第24話 臭みの残る肉と、切り分けすぎる肉屋
ガッシュ・バルドは、肉を無駄なく切り分けることに関してなら、自分より上手い者はレーヴェンでもそう多くないと考えていた。
四十一歳になる熊獣人の彼は、東市場の外れにある精肉店《赤鉈屋》を営んでおり、牛や豚に似た家畜だけでなく、冒険者が持ち込む魔物の解体まで引き受けている。太い腕と大きな手だけを見れば力任せに肉を断つ職人にも見えるが、実際の仕事は正反対であり、刃先をどこへ入れれば筋を傷めず、必要な脂を残し、食べやすい部位へ分けられるのかを見極める技術に優れていた。
骨や皮、内臓、脂、腱に至るまで、それぞれに使い道があることを熟知しており、どの部位が焼き物に向き、どこを煮込みへ回し、どの肉なら干して保存できるのかについても詳しいため、宿屋や食堂だけでなく、冒険者から直接相談を持ち込まれることも珍しくなかった。
その一方でガッシュには、一度「この部位はこう使う」と決めたものを、途中から別の用途へ回すことを嫌う癖があり、本人はそれを頑固さではなく、肉に合った使い方を守っているだけだと考えていた。
◇
「これは焼き肉用じゃない」
朝の《赤鉈屋》で、ガッシュは若い冒険者が差し出した肉塊を見ながら、低い声で言った。
「でも昨日、野営で焼いたら食べられましたよ」
「食えるのと向いてるのは別だ」
「そんなに違います?」
「違うから言ってる」
持ち込まれたのは、《沼牙猪》と呼ばれる魔物の腿肉だった。
成体になると普通の猪より一回り大きく、湿地帯を歩き回りながら泥の中にいる虫や根を食べる魔物であり、肉そのものには濃い旨味があるものの、脂や筋の周囲へ独特の泥臭さが残りやすく、処理を誤ると焼いた時に強い臭いが出ることで知られている。
若い冒険者が持ってきた腿肉も、解体そのものに大きな問題はなかったが、表面へ残っている脂と筋膜の間には、沼牙猪特有の匂いがわずかに残っていた。
「ここを落として、煮込み用へ切る」
「全部ですか?」
「全部だ」
「半分くらい焼き用にできません?」
「向いてない」
「でも仲間が焼いて食べたいって」
「なら別の肉を買え」
ガッシュは迷わず答えた。
「せっかく獲った肉なのに」
「不味くして食う方がもったいない」
「不味いかどうかは俺たちが決めるんじゃ」
「金を取って切る以上、俺は向かない切り方はしない」
若い冒険者は少し不満そうな顔をしたものの、最終的にはガッシュの判断を受け入れ、腿肉の半分を煮込み用として受け取って帰っていった。残り半分は、後日受け取りに来る仲間の分として店へ置かれることになった。
◇
昼前になると、今度は宿屋の料理人が店を訪れた。
「ガッシュ、昨日の鹿肉ある?」
「肩ならある」
「薄く切れる?」
「煮込み用だぞ」
「分かってるけど、今夜の客が多くてさ。鉄板焼きへ少し混ぜたいんだよ」
「別の部位にしろ」
「腿は高いだろ」
「肩を薄く焼いたら硬い」
「細く切って酒に漬ける」
「それでも腿ほどにはならん」
「腿ほどじゃなくていいんだよ。値段抑えたいから」
宿屋の料理人は笑いながら言ったが、ガッシュは首を横へ振った。
「売らん」
「何で」
「肩は煮込む肉だ」
「俺が買って料理するんだから、使い方は任せてくれよ」
「向いてないものを売って、あとで硬かったって言われるのは俺だ」
「言わないよ」
「客は言う」
「ガッシュの店で買ったなんて、わざわざ言わないって」
「そういう話じゃない」
結局、宿屋の料理人は少し高い腿肉を買って帰ることになり、その背中を見ていた店の手伝いが小さく息を吐いた。
「何だ」
ガッシュが振り返る。
「別に」
