第26話 消えやすい香草と、正しさを譲れない魔術師
サラ・ミストは、自分が間違っていると認めることよりも、自分の方が正しいと思っている相手へ一度でも譲ることの方が、ずっと難しかった。
十九歳になる彼女は、レーヴェンの冒険者ギルドへ所属している若い魔術師であり、登録から二年ほどが過ぎた現在では、小型魔物の討伐や街道護衛だけでなく、中型魔物を相手にする複数人依頼へも少しずつ参加するようになっている。得意としているのは火属性の魔術であり、単純な火力だけなら同年代の術者の中でも高い方だったが、それ以上に彼女自身が誇りにしているのは、術式を崩さず正確に組み上げる技術だった。
魔術には手順があり、魔力には流し方があり、術式にはそれぞれ最も安定する形があるという考えを、サラは幼い頃から疑ったことがない。決められた手順を守れば失敗は減り、間違っている部分があれば直せばいいという単純な考え方は、少なくとも魔術を学ぶうえでは彼女を裏切らなかった。
◇
「そこ、火力上げすぎ!」
レーヴェン南側の訓練場で、サラは杖を構えたまま声を上げた。
彼女の少し前では、同じ班に参加している青年魔術師が木製の標的へ火球を放っており、標的の表面には黒い焦げ跡が広がっているものの、中央に取り付けられた魔力板には十分な反応が出ていなかった。
「でも当たってるだろ」
「当たってるだけ。外側へ魔力が散ってる」
「火力はある」
「だから何? 必要な場所へ通ってなければ意味ないでしょ」
青年は少し不満そうに顔をしかめた。
「実戦なら燃えてる」
「実戦なら相手も動くし、防御もする。今より悪くなるだけ」
「サラは細かいんだよ」
「細かくない。基本」
訓練を見ていた教官が、そこで二人の間へ入った。
「そこまでにしろ。次、ミスト」
「はい」
サラは前へ出ると、杖先へ魔力を集め、火球の形を崩さないまま圧縮してから標的の中央へ向けて放った。
赤い火球は大きく広がることなく狙った位置へほぼまっすぐ飛び、魔力板の中心で弾けると、訓練場に設置された測定石が先ほどより明るく光った。
「ほら」
サラが言う。
「分かったよ」
青年は露骨に嫌そうな顔をした。
「なら最初からやればいいのに」
「そういう言い方なんだよ」
「何が?」
「だから嫌われるんじゃない?」
その一言で、サラの表情が止まった。
「今、魔術の話してたんだけど」
「俺もそうだよ」
「じゃあ関係ない話入れないで」
「もういい」
青年は杖を肩へ乗せると、それ以上言い返さず次の位置へ移動した。
◇
訓練が終わったあと、教官は帰ろうとしていたサラを呼び止めた。
「ミスト」
「何ですか」
「さっきの指摘は合ってる」
「なら問題ないですよね」
「内容はな」
「内容が合ってるならいいでしょう」
「言い方の話だ」
サラは少し眉を寄せた。
「間違ってるものを間違ってるって言っただけです」
「相手が聞けなくなったら意味がない」
「聞かない方が悪いです」
「それで済むなら楽なんだがな」
教官は小さく息を吐いた。
「お前、最近班を組む相手から同じことを何回か言われてるぞ」
「何を?」
「正しいけど、一緒にいると疲れるって」
「それ、褒めてないですよね」
「褒めてない」
サラは口を結んだ。
「間違ってることを黙って見てろってことですか」
「誰もそんなこと言ってない。相手に伝わる言い方を考えろって言ってる」
「遠回しに言って失敗したら?」
「そこまで含めて判断しろ」
「面倒ですね」
「人と組むってのは、大体そういうもんだ」
◇
昼を過ぎる頃、サラは次の依頼へ参加するためギルドへ向かった。
その日の依頼は南東の林道を通る薬草商の護衛であり、前衛二人と斥候一人に、後衛魔術師としてサラが加わる四人編成になっている。依頼そのものは難しくなく、危険度も高くないはずだったが、出発前の打ち合わせが始まった時点で、彼女はすでに少し苛立っていた。
