番外編:【母として……】
子供が帰ってきた。サプライズで駅まで迎えに行ったけれど、思ったより冷静に受け止められてしまって、少しだけがっくりした。それでも、家に着いてから子供の好きなものを夕飯に並べると、うれしそうに頬張ってくれた。旅先での出来事が楽しかったらしく、話が止まらない。こうして二人で向かい合って夕飯を食べるのは、本当に久しぶりだ。毎日のようにタブレット越しに話してはいたけれど、やはり実際に目の前にいるのとは温かさが違う。
子供が実家に行っている間、仕事をしながらも、私は一人でそれなりに自由な時間を過ごしていた。けれど、長年二人で過ごす習慣が染みついているせいか、家の中には常に何か欠けているような、不思議な静けさがあった。
食後、子供が単身赴任中の夫とタブレットで話すと言うので、私はその間にお風呂掃除を済ませようとリビングを離れた。掃除を終えて、ちょうどドアを開けようとした時だった。
「でも今年の夏もすごく楽しかったんだ。おじいちゃんとおばあちゃんといっぱいしゃべれたし、いろいろ昔の話とかも聞けたし、地元の話も聞けたんだよ。それに友達ともいっぱい遊べてすごい楽しかったよ。」
子供の弾むような声が聞こえた。すると、すぐに夫が口を挟んだ。
「そういえば、夏休みにここに遊びに来て帰るとき、空港でお父さん一生懸命手を振ったのに、全然振り向いてくれなくてすごく寂しかったんだぞ」
私は瞬間的にカチンときた。何を言っているの、この人は。また自分の寂しさを子供に押し付けている。 リビングに飛び込んで一言言ってやろうかと思ったその時だった。
「お父さん、ぼくの気持ち、全然わかってないね」
子供の、少し呆れたような、それでいて諭すような声が聞こえて、私は足を止めた。
「振り向いたら余計寂しくなると思ったし、泣き出しそうだったから振り向けなかったんだよ……それにお父さんが、余計に寂しくなるかもしれないって思ったからさ……」
夫は子供の本当の気持ちに気づいていなかったようだ。タブレットの画面越しに言葉を失っているのがわかる。
「お父さん、今お母さん近くにいないから言うけどさ」
子供の声が、一段と低くなった。
「お父さん、そっちで大変な思いをして、疲れて日本に帰ってくるのはわかるよ。でも、帰ってきたら少しはお母さんを手伝ってあげなよ。お母さん、いつも一人で、ぼくのことや仕事や、家のこと全部やってるんだよ。お父さんはそっちで会社の仲間もいて、みんな親切にしてくれてるじゃん。ぼくたちとはこうやって画面越しにはしゃべれるんだから寂しいかもしれないけど……帰ってきた時くらい、お母さんを少し休ませてあげてよ。ぼくも手伝うからさ。今度帰ってきたら、少しお母さんを楽にさせてあげようよ」
私は、ショックで言葉が出なかった。廊下に立ち尽くし、子供の背中を見つめていた。いつの間に、この子はこんなにも成長したのだろう。去年の夏休みに実家に行く前とは、雲泥の差だ。私は子供を守っているつもりでいたのに、いつの間にか、子供に守られる立場になっていた。まだ小学6年生の子供なのに。
夫は子供の手前、たじろぎながら答えた。
「そうだな。いつもお父さん、帰ると何にもしないからなあ。好きなことして、こっちじゃできないことを日本に帰って全部しなきゃと思って……」
すると、子供は静かに返した。
「お父さん、ほんとにそっちで大変なのはわかるけどね。でも、ここはお父さんの家でもあるんだからさぁ」
大人と子供が、完全に逆転していた。
夫はいつまでたっても自分の感情を制御できない子供のままだ。けれど、子供は、いつの間にか他人の痛みや、私の孤独までを理解できる強い心を持っていた。そのことを感じて、私は胸がいっぱいになった。あぁ、私が今までワンオペで、一人で悩んだり悔やんだりしていたことは、無駄じゃなかった。ちゃんと子供に伝わっていたんだ。
今年の夏は、家族の形を少しでも取り戻そうと、異国の地にいる夫のもとへ子供と行き、子供は私の実家では多くの人と触れ合う機会を作った。子供はそうした経験の中で、さらに大きく成長してくれたようだ。そして、冷静に夫を諭すこともできるまでになった。
私の高齢の両親も、タブレット越しの会話で、今後の生活環境を東京で過ごす方向に変えてくれることを前向きに話し合ってくれた。またこの件についても、夫ときちんと話さなければならない。
これからも家族には、いろいろなことがあるだろう。それでも、子供の成長を見守りながら、私も少しずつ、母として強くなっていかなければならないと思った。
家族の物語は、まだまだ続いていく。




