番外編:【フォーマルからコミュニケーションへ】
古いアルバムを眺めていた団欒のひととき。ふと、おばあちゃんが不思議そうな顔でタブレットの向こうのお母さんに尋ねた。
「ねぇ。最近ケーブルテレビの海外ドラマを字幕で見ることにしてるのよね。その方が俳優さんの本当の声が聞こえるでしょう。それで私、昔、旦那様が外国人のところにいたじゃないその時に『サンキュー・ベリー・マッチ』って言ってた気がするんだけど、最近のドラマだと『サンキュー・ソウ・マッチ』って言ってるのよね。何が違うの?」
おばあちゃんの問いに、僕が横からすかさず口を挟んだ。
「あ、それ、僕も今学校で『サンキュー・ソー・マッチ』って習ってるよ。この間、お父さんの異国の地に行った時も、みんなそう言ってた」
お母さんは懐かしそうに微笑んだ。
「そうね。お母さんの世代も、学校では『サンキュー・ベリー・マッチ』って習ったわよ。懐かしいわねぇ」
お母さんは少し遠くを見るような目をして、話を続けた。
「そういえば、お母さんが中学1年の時の英語の教科書、1ページ目にいきなり『Hello, Ken. Hello, Jim. How are you?』って、知らない人同士が挨拶する変な教科書だったわね。あれは今でも忘れられないわ」
昔の教科書の話でひとしきり盛り上がった後、お母さんは本題に入った。
「でも大人になってから『サンキュー・ソウ・マッチ』をよく聞くようになってね。あなたに子供英会話を習わせようと思った時に何回か体験レッスンを受けたんだけど、その時も外国人の先生が『サンキュー・ソー・マッチ』って言ってて、『ベリー・マッチじゃないの?』って混乱したことがあるのよ。結局あなた英会話すごい嫌がってたから無理矢理やってもしょうがないなぁと思ってやめちゃったんだけど」
お母さんは少し照れくさそうに笑った。
「でも、英語ができるママ友に聞いたのよ。『ベリーとソーの違い、恥ずかしくて誰にも聞けないから教えて』って」
「えっお母さん。友達にわざわざ聞いたの?」
「そしたらそのママ友が言うには、私たちが中学校の時代は『文法』を主にするから丁寧でフォーマルな『サンキュー・ベリー・マッチ』が主流だったけど、時代が流れて、だんだんと『コミュニケーション』を大切にする英会話教育に変わっていったんですって。だから、ネイティブの人が日常会話で使う、より親密で感情の込もった『サンキュー・ソー・マッチ』が教育現場でも使われるようになったみたいね。文法よりハートを伝える英語が大切になったってことらしいわ」
話を聞いていたおじいちゃんがボソッと言った。
「俺は『サンキュー・ベリー・マッチ』だったなあ」
「ふふ、そうねぇ」とおばあちゃんが嬉しそうに笑う。
「私が聞き取ったのは間違いじゃなかったのね。よかったわ」
僕がまとめた。
「『サンキュー・ベリー・マッチ』だと、何か少し硬い感じだよね。もっと気軽に、僕たちは『サンキュー・ソー・マッチ』だよ」
たった一言、「ありがとう」を伝える言葉。それでも、おじいちゃんおばあちゃんの時代、お母さんの時代、そして僕の時代へと、時代とともに少しずつ変化している。言葉もやっぱり生きているんだなと僕はつくづく感じた。
僕の言葉に、三陸のおじいちゃんもおばあちゃんも、タブレットの向こうのお母さんも、「そうね」と優しく笑っていた。
三陸の夜は静かに更けていく。
家族のタイムカプセルは、まだまだ溜まっていくようだ。




