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異世界持ち込み食堂~あなたの食材を料理します~  作者: シロの空


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第16話 拾いすぎた木の実と、捨てられない採集家

 メル・ポポットは、食べられるものを森へ残して帰ることが苦手だった。


 三十四歳になる彼女は小人族の採集家であり、春には若芽と山菜、夏には薬草や香草、秋には茸や木の実、冬が近づけば樹皮や保存に向く根を集めて暮らしている。背丈は人間の成人女性の胸ほどまでしかないものの、森の中を歩く速さなら並の冒険者にも負けず、草の色や葉の裏側を一目見ただけで、食用か薬用か、それとも触れない方がいいものなのかまで見分けることができた。


 採集家としての腕は確かだったが、彼女には昔から直せていない癖が一つだけあった。


「……まだ入るな」


 レーヴェン北西の森で、メルは背負い籠の口を両手で押し広げながら呟いた。


 すでに籠の中には山茸や細い白根、香りの強い森葱、それに赤紫色の小さな木の実まで隙間なく詰まっており、普通なら十分な収穫だと判断して街へ戻ってもおかしくない量になっていた。


 それでも、メルの目の前には低い木いっぱいに薄茶色の実がついている。


 殻の表面に白い筋が一本走る《白筋実》であり、炒れば香ばしくなり、砕けば粥や焼き菓子にも使えるうえ、長く乾燥させれば保存も利くため、珍しくはないものの使い勝手の良い食材だった。


「これだけ残して帰るのは、もったいないよねえ」


 誰に聞かせるでもなくそう言いながら、メルは枝を揺らした。


 熟した白筋実が乾いた音を立てて地面へ落ちてきたため、彼女は一つずつ拾って籠へ入れていったが、十個ほど加えた時点で中身はさらに盛り上がり、蓋を閉めることすら難しくなっていた。


 メルは一度しゃがみ込み、上から体重をかけるようにして中身を押し込もうとしたものの、下に入れていた柔らかい葉物が潰れそうになったため、そこでようやく手を止めた。


「これは駄目だ」


 さすがに詰めすぎていることは、自分でも分かっている。


 それでも地面にはまだ白筋実が残っており、枝にも採れ頃のものがいくつもついているため、メルは籠と木を何度も見比べた。


「明日来ればいいんだけどねえ」


 理屈としては、その通りだった。


 明日も晴れるとは限らず、鳥や獣が先に食べる可能性もあるが、それは森では当たり前のことだった。採集家は森にあるものを全部取る仕事ではなく、必要な分を見極めながら、次に採れる分まで残す仕事でもある。


