第21話 焦げた翼肉と、先頭を譲れない冒険者
ライオス・ベルグは、仲間より先に危険を見つけることが、自分の仕事だと思っていた。
三十六歳になる彼は、レーヴェンを拠点に活動するA級冒険者であり、十五年以上にわたって魔物討伐や護衛、危険地域の探索を続けている。大剣を使う前衛として知られているものの、単純に腕力だけで戦う男ではなく、地形や敵の動きを読むことにも長けており、若い頃から数え切れないほどの依頼を生き延びてきた。
現在は四人組の冒険者団を率いており、盾を使うミア・レイン、魔術師のエルド・ファラン、斥候を兼ねる若い狼獣人のロッカと一緒に行動することが多い。経験も実績も十分にあり、仲間からの信頼も厚かったからこそ、ライオスは自分が先頭に立つことを当然だと考えていた。
「左へ回れ!」
レーヴェンから北西へ半日ほど進んだ岩場で、ライオスは大剣を振り抜きながら叫んだ。
正面では、灰色の翼を広げた《岩翼鳥》が低空から突っ込んでくる。翼を広げれば人間二人分ほどの幅があり、鳥と呼ぶにはあまりにも太い脚と、獣のような鋭い爪を持つ魔物だった。空を長く飛ぶことはできないものの、岩場の高低差を利用して滑空し、上から獲物へ爪を叩き込んでくる。
ライオスは岩翼鳥の進路へ入り、大剣の腹で爪を受けると、金属と硬い爪がぶつかる甲高い音が周囲の岩場へ響いた。
「今だ!」
横へ回ったミアが盾を押し込み、魔物の身体をわずかに傾けると、その隙へエルドの放った火球が飛び込み、翼の付け根へ命中した。
羽毛が燃え上がり、岩翼鳥が甲高く鳴きながら地面へ落ちる。
「ロッカ、右!」
「見えてる!」
岩陰からもう一体が飛び出したものの、ロッカはすでに短剣を抜いており、足元へ滑り込むように身体を沈めて翼の下を切りつけ、勢いを崩した。
そこへライオスが走った。
「俺がやる!」
ロッカの返事を待たずに前へ入り、大剣を振り下ろすと、岩翼鳥の首元へ刃が深く入り、一撃で動きが止まった。
戦闘が終わったあと、ライオスは周囲を見回した。
「怪我は?」
「ない」
ミアが答える。
「俺も平気」
エルドが杖を下ろす。
しかしロッカだけは、少し不満そうな顔でライオスを見ていた。
「何だ」
「別に」
「言いたいことがあるなら言え」
「今の二体目、俺だけで止められた」
「止められたかもしれんが、早く片づけた方がいい」
「それはそうだけど、俺の前に入る必要はなかっただろ」
「怪我するよりましだ」
「俺、斥候だけど冒険者でもあるんだけど」
「知ってる」
「なら、任せろよ」
ロッカはそう言ったが、ライオスはその言葉を深く受け取らなかった。
「任せるところは任せてる」
「どこを?」
「索敵」
「戦闘になると全部前へ出るじゃん」
「前衛だからな」
ライオスが当然のように答えると、ロッカは何かを言い返そうとしてから、結局ため息だけを吐いた。
◇
その日の依頼は、北西の岩場へ増えた岩翼鳥を五体討伐し、街道へ降りてこないよう数を減らすことだった。依頼達成に必要なのはあくまで五体であり、それ以上深く巣のある地域へ踏み込む必要まではない。
しかし三体目を倒した頃、ライオスは遠くの岩棚へ大きな影を見つけた。
「親鳥かもしれんな」
翼を畳んだままでも、先ほどまでの個体より一回り以上大きい。
エルドが目を細めた。
「依頼には含まれてないぞ」
「今放っておけば、また増える」
「巣の位置も分かってない」
「見に行くだけだ」
ミアが盾を背負い直した。
「今日は五体で終わりじゃなかった?」
「危険があるなら確認しておく」
「確認だけ?」
「必要なら倒す」
