消えた令嬢①
地下礼拝堂のさらに奥まで調べたが、それ以上めぼしいものは見つからなかった。
途中で崩落した通路の先には、古い排水路が複雑に入り組み、使われなくなった横穴もいくつも残されている。人が隠れる場所には困らない構造だった。
それでも、肝心の人影だけはどこにもない。新しい蝋、乾ききっていない泥、薬品の匂い。つい先ほどまで誰かがいた気配だけが、生々しく残されていた。
ルシアンは苛立ったように壁へ視線を向ける。
「……逃げ足が早すぎる」
「地下構造を把握している側が有利ですね」
フェリクスが低く返した。
「こっちは地図を見ながら進んでるけど、向こうは身体で覚えてる感じだ」
特務隊員達も周囲を警戒しながら探索を続けていたが、新しい痕跡は見つからない。地下水路へ響くのは、水滴の音と靴音だけだった。
ルシアンは小さく舌打ちし、それから隣へ視線を向ける。
セレネは壁際へ手を添え、小さく息を吐いていた。
顔色は悪くない。だが、長時間の地下探索で疲労が溜まっているのは明らかだった。湿った空気は体力を奪う。まして地下は冷える。
「……セレネ」
「はい」
「一度戻るぞ」
セレネは少しだけ眉を寄せた。
「ですが、まだ奥の確認が――」
「お前、このまま続けたら倒れる」
「倒れません」
ルシアンは一度深く息を吐いた。
怒っているわけではない。
ただ、無理を押し通そうとするセレネを見ると、妙に落ち着かなくなる。
「……そういう問題じゃねぇ」
低く返す。
フェリクスも小さく肩を竦めた。
「僕も賛成かな。これ以上は闇雲に探しても効率悪いよ」
セレネは少しだけ考え込むように沈黙した後、小さく頷いた。
「……分かりました」
その時だった。
後方から足音が響く。地下通路を一人の特務隊員が駆けてくる。
「ルシアン殿下!」
息を切らした隊員を見て、ルシアンが眉を寄せた。
「戻ったか。ローディア家は?」
隊員は一度息を整え、それから険しい顔で口を開く。
「エレノア嬢の姿が確認できません」
地下の空気が、一瞬止まった。
ルシアンの表情が険しくなる。
「……いつからだ」
「正確には不明です。ただ、本日昼頃から部屋へ姿を見せていないと」
「外出記録は?」
「ありません。使用人達も混乱しており、ローディア小公爵自ら屋敷内を捜索しています」
フェリクスが小さく息を吐いた。
「……最悪のタイミングだね」
ルシアンはすぐ隊員へ視線を向ける。
「小公爵は?」
「王城へ向かうとのことです」
返答を聞いた瞬間、ルシアンは低く舌打ちした。
地下で見つけた儀式場には、3日後の日付が残されていた。しかも、王家の器は不要という記述まである。その直後にエレノアが姿を消したとなれば、嫌でも考えが繋がってしまう。
セレネは静かに視線を落としていた。
「……早すぎますね」
「何がだ?」
ルシアンが問う。
「儀式は3日後のはずでした」
セレネは小さく眉を寄せる。
「それなのに、もう器候補が動かされている」
フェリクスが腕を組む。
「準備段階へ入った可能性はあるね」
「あるいは」
セレネがゆっくり顔を上げた。
「3日後は儀式本番ではなく、完成の刻なのかもしれません」
ルシアンが目を細める。
「完成?」
「器を作るには段階が必要だった」
セレネは静かに言葉を続ける。
「恐怖、隔離、薬物、暗示……そうやって徐々に器へ近づけていく」
フェリクスが小さく頷いた。
「古い信仰には、恐怖は祈りと同じだけ力を持つと考える宗派もある」
地下の冷たい空気の中で、その言葉だけが妙に重く響いた。
セレネは小さく目を伏せる。
「……集合意識、のようなものかもしれません」
「集合意識?」
ルシアンが眉を寄せる。
「人は強い感情を共有すると、無意識に同じ方向へ引っ張られる、という考え方があります」
フェリクスが興味深そうに視線を向ける。
セレネは続けた。
「恐怖、不安、噂。そういう感情が集団で増幅されると、存在しないものに現実味が生まれていく」
ルシアンの表情が僅かに険しくなる。
「……水鏡の魔女か」
「はい」
セレネは静かに頷く。
「王都中で噂を広げ、恐怖を共有させることで、水鏡の魔女という存在を人々へ定着させていたのかもしれません」
フェリクスが低く息を吐いた。
「なるほどね……だからわざわざ噂を流し続けた」
「赤いリボンも、歌声も、黒髪への恐怖も全部そのため」
セレネは地下奥へ視線を向ける。
「王都全体を、儀式へ巻き込んでいたんです」
ルシアンは無意識に拳を握っていた。ただの怪異騒ぎではなかった。王都全体が、知らないうちに儀式へ利用されていた。
その時だった。
別の特務隊員が、少し離れた横穴から顔を出した。
「殿下、こちらへ」
ルシアン達が近づく。
崩れた石壁の奥には、細い通路が続いていた。先ほどまで気づかなかった隠し通路だった。
特務隊員がランタンを掲げる。
「内側から石を積んで隠していたようです」
通路奥からは、微かに水音が響いていた。
フェリクスが顔をしかめる。
「……まだ別経路があるのか」
ルシアンは暗闇の先を睨みつける。
人が消えた理由も、地下で感じた気配も、この先へ繋がっている気がした。