 そのことをメルが知らないわけではなく、むしろ若い採集家へ何度もそう教えてきた。


「……あと五つだけ」


 それでも彼女は白筋実を五つだけ拾い、上着の左右のポケットへ無理やり押し込んでから、ようやく街へ戻ることにした。


          ◇


 北門へ着いた頃には、背負い籠の紐が肩へ深く食い込んでいた。


「また随分採ってきたな」


 門番が籠を見て笑う。


「今日は当たりだったの」


「その籠、壊れないか?」


「丈夫だから平気」


「前もそう言って底抜けてなかったか?」


「あれは三年前の話でしょう」


「覚えてるぞ。門の前で茸が全部転がった」


「拾うの手伝ってくれたじゃない」


「もう一回やるなよ」


「今日は大丈夫」


 メルは笑って答え、そのまま市場へ向かったものの、東市場へ着く頃になると肩だけでなく腰まで痛み始めていた。


 いつも取引している青果商の前へ籠を下ろすと、店主が中を覗き込んで目を丸くした。


「メル、また詰めたな」


「今日は多かったの」


「多かったからって全部持って帰る必要ないだろ」


「売れるでしょう?」


「売れるものはな」


 店主は籠の中身を一つずつ取り出していく。


 山茸は状態が良く、白根も傷が少なく、森葱も香りが強いため、そこまでは問題なく値段が決まっていった。


 ところが、籠の下の方から赤紫色の木の実を取り出したところで、店主の表情が少し曇った。


「これ、潰れてるぞ」


「え?」


「上に詰めすぎたんだよ」


 差し出された実を見ると、皮が裂けて果汁が滲んでおり、その一つだけではなく、籠の底近くにあった柔らかい木の実の多くが、重い白筋実や白根に押されて傷んでいた。


「昨日なら高く売れたのに」


「昨日じゃなくて今日採ったんだよ」


「そういう意味じゃない。こんな状態じゃ、そのまま店頭には出せない」


「煮れば使えるでしょう?」


「俺の店は加工場じゃない」


「安くてもいいから」


「全部は無理だ」


 店主は傷んでいないものだけを選び出し、残りを籠の脇へ分けて置いた。


「白筋実もこんなに要らんぞ」


「保存利くよ」


「うちにも昨日の分がある」


「じゃあ半分だけでも」


「三袋分なら買う。それ以上は在庫になる」


 メルは眉を下げた。


「こんなにあるのに?」


「あるから困るんだよ」


「別の店なら買うかな」


「回るのは自由だけど、今日は北から他の採集家も来てる。どこも似たようなものだと思うぞ」


 メルは籠に残った白筋実へ目を向けた。


 森で枝から外した時には、一つ一つが価値のある収穫に見えていたが、街へ持ち帰ってしまえば、買い手が必要としている量には当然限りがある。


「……分かった。買える分だけお願い」


「最初からそうしてくれ」


 店主は苦笑しながら勘定を始めた。


          ◇


 市場を三軒回っても、残っていた白筋実の半分ほどしか売れず、傷んだ赤紫色の木の実に至っては、ほとんど買い手がつかなかった。


 日が傾き始める頃、メルは市場の端にある石段へ座り込み、まだ重さの残る籠を足元へ下ろした。


「持って帰っても食べ切れないなあ」


 一人暮らしのメルが消費できる量ではなく、乾燥させれば多少は保存できるものの、自宅の棚には先週採ってきた茸や根がすでに並んでいる。


 白筋実も少量なら冬まで置けるが、今日残った分を全部保存しようとすれば、乾燥棚をほとんど占領してしまう。


「誰かに配る?」


 近所の知り合いへ渡すこともできるが、以前も似たことをしており、その時は「ありがたいけど、こんなに食べられない」と笑われたことを思い出した。


 メルは籠の中を見つめた。


 森で採った時には一つも置いて帰りたくなかったのに、今は持ち帰ったせいで傷ませた実まで混じっている。


「何してるんだろ、私」


 自分の口から出た言葉は、思っていたよりも重く胸へ残った。


          ◇


 日暮れ前になり、メルは籠を背負い直した。


 そのまま自宅へ戻るつもりで歩き始めたものの、しばらくすると肩の痛みに耐えられなくなり、もう一度籠を地面へ下ろした。


 ちょうどその時、向かい側の通りから小柄な少年が歩いてくるのが見えた。


 ルカ・ベルだった。


 肩から布袋を下げており、中には市場で買い付けたらしい、少し形の悪い野菜がいくつか入っている。


「それ重そう」


 ルカが籠を見て言った。


「まあねえ」


「売れ残り?」


「失礼だね。売れ残ったんじゃなくて、売り切れなかっただけ」


「同じじゃない?」


「違うの」


 ルカは籠の中を覗き込んだ。


「白筋実いっぱいある」


「欲しい?」


「ただならいらない」


「……あんた、変なところ頑固だねえ」


「仕事でもらうならいい」


 メルは少し笑った。


「じゃあ、これ持つの手伝ってくれたら少しあげる?」


「どこまで?」


「西区まで」


「遠い」


「だからその分渡すよ」


 ルカは籠とメルを交互に見た。