ミアは少しだけ顔をしかめた。
「ライオス、今日は朝から前へ出すぎてるよ」
「何がだ」
「二体目も、三体目も、ロッカが動けるところへ入ったでしょう」
「危険を減らしただけだ」
「私たちが危険を処理できないと思ってる?」
「そういう話じゃない」
「じゃあどういう話?」
ライオスは返答する前に、岩棚の方へもう一度視線を向けた。
「俺が先に行けば済む」
そう答えて歩き出した背中へ、ミアは小さく息を吐いた。
◇
大きな岩翼鳥がいた場所まで近づくと、そこは巣ではなく、崩れた岩の間に羽根や獲物の骨らしきものが散らばる休息場所のようだった。卵や雛の姿は見えず、ロッカはしゃがみ込んで地面へ残された跡を調べ始めた。
「ここ、休憩場所だな」
「足跡は?」
「北へ一つ。あと西へ二つくらい」
「三体いる?」
「古い跡も混ざってる。今いるかまでは分からない」
ライオスが北側の斜面を見る。
「少し上がる」
「待て」
今度はロッカが止めた。
「何だ」
「上、風が変だ」
「どう変だ」
「横から巻いてる。大型が滑空してきたら見えにくい」
「だから俺が先に行く」
「それやめろって言ってるんだよ」
ロッカが立ち上がった。
「俺が先に見に行く。こういう地形は俺の仕事だろ」
「大型がいたら?」
「戻る」
「間に合わなかったら?」
「何のために俺が斥候やってると思ってるんだ」
その言葉を聞いても、ライオスは納得できなかった。
「俺が行く」
「ライオス」
ミアの声も重なった。
「今日は依頼分だけで帰ろう」
「あと二体だ」
「だから、その二体を探して帰ればいい」
「大型を見た以上、位置だけでも確かめる」
「私たちが止めても?」
「危険を残す理由がない」
ミアは少し黙ったあと、盾の留め具へ手を置いた。
「じゃあ私が先頭に立つ」
「何でだ」
「大型が来た時、一番最初に受けるなら盾役の私が適任だから」
「滑空を正面から受ける気か」
「必要ならね」
「危険すぎる」
「あなたがやるのは危険じゃないの?」
「俺は慣れてる」
「私も十二年盾やってる」
ライオスは言葉を失ったものの、それでも最後には自分が前へ出た。
「俺が行く」
ミアは何も言わなかった。
◇
斜面を半分ほど登ったところで、ロッカの警告が飛んだ。
「上!」
ライオスが顔を上げると、岩陰から巨大な岩翼鳥が落ちるような勢いで滑空してきた。予想していたよりも速度があり、ライオスは大剣を横へ構えた。
「来い!」
「避けろ!」
ミアの声が聞こえたが、ライオスはその場に残った。
巨大な爪が大剣へぶつかり、身体全体が後ろへ押される。靴底が岩を削りながら二歩、三歩と下がったものの、この程度なら受け切れると判断した直後、岩翼鳥が翼を大きく振った。
横から巻いていた風を受けた巨体が予想外の方向へずれ、もう片方の爪がライオスの左肩へ叩き込まれた。
「ぐっ!」
革鎧の上から強い衝撃を受け、身体が横へ吹き飛ばされて岩へ背中を打ちつける。
「ライオス!」
ミアがすぐ前へ出て盾で二撃目を受け止め、その横からロッカが岩翼鳥の脚へ短剣を入れた。
「エルド!」
「分かってる!」
魔術の光が走って岩翼鳥の視界を焼き、その間にミアがライオスの前へ完全に入り込んだ。
「下がって!」
「まだ動ける」
「左腕上がってない!」
言われて初めて肩の状態を確かめると、腕そのものは動くものの、持ち上げようとするたび強い痛みが走り、大剣を両手で扱える状態ではなかった。
「一旦離れるぞ!」
ロッカが叫ぶ。
「まだ倒せる」
「誰が?」
「俺たちで!」
「なら俺も――」
「邪魔!」
ロッカの声は、今まで聞いたことがないほど強かった。
