第33話 反り返った木の実と、任せられない木工職人
アレン・フォードは、人へ仕事を任せるくらいなら、自分でやった方が早いと長い間本気で考えていた。
四十歳になる彼は、レーヴェン西区で家具や生活道具を作る木工職人であり、自宅の一階と裏手の作業場を使って、小さな棚から食卓、収納箱、荷車の部品まで幅広い注文を受けている。店の規模こそ大きくないものの、寸法の正確さと丈夫な仕上がりには定評があり、長く使える家具が欲しいという客から繰り返し注文を受けてきた。
妻は帳簿や注文の整理を手伝い、十四歳になる息子のテオも、学校が休みの日には作業場へ顔を出している。
テオはまだ正式な見習いではなかったが、木工そのものには強い興味を持っていた。幼い頃から父親が木を削る姿を見て育ち、十歳を過ぎる頃には端材を使って小さな箱や玩具を作り始めていたため、いずれ父の仕事を覚えたいという気持ちを隠したこともない。
それでもアレンは、息子へ本物の仕事をほとんど任せていなかった。
木材を運ばせ、床へ落ちた木屑を掃かせ、道具を磨かせるところまでは許しているものの、客へ渡す品へ触らせる段階になると、アレンは決まって手を出し、結局最後まで自分で仕上げてしまう。失敗すれば客に迷惑がかかるうえ、直すための時間も材料も余計に必要になるのだから、それなら最初から自分が作った方が確実で早いというのが、彼の長年変わらない考えだった。
◇
「父さん、これ俺がやっていい?」
昼前の作業場で、テオが一枚の板を指した。
その日は近所のパン屋から注文された小さな陳列棚を作っており、すでに大まかな部品の切り出しは終わっている。
「何をだ」
「棚板の角を落とすところ」
「まだ早い」
「前に端材で練習しただろ」
「客の品と端材は違う」
「でも同じ道具使うじゃん」
「使う道具が同じでも、失敗した時の話が違うんだ」
アレンは息子から板を取り、自分の作業台へ置いた。
「見てろ」
「また見るだけ?」
「まず正確に覚えろ」
「もう何回も見たよ」
「何回見たかじゃない。できるようになるまで見るんだ」
テオは不満そうに口を閉じた。
◇
アレンは鉋を持ち、棚板の角へ当てた。
刃を走らせるたびに薄い木の皮が滑らかに剥がれ、四角かった角が少しずつ柔らかな形へ変わっていく。動きにはほとんど迷いがなく、力を入れすぎることもないため、隣で見ているテオにとっては、いくら眺めても父が簡単そうにやっているようにしか見えなかった。
「それ、俺ができるようになるのいつ?」
「もっと練習してからだ」
「どれくらい?」
「俺が任せても大丈夫だと思ったら」
「それ、いつなんだよ」
アレンは手を止めずに答えた。
「急ぐな。木工は覚えるのに時間がかかる」
「でも父さん、練習するもの全部端材じゃん」
「端材で十分だ」
「客の品を作らないと、客の品を作れるようにならないだろ」
その言葉を聞いた瞬間、アレンの手がわずかに止まった。
◇
「失敗したらどうする」
「直す」
「直せない失敗もある」
「じゃあ作り直す」
「材料はただじゃない」
「分かってるよ」
「まだ分かってない」
アレンは少し強い声で言った。
「客から金をもらう仕事は、練習とは違う。一枚板を駄目にしたら、その分こっちが損をするし、納期だって遅れる」
「だから、ずっとやらせないの?」
「必要な時になればやらせる」
「いつが必要な時なんだよ」
「テオ」
名前を低く呼ばれ、少年はそれ以上言わなかった。
しかし、その日の作業が終わるまで、親子の間に以前のような軽い会話は戻らなかった。
◇
数日後、アレンは少し困った注文を抱えることになった。
馴染みの宿屋から、食堂で使っている長椅子を二脚修理してほしいと頼まれたのである。
脚の接合部が緩み、座面にも小さな亀裂が入っているため、単純に釘を打ち直すだけでは長く持たず、いったん分解したうえで傷んだ部分を削り、補強材を入れ直す必要があった。