「どこに持ってくの?」


「家」


「全部?」


「そのつもりだけど」


「食べるの?」


「……頑張れば」


「何日で?」


 メルは答えられなかった。


 ルカはさらに籠を見てから、少し首を傾げる。


「それなら、食堂持ってけば?」


「食堂?」


「《持ち込み食堂》。食材持ってくと料理してくれる」


「知ってるよ。名前くらいは」


「俺、あそこで仕事してる時ある」


「そうなの?」


「野菜探したり、運んだりする」


 ルカは少し得意そうに胸を張った。


「傷んだ木の実も?」


「腐ってなければ、悠斗なら使えるところ見ると思う」


 メルは籠の底に残った赤紫色の実へ目を向けた。


「じゃあ、そこまで手伝ってくれる?」


「仕事なら」


「銅貨一枚と、白筋実一袋」


「白筋実はいらない」


「何で?」


「今、自分で食べ切れないって言ってたでしょ」


 十二歳の少年にそう言われ、メルは言葉を失った。


「……じゃあ銅貨二枚」


「それならやる」


 交渉はあっさりまとまった。


          ◇


 二人で籠を持つと、中身そのものが減ったわけではないのに、驚くほど軽く感じられた。


 片側をルカに任せるだけで肩へかかる負担が大きく変わり、メルは歩き出してすぐにその違いを実感した。


「こんなに楽なら、最初から誰かに頼めばよかった」


「市場から?」


「森から」


「森まで俺行かないよ」


「分かってるよ」


 メルは笑った。


 《持ち込み食堂》へ着くと、ルカが先に扉を開ける。


「悠斗、持ち込み」


「今日はルカの?」


「違う。この人」


 厨房から出てきた悠斗が、籠を見て少し目を見開いた。


「ずいぶんありますね」


「採れすぎちゃって」


 メルがそう言うと、ルカがすぐ横から口を挟んだ。


「採りすぎたんだって」


「余計なこと言わなくていいよ」


「本当じゃん」


 ミレイアも籠を覗き込む。


「これ全部持ってきたんですか?」


「売れなかった分だけ」


「売る前はもっとあったの?」


「……少しね」


 ルカが何か言おうとしたので、メルは口を手で塞いだ。


「仕事代はちゃんと払うから、今は黙ってて」


 ルカは不満そうな顔をしたが、特に抵抗はしなかった。


          ◇


 悠斗は籠の中から、まず傷んだ赤紫色の木の実を取り出した。


「これは何ていう実です?」


「《赤蜜実》だよ。甘酸っぱくて、生でも食べられる」


「皮が裂けてますね」


「籠の下に入れちゃって、上のものに押されたみたい」


「腐ってはいない?」


「採ったのは今朝だから、匂いが変じゃなければ大丈夫だと思う」


 悠斗は一つを割り、内部の状態を確かめた。


 果肉はまだ鮮やかな赤色を保っており、発酵したような異臭もないため、傷んだ部分を除けば十分に使えそうだった。


「傷んだところを落とせば、まだ使えそうですね」


「本当?」


「ただ、そのまま置くなら早めに使った方がいいと思います」


「全部料理できる?」


 悠斗は籠に残っている量を見た。


「今日一日で全部使うのは厳しいですね」


「じゃあ残りは?」


「それを一緒に考えましょう」


 次に白筋実を確認する。


「こっちはかなり硬いですね」


「殻を割って、中を炒ると食べられるよ。粉にしてもいい」


「味は?」


「香ばしくて、少し甘い。油もあるから腹持ちする」


「どれくらい保存できます?」


「ちゃんと乾燥させれば数か月は平気」


「それなら、全部を急いで食べる必要はなさそうですね」


「でも家の棚がいっぱいなんだよ」


「今までの食材で?」


「まあねえ」


 悠斗は少し黙ってから、メルへ視線を戻した。


「普段から、かなり採るんです?」


「採集家だからね」


「売れる量より?」


「今日はたまたま」


 その返事を聞いた直後、ルカが口を挟む。


「この人、市場の人に『また詰めたな』って言われてた」


「何で知ってるのさ」


「市場で聞いた」


「子どもって嫌だねえ」


「俺は本当のこと言っただけ」


 メルは大きく息を吐いた。


          ◇


「食べられるものを置いて帰るのが嫌なんです?」


 悠斗が尋ねた。


 メルは少し考えてから頷いた。


「嫌だね」


「もったいないから?」


「それもある」


「他にも?」


 メルは籠の縁を指でなぞりながら、しばらく黙っていた。


「昔、食べるものがほとんどなかった時期があるんだよ」


 その言葉を聞いて、ルカも黙った。


 ミレイアも、それ以上軽口を挟まずにメルの話を待った。


 メルがまだ十歳になる前、彼女の家族が暮らしていた小人族の集落は長雨の被害を受けたことがあった。


 畑の根菜は腐り、乾燥棚へ入れていた穀物にも湿気が回り、森へ入っても雨が続けば採れるものは減っていくため、集落全体で食料を分け合わなければならない時期が何か月も続いた。


