第2話 食べられない茸と、薬師の食卓
セレナ・リーフェルは八十四歳になるエルフの薬師であり、人間の感覚で見れば三十歳前後にしか見えないほど若々しい外見をしていた。淡い金色の髪を背中の中央まで伸ばし、細身の身体には淡い緑色の薬師服をまとい、腰には乾燥薬草や小瓶を収めるための革製の道具袋を下げている。
エルフの中ではまだ壮年に差しかかった程度の年齢だが、人間の街で暮らす年月はすでに長く、レーヴェン北区にある薬店《白葉堂》で働き始めてからも三十年以上が経っていた。
セレナが生まれたのは、レーヴェンから遠く離れた森林地帯の小さなエルフ集落である。
父は森の巡回を担当する狩人で、母は薬草や茸を使った治療に長けた薬師だった。
幼い頃から森へ入ることが多く、食べられる草と毒草の違い、似た見た目を持つ茸の見分け方、乾燥させることで薬効が強くなる植物や、逆に乾燥させてはいけない葉まで、生活の中で自然に覚えていった。
ただし、最初から薬師になるつもりだったわけではない。
若い頃のセレナは、母の仕事を「毎日同じ草を刻み、同じ煎じ薬を作る退屈な仕事」だと思っていた。
考えが変わったのは、彼女が二十歳を少し過ぎた頃だった。
◇
集落で熱病が流行し、何人もの子どもや老人が高熱を出した。
母だけでは薬の調合が追いつかず、セレナも薬草を洗い、火を見張り、煎じた薬を配る手伝いをした。
その時、同じ薬を飲ませても、嫌がって吐き出す子どもと、黙って飲める大人がいることを初めて強く意識した。
薬は効かなければ意味がない。
しかし、必要な薬であっても飲んでもらえなければ同じように役へ立たない。
母は苦い薬へ蜜を入れたり、少量ずつ分けたり、冷まして匂いを弱くしたりしながら、患者ごとに飲ませ方を工夫していた。
その姿を見て、セレナは薬師が単に薬を作る仕事ではないことを知った。
それ以来、彼女は薬草の知識を本格的に学ぶようになり、やがて人間の街へ出て薬師として働き始めた。
◇
人間の患者を相手にするようになってからも、セレナの基本的な考えは変わらなかった。
必要な薬は必要な量を使う。
苦いからといって勝手に成分を減らさず、飲みにくいという理由だけで効き目を犠牲にはしない。
一方で、味や匂いの工夫で飲みやすくできるなら、その努力は惜しまない。
薬師としては堅実で、薬効について曖昧なことを言わず、分からないものは分からないと伝える性格だった。
そのため患者からの信頼も厚かったが、本人には一つだけ長く解決できずにいる悩みがあった。
子どもが苦い薬を嫌がることである。
◇
特に厄介だったのが、《銀星茸》だった。
銀星茸は淡い紫色の傘に銀色の斑点を持つ小さな茸で、森の湿った木陰に群生する。
毒茸のような見た目をしているが、正しく扱えば普通に食べることができ、軽い魔力疲労や魔術を使いすぎた後の身体のだるさを和らげる作用もある。
ただし、一つ大きな問題があった。
とにかく苦い。
毒のような刺激的な苦さではなく、舌の奥へ張りついて長時間残る種類の苦味で、少量を噛んだだけでも水を何杯か飲みたくなるほどだった。
薬用として煎じれば、その苦味はさらに強くなる。
大人であっても顔をしかめる薬を、子どもが喜んで飲むはずがなかった。
◇
ある日の昼前、セレナは《銀星茸》を入れた布袋を持って、《持ち込み食堂》の扉を開いた。
「いらっしゃいませ」
ミレイアが迎える。
「持ち込みでしょうか?」
「ええ。少し変わった相談でも大丈夫ですか」
「食べ物に関することなら、店主に聞いてみます」
セレナは布袋を卓へ置いた。
「茸です」
「見ても?」
「もちろんです」
ミレイアが袋を開き、すぐに少し不安そうな顔をした。
「すごく薬っぽい見た目ですね」
「実際、薬にも使います」
「毒は?」
「ありません。ただし、量と使い方には注意が必要です」
「それなら悠斗さんを呼びますね」
◇
厨房から出てきた悠斗は、銀星茸を見るなり慎重な顔になった。
「これ、食材?」
「食べられます」
「薬にも使う?」
「はい」
「毒性は?」
