白芯根を卓へ置いた。


          ◇


 切ってみると、前回より外側の繊維が細く、中心だけでなく中ほどまで食べられそうだった。


 悠斗は薄く切った白芯根を一度茹で、鳥肉と根玉葱を合わせて煮込み、長めに火を入れていく。


 多少の歯応えは残ったものの、前回のように細かく刻まなくても十分食べやすくなり、根菜そのものの甘さも分かりやすくなった。


「《白芯根と鳥肉の柔らか煮》です」


 ゴードンが一口食べると、前回とは違い、白芯根そのものを料理へ使っている感覚がしっかり残っていた。


「このくらいなら売れるかもしれんな」


「人用に別で収穫する?」


「畑全部は無理だが、一列くらいなら試してもいい」


「娘さん喜びそうですね」


「調子に乗るから黙っておく」


「たぶん顔で分かりますよ」


 ゴードンは少し笑った。


          ◇


「休み、続いてます?」


 悠斗が尋ねた。


「半日だけな」


「どうです?」


「最初は暇だった」


「今は?」


「釣りを始めた」


「好きだったんです?」


「若い頃はな」


「魚、釣れます?」


「聞くな」


「釣れないんですね」


「次は釣る」


 ゴードンは不機嫌そうに答えながらも、本気で腹を立てている様子はなかった。


「牧場は問題なく回ってます?」


「問題がないわけじゃない。この前、デイルが飼料量を一頭分間違えた」


「大丈夫だったんです?」


「その日のうちに気づいたから、大事にはならなかった」


「ゴードンさんが気づいた?」


「ミーナが気づいた」


「じゃあ、ちゃんと見てる人がいるんですね」


 ゴードンは少し間を置いたあと、頷いた。


          ◇


「俺がいない時に失敗されるのが嫌だったんだと思う」


「失敗されることが?」


「俺がいれば防げたかもしれないって考えるからな。でも、俺がいても全部の失敗を防げるわけじゃないし、失敗しないように教えるのも俺の仕事だ」


「前は、教える前に自分でやってしまってた?」


「早いからな」


「今は?」


「一回やらせる。危ないところだけ止める」


「見てる方が大変そうですね」


「簡単に言うな。実際、見てる方が疲れるぞ」


「それはありそうです」


「仕事を任せるってのは、思ったより面倒だ」


 ゴードンはそう言いながらも、以前のように任せること自体を否定する口調ではなくなっていた。


          ◇


「親父が生きてた頃、俺もよく仕事を取られた」


「お父さんに?」


「俺が三十過ぎても、柵の杭を打ってる横から『遅い』って言って槌を持っていった」


「かなり似てますね」


「今、それを言うな」


「すみません」


「俺は親父ほどひどくない」


「そこは俺には分からないです」


「お前、前より遠慮なくなったな」


 ゴードンは呆れながらも、口元は少し笑っていた。


 自分が父と同じことをしていると言われると気分はよくなかったが、完全には否定できないことも分かっていた。


          ◇


 その日の帰り、ゴードンは牧場へ戻る途中で川へ寄った。


 半休の日ではないため長くいるつもりはなかったが、水面を見ながら少しだけ足を止めた。


 若い頃には、仕事を早く終えた父と一緒にこの川へ釣りに来たことがある。


 父も若い時から休まない人間だったと思っていたが、記憶を辿れば、まったく仕事以外のことをしていなかったわけではなく、夏の夕方には釣りへ行き、冬には家で木彫りをしていた。


 年を取るにつれて、それらを少しずつしなくなり、最後の数年には本当に牧場のことしかやらなくなっていた。


 ゴードンは、自分がその最後の数年だけを「牧場主らしい父の姿」として強く覚え、若い頃の父まで同じだったように思い込んでいたのかもしれないと考えた。


          ◇


 牧場へ戻ると、ミーナが入口で飼料帳を確認していた。


「遅かったね」


「川を見てきた」


「釣り?」


「今日は道具持ってない」


「じゃあ本当に見ただけ?」


「悪いか」


「悪くないけど、父さんが用もなく川を見るの珍しいから」


 ゴードンは荷袋から白芯根を取り出した。


「これ、前より食えたぞ」


「本当?」


「来年、一列だけ早採りしてみる」


 ミーナの顔が明るくなった。


「売るの?」


「最初から売るとは言ってない。試して、食えるものが安定して採れたらだ」


「それで十分だよ」


          ◇


「それと、来月からデイルに朝の飼料配分を全部やらせる」


「父さんは?」


「最終確認だけする」


「本当に大丈夫?」


「俺に聞くな」


「だって父さんが一番不安そうだから」


「一か月やらせて、問題が多ければまた考える」


「分かった」


「もう一人には柵の補修を任せる。小さい割れなら自分で判断させる」


「父さん、本当にどうしたの」


「仕事を減らすんじゃない」


 ゴードンは少し強調してから続けた。


「俺がやる仕事を変えるだけだ」


 ミーナは一瞬黙ったあと、嬉しそうに笑った。


          ◇


 それからさらに数か月が経つと、《ヘイル牧場》では仕事の分担が少しずつ変わっていった。


 ゴードンが朝から夜まで何もかも自分で動く日は減り、飼料の配分や小規模な柵修理については雇い人が判断し、牛の健康状態や飼料計画、繁殖の判断といった経験を必要とする仕事へ、ゴードン自身が以前より時間を使うようになった。