納期は五日後であり、普段なら十分に余裕のある仕事だったが、ちょうど同じ時期に食器棚と荷車の車輪も受けていたため、作業場にはすでに仕掛品がいくつも並んでいた。
「これ、手伝えるよ」
長椅子を見たテオが言った。
「どこをだ」
「古い接着材を削るところ。そこなら失敗しても、あとで父さんが調整できるだろ」
「刃物を使う」
「使えるよ」
「客の品だぞ」
「分かってる」
アレンは少し迷ったものの、結局首を横へ振った。
「いい。俺がやる」
◇
それから三日間、アレンは朝から夜まで作業場へ籠もった。
食器棚の組み上げ、長椅子の分解、車輪の歪み直しを順番に進めているつもりだったが、どの仕事も自分で最初から最後まで確認しなければ気が済まないため、予定していた以上に時間がかかっていく。
テオは木材を運び、道具を片づけながら何度か手伝いを申し出たものの、アレンはそのたびに「まだいい」と断った。
四日目の午後になった頃には、長椅子の一脚がまだ途中までしか進んでいなかった。
「父さん、明日納品だろ」
「分かってる」
「間に合う?」
「間に合わせる」
「今日寝ないつもり?」
「必要ならな」
「母さん怒るぞ」
「終わらない方が困る」
アレンは長椅子の脚を削りながら、息子の心配をまともに受け取ろうとしなかった。
◇
ところが、その日の夕方になって問題が起きた。
疲れが溜まっていたせいか、補強材をはめ込むための溝を削っている途中で、アレンは刃をわずかに深く入れすぎてしまった。
「あっ」
隣で見ていたテオが声を上げた。
溝の端は予定よりわずかに広がっており、致命的な失敗ではないものの、そのままでは補強材との間に隙間ができるため、別の木片を薄く足して調整しなければならない。
アレンはしばらく削った場所を見つめたまま、手を止めた。
「父さんでも失敗するんだな」
「黙ってろ」
「でも、直せるんだろ?」
「ああ」
「じゃあ俺が一回失敗した時だって、直せることあるんじゃないの」
「同じ話にするな」
「何が違うんだよ」
テオの声には、今度こそ隠しきれない苛立ちが混じっていた。
◇
「父さんは失敗しても仕事を続けられる。でも俺は失敗するかもしれないってだけで、最初から何もやらせてもらえないじゃん」
「お前の失敗で客に迷惑がかかったらどうする」
「父さんが最後に確認すればいいだろ」
「確認すれば全部戻せるわけじゃない」
「だったら、戻せる仕事からやらせればいいだろ!」
作業場へテオの声が大きく響いた。
「俺、いきなり食器棚を一人で作らせろなんて言ってない。削りすぎても直せるところとか、失敗しても材料を替えられるところからやりたいって言ってるんだよ」
アレンは返事をしなかった。
「見てるだけで上手くなるなら、もう十分見たよ」
テオはそれだけ言い残し、作業場から出ていった。
◇
その夜、アレンは予定より遅くまで一人で仕事を続けた。
削りすぎた部分へ薄い補修材を入れ、長椅子そのものは何とか納品できる形へ戻したものの、作業をしている間も息子との会話が何度も頭へ浮かんだ。
自分だって失敗する。
それでも長く仕事を続けてこられたのは、一度も失敗しなかったからではなく、どこまでなら修正できるのか、どの時点で作り直すべきなのか、何をそのまま客へ渡してはいけないのかを、何年もかけて覚えてきたからだった。
当然、それをいつか息子へ教える必要があることくらい、アレン自身も分かっている。
しかし客から代金を受け取る品の前へ立つと、どうしても「失敗させない方がいい」という考えが先に出てしまい、その結果として、失敗から戻る方法を教える機会まで自分で奪っていた。
翌朝に長椅子を無事納品したアレンは、市場で必要な材料を買ってから帰るつもりだったが、乾物屋の前に積まれていた妙な木の実が目に入り、思わず足を止めた。
◇
「何だ、これ」
籠の中には、細長く反り返った茶色の木の実が山積みにされていた。
大きさは指二本分ほどで、殻の外側には何本もの筋が走っている。
「《曲殻実》だよ」
店主が答えた。
「食えるのか」