「通常量ならありません。ただし、薬用に大量摂取する前提で扱うものではありません」
「子どもは?」
「食事程度の少量なら問題ありませんが、体調や年齢によって判断は変えます」
「病人は?」
「そこも薬師の判断が必要です」
悠斗はすぐに手を伸ばさなかった。
「じゃあ、料理として使うなら安全量を先に教えてもらえます?」
「そのつもりです」
セレナは少しだけ表情を和らげた。
◇
「相談したいのは、これを美味しく食べる方法です」
「薬じゃなくて?」
「薬としての使い方は分かっています」
「じゃあ、食べ物として?」
「はい」
「何のために?」
悠斗が尋ねると、セレナは少し考えた。
「軽い魔力疲労の子どもへ、薬を使うほどではない時に食べさせられるものがないか試したいのです」
「薬の代わり?」
「違います」
セレナはすぐに否定した。
「必要な治療がある場合は薬を使います。これは、休養と食事で様子を見られる程度の軽い状態に限った話です」
「そこは分ける?」
「必ず分けます」
「なら分かりました」
◇
ミレイアが銀星茸を覗き込んだ。
「そんなに苦いんですか?」
「一度食べれば忘れません」
「悠斗さん、味見する?」
「安全量確認してから」
セレナが一本だけ小さな茸を取り出した。
「生で大量に食べる必要はありません。先端をほんの少し噛めば十分です」
「本当に大丈夫?」
「その量なら」
悠斗は細く切った一片を口へ入れた。
数秒後、顔をしかめる。
「……苦い」
「でしょう」
「最初より後から来ますね」
「それが厄介なのです」
◇
悠斗は水を飲んだ。
「甘くしたことあります?」
「何度も」
「どうなった?」
「苦くて甘い薬になりました」
「それは嫌ですね」
「子どもにも言われました」
「他には?」
「果汁へ混ぜたこともありますが、苦味が残りました」
「煮たら?」
「多少弱くなります。ただし、長時間煮ると薬効も少し落ちます」
「食事として使うなら、それは問題?」
「目的によります」
セレナは少し身を乗り出した。
「今日は、薬と同じ量の有効成分を取らせたいわけではありません」
◇
「じゃあ、苦くない量まで減らす?」
「完全に苦くないところまで減らせば、ほとんど意味がなくなるかもしれません」
「なら少し苦いくらい?」
「そうですね」
「食事として食べられる範囲で?」
「はい」
「薬みたいに必要量を最優先するんじゃなく、食べるものとして成立する量にする?」
セレナは頷いた。
「そこを試したいのです」
「なるほど」
悠斗は銀星茸をもう一度見た。
「じゃあ、これ単体を美味しくするより、他の食材の中へ散らした方がよさそうですね」
「私もそう思います」
◇
悠斗は黄芋、根玉葱、乳酪、それから少量の塩を用意した。
「黄芋?」
セレナが聞く。
「甘さがあります」
「蜜ではなく?」
「砂糖みたいに甘さを足すより、芋や玉葱の自然な甘さで苦味を散らした方がいいかなと思って」
「乳酪は?」
「脂で苦味が少し和らぐかもしれません」
「確実?」
「まだ分かりません」
「正直ですね」
「初めてなので」
セレナは少し笑った。
「薬師としては、その答えの方が安心します」
◇
銀星茸は細かく刻み、熱湯へ短時間だけ通した。
長く茹でれば苦味は減るが、セレナの話では有効成分も落ちるため、今回は食べやすさとの中間を探すことにした。
黄芋は柔らかく茹で、軽く崩す。
根玉葱は弱火で炒め、辛味を抜いて甘さを出す。
そこへ少量の乳酪と銀星茸を混ぜ、塩で味を整えた。
「茸、かなり少ないですね」
ミレイアが言う。
「最初から多く入れて失敗するよりいいでしょう」
「薬としては少ない?」
悠斗がセレナへ聞く。
「煎じ薬一回分と比べれば、かなり少ないです」
「じゃあ薬じゃない?」
「はい」
セレナははっきり答えた。
◇
「そこは大事なんですね」
ミレイアが聞く。
「非常に大事です」
セレナの声が少し強くなった。
「同じ茸を使っていても、薬と料理では目的が違います」
「どう違う?」
「薬は、必要な効き目を得ることを優先します」