 若い雇い人が失敗することもあり、飼料の計量を間違えたり、杭を浅く打って翌日にやり直したりすることもあったため、ゴードンが横から手を出したくなる場面は何度もあった。


 それでも重大な危険がなければ、まず本人に直させ、その後でどこを見落としたのかを説明するようにした。


 以前より身体を使う仕事は少し減ったはずなのに、牧場全体をどう動かすか考える時間はむしろ増え、自分がこれまで「働く」と呼んでいたものが、単に自分の手を動かすことだけではなかったと分かり始めていた。


          ◇


 週に一度の半休も続けた。


 釣りでは相変わらず大した成果が出なかったものの、三か月目には小さな川魚を五匹釣り上げ、帰宅した時にはミーナへ見せる前から機嫌のよさが顔へ出ていた。


「すごいじゃん」


「小さいのばかりだ」


「でも釣れたんでしょ」


「餌がよかっただけだ」


「次も行く?」


「時間があればな」


「半休なんだから時間あるでしょ」


「そうだった」


 ゴードンは自分で言ってから少し笑った。


 仕事をしていない時間を持つことも、以前ほど後ろめたくは感じなくなっていた。


          ◇


 ある冬の朝、ゴードンはいつもの時間に目を覚ましたものの、腰へいつもより強い痛みを感じた。


 以前なら、そのまま着替えて牧場へ出ていただろう。


 しかし立ち上がった時に痛みが増したため、しばらく考えたあと、ミーナを呼んだ。


「今日は朝の見回りを頼む」


 娘は驚いた顔をした。


「どうしたの?」


「腰が痛い」


「医者呼ぶ?」


「そこまでじゃない。昼まで休んで、治らなければ行く」


「本当に休む?」


「何でお前が疑う」


「今までなら痛くても出てたから」


「今までの話をするな」


 ゴードンはそう言いながら、無理に立ち続けることはせず寝台へ戻った。


          ◇


 昼には痛みがかなり引き、念のため訪ねた医者からも、筋肉を痛めただけなので数日は重いものを持たないようにと言われた。


 ゴードンは三日間、飼料袋を一つも運ばず、その間も牧場は普段通り動いていた。


 朝になれば牛へ餌が入り、柵は確認され、山羊の寝床も掃除される。


 ゴードン自身は健康状態の最終確認と判断が必要なことだけを行い、それ以外の作業は雇い人へ任せた。


 三日目の夕方、放牧場を見ながら、ミーナが隣へ立った。


「牧場、なくならなかったね」


「当たり前だ」


「父さんが袋持たなくても」


「それも当たり前だ」


「前は当たり前じゃなかったじゃん」


「うるさい」


 ゴードンは笑いながら娘を軽く睨んだ。


          ◇


 春が近づく頃、《ヘイル牧場》の白芯根畑には、人間用として売れるかどうか試すため、他より早く収穫する小さな区画が一列だけ作られた。


 牧場全体から見れば、ごくわずかな面積にすぎない。


 ゴードンは畑の端へ立ち、若い葉の状態を確認した。


「この辺は少し密すぎるな」


 隣にいたデイルが尋ねる。


「間引きます?」


 以前なら、ゴードン自身がすぐ鍬を取りに行っていたところだった。


「午後にお前がやれ。間隔はこれくらいだ」


 ゴードンは土の上へ目安を示した。


「分かりました」


「迷ったら聞け」


「はい」


 デイルが答えると、ゴードンはそれ以上手を出さず、別の畑へ向かった。


          ◇


 昼になると、ミーナが家の前から呼んだ。


「父さん、今日半休の日だよ」


「分かってる」


「今どこ行くつもり?」


「南柵」


「駄目」


「朝、牛が少し擦ってた」


「デイルに伝えてある」


「俺が見た方が――」


「午後はデイルの仕事」


 ゴードンはしばらく南側を見たあと、小さく息を吐いた。


「分かったよ」


「釣り行く?」


「今日は風が強い」


「じゃあ何するの?」


「街へ行く」


「用事ある?」


「ない」


 ミーナは少し驚いたあと、嬉しそうに笑った。


「それなら、ゆっくりしてきて」


          ◇


 ゴードンは一人で街道を歩き、レーヴェンへ向かった。


 飼料商との約束もなく、道具を買う予定もなく、家畜の売買について誰かと話す必要もないため、完全に仕事とは関係のない外出だった。


 以前なら、用事もないのに街へ入ること自体へ居心地の悪さを感じていたかもしれないが、今はそこまで気にならなかった。


 西区まで歩いたところで《持ち込み食堂》へ入り、今日は食材を持っていないと伝える。