「今のあんたが前にいたら、俺たちが庇うことになる!」
その一言で、ライオスの足が止まった。
◇
巨大な岩翼鳥は、その場で無理に倒そうとはしなかった。
ミアが正面を押さえ、エルドが牽制の火を放ち、ロッカが退路を確認しながら、ライオスを囲むようにして斜面を下り、そのまま安全な岩陰まで退いた。岩翼鳥も縄張りから大きく離れるつもりはないらしく、それ以上深く追ってはこなかった。
「左肩見せて」
ミアが言う。
「大したことない」
「見せて」
「自分で分かる」
「じゃあ大剣振ってみて」
ライオスは黙った。
「振れないでしょ」
「片手なら使える」
「大型相手に?」
ライオスが答えられないまま、ミアは鎧の留め具を外して肩を確認した。
爪そのものは革鎧を貫いていなかったが、強い打撃を受けたため、肩から上腕へかけて大きな腫れが出始めている。
「骨は分からない」
エルドが言った。
「戻った方がいい」
「依頼はあと二体だ」
三人が同時にライオスを見た。
「何だ」
「本気で言ってる?」
ミアの声が低くなる。
「あと二体くらいなら――」
「誰が倒すの」
「お前らが」
「なら、あなたがここにいる意味は?」
その問いに、ライオスは答えられなかった。
ミアは続けた。
「私たちだけで二体倒せるなら、最初からもっと任せてもよかったんじゃない?」
「今それを言うのか」
「今だから言うの」
「俺は団長だ」
「だから何?」
「全員を無事に帰す責任がある」
「私たちには、自分と仲間を守る責任がないの?」
ライオスは何も言えなくなった。
◇
依頼は三体討伐の時点で中断し、一行はレーヴェンへ戻った。
ギルドへ事情を説明すると、討伐数が不足しているため報酬は一部減額されたものの、大型個体の目撃情報と周辺地形の詳細には追加報酬がつき、結果だけを見れば大きな損失にはならなかった。
それでもライオスは納得していなかった。
「明日、俺抜きで行く」
ギルドを出たところでロッカが言った。
「何?」
「残り二体。俺とミアとエルドで行く」
「駄目だ」
「何で」
「大型がいる」
「だから今日は近づかない」
「見つかったらどうする」
「逃げる」
「追われたら?」
「地形見て逃げ道選ぶ」
「間違えたら?」
質問を重ねられるたび、ロッカの顔へ少しずつ苛立ちが戻っていった。
「じゃあ俺は、いつまで斥候の判断を信用してもらえないんだ?」
「信用してないとは言ってない」
「でも最後は全部あんたが決めるだろ」
「団長だからだ」
「俺たちは何のためにいる?」
ライオスは答えようとしたが、言葉が出なかった。
「荷物持ちじゃないんだぞ」
ロッカはそう言い残し、先に歩いていった。
◇
そのまま治療院へ行ったところ、左肩は骨折まではしていなかったものの、強い打撲と筋を痛めており、数日は大剣を両手で振るうべきではないと言われた。
治療を終えた頃には夕方になっており、ミアとエルドは明日の依頼についてギルドと調整するため残っていたため、ライオスは一人で街を歩いた。
腹は減っていたが、馴染みの酒場へ入る気にはなれなかった。左腕を吊った状態で顔見知りの多い店へ行けば、間違いなく何があったのか聞かれ、仲間より先に危険へ入り、自分だけが負傷して撤退したという事実を説明しなければならない。
説明すること自体が嫌なのではなかったが、その内容を口にすることには妙な引っかかりがあった。
歩いているうちに西区の外れまで来ると、そこで見覚えのある看板が目に入った。
《持ち込み食堂》
以前、ギルドで何度か名前を聞いた店だった。
