おじいちゃんの昔話(上)
アルバムの少女を指さして「誰?」と聞くと、おじいちゃんは一瞬、眩しいものを見たような顔をした。
「何言ってんだよ。おばあちゃんだよ」
僕の知っている、縁側でぬか漬けを混ぜている小さなおばあちゃんにも、「少女の時代」があったなんて。
おじいちゃんはあぐらをかくと、お盆に並べた採れたてのトマトや胡瓜、そして蒸かしたてのサツマイモを勧めてくれた。
「ここら辺のおやつは、これが一番のご馳走さ」
おじいちゃんはアルバムのページをめくりながら、昭和11年に生まれたおばあちゃんの荒波のような半生を語り始めた。戦時中、食べ物はどこにもなく、ひいおばあちゃんは毎日お芋ばかりを子供たちに食べさせていたそうだ。
「今の甘いサツマイモとは大違いだ。パサパサで喉に詰まるような代物でな。あまりに毎日そればかりだったから、ばあちゃんはしばらくの間、お芋を見るのも嫌になったって言ってたよ」
コンビニに行けば何でも手に入る今の僕には、想像もつかない生活だ。
前は海、後は山。畑も作れず困り果てた家族は、潮吹き岩の実家まで食べ物を分けてもらいに行くしかなかった。
「暗い山道を、泣きながらみんなで帰ってきたんだ。街灯もない真っ黒な夜道をな」
そして、空襲の恐怖も語った。一度は防空壕まで逃げようとしたが間に合わず、おばあちゃんたちは急いで畳を上げ、その下の空間に身を潜めて命拾いをしたという。
「静まり返った中で死を覚悟したそうだ。終わってから出てみると、家には大きな機関銃の弾が何発も突き刺さっていた。……あの恐怖は、一生忘れられないって言ってたよ」
戦争が終わると、おばあちゃんには更なる試練が待っていた。弟妹の面倒を見るために中学校卒業後すぐ集団就職で東京へ出たのだ。お寿司屋で下働きをしていた当時、おばあちゃんには同じ歳くらいの女の子がいた。その子は高校に通っている傍らで、おばあちゃんはその子の洗濯物までしなければならなかった。華やかな青春を謳歌する同級生と、黙々と下働きをする自分。そのあまりの対比に、おばあちゃんはやりきれない思いを抱えていたという。
そして、おじいちゃんは静かに続けた。
「戦争から帰ってきたひいおじいちゃんは、家族を守るために戦地へ行ったのに、和菓子職人だった大事な道具がすべて戦争の武器を作るために徴収されていてな。仕事がなくなってしまったんだ。仕事のないひいおじいちゃんは、家族を養うために若い者に混じって、過酷な遠洋漁業のマグロ漁船に乗った。いちど出航すれば一年は帰ってこれない、そんな過酷な時代を生き抜いてきたんだよ」
その後、内気なおばあちゃんは常連の紹介で世田谷の大きな社長のお屋敷で「姐や」として働くことになった。
そこはレコードのステレオが流れる別世界だった。おばあちゃんがひそかに自慢していたのは、学生だった当時の有名な俳優さんが、時々レコードを聴くためにそのお屋敷を訪ねてきていたことだ。
ある日、多摩川の土手沿いを散歩していると、前から巨大な馬が向かってきた。あまりの迫力に、おばあちゃんともう一人の姐やは怖くて固まってしまった。すると、馬を追いかけていた調教師らしい人が、おばあちゃんたちの前に大の字で立ちはだかって、馬をその場で止めてくれたんだ。事なきを得たけれど、雇い主に知れたら弟妹たちの生活がかかっているこの仕事をクビになるかもしれない——そう思うと、おばあちゃんたちはその出来事をやり過ごして報告することもできなかった。内緒にしてはいけないと分かっていながら、必死に胸に秘めたその悲壮感。
それでも、おばあちゃんにとって年に一度の楽しみがあった。それは田舎への帰省だ。当時は新幹線なんてなくて、上野から仙台まで汽車で10時間以上。
「トンネルに入るたびに、『窓を閉めろー!』って一斉に叫んでな。閉め忘れると煙が入り込んで、顔が真っ黒になっちまうんだ」
おじいちゃんは楽しそうに笑う。おばあちゃんが一番喜んだのは、田舎へのお土産だ。
「なんとバナナだよ。今じゃコンビニでいつでも買えるが、当時は超高級品でな。田舎じゃ滅多にお目にかかれないものだから、ひいおばあちゃんや弟妹たちに持っていくと、近所中を巻き込んで大騒ぎになったそうだよ。みんなで少しずつ分けて食べるのが、何よりの幸せだったんだってさ」
おじいちゃんはそう言ってアルバムの隅を指さした。
「その時の写真がこれだよ」
そこには、少し照れくさそうに笑う若き日のおばあちゃんが写っていた。
おじいちゃんは、自身の医者になるという夢が、ひいおじいちゃんの財産喪失によって絶たれた無念も語った。おじいちゃんの母であるひいおばあちゃんは、白虎隊の生き残りに学び、柔道の祖を親戚に持ち、関東大震災を乗り越えた強い人だった。当時は職業婦人なんて珍しかった時代に、お産婆さんとして大勢の子供を取り上げ、町中の命を支えていたんだよ、とおじいちゃんは誇らしげに話した。
「初めて作ってくれたカレーなんて、しょっぱくて食えたもんじゃなかった。でも、その真っ直ぐな想いが嬉しくて、言えなくてご飯を山盛り食べたんだよ」
おじいちゃんがビールを飲みながら照れくさそうに笑う。
僕の頭の中では、おじいちゃんの言葉が、バラバラだったパズルのピースのように一つずつ繋がり始めていた。僕という存在の「大事な根っこ」の物語。
僕は目の前の採れたてトマトを齧った。弾けた酸味と甘みが喉を通る。豊かな今と、彼らが必死に生き抜いた過去。そのあまりの距離に、僕はただ言葉を失っていた。