「その頃は、木の実一個でも見つけたら嬉しかったよ。少し虫が食ってても、腐ってなければ持って帰ったし、根っこの端まで使った」


「大変だったんですね」


「今となっては昔の話だけどね」


 メルは少し笑った。


「次の年には森も戻ったし、畑も作り直した。それでも私は、食べられるものを森に置いて帰ると、何となく落ち着かなくなったんだ」


「足りなくなる気がする?」


「たぶん、そうなんだと思う」


 採れる時に採っておかなければ、次に必要になった時にはなくなっているかもしれないという感覚が、今でも完全には消えていない。


 頭では今のレーヴェン周辺の森が、当時の集落と同じ状況ではないと分かっている。それでも枝いっぱいに実った木の実や、群生している食用茸を見ると、自分が持ち帰れるだけ持って帰らなければならないような気持ちになってしまう。


「でも今日、赤蜜実を潰しちゃった」


 ルカが言った。


 メルは苦い顔をした。


「分かってるよ」


「食べられるから持って帰ったのに」


「分かってるってば」


「でも潰れたら、食べられなくなる」


「ルカ」


 ミレイアが少し止めようとしたが、メルは片手を上げた。


「いいよ。言ってることは合ってるから」


 籠へ詰め込みすぎた結果、本来なら食べられたはずの実を自分で傷ませてしまったことが、朝からずっと胸に引っかかっていた。


          ◇


 悠斗は赤蜜実を一つ手に取った。


「全部持ち帰ることと、全部使い切ることは同じじゃないんですね」


「今日の私を見ると、そうだねえ」


「この実も、森に残ってたら鳥が食べたかもしれないし、落ちて種になったかもしれない」


「食べ物として見れば、もったいないけどね」


「でも、人が食べなかったら全部無駄ってわけでもないでしょう?」


 メルは少し考えた。


「採集家に森の話する?」


「すみません」


「いや、間違ってはいないよ」


 森で育ったものは、人間だけのために生えているわけではない。


 獣が食べるものもあれば、地面へ落ちて腐ることで土へ戻るものもあり、すべてを人間が持ち帰らないことが、そのまま無駄にすることへ繋がるわけでもなかった。


 それを他人へ説明することなら、メル自身も昔からできていた。


「知ってることと、自分でできることって別だねえ」


「よくあります」


 悠斗は笑った。


「それで今日は、この赤蜜実から使いましょう。白筋実は保存できるなら、料理にする分だけ選びます」


「余った分は?」


「売れそうな量、保存する量、誰かに渡す量を先に分けたらどうです?」


「渡すのはいいけど、押しつけたくないんだよね」


「じゃあ欲しい人だけ」


 ルカが手を上げた。


「俺、白筋実なら仕事場の子たちと食べる」


「さっき要らないって言ったじゃない」


「ただでもらうのが嫌なんだよ」


「じゃあ、殻割りを手伝って」


「それならやる」


 メルは笑った。


「本当に分かりやすい子だねえ」


          ◇


 その日の料理は、傷みの早い赤蜜実を優先して使うことになった。