「中身は食える。煎ると香ばしいぞ」
「何で全部曲がってる」
「今年は実が育つ時期に雨が偏ったらしくてな。殻が乾く時に反ったらしい」
「中身も悪いのか?」
「割ってみないと分からんが、見た目が悪いってだけで安く入ってきた」
アレンは一つ手に取り、指で殻の形を確かめた。
木材でも、乾燥の仕方が悪ければ板が反ることがあり、その形が仕事のことを思い出させたため、妙に気になった。
◇
「一袋くれ」
「珍しいな。料理するのか?」
「たまにはな」
実際には自分でどう料理するかなど、何も考えていなかった。
家へ持ち帰れば妻が何とかしてくれるだろうとも思ったが、反った殻の中身が本当に問題ないのかが気になり、アレンは少し考えたあと、そのまま《持ち込み食堂》へ向かった。
「いらっしゃいませ」
昼を少し過ぎた店内は比較的静かで、ミレイアが空いた卓を片づけていた。
「これ、料理できるか」
アレンが袋を置く。
「木の実ですか?」
「曲殻実っていうらしい」
厨房から悠斗が出てきた。
「食べられるのは確認済みです?」
「乾物屋では食用として売ってた。煎れば食えるそうだ」
「じゃあ、まず中の状態を見てみます」
◇
悠斗が一つ取り出し、硬い殻へ刃を入れた。
反っているせいで安定しにくく、普通の丸い木の実より少し割りづらそうだった。
「押さえにくいですね」
「形が悪いからな」
「でも、中は普通そうです」
殻を開くと、内側には淡い黄色の実が入っており、虫食いや腐敗もなく、香りにも異常はなかった。
「見た目だけの問題か」
「今の一個はそうみたいですね。ただ、全部同じとは限らないので、何個か見ておきます」
さらに数個割っていくと、一つだけ端が黒く変色しているものがあったため、それだけは使わず脇へ避けた。
「ちゃんと中身を選ぶ必要はありそうですね」
「曲がってるから悪いわけじゃないのか」
「今のところ、殻の曲がり方と中身の状態は別みたいです」
◇
悠斗は状態の良い実をいくつか取り出し、まずそのまま乾煎りした。
弱めの火で転がしながら熱を入れていくと、淡い黄色だった表面へ少しずつ焼き色がつき、やがて香ばしい匂いが店内へ広がり始める。
「味見します?」
「ああ」
粗熱を取った実を一つ割り、二人で少しずつ食べると、歯触りはやや固いものの、噛むほどに穏やかな甘味と油分が出てきた。
「普通に食えるな」
「美味しいですね」
「殻が反ってるだけで安かった」
「なら、中身を選べばかなり使えそうですね」
アレンはもう一粒食べながら、何となく黙り込んだ。
◇
「何か気になります?」
悠斗が尋ねた。
「木でもな、乾かし方によって反ることがある」
「板ですか?」
「ああ。反った板をそのまま棚板に使えば困る」
「直せるんです?」
「程度次第だ。削って使うこともあるし、小さい部品へ回すこともある。反りがひどくて強度まで怪しければ使わない」
「じゃあ、曲がってるから全部捨てるわけではないんですね」
「当たり前だろ。木を何だと思ってる」
アレンは少し不機嫌そうに答えた。
◇
悠斗は曲殻実を粗く砕き、黄芋と根玉葱を使った料理へ加えることにした。
「何を作る」
「黄芋を潰して、この実を混ぜて焼こうかなと思います」
「甘くするのか?」
「今日は食事として食べるので塩味にします。少し塩漬け肉も使いますね」
黄芋を柔らかく茹でて潰し、炒めた根玉葱と細かく刻んだ塩漬け肉を混ぜ、そこへ粗く砕いた曲殻実を加える。全体を混ぜ終えると小さな丸い形へ整え、表面へ薄く粉をつけてから鉄鍋へ並べた。
「全部同じ大きさにするんだな」
アレンが言う。
「なるべくは揃えます」
「一つ、少し大きいぞ」
「本当だ」
「貸せ」
アレンは無意識に手を伸ばしかけたものの、途中で止めた。
◇
「気になります?」
悠斗が少し笑った。
「大きさが違えば火の入り方も変わるだろ」
「少しくらいなら、厚みを変えて調整できます」
「最初から同じ大きさにしろよ」
「それが一番ですけど、もう作ったので」