変わった食材を持ち込めば料理してくれるらしく、今日の討伐で持ち帰ったものといえば、腰の袋へ入れた岩翼鳥の翼肉くらいしかない。討伐証明として爪を取った時、ロッカが「肉も食える」と言って切り分けた部分であり、普段なら野営用に持ち帰る程度のものだった。
ライオスは少し迷ったあと、店の扉を開けた。
◇
「いらっしゃいませ」
ミレイアが声をかけたあと、左腕を吊ったライオスを見て少し目を細めた。
「怪我してます?」
「見れば分かるだろ」
「聞いただけです」
「治療は済んでる」
「ならよかったです」
それ以上深く聞かなかったため、ライオスは少し気が楽になった。
「持ち込みがある」
「何です?」
布袋を卓へ置く。
「岩翼鳥の翼肉だ」
「食べられるんですか?」
「食える。ただし硬い」
「悠斗ー」
厨房から悠斗が出てきた。
「こんばんは」
「これ、料理できるか」
袋の中身を見せる。
翼肉は濃い赤色をしており、細長い筋が何本も走っている。
「岩翼鳥ですか」
「知ってるのか」
「名前だけ。この肉は初めてです」
「食えるぞ」
「硬い?」
「かなりな」
悠斗は指で肉を押し、繊維の向きを確認した。
「飛ぶ魔物ですよね」
「長距離は飛ばない。滑空が多い」
「じゃあ翼をかなり使う?」
「使う。だからこの辺は筋が多い」
「なるほど」
悠斗は肉を持ち上げて眺めた。
「焼くだけだと硬そうですね」
「野営じゃ焼く」
「どうやって?」
「薄く切って、強火で焼く」
「美味しい?」
ライオスは少し考えた。
「食える」
「美味しいか聞いたんですけど」
「腹が減ってりゃ美味い」
「便利な答えですね」
◇
悠斗は肉を少量切り、まず性質を見るために小さな切れ端だけ焼いてみた。
強い火へ当てると表面はすぐに色づいたものの、焼き上がった肉へ刃を入れようとすると強い抵抗があり、繊維がしっかり締まっていることが分かった。
「かなり縮みますね」
「だから言っただろ」
悠斗が一切れ食べ、しばらく噛んでから頷いた。
「味は濃いけど、確かに硬い」
「野営だとそれを食う」
「毎回?」
「岩翼鳥を獲ればな」
「顎疲れません?」
「冒険者がそのくらいで文句言うか」
「食事くらい楽でもいいと思いますけど」
ライオスは返事をしなかった。
悠斗は残りの肉を見ながら考えた。
「煮るかな」
「酒に合うようにしろ」
「怪我してるのに飲んでいいんです?」
「治療院で禁止されてない」
「量は?」
「一杯くらいなら問題ない」
「本当に?」
「子どもじゃない」
ミレイアが横から口を挟む。
「治療院の人に聞いてないなら今日はなしでもいいんじゃないですか」
「何で店員まで止めるんだ」
「酔って転んだら面倒なので」
「転ばない」
「怪我してる人、みんなそう言います」
「お前、治療院で働いてたのか」
「働いてません」
ライオスは眉を寄せたが、結局酒は頼まなかった。
◇
悠斗は翼肉を繊維へ逆らうように切り、塩を少量振ってから鍋で表面だけを焼いた。
焼き色がついたところで一度取り出し、同じ鍋へ根玉葱を入れる。肉から出た脂は少なかったため、別の油をほんの少しだけ加えてゆっくり火を通すと、根玉葱の甘い香りが立ち上がった。
「何作るんだ」
「煮込みです」
「時間かかる?」
「少し」
「どれくらい」
「肉を見ながらなので正確には分からないですけど、一時間以上は欲しいですね」
「長いな」
「硬いので」
「もっと強い火で煮ればいいだろ」
「それで早く柔らかくなるとは限らないです」
ライオスは少し眉を動かした。
「肉なのに?」
「肉だからです」
鍋へ焼いた翼肉を戻し、少量の酒と水を加える。
さらに赤根と香りの穏やかな香草を入れ、蓋をして弱い火へかけた。