 悠斗は潰れた部分だけを丁寧に取り除き、まだ使える果肉を小鍋へ入れていく。


「何作るの?」


「肉と合わせてみようと思います」


「甘い実を?」


「酸味もありますよね」


「あるけど、肉に入れるのはあまり聞かないね」


「前にも果物と肉を合わせたことがあります」


 フェリスが持ち込んだ香珠果を鶏肉へ使った時のことを思い出しながら、悠斗は豚に似た家畜肉を用意した。


 肉は少し厚めに切り、塩を振って表面へ焼き色をつける。


 別の小鍋では赤蜜実を弱火にかけ、潰れた果肉から赤い汁を少しずつ引き出していった。


「砂糖は?」


 メルが聞く。


「もともと甘味があるので、最初は入れません。酸味が強ければ蜂蜜を少し足します」


「香草は?」


「今回は控えめにします。実の味を見たいので」


 赤蜜実へ少量の水と塩を加え、木匙で果肉を崩しながら煮ていくと、鮮やかだった赤色が少し濃くなり、とろみのある汁へ変わっていった。


 悠斗は一度味を確かめた。


「結構酸っぱいですね」


「熟してても酸味は残るよ」


「じゃあ蜂蜜を少しだけ入れます」


 甘味を加えてもう一度味を見ると、強かった酸っぱさの角が取れたため、そこへ焼いた肉を戻し、赤蜜実の汁を表面へ絡めていく。


「綺麗な色だねえ」


「潰れた実でも、料理すると見た目はかなり変わりますね」


「売り物にはならなかったけどね」


「売り物にならないことと、食べ物として駄目なことは別でしょう」


 メルは頷いた。


「それは今日よく分かったよ」


          ◇


 付け合わせには、白筋実も少量使うことにした。


 殻を割る作業はルカとメルが担当し、中身を悠斗が乾いた鍋でゆっくり炒っていく。


「焦げやすいから弱めの火で」


 メルが言う。


「香りが変わるところあります?」


「青っぽい匂いが消えて、甘い匂いになったら大体いいよ」


 悠斗は香りの変化を確かめながら鍋を揺すった。


 しばらくすると硬い実から香ばしい匂いが立ち始め、青臭さもほとんど感じなくなる。


「これですね」


「うん。そこから焦がすと苦くなる」


「じゃあ止めます」


 炒った白筋実の一部を粗く砕き、茹でた黄芋へ混ぜると、黄芋の柔らかな甘味へ木の実の香ばしさが加わり、噛んだ時の食感にも変化が生まれた。


 皿には赤蜜実の汁をまとった肉と、白筋実入りの黄芋を一緒に盛る。


「《赤蜜実の肉煮と、白筋実入り黄芋》です」


「今日は二つ使ったんだね」


「せっかく持ってきてもらったので」


「全部使う?」


「今日は食べる分だけにします」


 悠斗が迷わず答えると、メルは一瞬黙ったあと、声を上げて笑った。


「そこははっきり言うんだ」


「今日食べる分だけで十分ですから」


          ◇


 メルは最初に、赤蜜実の汁が絡んだ肉を口へ運んだ。


 酸味の強い果実を肉へ合わせることには少し抵抗があったものの、実際に食べてみると、豚に似た肉の脂を赤蜜実の酸っぱさが軽くし、その後から蜂蜜の穏やかな甘さが追いかけてくる。


