番外編:【修学旅行も一筋縄じゃいかないんだなぁ】
この日はもうすぐ僕が東京に帰るということもあり、みんななんとなく人恋しくて話が全然途切れなかった。僕はお母さんに聞いた。
「そういえば、お母さん、修学旅行の時に、お母さんたちは何をしたの?」
「みんなで、今でもできるかどうかは知らないけれど、中禅寺湖の湖畔でキャンプファイヤーをしたわよ。事前に『遠き山に日は落ちて』や『キャンプだ、ホイ』とか歌を練習させられていたから、みんなで肩を組んで歌った覚えがあるわ。夜の中禅寺湖はすごい怖い感じだったけど、キャンプファイヤーの炎で顔を照らされて熱いくらいになったら、そんな怖いのも吹き飛んで。みんなで大声で歌った思い出があるな」
お母さんは怖い話が苦手なのに、その後部屋に帰ったら先生に集められて怪談話を聞かされたから、ずっと耳を塞いでいたらしい。
「だって、部屋真っ暗にするんだもん。信じられなかったわ」
お母さんの顔がいつもの怖い笑顔になったので、これ以上突っ込むのはやめた。
「僕たちは、ご飯の前にホテルの大きなホールで缶蹴りやるんだって」
「えっ、缶蹴りかあ?」
とおじいちゃんが突っ込んできた。
「今って、缶蹴りって外で、みんな公園とかでできないんだよ。ボール遊びをしちゃいけない、大きな声を出しちゃいけないって言われてて。だから先生が、空き缶じゃなくて安全な柔らかい専用の筒みたいな代用品を用意してくれて、それでみんなでやるんだって。普段できない遊びを体験しようってことらしい」
「お母さんが団地の時に遊んでいたコーラの缶は、誰かが蹴飛ばした飲み口の鋭いところが他のお子さんのおでこに当たって、大騒ぎになったことがあるわ」
「おじいちゃんの時は、ちょうど戦争が始まった頃で金属は貴重だったから、国に全部取られていたなぁ。だから竹を切ったり、木をちょうどいい大きさに切ったりして遊んでいたよ」
おばあちゃんがしみじみと言った。
「私は子守ばかりで、弟妹たちの面倒を見ていたから外遊びはあんまりしなかったわね。大体、あやとりかお手玉とかね。それもあんまり遊べなかったなぁ。お手伝いばっかりで……」
「おじいちゃんと、おばあちゃんは修学旅行って行ったの?」
と僕が聞くと、おばあちゃんが答えた。
「私たちの時は、修学旅行なんて、そんなものなかったわよ。経済的にも無理だったしね」
「おばあちゃんかわいそうだね」
と僕が言ったら、おばあちゃんが笑った。
「あら、かわいそうじゃないわよ。みんなその当時は周りもそうだったから、かわいそうなんて思わなかったわ」
そうすると、おじいちゃんが口を開いた。
「おじいちゃんは行ったよ」
おじいちゃんの時代のエピソードだ。
「おじいちゃんの出た高校は、昔からある名門校だったから、戦前は修学旅行で伊勢神宮に行ったり京都や奈良に行ったりしていたんだよ。でも、おじいちゃんの時はちょうど戦後でまだ復興されていなくてね。皆の経済事情を考えて、湯河原に行ったんだ。本当は伊勢志摩に行ってみたかったんだけどね」
おじいちゃんが当時の交通網について説明してくれた。
「自宅から今の東急東横線に乗って横浜駅に出て、そこから汽車に乗り換えたんだ。今では考えられないけれど、当時の横浜駅はまだ木造の建物でね。あちこちの修学旅行生がホームにいっぱ集まっていたのを覚えているよ。汽車は、蒸気機関車が団体専用の客車を引っ張っていて、今の新幹線だったらすぐ着くのに、1時間半から2時間もかかったんだ。蒸気機関車だから、トンネルに入るたびにすすが入ってこないように、みんなで窓を閉めるのに大騒ぎだったよ」
「それなら、湯河原に着いた時は、みんな騒ぎ疲れちゃってたわね」
とおばあちゃんが笑う。
「でも、駅を降りてバスに乗り換えて、海沿いの道に出た時の海のキラキラした輝きには感動したよ。横浜の海とは違って、色がすごく綺麗でね。なんであんなに違うんだろうって思ったものさ」
「おじいちゃん、湯河原って温泉しかないじゃん。修学旅行なのに、温泉入るだけで楽しかったの?」
と僕が聞くと、おじいちゃんは大笑いした。
「ちょうどその頃、国が学生たちに健康増進のために修学旅行を奨励する方針を立ててね。それに第一、修学旅行のような大勢の団体を受け入れられる宿は、昔から賑やかだった湯河原がちょうど良かったんだよ。いろんな文豪が小説を書いていたゆかりの地でもあったしな。ちょっとおじいちゃん、文豪気取っちゃったよ」
本好きのおじいちゃんがそう言って大笑いし、おばあちゃんも一緒になって笑っていた。
それぞれの世代で、修学旅行という一大イベントもこんなにも違うんだなぁと僕は思った。
番外編はまだまだ続く。