悠斗は大きめの一つだけ少し平たく押し、他と近い厚さへ整えた。
「それでいいのか」
「今日は問題ないと思います」
「雑だな」
「売り物として数を揃えるなら、もっときちんと量りますよ。今日は一皿なので、直せる範囲なら途中で調整します」
アレンは何も言わず、焼かれていく団子を眺めた。
◇
焼き上がった料理は、《曲殻実入り黄芋焼き》として卓へ出された。
表面には香ばしい焼き色がつき、黄芋の柔らかな甘さの中へ根玉葱と塩漬け肉の旨味が混ざっている。さらに粗く砕いた曲殻実が加わることで、柔らかな生地の中に小さな歯応えが生まれ、噛むたびに木の実の香ばしさが広がった。
「これなら店でも出せそうだな」
アレンが言った。
「実際に出すなら、形と大きさはもう少し揃えます」
「さっき多少違ってもいいって言ってただろ」
「多少違っても調整できると言っただけで、雑でいいとは言ってません」
「同じようなもんだろ」
「結構違いますよ」
悠斗は笑った。
◇
「失敗しても直せるものと、最初から失敗したら困るものを分けてるのか」
アレンが尋ねた。
「料理の話です?」
「ああ」
「分けますね。火を入れすぎたら戻せないものもあれば、途中で味や形を調整できるものもあります」
「新人にやらせるなら?」
「俺に弟子はいませんけど、もし教えるなら、最初は失敗しても修正しやすいところからだと思います」
「いきなり一皿全部は?」
「怖いですね。でも、ずっと野菜を洗うところだけ任せても、その人が一皿を作れるようにはなかなかならないでしょうし」
その言葉を聞いたアレンは、口へ運びかけていた黄芋焼きを途中で止めた。
◇
「息子が似たようなこと言ってた」
「木工の話です?」
「何で分かる」
「さっきから木の話をしてますから」
「十四になる息子がいる。木工を覚えたいって言ってる」
「教えてるんですか?」
「教えてはいる」
「どんなことを?」
「木の種類、道具の手入れ、運び方、それから削り方も端材で練習させてる」
「お客さんへ渡す品は?」
「ほとんど触らせてない」
「それで息子さんは不満?」
「かなりな」
アレンは皿を見たまま答えた。
◇
アレンは長椅子の修理で起きたことを、必要なところだけ悠斗へ話した。
仕事が重なっていたこと、テオが何度も手伝うと言ったこと、それでも任せず、自分が疲れた状態で作業を続けた結果、結局溝を少し削りすぎてしまったことまで説明する。
「その失敗は直せたんです?」
「ああ。薄い補修材を入れて、強度も問題ないところまで戻した」
「じゃあ、失敗しても直せる場所だったんですね」
「俺ならな」
「息子さんが同じ失敗したら?」
「直し方を教える」
「だったら、その直し方まで含めて練習になるのかなと思ったんですけど」
アレンは眉を寄せた。
「お前、簡単に言うな」
「木工のことは分からないので、そこまでしか言えません」
「なら黙ってろ」
「はい」
悠斗は本当に黙り、別の皿を片づけ始めた。
◇
アレンは少し食べ進めたあと、自分から再び口を開いた。
「俺が怖いのは、息子を失敗させることそのものじゃない」
悠斗が振り向く。
「客へ迷惑をかけることだ。代金をもらってる以上、練習台にはできない」
「それはそうですね」
「だから俺がやる」
「でも今回は、仕事を抱えすぎてアレンさん自身が一回失敗したんですよね」
「……ああ」
「なら、全部一人でやる方が必ず安全とは限らない?」
「それを俺に認めろって言いたいのか」
「俺からは何とも言えません。ただ、かなり疲れてたのは事実なんですよね」
「寝れば戻る」
「でも納期は、その間止まってくれませんよね」
アレンは露骨に嫌そうな顔をした。
◇
「俺も最初から全部できたわけじゃない」
しばらくしてから、アレンが言った。
「誰かに教わったんです?」
「親父だ」
「どんな人でした?」
「怖い人だった。失敗すれば怒鳴るし、寸法が一つ違えば最初からやり直しだった」
「かなり厳しいですね」
「それでも、客の品には触らせた」