「言え」
「最近、断ること増えましたよね」
「合わない使い方が増えたからだ」
「昔はもっと相談乗ってませんでした?」
「今も乗ってる」
「でも最後はガッシュさんが決めるじゃないですか」
「肉を見てるのは俺だ」
「料理するのは客ですよ」
ガッシュは返事をせず、次の肉へ刃を入れた。
◇
午後になると、冒険者ギルドの解体場から大きな肉塊が運び込まれ、革布を外した瞬間、店の中へ湿った土を思わせる匂いが広がった。
「沼牙猪か」
ガッシュが言う。
「しかもでかいですね」
手伝いが答えた。
午前中の若い冒険者とは別の一団が仕留めた個体で、通常よりかなり大きく、冒険者側からは売れるところをすべて買い取ってほしいという依頼が出ている。
ガッシュは肉を順番に確認し、背中は比較的きれいで脂も悪くなく、肩には筋が多いものの煮込みなら十分使えると判断した。一方で腿は厚みこそ申し分なかったが、外側の脂へ臭いが強く残っている。
「腿は脂を全部落とす」
ガッシュが言った。
「かなり減りますよ」
「仕方ない」
「赤身まで削る?」
「匂いが残ってたらな」
刃を入れて脂を薄く削り取り、その下にある筋膜も外したうえで、さらに匂いを確かめながら外側の赤身まで少しずつ落としていく。
「結構捨てますね」
「臭い肉を残してどうする」
「食べられないんですか?」
「食えるかもしれんが、商品にはしない」
切り落とした肉は、廃棄用の桶へ入れられていった。
◇
作業を続けるうち、ガッシュは腿の内側にある一つの肉塊を前にして手を止めた。
そこは脂が少なく、筋も比較的細いため、匂いを嗅いでみると沼牙猪特有の臭みが完全には消えていないものの、外側よりかなり弱い。
「これも落とす?」
手伝いが尋ねる。
「……商品にはしにくい」
「煮込みなら使えそうですけど」
「客が嫌がる」
「試したことあるんですか?」
「昔ある」
「この部位を?」
「沼牙猪の臭い肉をだ」
「同じ個体じゃないですよね」
「当たり前だ」
「じゃあ、この肉は?」
ガッシュは手伝いを見た。
「何が言いたい」
「これだけ匂いが弱いなら、処理を変えれば使えるかもしれないでしょう」
「誰が試すんだ」
「料理人」
「失敗したら捨てるだけだ」
「今捨てても同じじゃないですか」
その言葉を聞いたガッシュは少し黙り、最後にはその肉だけを廃棄桶へ入れず、別の布へ包んだ。
◇
「持って帰るんです?」
夕方、店を閉める準備をしながら手伝いが尋ねた。
「試す」
「自分で?」
「俺が料理できると思うか」
「焼くくらいなら」
「それで臭かったからって結論を出しても意味ないだろ」
ガッシュは布包みを持ち上げた。
「持ち込み食堂って知ってるか」
「西区の?」
「ああ」
「変な食材持ってくと料理してくれるところですよね」
「変なって言うな」
「今持ってるの、かなり変な肉ですけど」
ガッシュは何も言わず、布包みを抱えて店を出た。
◇
《持ち込み食堂》へ入ると、ミレイアが大きな熊獣人を見上げた。
「いらっしゃいませ」
「肉、見てくれるか」
「悠斗ならいます」
「料理できるかは分からん」
「危ないものです?」
「毒じゃない。臭い」
「それなら大丈夫そう」
「判断早いな」
「毒よりは」
厨房から悠斗が出てくると、ガッシュは布包みを卓へ置いた。
「沼牙猪だ」
「名前は聞いたことあります」
「食ったことは?」
「ないです」
「ならちょうどいい」
「何がです?」
「先入観がない」
悠斗は布を開き、肉の表面と切り口を順番に見た。
「かなり赤身ですね」
「腿の内側だ」
「匂いがありますね」
「分かるか」