「夜営は川沿いでいいだろ」
前衛の男が地図を見ながら言う。
「駄目」
サラはすぐ答えた。
「何で」
「川沿いは霧が出る。夜に湿度が上がったら火術の視界が悪くなる」
「魔物避けには水場から少し離れた方がいいってだけで、川沿いそのものが駄目なわけじゃない」
「だから少し離れるべきって言ってる」
「今、駄目って言っただろ」
「結論は同じでしょ」
「言い方の問題だよ」
また同じことを言われ、サラは露骨に嫌そうな顔をした。
「最近そればっかり」
「何が?」
「何でもない」
◇
護衛は昼過ぎまで順調に進み、途中で小型魔物が二体現れたものの、斥候が先に気づいて前衛が動きを止めたところへ、サラが火球を一発ずつ撃ち込んだだけで片づいた。
問題が起きたのは、夕方近くになってからだった。
林道の先を確認していた斥候が、急に足を止める。
「前、倒木」
「通れる?」
前衛が尋ねた。
「荷車は無理。右の細道なら抜けられる」
サラは地図を広げた。
「右は遠回り」
「でも荷車は通せる」
「左側の倒木を焼けば早い」
三人が一斉にサラを見る。
「焼く?」
斥候が聞き返した。
「全部じゃない。枝の細いところだけ燃やして、幹を動かせるようにする」
「周り乾いてるぞ」
「範囲を絞れば大丈夫」
前衛の一人が地面の枯葉を見た。
「風あるけど」
「これくらいなら制御できる」
「右から回った方が安全じゃないか」
「三十分は余計にかかる」
「三十分ならいいだろ」
「薬草、日が落ちる前に街へ入れたいんじゃないの?」
荷主の商人が少し困った顔をした。
「急ぎではありますけど、火事になるよりは」
「火事にはしません」
サラは強く答えた。
◇
「俺は迂回に一票」
斥候が言った。
「俺も」
前衛の一人も続いた。
「私の魔術なら処理できる」
サラが言う。
「できるかもしれない。でも、今そこまでやる必要ある?」
「必要あるかじゃなくて、できるかどうかの話してるんだけど」
「いや、依頼なら必要あるかの話だろ」
サラは杖を握る手へ少し力を込めた。
「じゃあ、私の判断は信用しないってこと?」
「そういう言い方するなよ」
「だってそうでしょ」
「違う。火を使わなくても通れる道があるなら、そっちでいいって話だ」
「遠回りなのに?」
「三十分だぞ」
「その三十分を減らせる」
「減らさなくても安全に着ける」
どちらも自分の考えを変えなかったため話は平行線になり、最終的には多数決で迂回することになった。
◇
サラは納得していなかったものの、依頼中に班の判断を無視して勝手に魔術を使うわけにもいかないため、右側の細道へ入った。
その途中でも何度か倒木のあった方角を振り返り、自分なら問題なく燃やせたはずだという考えを何度も頭の中で繰り返す。
(絶対、焼いた方が早かった)
彼女の中ではすでに答えが出ているからこそ、班の全員が別の方法を選んだことが余計に腹立たしかった。
三十分という時間を使ったことも、その後に何の問題も起こらず街まで辿り着けたことも、サラにとっては「自分の方法でも成功できた」という考えを消す理由にはならなかった。
◇
レーヴェンへ戻ったのは日没直前で、薬草は問題なく納品され、護衛依頼そのものも成功として処理された。
「じゃあ解散」
前衛の男が言った。
サラはそのまま帰ろうとしたが、斥候に呼び止められた。
「サラ」
「何」
「今日の倒木、怒ってる?」
「別に」
「怒ってるだろ」
「私の方が早かったって思ってるだけ」
「それは分かった」
「なら何」
「俺たちも、サラが火を制御できるのは知ってる」
「じゃあ何で止めたの」
「失敗した時の被害がでかいから」