「待つだけか」
「途中で見ますけど、基本はそうですね」
「なら先にパンくれ」
「お腹空いてました?」
「昼から食ってない」
「怪我したあとも?」
「治療院行ってた」
悠斗は黒麦パンと薄い乳酪を出した。
「煮込みができるまで、これ食べてください」
「料理代に入るのか」
「入れます」
「なら食う」
◇
パンを半分ほど食べた頃、店の扉が開いた。
「ここにいると思った」
聞き覚えのある声に、ライオスは顔をしかめた。
入ってきたのはミアだった。
「何で分かった」
「ギルドで、岩翼鳥の肉を持ったまま西区へ歩いていったって聞いた」
「誰が見てた」
「知り合い多いんだから仕方ないでしょう」
ミアは向かいの席へ座った。
「明日の件、決まったよ」
「俺は行かないぞ」
「当然」
「ロッカたちだけで行かせるのか」
「私も行く」
「三人か」
「そう」
「大型に近づくな」
「分かってる」
「もし見つかったら」
「逃げる」
「それで追われたら」
ミアは少しだけ眉を寄せた。
「また始まった」
「何がだ」
「全部の失敗する場合を先に考えて、自分がいないと駄目だって結論にするの」
「最悪を考えるのは当然だ」
「私も考えてる」
「なら――」
「ライオス」
ミアは声を強めず、ただ真っ直ぐ彼を見た。
「私たちが失敗する可能性を考えるのはいい。でも、あなたが失敗する可能性だけ無視するのはおかしいよ」
ライオスの表情が止まった。
「今日、実際に怪我したでしょう」
「判断を間違えた」
「どこを?」
「大型を受けたところだ」
「その前は?」
「何が言いたい」
「ロッカを先に行かせなかったところは?」
ライオスは答えなかった。
「私は?」
「お前は盾役だ」
「だから先頭へ出るって言った」
「滑空相手に盾だけじゃ危険だ」
「大剣で受けるよりは?」
その問いにも答えられないまま、ミアはさらに続けた。
「エルドだって後衛だから前には出ないけど、地形を見る目はあるし、魔力で風を少し読める。ロッカと組めば、あなた一人で上がるより安全だったかもしれない」
ライオスは残っていたパンへ目を落とした。
◇
「俺は団長だ」
しばらくしてから、ライオスは言った。
「知ってる」
「だから危険なところは俺が行く」
「団長って、最初に怪我する役なの?」
「違う」
「じゃあ何?」
「仲間を帰す役だ」
「私たちも同じだよ」
ミアは即座に答えた。
「私は盾でみんなを守る。ロッカは危険を先に見つける。エルドは近づかれる前に敵を削る。あなたは前で敵を止める。それぞれやることがある」
「分かってる」
「分かってないから、全部自分でやろうとするんでしょう」
ライオスは顔を上げた。
「全部なんかやってない」
「じゃあ、今日ロッカが止められる相手に入ったのは何で?」
「確実に倒すためだ」
「私が先頭に出るって言ったのに断ったのは?」
「危険だったからだ」
「ロッカに偵察を任せなかったのは?」
「もし見つかったら――」
「それ全部、私たちが失敗する前提じゃない」
言われた瞬間、ライオスは反論できなくなった。
◇
悠斗は二人の会話へ無理に入らず、鍋の状態を確かめていた。
一度蓋を開け、肉へ串を入れてみると、まだ強い抵抗が残っている。
「もう少しかかるな」
独り言のように呟いてから、悠斗は火を少しだけ弱くした。
ライオスはその手元を見た。
「もっと煮ろ」
「煮ますよ」
「火を弱くするのか」
「水分減りすぎてるので」
「さっきから弱くしてばっかりだな」
「この肉に強い火を当て続けても、水がなくなる方が早そうなので」