「少し泥っぽいというか、草っぽいというか」
「そういう臭いが残る魔物だ」
「食べられる?」
「食える。ただ、普通は臭いところをかなり落とす」
「これは落とした残り?」
「落とすか迷ったところだ」
悠斗は肉へ顔を近づけ、表面と切り口の匂いを比べた。
「中の方が弱いですね」
「外側ほど臭くない」
「いつもどう処理します?」
「脂と筋膜を落として、残った赤身を煮込みにする。臭いが強ければ捨てる」
「焼くことは?」
「勧めない」
「何で?」
「臭いが立つ」
「実際に?」
「昔食った」
「どう焼きました?」
その質問に、ガッシュは少し黙った。
「厚切りで、塩だけだ」
「かなり直球ですね」
「肉の味を見るならそれでいい」
「臭みも全部出そうですけど」
「だから向かんと言ってる」
◇
悠斗はすぐに料理へ入らず、まず小さく切った肉を三つ用意した。
「何する」
「同じ肉を別々に下処理します」
一つ目にはそのまま塩だけを振り、二つ目は少量の酒と刻んだ根玉葱へ短時間漬け、三つ目は表面へ塩を振って少し置いたあと、出てきた水分を布で拭き取ってから、香りの強すぎない香草と油を薄く合わせた。
「そんな短時間で変わるのか」
「分かりません」
「料理人だろ」
「初めての肉なので」
ガッシュは悠斗を見た。
「分からんって普通に言うんだな」
「言いますよ」
「客の前でも?」
「危ない時は特に」
「信用落ちないか」
「知ったふりして失敗する方が落ちると思ってます」
ガッシュは少し鼻を鳴らした。
◇
最初に何もしていない肉を小さな鉄鍋で焼くと、表面へ焦げ目がつくにつれて、肉らしい香ばしさと一緒に湿った土を思わせる匂いが強くなった。
「これだ」
ガッシュが言う。
「確かに結構残りますね」
「だから商品にしにくい」
「味見していいです?」
「食える」
悠斗は小さな一切れを口へ入れ、ゆっくり噛んだ。
肉自体の味は強く、旨味も十分にあるものの、飲み込んだあとには鼻へ抜ける独特の臭いが残るため、慣れていない者にはかなり気になるだろうと感じられた。
「嫌いな人はかなり気になると思います」
「だろ」
「でも肉の味まで悪いわけじゃないですね」
「臭ければ同じだ」
「そこはまだ決めなくていいでしょう」
次に酒と根玉葱へ漬けた肉を焼いてみると、表面の香りはかなり穏やかになったものの、噛んだあとの臭みはまだ少し残っていた。
「減ったな」
ガッシュが言う。
「完全ではないですね」
「これなら煮込みか」
「もう一個見てから」
三つ目の肉を焼くと、余分な水分を拭き取り、香草油を薄くまとわせただけにもかかわらず、最初の肉より香りはかなり軽くなっていた。
「何でこっちの方が弱い」
「表面の水分と一緒に、匂いの元になるものが少し抜けたのかもしれません。ただ、香草で隠れている部分もあると思うので、中も確認します」
悠斗は厚い部分を切り、もう一度味を確かめた。
「少し残ってるけど、一個目よりは食べやすいですね」
ガッシュも一切れ食べたあと、すぐには何も言わなかった。
「……確かに」
◇
「これなら焼き肉で出せるか?」
ガッシュが尋ねた。
「そのまま塩焼きにするよりはいいと思います。でも、俺ならもう少し別の料理にします」
「煮込むのか」
「今日は焼きたいです」
「臭い肉を?」
「焼き方と合わせるものを変えます」
悠斗は残った肉を薄く切るのではなく、指二本ほどの厚さへ切り分けた。
「厚くするのか」
「中まで一気に焼きすぎないようにしたいので」
「臭いは?」
「表面を強く焼いて香りを作って、中は安全な範囲で火を入れすぎない方が、肉の旨味が残るかもしれません」