「失敗しない」
「そういうところ」
斥候は少し困ったように笑った。
「どれだけ上手くても、失敗する可能性がゼロとは言えないだろ」
「私の成功率知らないでしょ」
「知ってるよ。高い」
「なら」
「高いから任せる時もある。でも、任せなくていい時もある」
サラは言葉を返さず、相手の顔を見た。
◇
「お前、正しいか間違ってるかで全部分けすぎなんじゃない?」
斥候が続けた。
「何それ」
「今日の道も、焼くのが間違いで迂回が正しいって話じゃない。両方できるなら、どっちを選ぶかってだけだろ」
「でも早いのは焼く方」
「安全側なのは迂回」
「私なら安全に焼ける」
「だから、それも一つの案なんだよ」
「一つ?」
「そう。唯一じゃない」
サラはその言葉が気に入らなかった。
「何でそんなに私の案を小さくするの」
「小さくしてない」
「一番いい案なら、一番いいって言えばいいでしょ」
「そこが疲れるって言われる理由じゃない?」
朝と似た言葉をもう一度突きつけられたことで、サラはそれ以上話す気を失い、そのまま一人でギルドを出た。
◇
朝から口にしたものは硬いパンと干し肉くらいで、途中では水を飲んだ程度だったため、歩き始めると腹の空き具合が急に気になり始めた。それでもすぐ宿へ戻る気にはなれず、誰かに会えばまた「言い方が悪い」と言われるような気がして、人通りの少ない西区の方へ足を向けた。
自分が間違っているなら直せばいい。
しかし内容そのものは合っているのに、相手へ合わせて曖昧に言うことを求められるのは、どうしても納得できなかった。
そんなことを考えながら歩いていると、少し先から柔らかな香草の匂いが流れてきた。
◇
香りの元は、《持ち込み食堂》だった。
サラはその店の名前を知っており、冒険者の間でも最近よく話題に上がるだけでなく、ライオスたちの班や、同年代のニールも利用したという話を聞いている。
最初はそのまま通り過ぎるつもりだったが、厨房から漂ってくる匂いへ腹が反応したため、食べて帰るだけなら構わないだろうと考えて扉を開けた。
「いらっしゃいませ」
ミレイアが声をかけた。
「一人」
「どうぞ。持ち込みあります?」
「ない」
「普通の食事でも大丈夫ですよ」
「何ある?」
「今日は鳥肉と根菜の煮込みと、焼き魚があります」
「じゃあ煮込み」
「分かりました」
厨房から出てきた悠斗にも軽く挨拶を返し、サラは空いている席へ座った。
◇
料理を待っている間、サラは厨房の方から漂ってくる、鳥肉の煮込みとは違う香りへ気づいた。
少し青みのある爽やかな匂いであり、鼻へ入ったと思った次の瞬間には薄れていくほど軽い。
「何の匂い?」
サラが尋ねると、悠斗が手元にあった細長い淡緑色の葉を見せた。
「これですかね。市場でもらった香草で、《霧香草》っていうらしいです」
「霧香草?」
「知ってます?」
「薬草としてなら」
サラは少し身を乗り出した。
「魔力を落ち着かせる時に使う。乾かすと香りがほとんど消えるから、保存には向かない」
「やっぱり消えるんですね」
「火にも弱いよ」
「試した?」
「さっき煮たら、ほぼ匂いなくなりました」
「当たり前。それ、煮る香草じゃないから」
「じゃあどう使うんです?」
「薬師なら潰して冷水に入れるか、魔力薬の仕上げに使う」
「食べ物には?」
「食材としての使い方までは知らない」
そこまで答えてから、サラはほんの少しだけ目を細めた。
◇
「食べ物での使い方は分からない?」
悠斗が尋ねた。
「薬草としての使い方しか知らない」
「なるほど」
「何、その顔」
「いや、普通に分からないって言うんだなと思って」
「何が悪いの」
「悪くないです。むしろ助かります」
「何で」
「俺も食材としては初めてなので」