そこまで言ってから、アレンは自分でも何かに気づいたように黙った。
「何歳くらいからです?」
「十三だったと思う」
「テオさんより少し若いですね」
「一年だけだ」
「最初に何を任されたんです?」
「引き出しの底板を削らされた。多少薄くなっても、表からは見えにくいところだった」
その時の記憶は、思い返せば今でも細かく残っていた。
◇
十三歳だったアレンは、客から注文された大きな衣装棚の引き出しへ使う底板を父から渡され、「平らにしろ」とだけ言われた。
緊張しながら鉋を動かした結果、端の一部を削りすぎた時には、客の材料を駄目にしてしまったと思い、血の気が引くほど慌てた。
しかし父は大声で叱りはしたものの、その板をすぐに捨てることはしなかった。
削りすぎた側に合わせて全体を調整し、必要な強度が残っているかを確認したうえで、そのまま底板として使えることを見せてくれた。
その日の夜、父から言われた言葉まで覚えている。
「失敗するなら、直せるところで失敗しろ」
当時は怒鳴られたことばかり印象に残っていたが、今になって思い返せば、父は最初から失敗する可能性まで考えた場所を選び、そこだけを息子へ渡していたのかもしれなかった。
◇
「親父は、ちゃんと選んでたのか」
アレンが呟いた。
「何をです?」
「俺にやらせる仕事だ」
悠斗は何も言わず、続きを待った。
「底板なら少しくらい削りすぎても調整できる。棚の外枠とか扉の合わせみたいに、一度狂ったら全部やり直しになるところは、ずっと後になるまで触らせなかった」
「任せるか任せないかの二つに分けてたわけじゃないんですね」
「ああ。たぶん、失敗した時にどこまで戻せるかで分けてた」
「それなら、息子さんにも似たやり方ができそうですね」
アレンは皿に残った最後の黄芋焼きを食べながら、しばらく黙って考えた。
◇
「俺は息子に失敗させたくなくて、仕事そのものを渡してなかった」
「端材での練習はさせてたんですよね」
「ああ」
「なら全然教えてなかったわけじゃないと思います」
「でも、あいつが言う通りなんだろうな。客の品を一度も触らなきゃ、客の品を扱う時の緊張は覚えられない」
「俺も、人に食べてもらう料理は、自分の分を作る時とは少し緊張が違います」
「お前でも?」
「今でも失敗したくないですよ」
「失敗することはあるのか」
「あります。なるべくお客さんへ出す前に止めますけど」
悠斗は少し苦笑した。
「だからこそ、修正できる段階で気づけるように見るようにはしてます」
◇
食事を終えたアレンは、残った曲殻実を持って家へ帰った。
反り返った殻を見ても、それをそのまま息子へ重ねるつもりはなかった。木の実は木の実であり、テオはテオなのだから、料理一皿をそのまま家族の答えへ置き換えるような考え方はしたくなかった。
ただ、使えるかどうかを中身まで確かめる前に、形だけを見て除外することと、失敗するかもしれないという理由だけで仕事そのものを触らせないことには、少し似たところがあるのかもしれないとは思った。
そして何より、自分自身が父からどのように仕事を渡され、どこで失敗を経験させてもらったのかを、アレンは長い間ほとんど思い返していなかった。
◇
翌朝、テオが作業場へ入ると、作業台の上に小さな木枠が置かれていた。
「これ何?」
「近所の薬草店から頼まれた整理箱だ」
「今日作るやつ?」
「ああ」
アレンは四枚の側板と、一枚の底板を示した。
「その底板を削れ」
テオはすぐには動かず、父と板を交互に見た。
「端材?」
「客の品だ」
「本当に?」
「何度も言わせるな」
テオは驚いた顔のまま、底板へ手を伸ばした。
◇
「待て」
アレンが止める。
「何だよ」
「先に寸法を測れ。今の厚みから、この線までは削っても問題ない」
アレンは板の端へ印をつけた。
「この線を越えたら?」
「越えないようにやる」
「そうじゃない。越えた時にどうするか聞いてる」
テオは少し考えた。
「作り直す?」