「魔物肉を半生で出すなよ」
「そこはちゃんと火を通します。火を入れすぎて乾かさないという意味です」
「ならいい」
ガッシュは腕を組み、悠斗の手元を見た。
◇
悠斗は肉へ薄く塩を振り、少し置いてから表面へ出てきた水分を布で丁寧に拭き取った。
その間に根玉葱を細く切り、鉄鍋へ少量の油と一緒に入れて、焦がさないようゆっくり炒めていく。
「何で玉葱からなんだ」
「甘味を出したいので」
「肉の後じゃ駄目か」
「肉を焼いた鍋でやる方法もありますけど、今日は先に作ります」
根玉葱が十分に柔らかくなったところへ、少量の酸味がある果汁と蜂蜜を加え、最後に塩をほんの少しだけ入れた。
「甘くするのか」
「甘酸っぱくします」
「肉に?」
「合わなかったら変えます」
「随分軽く言うな」
「試してるので」
別の鉄鍋をしっかり熱してから沼牙猪の肉を置くと、水分を拭いてある表面はすぐに音を立て、濃い焼き色がつき始めた。
片面へ十分な焼き目がついたところで返し、途中から火を少し落として中までゆっくり熱を通し、最後に根玉葱の甘酸っぱいソースを少量だけ絡めた。
◇
「《沼牙猪の焼き肉、甘酸っぱい根玉葱添え》です」
「名前長いな」
「まだ仮です」
「売る気あるのか」
「店の料理なので、分かればいいです」
ガッシュは肉を一切れ切った。
表面にはしっかり焼き色がありながら、中は乾ききっていない。口へ入れると、最初に肉そのものの強い旨味と焦げ目の香ばしさが広がり、そのあとから根玉葱の甘味と果汁の酸味が重なってきた。
鼻へ抜ける沼牙猪特有の匂いは完全には消えていなかったが、それだけが突出して残る状態でもない。
「……残ってるな」
「臭み?」
「ああ。でも嫌な残り方じゃない」
「完全に消す必要あります?」
悠斗が尋ねた。
「商品なら消した方がいい」
「全部?」
「客が嫌がる」
「この肉らしい匂いまで?」
ガッシュは答えず、もう一切れ食べた。
◇
「昔、沼牙猪ってどんな肉だったんです?」
悠斗が尋ねた。
「どんなって、今と同じだ」
「処理方法も?」
「昔はもっと雑だった」
「じゃあ臭かった?」
「かなりな」
ガッシュが肉屋になったばかりの頃、沼牙猪は「安いが臭い肉」として扱われ、冒険者が持ち込んでも買い叩かれ、宿屋でも濃い香辛料を大量に使った煮込みへ回されることが多かったという。
「俺が店を継いだ時に、どうしたら臭いを減らせるか調べた」
「自分で?」
「父親と一緒にな」
脂を落とす位置や筋膜の外し方だけでなく、血抜きの時間や解体直後の冷やし方まで何度も変えた結果、処理をきちんとすれば、かなり食べやすくなることが分かった。
「それで今の切り方になった?」
「ああ」
「すごいですね」
「普通だ」
「でも、その方法を見つけた時は何度も試したんでしょう」
「当然だろ」
「今はあまり試さない?」
ガッシュの眉がわずかに動いた。
◇
「何が言いたい」
「昔は、沼牙猪をどうすれば美味しくできるか考えてたのに、今は『この部位は煮込み』『これは捨てる』って決まってるのかなと思って」
「決めるまでに試した結果だ」
「その結果が間違ってるとは言ってません」
「じゃあ何だ」
「同じ魔物でも、個体や料理方法が違えば、前に駄目だったところが今日は使えることもあるのかなって」
ガッシュは皿の肉へ視線を落とした。
「肉屋は毎回そんな試験できん」
「それはそうだと思います」
「一頭ごとに料理人呼ぶわけにもいかん」
「だから、全部変えなくてもいいんじゃないですか」
「どういう意味だ」
「迷う部分だけ残して、試したい料理人に安く出すとか」
ガッシュは鼻を鳴らした。