「食事は?」
「必要な栄養を取り、無理なく食べられることが大切です。場合によっては楽しむことも含まれます」
「じゃあ、今回の料理は魔力疲労を治す料理ではない?」
「違います」
「少し助けになるかもしれない程度?」
「それが正しい言い方です」
悠斗は頷いた。
◇
「完成です」
皿へ盛った料理は、黄芋の淡い黄色の中に、細かく刻んだ銀星茸と根玉葱が混ざっている。
「名前は?」
ミレイアが聞く。
「《銀星茸と黄芋の温かい和え物》で」
「そのままですね」
「分かりやすい方がいいので」
セレナが匙を取る。
「まず私が食べます」
「お願いします」
セレナは一口食べ、しばらく黙って味を確かめた。
「苦いです」
「やっぱり?」
「でも、薬よりずっと弱い」
「食べられます?」
「私は普通に食べられます」
「子どもなら?」
「それは本人によるでしょう」
◇
ミレイアも少量を味見した。
「苦いけど、後から芋の甘さが来ますね」
「乳酪も効いてる?」
悠斗が聞く。
「たぶん。口の中に残る感じが少ないです」
セレナも頷いた。
「以前、蜜を入れた時より自然ですね」
「全部苦くなくするのは難しそう」
「必要ありません」
「いいんですか?」
「少し苦いものを、苦いと分かった上で食べることはできます」
セレナは皿を見た。
「私がずっと考えていたのは、《苦くない薬》だったのかもしれません」
「でも今日は薬じゃない?」
「はい」
◇
「だから、必要な量を入れようとしなくていい」
「その通りです」
セレナは少し考え込んだ。
「私は、薬効を考える癖が強すぎました」
「薬師だから?」
「そうですね」
「悪いこと?」
「仕事としては必要です」
「じゃあ今回だけ違った?」
「はい」
セレナはゆっくり答えた。
「食事として使うなら、同じ茸でも考え方を変えなければいけなかった」
「でも、食べれば少し作用はある?」
「あります」
「じゃあ量に注意?」
「必ず」
◇
セレナは道具袋から小さな帳面を取り出した。
「記録してよろしいですか」
「どうぞ」
悠斗が答える。
セレナは材料と量を書き始めた。
悠斗も自分の調理記録へ、銀星茸の量や下処理を書き込む。
その時、セレナの視線が止まった。
「今、何と書きました?」
「え?」
悠斗が手元を見る。
そこには無意識に、日本語で「少量」と書いてあった。
「……あ」
「その文字は、こちらのものではありませんね」
悠斗はしばらく黙った。
◇
「昔使ってた文字です」
「どこの国で?」
「遠いところです」
「王国の外?」
「たぶん、セレナさんが知ってる場所にはないです」
セレナは悠斗の顔を見た。
黒い髪と黒い瞳。
この世界でも珍しい色ではあるが、存在しないわけではない。
しかし、見たことのない文字となれば話は別だった。
「教えていただけない?」
「まだ、自分でもちゃんと説明できなくて」
悠斗は少し困ったように笑った。
「すみません」
セレナは数秒黙ったあと、頷いた。
「では、今は聞きません」
「いいんですか?」
「薬師は、聞いてよいことと、患者が話したくないことを分ける必要があります」
◇
「俺、患者じゃないですけど」
「似たようなものです」
「そうですか」
「ただし」
セレナは少しだけ笑った。
「いつか話したくなったら、その文字については聞いてみたいですね」
「その時は」
悠斗は記録を続けた。
セレナはそれ以上追及しなかった。
好奇心はある。
それでも、今ここで無理に聞く必要はないと思った。
目の前には、それより先に考えるべき銀星茸がある。
◇
「これ、すぐ患者に出します?」
悠斗が尋ねる。
「いいえ」
「試さない?」
「まず量を整理します」
「薬師らしいですね」
「当然です」
セレナは帳面へ書き込みを続けた。
「食事だからといって、好きなだけ食べてよいわけではありません」
「薬用茸だから?」
「はい。美味しく食べられるようになると、かえって食べすぎる可能性があります」
「じゃあ上限必要?」
「目安は必要です」
「子どもと大人で変える?」
