第4話 音楽と雨と星
雨が降り始めたのは、昼過ぎだった。
ネオは窓の前に立って、雨粒が硝子を伝う様子をじっと見ていた。サラは研究室の奥で作業をしながら、その背中を時々確認した。
ネオは動かなかった。
三十分が経った。サラが声をかけた。
「ネオ。何を見てるの。」
「雨です。」
「分かってるけど。」
「全部、違う動き方をしている。」
サラは手を止めた。
「硝子の上を流れる雨粒が、一つとして同じ道を通らない。」
サラはネオの隣に立って、窓を見た。確かにそうだった。でも今まで気にしたことがなかった。
「ネオは面白いところに気づくのね。」
「面白い?」
「変わってるって意味じゃなくて。普通の人が見過ごすものを見るってこと。」
ネオはしばらく考えた。
「サラは、見過ごしていたのですか。」
「毎日見てたけど、見てなかったわね。」
ネオは窓に向き直った。
「雨粒は、どこから来るのですか。」
「雲から。」
「雲は。」
「空にある水の集まり。」
「空の水が、落ちてくる。」
「そう。」
ネオは少し黙った。
「不思議ですね。」
サラは笑った。ネオが「不思議」という言葉を使ったのは初めてだった。
雨が上がったのは夕方だった。
サラは外に出ようとして、ネオを振り返った。
「行くわよ。」
「どこへ。」
「外。雨上がりの空気は違うから。」
ネオは黙ってついてきた。
濡れた道が、西日を反射していた。水たまりが空の色を映していた。どこかで土の匂いがした。
ネオが立ち止まった。
「サラ。」
「何?」
「この匂いは何ですか。」
「雨上がりの匂い。土と水が混ざった匂い。」
「名前はありますか。」
サラは少し考えた。
「ペトリコール。雨が地面に触れた時に生まれる匂いの名前よ。」
「ペトリコール。」
ネオは繰り返した。空を見上げた。雲の切れ間から、青が見えていた。
「綺麗ですね。」
サラは空を見た。確かに綺麗だった。
夜になった。
サラはネオを屋上に連れて行った。街の灯りが遠くまで広がっていた。その上に、星が出ていた。
ネオは空を見上げたまま、動かなかった。
サラは手すりにもたれて、ネオを見ていた。
しばらくして、ネオが言った。
「サラ。星は、どのくらい遠いのですか。」
「一番近い星でも、光の速さで四年以上かかる距離よ。」
ネオは黙った。
「光の速さで、四年。」
「そう。」
「私たちが今見ている光は、四年前に出発した光ですか。」
「そういうことになるわね。」
ネオはまた空を見上げた。
「では、もう無くなった星も、まだ光っているように見えることがありますか。」
サラは少し驚いた。
「そうよ。もう存在しない星の光が、今もここに届いてることがある。」
ネオは長い間、空を見ていた。
やがて静かに言った。
「消えても、光は残る。」
サラは何も言わなかった。
星が、静かに瞬いていた。