「失敗するぞ」
「それを分かった上で買う人なら?」
「店の評判が落ちる」
「《試作用》って言えば?」
「そんな札つけて肉売る店なんか聞いたことない」
「じゃあ最初になれますね」
「簡単に言うな」
悠斗は笑った。
◇
そこで店の扉が開き、ロイド・バッセルが入ってきた。
「まだ食事できますか」
「できますよ」
悠斗が答える。
ロイドは卓へ座ろうとしてから、ガッシュの前にある肉を見た。
「沼牙猪ですか」
「分かるのか」
「商人なので」
「肉商じゃないだろ」
「食材も扱います」
ロイドは少し鼻を動かした。
「思ったより匂い弱いですね」
「食うか」
「いいんですか」
「感想聞かせろ」
一切れ渡されると、ロイドはためらわず口へ入れた。
「これは売り方次第ですね」
「食って最初にそれか」
「商人なので」
「味は」
「美味しいですよ」
「どっちだ」
「味も商品としての可能性も、両方あります」
◇
「普通の腿肉より安いなら、買う店はあると思います」
ロイドが言う。
「臭いぞ」
「少しでしょう」
「客によっては嫌がる」
「だから普通の商品と分けるんです」
「悠斗と同じこと言うな」
「そうですか?」
「試作用で売れって言われた」
ロイドは少し考えた。
「悪くないですね。《沼牙猪・香り強め、加工向け》とでも説明して、焼き方や漬け込みを工夫する料理店向けに少量だけ出せばいい」
「売れ残ったら?」
「量を限定する」
「毎回あるわけじゃない」
「ならなおさら、常に置く商品ではなく、その時だけ出る加工向け肉として扱えます」
ガッシュは露骨に嫌そうな顔をした。
「商人は何でも売ろうとするな」
「肉屋は何でも切り落としすぎるんじゃないですか」
ロイドは笑った。
◇
食事を終えたガッシュは、残った肉を包んでもらった。
「持って帰るんです?」
悠斗が尋ねる。
「ああ」
「店で試す?」
「明日、もう一回見てから決める」
「捨てます?」
「まだ捨てん」
「よかった」
「何でお前が喜ぶ」
「食材なので」
「肉は俺のだ」
「そうでした」
ガッシュは布包みを片手で持ち上げた。
「今日の料理、名前何だった」
「沼牙猪の焼き肉、甘酸っぱい根玉葱添え」
「長い」
「仮です」
「やり方だけ書けるか」
「簡単なら」
「持って帰る」
悠斗は処理方法と焼き方を短く紙へ書き、ガッシュへ渡した。
◇
翌朝、《赤鉈屋》が開くと、ガッシュは昨日持ち帰った肉を作業台へ置いた。
手伝いがすぐに気づく。
「捨てなかったんですね」
「試す」
「何するんです?」
「三つに分ける」
ガッシュは肉を切り、最初の一つはいつも通り煮込み用へ回し、二つ目は薄切りにして酒と根玉葱へ漬け、三つ目だけは悠斗に教わった通り厚めに切った。
「焼くんですか」
「ああ」
「ガッシュさんが?」
「昼に食う」
「俺も?」
「嫌なら食うな」
「食べます」
ガッシュは悠斗からもらった紙を、作業台の端へ置いた。
◇
昼になると、店の奥にある小さな炉で肉を焼いた。
料理人のように綺麗には仕上げられなかったものの、水分を拭き、表面を強く焼いてから火を弱めるという手順だけは守った。根玉葱の甘酸っぱいソースまでは作らず、代わりに酒へ漬けておいた根玉葱を一緒に焼いた。
「昨日のより臭いですね」
手伝いが言う。
「当たり前だ。料理人じゃない」
「でも普通に美味しいです」
「普通にって何だ」
「少なくとも、最初から捨てる肉には思えないってことです」
ガッシュも一切れ食べた。
昨日ほど臭いは抑えられていなかったが、それでも、以前なら迷わず廃棄していた肉とは思えない程度には十分食べられる。