「変えます」
「体調でも?」
「もちろんです」
◇
「面倒ですね」
ミレイアが言う。
「だからこそ、薬師の判断が必要なのです」
「店だけで勝手に出すのは?」
「おすすめしません」
セレナは悠斗を見た。
「この料理を店の普通の献立として出すつもりはありますか」
「ないです」
「即答ですね」
「薬の知識ないので」
「それでよいと思います」
「持ち込みでセレナさんが安全量を確認してくれるなら?」
「その場合は相談できます」
「じゃあ、勝手に薬師にならない」
「ぜひそうしてください」
セレナの返事は真剣だった。
◇
食事を終えたセレナは、銀星茸を半分ほど持ち帰った。
帰り際、悠斗が尋ねた。
「今日のは成功ですか?」
「まだ分かりません」
「食べられたのに?」
「私が食べられることと、子どもが食べられることは別です」
「じゃあ次は?」
「条件が合う子どもへ、本人と家族の了承を取って少量だけ試します」
「薬としてじゃなく?」
「食事としてです」
「状態悪かったら?」
「薬を使います」
「そこは絶対?」
「絶対です」
セレナはそう答えて店を出た。
◇
翌日の午前、《白葉堂》には十歳になる少年が母親と一緒に来た。
前日にも診た子どもで、数日前に簡単な魔術訓練を長時間続けたことで、軽い魔力疲労を起こしていた。
最初に来た時は身体のだるさと軽い頭痛があり、セレナは休養を優先させ、必要最低限の薬を使っていた。
その日は症状がかなり改善しており、強い薬を追加する必要はないと判断できた。
「昨日よりどう?」
セレナが尋ねる。
「楽」
「頭痛は?」
「ほとんどない」
「食欲は?」
「ある」
「眠れた?」
「うん」
セレナは脈や顔色も確認した。
◇
「今日は薬、飲まなくていい?」
少年が不安そうに聞く。
「強い薬は必要ありません」
「本当に?」
「ただし、まだ魔術訓練は休みます」
「明日も?」
「明日の状態を見て決めます」
「薬ないなら治ったんじゃないの?」
「薬がいらないことと、完全に戻ったことは同じではありません」
少年は少し不満そうだったが、頷いた。
「それと、試してみたい食事があります」
「苦い?」
「少し」
少年の顔がすぐ嫌そうになった。
「じゃあ嫌」
「先に見てから決めませんか」
◇
セレナは前日に試した料理を、子ども用にさらに銀星茸を少なくして用意していた。
黄芋と根玉葱を多めにし、乳酪も少し増やしている。
「これ、薬?」
少年が皿を見た。
「薬ではありません」
「本当に?」
「食事です」
「でも茸入ってる」
「入っています」
「昨日の薬と同じ?」
「使っている茸は同じですが、量と目的が違います」
「分かんない」
「昨日の薬は、必要な量の成分を取るために飲みました」
「苦かった」
「そうですね」
「これは?」
「食べられる量にしてあります。これだけで病気を治すものではありません」
少年は皿をじっと見た。
◇
「食べなくてもいい?」
「今日は必ず食べなければならないものではありません」
「じゃあ一口だけ」
「それで構いません」
少年は母親を見た。
母親が頷く。
少年は恐る恐る匙で少量を取った。
口へ入れた直後、眉が寄る。
「苦い」
「やっぱり?」
母親が聞く。
「でも昨日のより全然まし」
「食べられる?」
「うん」
もう一口食べる。
「芋があるから、まだいい」
セレナはその様子を静かに見ていた。
◇
少年は結局、小さな一皿を全部食べた。
食べ終えたあと、セレナが尋ねる。
「薬よりいい?」
「絶対こっち」
「でも、次に薬が必要な状態なら薬を飲みます」
少年が嫌そうな顔をする。
「これじゃ駄目?」
「駄目です」
「何で?」
「この料理は、薬と同じ量の銀星茸を使っていません」
「じゃあ増やせば?」
「苦くなります」
「……やだ」
「だから、薬が必要な時は薬。食事でよい時は食事です」
少年は渋々頷いた。
◇
その会話を聞いていた母親が尋ねた。
「家でも作れますか?」
「作れます。ただし、銀星茸の量は守ってください」