「最初に焼いた時は強火だった」
「表面を焼きたかったからです」
「今は?」
「中の硬いところがほどけるのを待ってます」
ミアが少し笑った。
「今日のライオスみたい」
「何がだ」
「強くやれば早いと思ってるところ」
「肉と一緒にするな」
「私はしてない。店主さんがしてる」
「してませんよ」
悠斗はすぐ否定した。
ミアが笑う。
「そこは合わせてくれてもいいのに」
「料理で説教する店じゃないので」
「そうなの?」
「食べる店です」
ライオスは少しだけ口元を緩めた。
◇
煮込みが仕上がるまでの間、ライオスは昔のことを話した。
冒険者になって三年目の頃、彼は六人組の一番若い前衛であり、当時の団長は四十代の経験豊富な男だった。
「その人も前に出る人だった?」
ミアが聞く。
「俺なんかよりな」
ある討伐依頼で、崖沿いの細い道を進んでいた時、前方から大型の魔物が現れた。
団長は全員を下がらせ、自分一人で狭い道を塞いだ。
「倒したの?」
「倒した」
「じゃあ助かったんだ」
「その時はな」
魔物を倒した直後に崖の一部が崩れ、団長は疲労で動きが遅れたため、そのまま崖下へ落ちた。
「見つかった時には死んでた」
ミアは黙った。
「俺たちは助かった。だから間違ってたとは思わなかった」
「今は?」
「……分からん」
その男がいなければ、六人全員が危なかった可能性もある。
だからライオスは、団長とはそういうものだと思うようになった。危険が来れば一番前へ出て、仲間より先に傷つき、必要なら自分が最後に残る。
「格好いいと思ったんだろうな」
ライオスは少し苦い顔をした。
「実際、格好よかった」
「でも死んだ」
「死んだ」
「あなたもそうなりたい?」
「なりたいわけあるか」
「じゃあ、生き残るところまで真似しないと」
ミアが言った。
「団長が死んだあと、残った人たちどうなったの?」
「半年で解散した」
「何で」
「まとめられる奴がいなかった」
そこまで答えたあと、ライオスは自分で何かに気づいたように黙り込んだ。
◇
悠斗がもう一度鍋へ串を入れると、今度は先ほどより明らかに抵抗が少なくなっていた。
「そろそろいけそうです」
蓋を外して最後に少しだけ煮汁を詰め、別に茹でていた黄芋を粗く潰して皿へ広げる。
その上へ翼肉の煮込みを盛り、根玉葱と赤根も添えた。
「《岩翼鳥のやわらか煮込み》です」
ライオスは匙ではなく、片手でも使いやすいように渡された小さな叉を取った。
「本当に柔らかくなったのか」
「食べてみてください」
翼肉へ叉を入れると、野営で焼いた時のような強い抵抗はなく、繊維に沿って肉がほぐれていった。
ライオスが一切れ口へ入れると、強く噛み続けなくても肉が崩れ、岩翼鳥特有の濃い味が煮汁へ溶け込み、根玉葱の甘さがその癖を和らげている。黄芋と一緒に食べれば、肉から出た煮汁まで吸い込み、硬い翼肉だったことを忘れるほど食べやすかった。
「同じ肉か」
「同じです」
「こんなになるのか」
「時間かければ」
ライオスはもう一口食べた。
「野営じゃ無理だな」
「二時間近く煮る余裕があるならできますけど」
「そんなに火を使ってたら魔物呼ぶ」
「じゃあ街向けですね」
「でも美味い」
「よかったです」
◇
ミアにも少量が取り分けられた。
「本当に柔らかい」
「焼くよりこっちだな」
ライオスが言う。
「今度から持って帰る?」
「余裕があればな」
「全部自分で持つの?」
ミアが聞いた。
ライオスは反射的に答えかけてから、少しだけ止まった。
「……荷物の重さを見て分ける」
「おお」
「いちいち反応するな」
「だって今までなら『俺が持つ』って言ったでしょ」