「……全部落とす必要はなかったか」
小さく呟く。
「今なんて?」
「何でもない」
「聞こえました」
「仕事しろ」
◇
その日の午後、昨日の若い冒険者が残りの沼牙猪の肉を受け取りに来た。
「昨日の分、あります?」
「ああ」
ガッシュは煮込み用へ切った肉を出したあと、少し考えてから別の包みにも手を伸ばした。
「お前、焼いて食いたいって言ってたな」
「はい」
「試すか」
「何を?」
ガッシュは匂いが少し残っている腿肉を見せた。
「昨日は焼き用にしないって」
「今も普通の焼き用としては売らん」
「じゃあ何です?」
「処理試験用だ」
「処理試験?」
「酒か根玉葱へ漬けて、焼く前に水分を拭け。最初は強く焼いて、そのあと火を落とせ」
若い冒険者は目を丸くした。
「料理教えてくれるんですか」
「違う」
「じゃあ何です?」
「俺も試してる」
ガッシュは少し不機嫌そうに答えた。
「値段は普通より下げる。ただし臭いが残る可能性がある。それでもいいなら持っていけ」
「買います」
「即答するな」
「だって焼きたかったから」
「不味くても文句言うなよ」
「美味かったら?」
「次に来た時に言え」
「分かりました」
◇
三日後、若い冒険者は再び店へやってきた。
「どうだった」
今度はガッシュの方から尋ねた。
「美味かったです」
「臭いは」
「少しありましたけど、俺たちは気にならなかったです」
「全員?」
「一人だけ、ちょっと苦手って言ってました」
「その一人は?」
「煮込みの方食ってました」
「そうか」
「あと、酒に漬けたのと、根玉葱に漬けたの両方やりました」
「どっちが良かった」
「俺は根玉葱。仲間は酒」
「火は?」
「最初強くして、そのあと落としました」
「焼きすぎなかったか」
「二枚焦がしました」
「下手くそ」
「でも残りは成功です」
若い冒険者は笑った。
「また同じ肉あったら売ってください」
「いつでもあると思うな」
「分かってます」
◇
その後、ガッシュは店での肉の扱いを少しだけ変えた。
これまでなら匂いや筋が自分の基準から外れた時点で廃棄していた部分のうち、安全性に問題がなく、処理次第で使えそうなものだけを小さな籠へ分けるようにし、その籠には《加工向け・状態説明あり》という札をつけた。
通常の肉より少し安い代わりに、客へ必ず状態を説明し、臭いが残る肉ならそのことを伝え、筋が多いなら焼き物には向かないことも伝えたうえで、それでも使ってみたいと言う客にだけ売る。
最初の数日はほとんど誰も買わなかったが、安い食材を探している宿屋や、新しい料理を試したい料理人、野営食を工夫したい冒険者が少しずつ興味を示すようになった。
◇
ある日、宿屋の料理人が加工向けの籠を覗いた。
「これ、何の肉?」
「山角鹿の肩」
「何が問題?」
「筋が多い。煮込めば使えるが、普通の商品には入れなかった」
「細切りにして焼きたい」
以前なら、その時点でガッシュは断っていただろう。
「硬くなるぞ」
「酒と粉根使う」
「どれくらい薄くする」
「これくらい」
料理人が指で幅を示したため、ガッシュは肉の筋をもう一度確認した。
「なら筋を断つ向きに切る。焼きすぎるな」
「売ってくれる?」
「状態を分かった上で買うならな」
「いくら?」
価格を告げると、料理人はすぐ購入を決めた。
◇
ただし、何でも客の希望通りにするようになったわけではなかった。
「これ生で食えます?」
別の客が尋ねた時には、ガッシュは即座に首を横へ振った。
「駄目だ」
「新鮮でしょう」
「新鮮でも駄目な肉は駄目だ」
「少しくらい」
「売らん」
「加工向けなら自由に使っていいんじゃないの」
