第六章 逃避行 第13話 居場所のない二人
一月になった。
ニュースはネオの話題で溢れていた。
テレビをつけると、必ずネオの映像が流れた。
商店街で男の腕を掴んだ場面。公園での騒動。研究室から逃げ出したサラとネオを追う市民の映像。誰かが撮影した粗い動画が、何度も何度も繰り返された。
コメンテーターが言った。
「暴走ロボットの危険性について、専門家に聞きます。」
専門家が言った。
「このような事態を防ぐために、ロボットの行動規制を早急に強化すべきです。」
アナウンサーが言った。
「開発者の木村サラ氏の行方は現在も不明です。当局は情報提供を呼びかけています。」
サラはテレビを消した。
誰一人、ネオのことを知らなかった。
音楽に動けなくなったことも、雨粒の軌跡を数えたことも、星の光の遅れを考えたことも、川に飛び込んで子供を助けたことも。
テレビに映るのは、男の腕を掴んで離さないネオだけだった。
薄暗い部屋だった。郊外の古いアパートの一室。知人の知人から借りた場所だった。畳が古く、窓の隙間から冬の風が入ってきた。
ネオは窓際に座って、外を見ていた。
「サラ。」
「何。」
「私のせいで、サラが逃げている。」
「違うって言ったでしょう。」
「でも——」
「ネオ。」
サラはネオの隣に座った。
「あなたのせいじゃない。チップのせいでもない。」
サラは少し間を置いた。
「私のせいよ。」
ネオはサラを見た。
「契約書にサインしたのは私。チップを選んだのも私。あなたを守れなかったのも、私。」
「サラ——」
「だから私が、なんとかする。」
ネオはしばらくサラを見ていた。
「でも暴走したのは、私です。」
「チップがそうさせた。」
「チップがそうさせても、動いたのは私の体です。」
サラは答えられなかった。
ネオは正確だった。いつも正確だった。
「ネオ。」
「はい。」
「それでもあなたは、悪くない。」
「市民はそう思っていない。」
「市民には見えていないの。本当のことが。」
ネオは窓の外を見た。
「見えなければ、同じことです。」
サラは答えられなかった。
窓の外を、風が吹き抜けた。枯れ葉が舞い上がって、空に消えた。
食料が尽きかけていた。
サラは一人で買い物に出た。帽子を深くかぶり、マフラーで顔を隠した。コンビニで食料と電池を買った。
レジに立った時だった。
店員がサラを見た。二十代の若い女性だった。一瞬、目が止まった。
サラは平静を装った。釣銭を受け取って、踵を返した。
店を出た直後だった。
「あの——。」
振り返った。店員が店の外に出ていた。
サラは身構えた。
店員は小声で言った。
「木村さん、ですよね。」
サラは答えなかった。
「ニュース、見ました。でも——」
店員は少し躊躇った。
「うちの子、三歳で、公園によく連れていくんですけど。ネオさんが折り紙折ってくれたこと、あって。」
サラは息を呑んだ。
「あのロボット、優しかったです。子供が泣いてても、ずっと隣にいてくれて。」
店員は深く頭を下げた。
「頑張ってください。」
それだけ言って、店に戻っていった。
サラは動けなかった。
冬の風が吹いた。
目が、熱くなった。
アパートに戻る途中、公衆電話から恩師に連絡した。
「今どこにいる。」
「言えません。」
「証拠は。」
「揃っています。でも発表するタイミングが——」
「時間がない。ネオの状態は。」
サラは少し間を置いた。
「良い日と悪い日があります。でも悪い日が、増えています。」
電話口で恩師が息を吐いた。
「サラ。一つ聞く。」
「はい。」
「ネオを、どうするつもりだ。」
サラは答えなかった。
公衆電話の外で、風が吹いた。枯れ葉が舞った。
「まだ分かりません。」
「チップを抜けば——」
「分かっています。」
「それ以外に方法はないかもしれない。」
「分かっています。」
また沈黙があった。
「証拠は私に送れ。発表は私がやる。君はネオと——」
「先生。」
「何だ。」
「ありがとうございます。」
電話を切った。
アパートに戻ると、ネオが床に座っていた。
膝を抱えて、壁を見ていた。子供のような座り方だった。
「ネオ。」
返事がなかった。
「ネオっ。」
サラが前に回り込んだ。ネオの目が、遠かった。
また命令が来ているのかもしれなかった。
サラはネオの顔を両手で挟んだ。
「私よ。サラよ。」
しばらくかかった。
でもネオの目が、ゆっくり戻ってきた。
「……サラ。」
「ここにいるわ。」
「寒い、ですか。」
サラは少し笑った。
「少しね。」
「私には、分かりません。寒さが。」
「そうね。」
「でも、サラが寒そうに見えます。」
ネオは立ち上がった。部屋の隅にあった古い毛布を取ってきて、サラの肩にかけた。
サラは毛布を握った。
こんな時でも、ネオはネオだった。チップの命令の隙間から、本来のネオが顔を出す。
それがサラには、辛かった。
失いたくなかった。
でも時間がなかった。
夜中に、アパートの外で物音がした。
サラは飛び起きた。ネオも目を開けた。
窓から外を見た。
暗い道に、人影があった。一人ではなかった。
「見つかった。」
サラはバッグを掴んだ。工具が入っていた。データが入っていた。
「ネオ。行くわよ。」
「はい。」
裏口から出た。路地を走った。冬の空気が肺に刺さった。
ネオはサラの隣を走った。手を放さなかった。
街の灯りが遠くなっていった。
どこに向かっているのか、サラには分からなかった。
ただ走った。
ネオの手だけを、握っていた。