「言ってない」
「言う」
「言わん」
「絶対言う」
悠斗は皿を置きながら笑った。
◇
食事を終えた頃には、ライオスの表情も店へ入った時よりかなり落ち着いていた。
「明日、本当に三人で行くのか」
ライオスが聞く。
「行くよ」
「大型のいた斜面へは行くな」
「行かない」
「ロッカを先頭にしろ」
ミアの顔が少し変わった。
「いいの?」
「斥候なんだから当然だ」
「あなた、それ今日の朝は認めなかったよね」
「うるさい」
「エルドには?」
「風の様子を見させろ。滑空してきそうなら近づく前に引け」
「私は?」
「前へ出るなら盾を使え」
「当然」
「二体倒したら終わりだ。大型が見えても追うな」
「そこは最初からそのつもり」
ライオスは少し考えた。
「あと、俺がいなくても勝手に判断していい」
ミアは今度こそ黙った。
「何だ」
「いや、それ団長が言う?」
「必要ならな」
「ロッカに直接言って」
「……明日の朝言う」
「逃げないでね」
「何から逃げるんだ」
「謝るところから」
ライオスは露骨に嫌そうな顔をした。
◇
次の朝、ギルド前へ行くと、ミア、エルド、ロッカの三人がすでに待っており、ライオスは大剣を持たず、左腕を吊ったままで彼らの前へ立った。
ロッカが少しだけ眉を上げた。
「見送り?」
「話がある」
「何」
ライオスは一度言葉を探した。
「昨日の斜面、俺が悪かった」
ロッカは何も言わない。
「お前に先を見ろと言われたのに、俺が行った。ミアにも前へ出ると言われたのに断った。結果、俺が怪我して撤退した」
「……うん」
「お前の判断を信用してなかったわけじゃない」
「でも任せなかった」
「そうだ」
「何で?」
ライオスは少し黙った。
「自分がやる方が安全だと思ってた」
「今は?」
「一人が全部やる方が危ないこともあると思ってる」
ロッカは目を細めた。
「思ってるだけ?」
「今日はお前が先頭だ」
「本当に?」
「地形はお前が見ろ。危ないと思ったら、討伐数が残ってても戻れ」
「団長命令?」
「いや」
ライオスはそこで少しだけ考えた。
「斥候のお前に任せる」
ロッカは数秒黙ったあと、笑った。
「分かった」
◇
三人が北西の岩場へ向かったあと、ライオスは同行せず、ギルドの休憩所へ残った。
最初の一時間ほどは座っていても落ち着かず、今どこを歩いているのか、昨日の大型と遭遇していないか、ロッカが無理をしていないか、ミアが前へ出すぎていないかと、考え始めればいくらでも不安が湧いてきた。
何度か立ち上がりかけたものの、そのたび左肩へ痛みが走り、結局は座り直した。
「行っても役に立たん」
自分へ言い聞かせるように呟く。
昼を過ぎても三人は戻らず、夕方近くになってようやくギルドの扉が開いた。
「終わったよ」
最初に入ってきたのはミアだった。
「二体?」
「二体」
「怪我は?」
「なし」
「大型は?」
「見えた」
ライオスの顔が変わる。
「近づいたのか」
「近づいてない。ロッカが風と羽音に気づいて、先に引いた」
後ろから入ってきたロッカが言う。
「一体目倒したあと、北側から大型の鳴き声が聞こえたから、西へ迂回した」
「二体目は?」
「南の低い岩場で見つけた」
「追われなかったか」
「追われてない」
無事に戻った三人を見ながら、ライオスはようやく大きく息を吐いた。
◇
ロッカが討伐証明の爪を卓へ置く。
「団長」
「何だ」
「俺たちだけでも帰ってこられた」
「見れば分かる」
「心配した?」
「した」
以前なら、そこも誤魔化したかもしれない。
「でも行かなかった」
「怪我人だからな」