「思ったより合うね」


「酸っぱすぎません?」


「このくらいなら好きだよ」


 次に白筋実入りの黄芋を食べると、柔らかな黄芋の中へ炒った木の実の小さな粒が混じっており、噛むたびに香ばしい風味が広がった。


「白筋実、粉にしなくてもいいんだね」


「粗く砕いた方が食感が残るかなと思って」


「これなら朝でも食べられそう」


「保存用の実を全部これにする必要はないですけどね」


「分かってるよ」


 メルは苦笑した。


「今日はやたら釘を刺されるねえ」


「自分で言いました?」


「何を?」


「食べ切れないくらい持って帰ったって」


「……言ったね」


 メルは肉をもう一切れ食べた。


          ◇


「採る量って、いつ決めるんです?」


 悠斗が尋ねた。


「森に入る前は大体決めるよ」


「今日は?」


「茸を二袋、白根を一束、森葱を十本くらい。それに、何かいい木の実があれば少し持って帰るつもりだった」


「実際は?」


「籠いっぱい」


「途中で予定変わった?」


「白筋実がすごく実ってたんだよ」


「それで全部欲しくなった?」


「全部じゃないよ」


 そこでルカがすぐ口を挟む。


「かなり取ったんでしょ」


「全部じゃないって言ってるでしょう」


「籠閉まらなかったんでしょ」


「何でそこまで知ってるの」


「門番が市場で話してた」


「人の話が回るの早すぎない?」


 メルは額を押さえた。


「でも、朝に決めた量があったなら、その分でやめられなかった理由は何です?」


 悠斗の問いに、メルはすぐには答えなかった。


「目の前にあると、置いていくのが怖いんだよ」


「なくなるから?」


「明日には鳥が食べるかもしれないし、雨で落ちるかもしれない。だったら今日取った方がいいって思う」


「全部取って、今日みたいに潰れたら?」


「それはもっと嫌だね」


「なら、どっちをもったいないと思うかですね」


 メルは皿へ目を落とした。


 今日傷んだ赤蜜実は料理に使うことができたものの、もし市場をさらに回り続けて日が暮れていたら、もっと状態が悪くなっていたかもしれない。


「森に残した実は、自分が食べられないだけなんだよね」


「そうですね」


「でも採って傷ませたら、本当に自分のせいで食べられなくなる」


「今日は何とか食べられましたけど、毎回同じとは限らないですからね」


「そうなんだよねえ」


 メルはしばらく黙り、やがて少し笑った。


「採集家なのに、採らない練習が必要かもしれないね」


「シエラさんは、止まる練習みたいなことをしてましたよ」


「誰?」


「この前来た斥候の人です」


「みんな変な練習してるんだね」


「必要なことって、人によって違いますから」


          ◇


 食事を終えたあと、残った食材を整理することになった。


 まず白筋実については、メルが自宅で無理なく保存できる量だけを一袋分に分けた。


 次に、ルカが殻割りを手伝った分として小袋一つを受け取ることになった。


「これ、仕事代だからね」


 メルが念を押す。


「分かってる」


「他の子たちと食べる?」


「うん。炒って食べる」


「焦がさないように」


「さっき見たからできる」


 さらに、ミレイアが店で今後試す分として少量を買い取ることになった。


「本当に買うの?」


 メルが聞く。


「悠斗が、焼き菓子にも使ってみたいって」


「じゃあ採集家価格でいいよ」


「普通に払います」


「少しくらい安くするよ」


「そこは交渉してください」


「食堂なのに商人みたいなこと言うねえ」


 残った分については、翌朝もう一度だけ市場へ持っていき、売れなければ無理に抱え込まず、必要としている知人へ声をかけてから量を調整することにした。


 傷んだ赤蜜実は使える部分をすべて煮て、日持ちする酸味の強いソースへ加工する。


「これなら二、三日は持ちます」


 悠斗が言う。


「家でもできる?」


「鍋と火があれば。清潔な容器へ入れて、なるべく早めに使ってください」


「覚えておくよ」


 メルは手順を簡単に書いてもらった。


          ◇


 翌朝、メルはいつもより小さな籠を背負って森へ向かった。


 普段使っている大きな背負い籠はあえて家に置き、最初から必要以上には入らない籠を選んでいる。


「自分で自分を信用してないみたいだねえ」


 そう呟きながら森へ入る。


 前日に歩いた道を辿ると、白筋実の木はすぐに見つかった。


 昨日取り切らなかった実がまだ枝に残っており、地面へ落ちたものの一つを、小鳥が夢中になってつついている。


 メルは少し離れたところから、その様子を眺めた。


 昨日までの自分なら、鳥が来る前に採ればよかったと思ったかもしれないが、今日は以前ほど強くそうは感じなかった。


「食べてるねえ」


 小鳥はメルのことなど気にせず、白筋実の中身をつついている。


 メルは木へ近づいた。


 今日、市場で注文を受けている分は二袋で、自宅で使う分については昨日の残りがあるため、必要なのは二袋分と、状態が悪いものが混じっていた時の予備を少しだけ取れば十分だった。