「料理人なのに?」
「初めてのものまで全部知ってるわけじゃないですよ」
「ふうん」
何でもない返答のはずなのに、その言葉だけが妙にサラの耳へ残った。
◇
「これ、少し使ってみてもいいですか」
悠斗が霧香草を持ち上げた。
「私の料理に?」
「嫌ならやめます」
「別にいいけど、熱を入れたら香り飛ぶよ」
「じゃあ最後に使います」
「それでも温度が高ければ消える」
「どれくらいなら残ります?」
「分からない。薬だと冷たい状態でしか使わないから」
「じゃあ、食べられなくならない範囲で試してみます」
「失敗するかもよ」
「その時は普通の煮込みを出します」
サラは少し眉を寄せた。
「随分簡単に言うね」
「危なくない範囲なら、試して駄目だったら戻せるので」
◇
悠斗はすでに火へかけていた鳥肉と根菜の煮込みを一人前だけ小鍋へ移し、香りが飛びすぎないよう少し温度を落とすことにした。
待っている間に霧香草を細く刻み、ごく少量の油へ混ぜる。
「油?」
「香りが移るかなと思って」
「水じゃなくて?」
「料理なので、油の方が肉や煮汁へ絡みやすいかなと」
「香りが油に移るか分からないよ」
「ですよね」
「なのにやるの?」
「少量なら失敗しても全体を駄目にしないので」
サラはそこで返す言葉を失い、悠斗の手元を見ることにした。
◇
悠斗は葉をそのまま油へ入れたものと、指で軽く潰してから入れたものを別々に用意し、数分ほど置いてから匂いを比べた。
「潰した方が強いですね」
「そりゃそうでしょ」
「薬でも潰すんですよね」
「細胞壊した方が香り出るから」
「じゃあこっち使います」
「でも入れすぎると青臭くなるよ」
「どれくらい?」
「だから食べ物は知らないって」
「じゃあ少しずつ試します」
悠斗は匙の先へほんの少量だけ香りを移した油を取り、少し冷ました煮込みへ混ぜた。
◇
「一回、匂い見てもらえます?」
「私が?」
「詳しいので」
「薬草としてだけ」
「それでも俺より詳しいです」
サラは小鍋へ顔を近づけ、立ち上がる湯気を確かめた。
霧香草の香りは確かに残っているものの、冷水へ入れた時ほど鋭くなく、鳥肉の脂と混ざったことで少し丸くなっている。
「消えてない。でも弱い」
「もう少し足す?」
「今の半分くらいなら追加していいと思う」
「分かりました」
悠斗は言われた通りの量を加え、もう一度全体を軽く馴染ませた。
◇
「《鳥肉と根菜の霧香草仕上げ》にしておきます」
「最初、煮込みって言いかけたでしょ」
「仕上げに入れただけなので直しました」
「ならいい」
皿へ盛られた料理は、見た目だけなら普通の鳥肉と根菜の煮込みとほとんど変わらないものの、顔を近づけると湯気の中へ爽やかな青い香りが混じっている。
サラは匙で煮汁をすくい、一口飲んだ。
鳥肉の旨味と根玉葱の甘さが最初に広がり、そのあと鼻へ霧香草の軽い香りが抜けていく。
「……意外」
「合わない?」
「合う。でも、もう少し少なくてもいいかも」
「さっき増やしたのサラさんですけど」
「食べる前と食べた後で分かることは違うでしょ」
「なるほど」
「何」
「いや、ちゃんと判断を変えるんだなと思って」
◇
「当たり前でしょ。食べてみたら違ったんだから」
サラは少し強く答えた。
「じゃあ、最初の判断は間違い?」
「間違いっていうより、情報が増えたから変えただけ」
「それって、他のことでも同じです?」
サラの手が止まった。
「何の話」
「今日、何かあったのかなと」
「何で」
「店へ入ってからずっと、少し怒ってるように見えるので」
「顔に出てる?」
「ちょっと」
サラは匙を皿へ置き、大したことではないと言いながらも、結局は訓練場と護衛依頼での出来事を順番に話し始めた。
◇