「珍しいですね」


 悠斗が言った。


「何が」


「持ち込みなしで来るの」


「今日は何も持ってくる必要がないからな」


「仕事は?」


「午後は休みだ」


 ゴードンは少しだけ胸を張った。


「ちゃんと続いてるんですね」


「当たり前だ。一度決めたからな」


          ◇


「何食べます?」


「任せる」


「白芯根じゃなくて?」


「今日は白芯根の確認に来たんじゃない」


「じゃあ普通の食事にします」


「それでいい」


 しばらくして出てきたのは、鳥肉と豆をゆっくり煮込み、焼いた根玉葱を添えた温かい料理だった。


 ゴードンは急いで食べる必要もなく、一口ずつ味わいながら食事を進めた。


 食べ終えたところで、すぐに牧場へ戻らなければならない理由もない。


「店主」


「はい」


「この辺で、釣り針売ってる店知らないか」


「釣りですか?」


「今のやつ、少し曲がってきた」


 悠斗は近くの道具屋を教えた。


          ◇


 店を出たゴードンは教えられた道具屋へ向かい、新しい釣り針をいくつか選んだ。


 以前なら、こんなものを買う時間があるなら飼料倉庫の整理でもした方がいいと考えていただろう。


 今でも牧場の仕事は好きであり、明日の朝になれば牛の状態を見に行くことを楽しみにしているため、仕事そのものから離れたいわけではない。


 ただ、牧場主であることを証明するために、できる仕事をすべて自分の手へ集め続ける必要はなかった。


 自分が覚えたことを人へ教え、任せられる仕事を渡し、難しい判断が必要な時に自分が責任を持つこともまた、長く牧場を続けるために必要な仕事なのだと、今では考えられるようになっていた。


          ◇


 夕方、ゴードンが《ヘイル牧場》へ戻ると、南柵には新しい横木が入っていた。


 近づいて固定の仕方を確認すると、杭の深さも十分で、釘の打ち方にも問題はない。


「どうです?」


 作業を終えたデイルが少し離れた場所から尋ねた。


 ゴードンは、いつもの癖で一か所くらい直すところを探しそうになったものの、必要のない手直しをすることはやめた。


「問題ない」


「本当に?」


「何でお前まで疑う」


「旦那、いつも一つくらい何か言うから」


「今日はない」


「じゃあ成功ですね」


「最初から成功するつもりでやれ」


 ゴードンが返すと、デイルは笑った。


          ◇


 そこへミーナが家の方から歩いてきた。


「街、どうだった?」


「飯食って、釣り針買った」


「仕事のものは?」


「何も買ってない」


「本当に?」


「だから何で疑うんだ」


「すごいと思って」


「馬鹿にしてるだろ」


「してないよ」


 ミーナは父の手にある小さな道具袋を見た。


「今度の半休、釣り?」


「風がなければな」


「魚、釣れたら食堂へ持っていけば?」


「自分で焼ける」


「持ち込み食堂なのに」


「何でもあそこへ持っていくな」


 二人は言い合いながら、家の方へ歩いていった。


          ◇


 牧場の向こうでは、夕方の餌を終えた角牛たちがゆっくりと柵の中を歩き、雇い人たちもそれぞれの担当を終えて戻り始めていた。


 ゴードンはその景色を見ながら、自分が少し仕事を減らしたからといって、牧場から自分の居場所までなくなるわけではなかったことを、以前より自然に受け入れられるようになっていた。


 父のように最後まで働き続ける生き方そのものを否定する必要はないが、父と同じ働き方を繰り返すことだけが、受け継いだ牧場を大切にする方法でもない。


 これから先、身体が今より動かなくなれば、さらに誰かへ渡さなければならない仕事も増えるだろうし、そのたびに少し寂しさを感じることもあるはずだった。


 それでも、自分ができなくなるまで全部を抱え込むより、できるうちに教え、任せ、必要な時に支えられる形を作っておく方が、この牧場で働く人間にも、そこで暮らす家畜にも、より長く責任を持つことができる。


 ゴードンは夕日に照らされた南柵を一度だけ見回すと、問題なく修理された場所へもう一度手を出すことはせず、明日の朝に確認すれば十分だと判断して家へ戻り、その日の仕事をすべて自分の手で終わらせなくても、誰かへ任せた仕事まで含めて《ヘイル牧場》の一日はきちんと終わるのだということを、今度は不安ではなく少しの誇らしさと一緒に受け入れた。


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