「程度による。少しくらいなら全体を合わせて使えるが、大きく削ったら新しい板に替える」
「怒る?」
「注意はする」
「やっぱり怒るんじゃん」
「仕事だからな」
テオは少し笑った。
◇
「ただ、最初から絶対失敗しないと思って渡してるわけじゃない」
アレンが続けた。
「え?」
「もし少し失敗しても、まだ直せる場所だから渡してる。分からなくなったら、自分だけで勝手に続けずに聞け」
「父さんがやった方が早いんじゃないの」
「早い」
「じゃあ何で俺にやらせるんだよ」
「お前がいつまでもできるようにならないからだ」
テオは父の顔を見たあと、小さく笑った。
「それ、俺が言ってたやつじゃん」
「うるさい。始めろ」
テオは鉋を手に取った。
◇
最初の数回は、アレンが隣に立って刃の角度を見ていた。
「力入れすぎだ」
「これくらい?」
「もう少し刃を寝かせろ」
「こう?」
「そうだ。長く押そうとするな。短くても一定に動かせ」
テオは言われた通りに鉋を動かし、薄い木屑を少しずつ削っていった。
途中で一度、片側だけ余計に削りそうになった時には、アレンも反射的に手を出しかけたものの、直前で止めた。
「一回測れ」
「まだ大丈夫?」
「自分で見ろ」
テオは定規を当て、左右の厚みを確かめた。
「こっちが少し薄い」
「なら次はどうする」
「反対側を少し多めに削って合わせる」
「やってみろ」
◇
予定より時間はかかったものの、底板は十分に使える状態まで仕上がった。
完璧に均一ではなく、アレンが自分で削った場合よりわずかな差は残っている。それでも整理箱の底へ使うには問題のない範囲であり、最後にアレンが手で触って確認しても、作り直す必要はなかった。
「どう?」
テオが尋ねた。
「使える」
「それだけ?」
「客へ出せる」
その言葉を聞いた瞬間、テオの表情がぱっと変わった。
「本当に?」
「ああ。ただし次は、左へ力が寄りすぎないようにしろ」
「分かった」
少年は嬉しそうに、自分が削った板を何度も見直した。
◇
整理箱が完成したあと、アレンは薬草店へ納品する前にテオを呼んだ。
「自分で確認しろ」
「俺が?」
「自分でやったところくらい、自分でも最後まで見ろ」
テオは底板を押し、角の接合部を確かめ、卓へ置いた時に揺れないかまで一つずつ見ていった。
「大丈夫だと思う」
「思うじゃ駄目だ」
「揺れない。割れもないし、底も抜けない」
「ならいい」
「父さんも見る?」
「見る」
「結局見るんだ」
「俺の名前で受けた仕事だからな。お前へ任せたからって、最後の責任まで全部お前へ押しつけるわけじゃない」
アレンは最後に全体を確かめ、問題がないことを確認した。
◇
薬草店へ整理箱を届けると、店主は中を確認して満足そうに頷いた。
「いいね。前に作ってもらったのと高さも揃ってる」
「底板だけ、息子が仕上げた」
テオが驚いて父を見ると、店主も少年へ顔を向けた。
「そうなのか」
「はい」
「じゃあ、これが最初の仕事か」
「……たぶん」
「何だ、たぶんって」
アレンが横から言う。
「父さんが今まで客の品をやらせなかったからだろ」
「今日やっただろ」
店主は親子のやり取りを聞きながら笑い、そのまま代金を支払った。
◇
帰り道、テオはいつもよりよく喋った。
「次は何やっていい?」
「調子に乗るな」
「底板できたじゃん」
「一枚な」
「じゃあ次も底板?」
「同じ仕事があればな」
「側板は?」
「まだ早い」
「またそれ?」
「ただし、ずっと駄目とは言ってない」
テオは少しだけ黙ったあと、父の横を歩きながら尋ねた。
「いつならいい?」
「底板を何枚かやって、寸法を安定して出せるようになったら考える」
「ちゃんと条件あるんだ」
「当たり前だ。今度からは、お前にも分かるように言う」
以前のような「俺がいいと思ったら」という曖昧な答えではなかったため、テオもそれ以上は文句を言わなかった。
◇
それからアレンは、仕事を息子へ渡す時の基準を少しずつ作り始めた。