魔術の火力を散らしていた青年へ正しいやり方を教えたこと、倒木を焼けば早かったのに班の仲間が迂回を選んだこと、そのたびに言い方が悪いとか、正しさを押しつけるなと言われたことまで説明し終えると、サラは悠斗を見た。
「私、間違ってる?」
「魔術のことは分からないです」
「そこじゃなくて」
「じゃあ倒木の方?」
「それも含めて」
悠斗は少し考えた。
「サラさんの方法でも通れたんですよね」
「通れた」
「迂回でも通れた?」
「通れた」
「じゃあ、どっちか一つが間違いだったわけではない?」
「でも早いのは私の方」
「安全の余裕は?」
「私なら制御できる」
「絶対?」
「かなり高い確率で」
「ゼロではない?」
サラは少し黙った。
「ゼロとは言えない」
「じゃあ班の人は、その残りの可能性を重く見たんですかね」
「たぶん」
「サラさんは三十分の遅れを重く見た?」
「そう」
「なら、どちらが正しいかより、何を重く見るかが違ったのかもしれませんね」
◇
「でも、一番いい方法はあるでしょ」
サラが言った。
「状況によるんじゃないですか」
「それ、答えになってない」
「料理でも似たことはありますよ」
「また料理にする?」
「今回は少し関係あります」
悠斗は残っている霧香草を指した。
「最初、俺は煮たら駄目でした」
「火に弱いから」
「サラさんは冷水がいいって言った」
「薬ならね」
「でも今日は油に香りを移して使った」
「料理だから」
「どっちが正しい?」
「用途が違う」
「じゃあ一つじゃないですよね」
サラは返事をしなかった。
◇
「しかも最初、サラさんがもう少し足した方がいいって言って、食べた後は少ない方がいいって言いました」
「それは食べて分かったから」
「最初のサラさんと後のサラさんなら、後の判断の方が今の料理には合ってる?」
「後」
「じゃあ最初は間違い?」
「だから、情報が増えたから――」
そこまで言いかけたところで、サラは自分の言葉に気づいて口を止めた。
悠斗は何も言わず、続きを待っている。
「……何、その顔」
「何も」
「言いたいことあるなら言って」
「サラさん、自分の判断を変えるのは普通にできるんですね」
「条件が変わればね」
「相手が見ている条件が、自分と違う時は?」
サラは皿へ目を落とした。
◇
「私が言い方悪いって話?」
「そこまでは分かりません。実際に見てないので」
「じゃあ何」
「相手が何を優先してるか聞く前に、自分の正解を出してることがあるのかなと思っただけです」
「魔術の訓練なら正しいやり方がある」
「教える時の言い方も一つしかない?」
「……あるでしょ」
「相手が聞けなくなっても?」
朝に教官から言われた言葉とほとんど同じ内容だったため、サラは露骨に嫌そうな顔をした。
「今日、それ三回目」
「じゃあ俺は四回目にならない方がいいですね」
「もうなってる」
「すみません」
◇
近くの卓を拭いていたミレイアが小さく笑ったため、サラはすぐにそちらを向いた。
「何笑ってるの」
「別に」
「絶対何かある」
「私なら、正しいことを言われても、怒られたみたいに言われたら聞きたくなくなるかもって思っただけです」
「怒ってない時もある」
「それでも怒ってるように聞こえるんじゃないですか」
「じゃあどう言えばいいの」
「そこまでは分からないです」
「入ってきたのに?」
「私は魔術師じゃないので」
サラは少し呆れた顔をした。
◇
「たとえば、今日の訓練で何て言ったんです?」
悠斗が尋ねた。
「火力上げすぎ、外に散ってる、って」
「それだけ?」
「必要なことは言った」
「じゃあ、『中心へもう少し絞った方が測定石の反応が上がるよ』だったら?」
「同じ意味」
「意味は同じですね」
「何が違うの」