「たくさん食べさせれば、もっと回復するわけでは?」
「ありません」
セレナははっきり答えた。
「むしろ体調を崩す可能性があります」
「薬と同じですね」
「同じ茸を使っていますから」
「では、食事なのに薬師の管理が必要?」
「最初の量を決めるところでは、そう考えてください」
「分かりました」
セレナは母親へ、子ども用の目安量を書いた紙を渡した。
◇
その日以降、セレナは銀星茸について新しい分類を作った。
薬棚の乾燥銀星茸には、今まで通り《薬用》と記す。
新鮮な銀星茸の一部には、《食事利用可・量注意》という札をつけた。
ただし、誰にでも勧めるわけではない。
軽い疲労で休養を優先できる場合や、薬を使う必要がない状態に限り、食事の一部として提案する。
症状が強ければ、料理ではなく薬を使う。
その線引きだけは絶対に曖昧にしなかった。
◇
数日後、先ほどの少年の母親が再び薬店へ来た。
「先生、この前の料理なんですが」
「どうしました?」
「家でも作りました」
「量は?」
「紙に書いていただいた通りです」
「なら大丈夫そうですね」
「でも、最初はかなり苦くなって」
「なぜ?」
「茸を少し多く入れてしまいました」
セレナの眉が動いた。
「どのくらい?」
「一つくらいなら大丈夫かと思って」
「目安量を守ってください」
「すみません」
「食べました?」
「息子が一口食べて、苦いと言ったのでやめました」
◇
「体調は?」
「問題ありません」
「なら今回はよいですが、次から必ず量を測ってください」
「はい」
「食べ物になったから安全量がなくなるわけではありません」
「分かりました」
母親は何度も頷いた。
「その後、量を減らして作ったら食べてくれました」
「それならよかったです」
「今では弟まで欲しがって」
「健康な子へわざわざ食べさせる必要はありません」
「やっぱり?」
「普通の黄芋料理を作ってあげてください」
母親が笑った。
◇
セレナ自身にも、少しずつ変化があった。
以前は子どもへ苦い薬を渡す時、「苦いけれど我慢してください」と最初に言うことが多かった。
それは間違ってはいない。
必要な薬なら飲んでもらわなければならない。
ただし、子どもからすれば、最初から「嫌でも飲め」と言われているように聞こえることもある。
ある日、別の子どもへ苦い薬を出す時、セレナは少し言い方を変えた。
「これは苦いです」
「嫌」
「そうですね」
「飲まなくていい?」
「必要なので、それはできません」
子どもが顔をしかめた。
◇
「でも、どうしたら飲みやすいと思いますか」
「分かんない」
「冷たい方がいい? 温かい方がいい?」
「冷たい」
「では少し冷ましましょう」
「蜜入れて」
「少しなら入れられます。ただし、薬の量は減らせません」
「じゃあ蜜多め」
「多すぎると余計飲みにくいかもしれません」
「じゃあちょっと」
「分かりました」
セレナは子どもの希望を聞きながら、薬効を変えない範囲で調整した。
薬を食事に変えたわけではない。
必要なものは必要なまま残している。
◇
それでも、以前より患者と相談できる部分が増えた。
変えてはいけないものと、変えてよいものを最初から同じように扱わなくなったからだった。
銀星茸の料理を試したことで、セレナは一つの食材に一つの役割しかないわけではないことを改めて知った。
薬として使うなら、必要な量を守る。
食事として使うなら、無理なく食べられる量にする。
同じ茸であっても、目的が違えば適切な使い方も変わる。
◇
一週間ほど経った頃、セレナは再び《持ち込み食堂》を訪れた。
「いらっしゃいませ」
ミレイアが迎える。
「銀星茸どうでした?」
「使えました」
「子ども食べた?」
「一人は問題なく」
「薬の代わりになった?」
その言葉に、セレナはすぐ首を横へ振った。
「そこは違います」
「やっぱり?」
「薬が必要ない状態だったから、食事として使えただけです」
「じゃあ成功?」
「食事の選択肢が一つ増えた、という意味では」
悠斗も厨房から出てきた。
◇
「味は?」