失敗した場合に補修できる場所、材料を交換しても納期へ大きな影響が出にくい部品、最後に自分が確認できる工程から任せる。その代わり、任せた仕事だからといって放置することはせず、途中で何を確認し、どの段階で相談するべきかまで教えるようにした。
テオも最初から上手くできたわけではなく、二つ目の整理箱では底板を少し削りすぎ、薄い補強材を追加しなければならなくなった。
その時、少年は青ざめた顔で父を見た。
「これ、作り直し?」
「まだ直せる」
「客に出して大丈夫?」
「直したあとで強度を見て決める」
「失敗したな……」
「そうだな」
アレンは失敗した事実まで無理に否定することはしなかった。
◇
「怒らないの?」
「同じ失敗を何回もやったら怒る」
「今回は?」
「まず何で削りすぎたか考えろ」
テオは板を見ながら、しばらく黙った。
「途中で測らなかった」
「他には?」
「早く終わらせようとして、一回に削る量を増やした」
「なら次はどうする」
「何回か削ったら測る。急いでも刃を深くしない」
「それを忘れるな」
アレンは補修方法を教え、二人で板を直した。
完成した整理箱は予定通り客へ渡せる強度になり、テオは自分が失敗した部分を、最後まで何度も確認していた。
◇
数週間後、アレンはテオを連れて《持ち込み食堂》を訪れた。
今回は曲殻実を持ち込んだわけではなく、親子で普通に食事をするために店へ入った。
「いらっしゃいませ」
ミレイアが二人を迎え、悠斗も厨房から顔を出した。
「息子さんですか?」
「テオ・フォードです」
少年が自分から名乗った。
「父さん、ここで何話したの?」
「別に何も話してない」
「絶対何か話しただろ」
「木の実を食っただけだ」
悠斗はアレンの顔を見たものの、余計なことは言わず二人を席へ案内した。
◇
「曲殻実、まだ少しありますよ」
悠斗が言った。
「俺が持ってきたやつか?」
「残った二つを保存して、状態を見てました。問題なかったので、今日は細かく砕いて豆の煮込みへ入れようかなと思ってます」
「全部同じ使い方にしないんだな」
「別の料理に合いそうなら試します」
テオが父を見る。
「父さん、木の実持ってきたの?」
「市場で安かったんだ」
「料理できないのに?」
「食堂へ持ってくるつもりだった」
「最初から?」
「……だいたいな」
テオは明らかに疑わしそうな目を向けた。
◇
料理を待つ間、悠斗がテオへ尋ねた。
「最近、仕事を手伝ってるんですか?」
「前よりやらせてもらえるようになりました」
「何を?」
「箱の底板とか、小さい棚の裏板とか、それから修理する椅子の古い接着材を削るのもやりました」
「結構増えてますね」
「でも父さん、最後は全部見るんです」
「そりゃ見るだろ」
アレンが横から言う。
「俺が受けた注文なんだから、客へ渡す前は確認する」
「前は最初から全部自分でやってたくせに」
「今はお前が少し使えるようになったからだ」
「少し?」
「まだ少しだ」
テオは不満そうだったが、以前のように何も任されない時とは違い、その言葉を本気で嫌がっているわけではなかった。
◇
「失敗したことは?」
悠斗がテオへ尋ねた。
「あります。底板を一枚削りすぎました」
「どうしたんです?」
「父さんに直し方を教えてもらいました」
「作り直さなかった?」
「強度が足りたから直して使った」
アレンが横から付け加えた。
「使えない状態なら作り直す。そこは変えない」
「じゃあ、失敗したものを何でも許すわけではない?」
「客の品だからな。使えないものを練習だったからって出す方がおかしい」
「でも、失敗する可能性がある仕事は任せるようになった?」
アレンは少し考えてから答えた。
「失敗させるために任せてるわけじゃない。ただ、失敗する可能性まで全部消そうとしたら、何も渡せなくなるって分かっただけだ」
◇
やがて運ばれてきたのは、白豆と鳥肉を柔らかく煮込み、最後に煎って砕いた曲殻実を加えた料理だった。