「俺なら後の方が聞きやすいです。失敗したところを責められてる感じが少ないので」
「でも失敗は失敗でしょ」
「そこを隠す必要はないです。ただ、直してもらうために言うのか、自分が正しいと示すために言うのかで、受け取られ方は少し変わるのかなと」
サラは返事をせず、残っていた煮汁をゆっくり飲んだ。
◇
「私、正解を示したいのかな」
しばらくしてから、サラが呟いた。
「そこは俺には分からないです」
「そこは分からないんだ」
「本人じゃないので」
「料理の時は結構言うくせに」
「料理なら自分の話なので」
「ずるい」
「そうかもしれません」
サラは残っていた煮込みを食べながら、先ほどより霧香草の香りが弱くなっていることに気づいた。
「これ、冷めるともっと香り減る?」
「たぶん」
「じゃあ食べる直前に入れた方がいい」
「次はそうします」
「あと、油少なめでもいいかも」
「分かりました」
「……私、注文多い?」
「助かりますよ。食べた人の感想なので」
◇
「小さい頃から、こうだったんですか」
悠斗が尋ねた。
「何が」
「正しいことをはっきり言う感じ」
「たぶん」
サラは少し考えたあと、レーヴェンから北西へ二日ほど離れた小さな町で過ごした子どもの頃について話し始めた。
父は魔道具の修理職人で、母は薬草を扱う店で働いており、とりわけ父は細かな間違いを見逃さない人だったという。
「魔道具って、線一本ずれただけで動かないことあるから」
「厳しかった?」
「仕事にはね」
幼いサラが魔術を覚え始めた時も、父は術式の線が少し曲がればやり直させ、魔力を流す順番を間違えれば最初から組み直させた。
「でも、そのおかげで上手くなった」
「褒められた?」
「間違えなくなったら」
「間違えた時は?」
「直された」
「どういう言い方で?」
サラは記憶を探すように少し考えた。
「『違う。やり直せ』って」
◇
「それが普通だった?」
「うん」
「じゃあサラさんも、同じように言ってる?」
「……かも」
父を嫌っていたわけではなく、むしろサラは今でも尊敬している。
壊れた魔道具を何時間もかけて調べ、原因を一つずつ見つけていく父の姿を、子どもの頃から格好いいと思っていた。ただし、父が一人で道具へ向き合う仕事と、サラが複数人で意見を交わしながら依頼をこなす仕事が同じではないことについては、これまで真剣に考えたことがなかった。
「道具は、間違ってても怒らないですからね」
悠斗が言った。
「当たり前でしょ」
「人は怒る」
「面倒」
「教官と同じこと言ってますね」
「人と組むのは面倒って言ってた」
「でも一人では難しい依頼もある?」
「ある」
「なら、その面倒も仕事の一部なんでしょうね」
「簡単に言うね」
◇
「俺もミレイアと意見が合わない時ありますよ」
悠斗が言うと、ミレイアがすぐ振り向いた。
「あります?」
「ありますよ」
「例えば?」
「昨日、閉店後に棚を全部動かして掃除しようとしたら止められた」
「夜中までかかるからです」
「俺はやりたかった」
「次の日でもいいでしょう」
サラは二人を交互に見た。
「どっちが正しいの」
「俺」
「私です」
二人がほとんど同時に答えたため、サラは一瞬黙ったあと、堪えきれずに笑った。
◇
食事を終える頃には、店へ入った時より腹だけでなく気分も少し軽くなっていた。
「霧香草、残りどうするの?」
サラが尋ねる。
「まだ結構あります」
「今日中に使った方がいいよ。明日には香りかなり落ちる」
「そんなに早い?」
「摘んでからだと早い」
「じゃあ困ったな」
「保存したいなら、冷たい水に根元だけ入れて、暗いところへ置けば少し伸びるかも」
「薬草店ではそうする?」
「うん」
「やってみます」
サラは椅子から立ち上がり、料理代を支払ったあと、少し迷ってから悠斗を見た。
