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番外編:【異国の風への憧れと、手紙が運んだ戸惑い】

パスポートを取り、母が仕事の合間に父の赴任先へ行く準備を着々と進めてくれている。そんなある日、僕はふと思った。「お母さんの子供の頃って、気軽に海外旅行なんて行けたの?」と聞くと、母は少し懐かしそうに話し始めた。

「私たちが生まれる少し前、やっと一般の人が普通に海外へ行けるようになったばかりの時代よ。普通の人はなかなか行けなかったの。大卒の初任給の数倍もの費用がかかったんだから」

「えー、そんなに高かったら無理だね。今の時代でよかったよ」と僕が言うと、母は団地時代の思い出を語り始めた。

団地の階段で涼んでいた夏の日のこと。同じ階段の5階に住む夫婦がハワイへ行っているという噂が広まった。帰国の日、近所の人たちが普段はいない外に出てきて、タクシーから降りてくる夫婦を待ち構えていた。タクシーなんてほとんど見たことがなかった母は、それだけで豪華な光景だと思ったという。

おじさんは皆に囲まれると、自慢げに格式ばった「濃紺」のパスポートを見せた。中にはスタンプが押してあり、母は強烈な憧れを抱いた。その夫婦が開いたスーツケースから出てきたのは、外国のお酒や香水、そしてチョコレート。「初めての海外の香りと味がしたわ」と母は微笑んだ。「マカダミアナッツチョコなんて、当時は日本に入るか入らないかの貴重なものだったんだからね」と少しむっとして言う母を見て、僕は思わず笑ってしまった。

「でも、海外への憧れが強くなって、中学の時にペンパルをしたのよ」

メールもSNSもない時代、郵便局の広報誌で募集を見て、アメリカの誰かと文通を始めたという。辞書を引き引き書いた英語は、本の例文をそのまま写したせいで相手を困惑させたらしい。結局返事は来なくなった。

高校ではケニアの人と文通した。独特な英語に悩み、先生に訳してもらったこともあった。誕生日にデジタル時計を送り、母の香水を便箋に垂らして送ったこともある。すると相手から「いつか迎えに行く」という手紙が届いた。先生が笑いながら訳してくれたが、母は「異国の人と結婚しなきゃいけない習慣があるのかも」と怖くなり、文通を止めてしまったという。

「それでもね、懲りずに今度は東ドイツの女の子と文通したのよ」

「東ドイツ? ドイツじゃないの?」と僕が聞くと、母はベルリンの壁があった時代の激動を説明してくれた。言葉も英語でなんとか通じ楽しく交流していたある日、母は日本の自由さを伝えたくて、手紙に文房具を同封して送った。すると――。

「この手紙は届けられません」というスタンプが押されて返ってきた。もう一度送っても同じ結果。当時の母は「何か変なことを書いて、政府の人に目をつけられたんじゃないか」と怖くてたまらなくなったという。「ただ手紙を書いただけなのに」と僕は言うが、母は「そういう時代だったのよ」と静かに語った。

スマホもメールもない時代、手紙は唯一の翼だった。返事が届くまでの長い時間、消印に込められた熱量、そして時には政治の壁に遮られてしまう脆さ。遠い異国の地で出会った友達は、今も元気でいるのだろうか。母の昔話を聞きながら、僕はそんなことに想いを馳せた。


まだまだ、僕の小さな驚きは続いていく。

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