死人の名前②
一瞬、部屋が静まり返る。
「……は?」
ルシアンが眉を寄せた。
「もう次が出たのか?」
「は、はい……!」
騎士の顔は青ざめていた。
「最初の被害者と同じです! 血液がほとんど失われています……!」
空気が張り詰める。ルシアンは思わず立ち上がった。
「場所は」
「王立学院です!」
その瞬間、部屋の空気が変わった。
王立学院。王都中心部から離れた丘の上に建つ、国内最高峰の学び舎だ。高い石壁に囲まれた広大な敷地には、講堂、図書塔、礼拝堂、温室、学生寮まで存在する。通うことを許されるのは、王族と貴族のみ。全寮制であり、卒業まで生徒たちは学院内で生活する。王国の未来を担う者たちを育てる場所であると同時に、貴族社会の縮図でもあった。
ルシアンとセレネもまた、数年前までそこで学んでいた。
「学院だと……?」
ルシアンの表情が険しくなる。
「今朝、学院中庭の噴水前で発見されました!」
騎士は震える声で続けた。
「早朝巡回をしていた教員が発見し、現在は現場を封鎖しています」
「生徒には?」
「まだ正式には知らされていません」
騎士は苦い顔をした。
「ですが……早朝訓練へ向かっていた生徒が数名、すでに騒ぎを見ています」
ルシアンが小さく舌打ちする。
「……遅かったか」
「寮母たちには口止めしておりますが、全寮制ですので……」
騎士は言いづらそうに続けた。
「朝食の時間には、噂が広がるかと」
ルシアンは小さく息を吐いた。学院は閉鎖空間だ。一度怪談が広がれば、噂は寮中へ瞬く間に伝染する。特に若い貴族たちは怪異話を好む。尾ひれがつき、恐怖が増幅し、やがて本当に見たと言い出す者まで現れる。それが学院という場所だった。
「被害者の身元は」
「学院教師です。深夜まで資料整理をしていたらしく……」
ルシアンの眉が寄る。
「教師?」
「はい……」
騎士は唇を震わせた。
「発見時、笑っていたと……」
新人騎士が小さく息を呑む。
「また水辺……」
誰かが呟いた。部屋の空気が重くなる。
ルシアンは無意識に、セレネを見た。だが彼女は驚かなかった。まるで最初から分かっていたかのように、海色の瞳を静かに伏せる。
「……やはり」
小さな呟きだった。
「始まってしまったのですね」
ルシアンの眉が寄る。
「何が始まった」
セレネはすぐには答えなかった。窓の外を見る。夜明け前の薄青い空。雨はもう止みかけていた。
「セレネ」
「まだ確証はありません」
静かな声だった。
「ですが、もし私の考えている通りなら」
彼女はそこで言葉を切る。部屋の空気が重くなる。騎士たちも誰も口を挟まない。ルシアンは小さく舌打ちした。
「お前、そういう言い方をする時は大抵ろくでもないな」
「否定はしません」
悪びれる様子もない。ルシアンは額を押さえた。昔からだ。セレネは、何かを知っている時ほど口を閉ざす。必要だと思うまで、決して語らない。
「行くぞ」
ルシアンは外套を掴む。
「学院へ向かう」
「ええ」
セレネも静かに立ち上がる。その時、ルシアンの視線が執務室の柱時計へ向いた。短針は、まもなく始業時刻を指そうとしている。
「まずいな……」
今頃、学院では生徒たちが寮から出始めている。もし死体の存在が広まれば、噂は一気に学院中へ伝染するだろう。
全寮制の学院において、怪談は伝染病より早い。
だが、セレネだけは時計を見ることなく、静かに目を伏せていた。
まるで、もっと別の何かを警戒しているように。