「また霧香草があったら、持ってきてもいい?」
「もちろんです」
「薬草店で買えるから、次は場所も教える」
「ありがとうございます」
◇
翌朝、サラはギルドの訓練場へ向かった。
昨日と同じ青年魔術師が標的へ向けて火球を撃っており、よく見ると、また外側へ魔力が少し散っている。
サラは反射的に口を開きかけた。
「火力――」
そこで一度言葉を止める。
「何?」
青年が振り向いた。
サラはほんの少しだけ考えてから言い直した。
「中心へもう少し絞った方が、測定石の反応が上がると思う」
青年が不思議そうな顔をした。
「昨日と同じこと?」
「同じ」
「じゃあ何で今日そんな言い方なんだよ」
「悪い?」
「いや」
青年はもう一度杖を構えた。
「どれくらい絞る?」
サラは一瞬だけ目を見開いた。
◇
「今の半分くらいまで広がり抑えて」
「こう?」
「もう少し」
「これ?」
「それくらい」
青年が火球を放つと、昨日より中心へまとまり、測定石の光もはっきり強くなった。
「お、上がった」
「でしょ」
「そこはいつも通りだな」
「何が」
「得意そうなところ」
「実際合ってたから」
「はいはい」
青年が笑ったため、サラも少しだけ口元を緩めた。
◇
その日の午後、別の訓練では二人組の魔術師が風術の使い方について言い争っていた。
「先に風壁だって」
「いや、押し返した方が早い」
近くを通りかかったサラは足を止めた。
どちらにも長所があり、相手が飛び道具を使うなら風壁の方が安全だが、接近してくる小型魔物なら押し返す方が早い。
以前なら、頭の中で一つの状況を勝手に想定し、片方を正しいと決めていたかもしれない。
「相手、何を想定してるの?」
サラが尋ねる。
二人が振り向いた。
「小型の飛行魔物」
「何体?」
「三体くらい」
「距離は?」
「二十歩」
「なら最初は壁の方がいいと思う。でも横へ抜けられたら、押し返しに変えた方が楽」
二人は顔を見合わせた。
「両方使う?」
「状況が変わるなら」
言い終えたあと、サラは自分でも少し驚いた。
◇
数日後、サラは再び護衛依頼へ参加した。
今度は北側の街道を通り、荷車一台を隣町まで送り届ける仕事だった。
途中で道の一部がぬかるみ、車輪が沈みそうになったため、前衛と斥候が通り方を相談し始めた。
「左へ寄せるか」
前衛が言う。
「左、石多いよ」
斥候が答える。
サラは地面と荷車を見比べた。
「乾燥の火術で、泥の表面だけ固める方法もある。ただ、荷車の下で火術を使うから、荷に熱が伝わる可能性はあるし、中身が何かによる」
商人が答えた。
「布です」
「なら火はやめた方がいい。焦がす可能性まで取る必要ない」
サラは自分で出した案をその場で引っ込めた。
「右側に板を敷けば通せると思う」
斥候が言う。
「時間は?」
「十分くらい」
「じゃあ、それで行こう」
サラは素直に頷いた。
◇
護衛を終えてレーヴェンへ戻ると、前衛の男が笑いながらサラへ声をかけた。
「今日は揉めなかったな」
「私がいつも揉めてるみたいに言わないで」
「前は結構な」
「でも今日、火術の案すぐ引いたじゃん」
「布なら危ないから」
「自分で言って自分で撤回した」
「条件聞いたら変わるでしょ」
「それでいいんだよ」
サラは少し眉を寄せた。
「何その上から」
「そこは変わらないな」
「喧嘩売ってる?」
「売ってない」
以前ならさらに言い返していたかもしれないが、今回はそれ以上追いかけなかった。
◇
その帰り、サラは東市場へ寄り、薬草店の一角に少量だけ並んでいた霧香草を見つけた。
「これ、三束ください」
店主が顔を上げる。
「薬に使うのかい?」
「一束は」
「残りは?」
「料理」
「料理?」
「使えるんです」