「家で再現すると量を間違える人がいました」
「危ない?」
「今回は問題ありませんでしたが、注意書きを増やしました」
「そこまでやるんですね」
「薬材ですから」
「店では出さない方がよさそう」
「その方がよいでしょう」
セレナは頷いた。
「ただ、私が量を確認して持ち込む場合は、またお願いするかもしれません」
「それなら大丈夫です」
「それと」
「何です?」
「黄芋と乳酪の組み合わせは、他の苦い薬草にも試せそうです」
「料理として?」
「もちろんです」
◇
「全部薬を料理にするつもりはありません」
「安心しました」
「薬師としての仕事を料理人へ渡す気もありません」
「それも助かります」
セレナは少し笑った。
「あなたは、この世界の薬についてほとんど知らないのでしょう?」
「はい」
「なら、知らないままで勝手に判断しないでください」
「分からない時は聞きます」
「それで十分です」
セレナは店内を見回した。
「ここは面白い店ですね」
「何が?」
「料理人が、知らないことを隠そうとしないところが」
◇
「普通じゃないですか?」
「そうとも限りません」
セレナは静かに答えた。
「知識を求められる仕事ほど、《分からない》と言いにくくなることがあります」
「薬師も?」
「あります」
「セレナさんも?」
「昔は」
「今は?」
「八十四年も生きると、知らないことの方が多いと分かります」
「長いですね」
「エルフとしては、まだそこまでではありません」
「それ言われると感覚おかしくなります」
悠斗の返事に、セレナが少し笑った。
◇
店を出たあと、セレナは《白葉堂》へ戻った。
午後には、七歳ほどの少女が母親に連れられて待っていた。
少女は喉の炎症を起こしており、必要なのは銀星茸ではなく、別の苦い薬草を使った煎じ薬だった。
「これ苦い?」
少女が尋ねる。
「かなり苦いです」
「嫌」
「そうでしょうね」
「飲まなくてもいい?」
「それはできません」
少女の顔が曇る。
以前なら、セレナはそのまま「我慢してください」と言っていたかもしれない。
◇
「ただ、飲み方は少し選べます」
「どうやって?」
「冷まして飲むか、少量の蜜を加えるか、二回に分けるか」
「蜜」
「では少しだけ入れましょう」
「いっぱいは?」
「薬より甘くなりすぎると、今度は全部飲みにくくなります」
「じゃあちょっと」
「分かりました」
「二回にしてもいい?」
「それも大丈夫です。ただし、決めた分は全部飲みます」
「……分かった」
少女は渋々頷いた。
◇
セレナは煎じ薬へ少量の蜜を加え、二つの小さな杯へ分けた。
少女は一杯目を飲んで顔をしかめた。
「苦い」
「そうですね」
「でも前の薬よりまし」
「では少し休んで、もう一杯飲みましょう」
「逃げたら?」
「お母様に連れ戻していただきます」
母親が笑い、少女も少しだけ笑った。
薬そのものの必要量は減っていない。
効き目を守るために変えられない部分もある。
それでも、どう飲むかについて本人へ選べる余地を残すことはできる。
◇
セレナは少女が二杯目を飲み終えるまで見届けてから、薬棚へ戻った。
棚には乾燥させた銀星茸と、新鮮な銀星茸が別々に置かれている。
乾燥品の札には《薬用・規定量厳守》と書かれ、新鮮な方には新しく《食事利用可・量注意》という文字が加わっていた。
同じ茸であっても、薬として必要な時には薬として扱い、食事として利用できる時には食べやすさを考える。
どちらか一方だけが正しいわけではない。
目的に応じて役割を分けるからこそ、必要な効き目も、食べる人の負担も守ることができる。
セレナは次に苦い薬を嫌がる子どもが来た時にも、最初から「我慢してください」と答えを閉じるのではなく、何を変えてはいけないのかを説明したうえで、その子が受け入れやすくするために変えられる部分を一緒に探してみようと考えながら、午後の診察に使う薬草を一つずつ取り出していった。
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