「安全まで客任せにする気はない」
「じゃあ何が変わったんです?」
ガッシュはその肉を客の手が届かない場所へ戻した。
「使い方を一つに決めるのをやめただけだ。食えるかどうかまで好きに決めさせるとは言ってない」
◇
一週間ほどして、ガッシュは再び《持ち込み食堂》を訪れた。
「今日は何です?」
ミレイアが尋ねる。
「普通に食う」
「肉なし?」
「一日中肉見てるんだぞ」
「じゃあ魚?」
「あるならな」
悠斗が厨房から顔を出した。
「白身魚があります」
「それで頼む」
「今日は持ち込みじゃないんですね」
「毎回何か持ってくる店なのか、ここは」
「そういう店ではあります」
「客が何も持ってない時は?」
「普通に作ります」
「なら普通に作れ」
「分かりました」
◇
料理を待つ間、悠斗が加工向け肉について尋ねた。
「試作用の肉、どうなりました?」
「売ってる」
「本当に?」
「少しだけな」
「評判は?」
「客による」
「それでいいんじゃないですか」
「良くはない。肉屋としては、味が安定してる方が楽だ」
「じゃあやめます?」
「まだやめん」
ガッシュは卓へ肘をついた。
「今まで捨ててた肉の中にも、使えるやつがあったのは分かった」
「もったいなかった?」
「そういう言い方するな」
「すみません」
「ただ、残せばいいってものでもない。臭すぎるやつもあるし、筋が悪いものもある」
「その判断はガッシュさんがする?」
「ああ」
「料理方法は?」
「客と相談する」
「結構変わりましたね」
「うるさい」
◇
運ばれてきた白身魚の焼き物を食べながら、ガッシュはしばらく黙っていた。
肉にはそれぞれ向いた使い方があり、その考え自体は今も変わっていない。経験を積んできた肉屋として、客が明らかに失敗しそうな調理法を選べば止めるつもりでもいるし、安全に関わるところまで好き勝手にさせる気もなかった。
ただし、自分が考える「一番向いている使い方」と、「それ以外では使えない」という意味は同じではない。
自分が知っている切り方がすべてではなく、料理する者が違えば、別の方法で価値を引き出せることもあり、その可能性まで最初から切り落とす必要はなかった。
◇
翌朝、《赤鉈屋》へ昨日とは別の冒険者が魔物肉を持ち込んだ。
布を開くと、中には赤黒い肉が入っている。
「何の肉だ」
「湿地で獲ったやつなんですけど、名前が分からなくて」
「分からん肉を食うな」
「毒はギルドで見てもらいました」
「種類は?」
「研究所に回してます」
ガッシュは匂いを確認し、筋と脂の位置を見たものの、自分の記憶には一致する肉がなかった。
以前なら、種類が分かるまで扱わないと言って返していた可能性が高い。
「何にしたい」
ガッシュが尋ねる。
「え?」
「食える確認が取れてるなら、何にしたいか聞いてる」
「焼いてみたいです」
「この筋なら厚切りはやめろ。薄く切るか、煮込め」
「じゃあ半分ずつできます?」
ガッシュは肉の状態をもう一度確かめてから、頷いた。
「できる。ただし、焼き用は試しだと思え」
「分かりました」
ガッシュは肉を二つに分け、片方は煮込み用として大きめに切り、もう片方は筋の向きを見ながら薄く切り始めた。
自分が知っている正解へすべての肉を押し込むのではなく、肉そのものの状態と、それを食べる人間が何をしたいのかを両方確かめたうえで、安全を外れない範囲なら一緒に使い方を考える余地を残すことも、肉を切り分ける仕事の一部にしていけばよかった。
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