「それだけ?」
ライオスは少し考えた。
「任せるって言ったからだ」
ロッカは満足そうに頷いた。
「ならいい」
ミアが横から笑う。
「今日は素直だね」
「昨日から言われすぎて疲れた」
「治ったらまた戻りそう」
「その時は言え」
「言っていいの?」
「言わなきゃ分からん時もある」
エルドが後ろで笑った。
「ようやく分かったか」
「お前は昨日ほとんど何も言ってなかっただろ」
「三人が言ってるところへ四人目まで入ったら、さすがに可哀想だと思ってな」
「余計腹立つな」
◇
左肩が治るまで、ライオスは前衛としての依頼を控え、その代わりにギルドで若い冒険者へ地形の読み方を教えたり、依頼書の危険情報を整理したり、仲間が持ち帰った装備の手入れを片手でできる範囲だけ手伝ったりして過ごした。
以前なら、そうした仕事を「自分がやることではない」と感じていたかもしれないが、自分が前へ出なくても仲間が働き、依頼が進み、冒険者団が止まらないことを知ったあとでは、その時間を以前ほど無駄だとは思わなくなった。
一週間後には治療院で軽い剣なら使ってもよいと言われ、さらに数日が過ぎると大剣も短時間なら振れるようになった。
復帰した最初の依頼は、街道沿いへ現れた小型魔物の討伐だった。
四人で森へ入り、最初の分岐へ着く。
「ロッカ」
「何?」
「先を見てこい」
「どこまで?」
「次の曲がり角まで。危なければ戻れ」
「了解」
ロッカが森の中へ消れたあと、ライオスはその場で待った。
以前なら自分も少し前まで出ていたかもしれないが、今は斥候が戻るまで位置を動かさない。
数分後、ロッカが戻ってくる。
「右に三体。左は何もいない」
「地形は?」
「右が狭い。ミア先頭がいい」
ライオスはミアを見る。
「頼む」
「任された」
ミアが盾を構えて前へ出ると、ライオスはその後ろへ続いた。
◇
依頼を終えた夕方、四人は《持ち込み食堂》へ立ち寄り、以前と同じ岩翼鳥の翼肉を持ち込んだ。
「またですか」
悠斗が笑う。
「今日は別の個体だ」
「それは分かります」
「前と同じ煮込みにしてくれ」
「時間かかりますよ」
「知ってる」
「今日は待てるんですね」
「俺を何だと思ってる」
ミアがすぐ答える。
「前へ出たがる人」
「お前には聞いてない」
ロッカが袋を卓へ置いた。
「今日これ運んだの俺だから、俺の分多めで」
「何でだ」
「団長が最初に持とうとしたけど、肩治りかけだから俺が持った」
悠斗がライオスを見る。
「任せられたんですね」
「荷物くらい誰が持っても同じだ」
「前はそう思ってなかったでしょう」
「最近みんな俺に厳しくないか」
そう言いながらも、ライオスは本気で嫌そうにはしていなかった。
煮込みができるまでの間、四人は次の依頼について話し合い、危険度や道の状態、必要な装備、それぞれがどこを見るのかを順番に確認した。最後の判断だけをライオス一人が決めるのではなく、全員が自分の役割から意見を出し、ライオスも必要なところでは口を出しながら、誰かの言葉を途中で遮って自分だけで答えを決めることはしなかった。
やがて煮込みが運ばれてくると、ライオスは自分の皿へ最初に手を伸ばさず、肉を運んできたロッカの前へ一番大きな皿を押した。
「食え」
「いいの?」
「今日はお前が持ったんだろ」
「じゃあ遠慮なく」
ロッカが笑って皿を受け取る。
ライオスはその様子を見届けてから自分の分へ手を伸ばし、誰かへ任せたものがきちんと戻ってくるまで待つこともまた、仲間と同じ道を歩き続けるために必要な役割なのだと、以前より自然に受け入れながら食事を始めた。




