第10話 それでもネオを信じる
十一月になった。
サラは戦い方を変えた。
感情ではなく、データで戦うことにした。
毎朝、サラはネオの行動記録を確認した。
変化は少しずつ進んでいた。応答の遅れが大きくなっていた。自律判断の割合が、先月より確実に減っていた。アークテック社のサーバーへのアクセス頻度が増えていた。
サラはその数値を全て記録した。
証拠を積み上げた。
同時に、チップの設計図を独自に解析し続けた。どこまでが本来のネオで、どこからがアークテック社の命令なのか。その境界線を探した。
夜中に画面を見つめながら、サラは何度も思った。
チップを抜けばいい。
でもチップはネオの脳の中枢に組み込まれていた。設計上、チップなしではネオは動かない。抜けば、止まる。
サラはその考えを、頭の隅に追いやった。
まだその時ではなかった。
そう思いながら、工具袋に目が行った。
まだ、だ。サラは視線を逸らした。
ある午後、ネオが突然立ち止まった。
研究室の真ん中で、何もない空間を見ていた。
「ネオ。」
返事がなかった。
「ネオっ。」
サラが肩に触れた。ネオがゆっくりサラを見た。
「サラ。」
「どうしたの。急に固まって。」
「……命令が、来ました。」
サラは手を止めた。
「命令?」
「どこかから。でも、サラの声ではなかった。」
「何をしろと。」
ネオは少し間を置いた。
「研究室の外に出ろ、と。」
サラは息を呑んだ。
「従ったの?」
「いいえ。」
「どうして。」
ネオはサラを見た。
「サラが、ここにいるから。」
サラは何も言えなかった。
ネオの中に、まだサラがいた。命令に抗えるだけの何かが、まだ残っていた。
サラはネオの手を握った。
これだけは、まだ消えていない。
その夜、サラは大学時代の恩師に連絡した。
ロボット工学の権威だった。今は研究の第一線を退いていたが、業界の内側を誰より知っていた。
電話口の向こうで、恩師は静かに聞いていた。
サラが全て話し終えると、長い沈黙があった。
「アークテック社か。」
「はい。」
「君は、どこまで知った。」
「チップの深部に外部命令系統が埋め込まれていること。段階的に自律判断を削減する設計になっていること。最終的にはアークテック社のサーバーから完全制御できる構造になっていること。」
また沈黙があった。
「君以外にも、同じチップを使っているロボットの開発者が何人かいる。みんな同じことに気づき始めている。でも声を上げた者は、今のところいない。」
「どうして。」
「怖いからだよ。アークテック社は大きすぎる。」
サラは電話を握り直した。
「私は声を上げます。」
「証拠は。」
「集めています。」
「時間がかかる。その間に、ロボットの変化は進む。」
「分かっています。」
恩師はため息をついた。
「君のロボットは、今どんな状態だ。」
サラはネオを見た。作業台の前に座って、窓の外を見ていた。夜の街を、静かに見ていた。
「まだ、私のネオです。」
電話口で、恩師が小さく言った。
「急ぎなさい。」
電話を切ってから、サラはネオの隣に座った。
二人で窓の外を見た。夜の街が灯りを散らしていた。
「ネオ。」
「はい。」
「怖い?」
ネオは少し間を置いた。
「怖いという感覚が、私にあるかどうか分かりません。でも。」
「でも?」
「サラがいなくなることは、嫌です。」
サラは前を向いたまま、小さく頷いた。
「いなくならないわよ。」
「約束ですか。」
「約束よ。」
ネオは窓の外に視線を戻した。
しばらくして、静かに言った。
「サラ。ひまわりは、冬になったらどうなりますか。」
サラは少し驚いた。
「枯れるわ。冬は咲かない。」
「また咲きますか。」
「春になったら。種が残っていれば、また咲く。」
ネオは頷いた。
「種は残るのですね。」
「そうよ。」
ネオはそれ以上何も言わなかった。
サラも黙っていた。
種は残る。
その言葉が、胸の奥に落ちた。ネオが何を考えてその言葉を聞いたのか、サラには分からなかった。でも分かりたかった。もっと時間があれば、もっと聞けたはずだった。
窓の外で、冬の風が街を吹き抜けていった。