豆の滑らかな食感の中へ木の実の香ばしさが混ざり、以前アレンが食べた黄芋焼きとは違う形で同じ実が使われている。
「こっちにも合うな」
アレンが言った。
「同じ実でも使い方変わるんですね」
テオが食べながら答えた。
「木だって同じだろ。一本の木から棚板にも脚にも小さい部品にもする」
「父さんが料理の例えするの珍しい」
「例えじゃない。ただ思ったこと言っただけだ」
悠斗は笑いながら、何も口を挟まなかった。
◇
食事を終えたあと、アレンはテオより先に立ち上がり、代金を支払った。
「明日は何やる?」
店を出ながらテオが尋ねる。
「椅子の修理が一脚ある」
「俺もやれる?」
「古い接着材を落とすところまでは任せる」
「その後は?」
「状態を見て決める」
「脚の補強は?」
「まだ早い」
「じゃあ、いつならできる?」
「修理を三脚くらい見て、継ぎ方を覚えたら一回やらせる」
「約束?」
「仕事だから、条件を満たしたらな」
「じゃあ覚える」
テオは納得したように頷いた。
◇
翌朝、作業場へ入ったアレンは、修理を依頼された椅子を作業台へ載せた。
接合部には古い接着材が残っており、無理に刃を入れれば木そのものを削る可能性もある。
「テオ」
「いるよ」
「ここからここまで落とせ。木は削るな」
「もし少し削ったら?」
「程度を見て直す。ただし、直せるから削っていいって意味じゃないぞ」
「分かってる」
テオは道具を持ち、椅子の脚を固定した。
以前のアレンなら数分もしないうちに息子の手元が気になり、結局自分から道具を取り上げていたかもしれないが、今はすぐ隣に立ちながらも、必要なところまではテオ自身にやらせることにした。
◇
刃が古い接着材を少しずつ剥がしていく。
テオの動きはまだ遅く、アレンなら半分以下の時間で終えられる仕事だったが、だからといって自分でやってしまえば、息子の手が速くなる日はいつまで経っても来ない。
客へ渡せない失敗をそのまま許すつもりはなく、危険な作業まで経験のためという理由だけで任せるつもりもない。それでも失敗する可能性を完全に取り除こうとすれば、息子が仕事を覚える機会まで一緒に取り除くことになる。
アレンは途中で口を挟みたくなるのを何度か堪え、木そのものを削りそうになった時だけ位置を示した。
「そこ、刃を立てすぎだ」
「こう?」
「もう少し寝かせろ。そうすれば接着材だけ取れる」
「分かった」
◇
しばらくして、最初の接合部がきれいになった。
テオは椅子を持ち上げ、削った場所を光へ向けて確かめる。
「どう?」
アレンは自分でも触ってから答えた。
「問題ない。次も同じようにやれ」
「父さんは?」
「俺は別の棚をやる」
「見てなくていいの?」
「分からなくなったら呼べ。終わったら俺も確認する」
テオは少し驚いたあと、嬉しそうに頷いた。
アレンは別の作業台へ移り、自分の仕事を始めたものの、完全に背を向けることはせず、ときどき息子の手元を確かめながら棚板へ鉋を走らせた。
◇
何も任せないことが、息子の失敗を防ぐ最も簡単な方法であることに変わりはない。
自分が全部作れば、少なくともテオが削りすぎたり、寸法を間違えたりする心配はなくなる。
けれど、その方法を続ければ、自分が動けなくなった日の作業場に、仕事を引き継げる者が一人も残らない。それ以前に、木工を覚えたいと言っている息子が、いつまでも掃除と端材だけを任されながら、この仕事を好きでいられる保証もなかった。
だからアレンは、失敗を一つも起こさせないことではなく、失敗しても戻せる仕事から渡し、その失敗が戻せるものなのか、作り直すべきものなのかを判断するところまで教えていくことにした。
作業場の向こう側で二つ目の接合部へ取りかかったテオが、途中で一度手を止めて刃の角度を自分で確かめるのを見ながら、アレンはすぐに手を出すことなく、自分の棚板へ一定の速さで鉋を走らせ続けた。
●評価●ブックマーク●アクション●感想待ってます!
読者様が応援してくれると嬉しいです!