「どうやって」
サラはいつもの調子で言い切りかけたが、少し考えてから言葉を続けた。
「たぶん、油へ香りを移して、熱を入れすぎなければ使える。ただ、まだ試してる途中だから、料理によって量は変わると思う」
「たぶん?」
店主は少し笑った。
「珍しいね、あんたがそんな言い方するの」
「最近、それもよく言われる」
◇
そのまま《持ち込み食堂》へ向かい、サラは霧香草を二束だけ卓へ置いた。
「持ってきました」
悠斗が驚いた顔をする。
「本当に?」
「頼んだのそっちでしょ」
「ありがとうございます」
「今日は前より少なめにして」
「香り?」
「うん。あと油も減らしていいと思う」
「了解です」
悠斗は前回の手順を思い出しながら、霧香草を軽く潰して少量の油へ香りを移した。
今回は鳥肉ではなく、淡白な白身魚を焼いたものへ、仕上げとしてほんの少しだけかける。
◇
焼き上がった魚の表面には薄い焼き色がつき、その上から霧香草の香りを移した油が、ごく少量だけ艶を加えていた。
サラが一口食べる。
「前よりこっちの方が合うかも」
「魚の方が?」
「うん。味が軽いから、香りが分かりやすい」
「油は?」
「ちょうどいい」
「香草は?」
「もう少しあってもいいかも」
悠斗が笑った。
「前回と逆ですね」
「魚だから。肉の煮込みと条件が違うでしょ」
「そういうことですね」
自分で口にした言葉が少し可笑しくなり、サラも笑った。
◇
「最近どうです?」
悠斗が尋ねた。
「何が」
「正しさとか、言い方とか」
「聞き方変じゃない?」
「じゃあ、班の人とは?」
「全部直ったわけじゃないよ」
「そりゃそうでしょうね」
「でも、先に条件は聞くようにしてる」
「変わります?」
「結構変わる」
サラは魚をもう一口食べた。
「自分が正しいと思ってても、相手が別のものを守ろうとしてる時があるから」
「譲れる?」
「必要なら」
「嫌?」
「ちょっとは嫌」
悠斗は笑った。
「それくらいでいいんじゃないですか」
「何で上からなの」
「すみません」
◇
食事を終えたあと、サラは残っている霧香草へ目を向けた。
「これ、明日まで残ったら香り落ちるよ」
「じゃあ今日使います」
「全部?」
「注文があれば」
「入れすぎないでね」
「分かってます」
「魚なら前より少し多くてもいいと思う」
「分かってます」
「本当に?」
「サラさん」
「何」
「俺も一回食べてから決めます」
以前なら、そこでもう少し強く自分の意見を押したかもしれない。
しかしサラは一瞬だけ悠斗を見たあと、肩をすくめた。
「じゃあ、食べてから決めればいい。魚の大きさとか、脂の量でも変わるだろうし」
◇
店を出た時には、空がすでに暗くなり始めていた。
サラは杖を肩へ掛け、西区から宿へ続く通りを歩きながら、明日の訓練でも誰かが間違った術式を組めば、きっと今までと同じように指摘するだろうと考えていた。危険な判断を見れば止めるつもりだし、自分が正しいと思ったことを、相手の機嫌を気にするあまり黙って見過ごすつもりもない。
ただし、相手が何をしようとしているのかも聞かず、自分の答えだけを先に置く必要はなかった。
条件を聞けば自分の判断が変わることもあり、相手の案が単純な間違いではなく、自分とは別のものを優先した結果であることもある。それでも最後まで自分の方がいいと思うのなら、その時には「違う」と切り捨てるだけではなく、理由を伝えたうえで相手の考えも聞けばいい。
サラは明日の訓練でまた誰かへ口を出す自分を想像しながら、最初の一言だけは以前より少し考えてから選ぶつもりで、宿へ続く夜道を歩いていった。
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