 彼女は枝から実を外しながら、必要な量を確かめていった。


 やがて籠の半分ほどが埋まったところで、メルは手を止める。


 目の前には、まだ十分な量の白筋実が枝へ残っていた。


「……今日はこれでいいか」


 口にしてみると、やはり少しだけ落ち着かない。


 あと一つなら取れるし、さらに五つ取ったとしても籠にはまだ入るという考えが浮かんだが、メルは実へ伸ばしかけた手をゆっくり引いた。


「売る分はあるし、家にもある」


 自分へ確認するように言う。


「だったら、これは明日の分でも、鳥の分でもいい」


 森に置いて帰ることは、捨てて帰ることと同じではない。


 そう考えながら、メルはまだ余裕のある小さな籠を背負った。


          ◇


 その日の市場では、注文分の白筋実が問題なく売れた。


 青果商の店主は、いつもより明らかに小さな籠を見て眉を上げる。


「今日は少ないな」


「注文分しか採ってないからね」


「熱でもあるのか?」


「何でみんなそういう言い方するのさ」


「いつも籠から溢れてるからだろ」


「今日は溢れてない」


「見れば分かる」


 店主は白筋実を確認し、約束通りの代金を払った。


「明日もあるか?」


「必要?」


「二袋なら欲しい」


「じゃあ二袋分だけ採ってくる」


「本当に二袋だけ?」


「予備を少しは取るよ」


「それくらいなら普通だ」


「今までが普通じゃなかったみたいに言うね」


「違っただろ」


 反論しようとしたメルだったが、途中で自分でも可笑しくなり、そのまま笑ってしまった。


「まあ、昨日まではね」


          ◇


 数日後、メルは再び《持ち込み食堂》を訪れた。


 今度背負っている籠は、前回とは比べものにならないほど軽かった。


「今日は少ないですね」


 ミレイアが言う。


「必要な分だけ持ってきたの」


「何を?」


「これ」


 メルが籠から出したのは、小さな包み一つだった。


 中には白筋実が二十個ほど入っている。


「悠斗が焼き菓子に使いたいって言ってたでしょう?」


「ああ、覚えてます」


 厨房から出てきた悠斗が包みを見る。


「これくらいで足ります?」


「足りないなら、次に必要な分を言って」


「採れる時に多めに持ってこなくていいんです?」


「必要ないのに採ったら、また家の棚が埋まるからね」


 悠斗は笑った。


「変わりましたね」


「全部変えたわけじゃないよ。今でも森で美味しそうなの見つけると、かなり持って帰りたくなる」


「我慢してる?」


「我慢っていうより、先に使い道を考えるようにした」


 メルは空いている席へ腰を下ろした。


「売る分、自分で食べる分、頼まれてる分を先に決めて、それより多く見つけた時は一度考えるんだよ。明日も採れるのか、誰か別の生き物が食べるのか、持って帰って傷ませないかってね」


「結構ちゃんとしてますね」


「採集家だから、本当は最初からそれくらいやらないと駄目なんだけど」


「知ってても難しいことはありますよ」


「それ、この前も言ってたね」


「便利な言葉なので」


「使いすぎると駄目だよ」


 二人は顔を見合わせて笑った。


          ◇


 その日の帰り道、メルは北門の近くで一度足を止めた。


 門の外には森へ続く道が見えており、まだ少し時間が早いため、今から向かえば夕方までに一度くらいは採集できそうだった。


 以前のメルなら、せっかく時間があるなら行こうと考えていたかもしれない。


 しかし、今日必要だった白筋実はすでに店へ渡しており、明日の注文分についても朝に採れば十分に間に合う。自宅には食料があり、以前は詰まり気味だった保存棚にも少しずつ余裕が戻ってきていた。


 メルは森へ続く道をしばらく眺めたあと、街の中へ向き直った。


 食べられるものを大切にすることと、目についたものを全部自分の籠へ入れることは同じではなく、必要な分をきちんと採り、持ち帰ったものを傷ませずに使い切る方が、少なくとも今の彼女にはずっと気持ちがよかった。


 メルは空になった小さな籠を背負い直すと、その軽さを確かめるように肩紐を整え、今日はもう森へ戻らず、自分の夕食を作るために家へ帰っていった。


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