地下の再会
崩れた石壁の奥からは、絶え間なく水音が響いていた。
地下水路を流れる音とは明らかに違う。もっと深く、重たい場所で反響しているような、不気味な水音だった。
ルシアンは石壁の隙間を睨みつける。
崩落によって半ば塞がれているが、人一人なら通れそうな幅はある。その奥から流れてくる空気は異様に冷たく、湿気へ混じって鉄臭さまで漂っていた。
特務隊員の一人が慎重にランタンを差し入れる。
だが灯りは奥まで届かず、闇へ飲まれるように消えていく。
「……かなり深いですね」
隊員が低く呟いた。
セレネは石壁近くへしゃがみ込み、床へ残る泥跡を見つめていた。
引きずられた跡は奥へ続いている。
しかも途中から血痕が増えていた。
壁へ縋るように掴んだ跡まで残っている。
誰かが、かなり必死に抵抗していた。
ルシアンの表情が険しくなる。
「……エレノア嬢か」
「可能性は高いですね」
セレネが静かに答える。
その時だった。
奥の暗闇から、水を踏む音が響く。
チャプ――。
全員の空気が変わった。
特務隊員達が一斉に剣を抜き、ランタンが奥へ向けられる。
地下の冷気が肌へ張りつくようだった。
ルシアンが低く問う。
「……誰だ」
返事はない。
だが、確かに気配がある。
水音がゆっくり近づいてくる。
一定ではない。
まるで足場を確かめながら歩いているような、不安定な足音だった。
チャプ……チャプ……。
やがて暗闇の奥へ、ぼんやり人影が浮かび上がる。
長身の男だった。
濡れた黒い外套を羽織り、片手を石壁へついている。呼吸は浅く、肩も僅かに上下していた。
ランタンの灯りがその顔を照らした瞬間、フェリクスが目を見開く。
「……エドガー?」
銀縁眼鏡が地下灯りを鈍く反射する。
だが、普段と様子が違っていた。
髪は乱れ、頬には泥が付着し、右袖には血まで滲んでいる。
まるで地下を走り続けてきたような姿だった。
ルシアンの目が鋭く細まる。
「何でお前がここにいる」
低い声だった。
特務隊員達も警戒を解かない。
地下空間の空気が完全に張り詰める。
エドガーは数秒だけ黙ったまま、水路奥を振り返った。
その表情は暗く、どこか焦っているようにも見えた。
「……遅かったですね」
静かな声が地下へ落ちる。
ルシアンが一歩前へ出る。
「エレノア嬢はどこだ」
エドガーは答えない。
代わりにゆっくり視線を上げる。
銀縁眼鏡の奥の瞳が、地下灯りの中で静かに揺れていた。
「まだ間に合います」
その瞬間、ルシアンの空気が変わる。
「質問に答えろ」
「説明している時間がありません」
エドガーの声は珍しく硬かった。
普段の穏やかさが消えている。
セレネは静かにエドガーを見つめていた。
右袖には血が滲み、靴には地下水路の泥が深くこびりついている。呼吸も普段より浅く、銀縁眼鏡の端には細かな泥まで跳ねていた。
地下奥から戻ってきたのは間違いない。
そして、その血が新しいことも。
「……エドガー様」
セレネが静かに口を開く。
エドガーの視線が向く。
「その血は、誰のものですか」
一瞬だけ沈黙が落ちた。
水音だけが地下へ響く。
エドガーは小さく目を伏せ、それから低く答えた。
「私のではありません」
ルシアンの表情がさらに険しくなる。
「だったら誰の血だ」
エドガーは再び奥を振り返った。
その仕草だけで地下空間の空気が変わる。
何かが、この先にいる。
そう感じさせる視線だった。
「……ローディア公爵が動いています」
フェリクスが目を細める。
「生きてたのか」
「はい」
エドガーは短く答える。
「そして、既に儀式を始めています」
ルシアンが低く舌打ちする。
「場所は」
エドガーは迷うように数秒だけ沈黙した後、小さく息を吐いた。
「このすぐ奥にある祭壇です」
その瞬間、地下空間の空気がさらに張り詰める。
ルシアンの視線が鋭くなる。
「そんな場所、地図にはなかったぞ」
「意図的に消されています。古いノクシア信仰時代の祭壇です」
フェリクスの顔色が変わった。
「……まさか、402年の記録か」
エドガーが初めてフェリクスを見る。
「気づいていたんですね」
ルシアンは険しい顔のまま一歩前へ出る。
「お前、どこまで知ってる」
地下へ重い沈黙が落ちた。
エドガーは答えない。
代わりに、小さく眼鏡を押し上げる。
その指先が僅かに震えていた。
「僕の話は後で構いません」
静かな声だった。
だが、その奥には切迫感が滲んでいる。
「急いでください。公爵はもう、止まりません」
次の瞬間だった。
地下奥から低い地鳴りのような音が響く。
同時に足元の水が揺れた。
セレネの表情が変わる。
「……水位が上がっています」
地下通路の奥から流れ込む水量が、明らかに増えていた。
エドガーが低く呟く。
「始まったんです」




