地下の気配①
執務室には重い沈黙が落ちていた。
机の上へ置かれた靴型付きの棒を、ルシアンはじっと見下ろす。
「……つまり、“水鏡の魔女”は最初から作られた怪異だったわけか」
「可能性は高いね」
フェリクスが資料を閉じながら頷く。
「歌声も、足跡も、全部“それっぽく”見せるための演出だ」
ルシアンは小さく舌打ちした。
怪異を作り、恐怖を広げる。
そのために王都中を巻き込んでいた。
セレネは静かに靴型を見つめている。
「……ここまで徹底しているなら、犯人は最初から“水鏡の魔女”を広げるつもりだったのでしょうね」
「問題は目的だな」
ルシアンが低く返す。
その時だった。
エドガーが、新しくまとめられた書類を机へ置いた。
「追加報告です」
銀縁の眼鏡がランプの灯りを淡く反射する。
「ローディア小公爵から、地下水路の詳細な見取り図が届いています」
机へ広げられた羊皮紙を見て、ルシアンが眉を寄せた。
「……広いな」
王城地下水路より複雑だった。
複数の分岐が存在し、その一部は古い礼拝施設へ繋がっている。
フェリクスが地図を覗き込む。
「これ、かなり古い構造だね。増築前の地下通路がそのまま残ってる」
「さらに、ローディア公爵が最近頻繁に出入りしていた区域があるそうです」
エドガーが一箇所を指差す。
地下深く。
水路最奥部に近い場所だった。
「現在は封鎖扱いになっていますが、使用人証言では、夜中に灯りが見えていたと」
ルシアンの目が細くなる。
「……行くか」
「殿下自ら?」
「ああ。ここまで来たら現場を見る」
すると、セレネが静かに口を開いた。
「私も同行します」
ルシアンが即座に顔を上げる。
「駄目だ」
「理由を伺っても?」
「今さら聞くか?」
ルシアンが眉を寄せる。
「黒髪の乙女だの何だの言われてる状況で、危険地帯に連れて行けるわけねぇだろ」
セレネは少しだけ目を細めた。
「ですが、地下礼拝堂の構造や記録整理は私も把握しています」
「それでもだ」
「殿下」
静かな声だった。
「ここまで来て、私だけ待機というのは非効率です」
ルシアンが額を押さえる。
こうなるとセレネは頑固だった。
フェリクスが面白そうに笑う。
「諦めなよ、ルシアン。止まるタイプじゃないでしょ、彼女」
「兄上は黙ってろ」
低く返しながらも、ルシアン自身それは分かっていた。
結局、小さく息を吐く。
「……せめて着替えろ。地下水路だぞ」
「そのつもりです」
一時間後。
王族特務隊数名を連れ、ルシアン達はローディア家地下水路へ入っていた。
湿った空気が肌へまとわりつく。
石壁には苔が浮き、水滴がぽたり、と規則的に落ちていた。
地下へ進むほど空気が冷たい。
先頭を歩く特務隊員がランタンを掲げる。
「足元に気をつけてください」
古い石畳は所々崩れ、薄く水が溜まっていた。
セレネは先ほどのドレスから着替えていた。
濃い灰青色の簡素な長袖ワンピースに、動きやすい革靴。黒髪は低い位置で一つにまとめられ、肩には薄手の外套を羽織っている。
貴族令嬢らしい華やかさは抑えられていたが、その分だけ静かな美しさが際立っていた。
ルシアンは前を歩きながら、ちらりとセレネを見る。
「……その格好の方が動きやすそうだな」
「地下で転びたくありませんので」
「そこじゃない」
「?」
本当に分かっていない顔だった。
ルシアンは小さく息を吐き、前へ視線を戻す。
地下礼拝堂側へ近づくにつれ、人の気配が濃くなっていくのが分かった。
「……最近まで使われていますね」
セレネが小さく呟く。
ルシアンも気づいていた。
壁際の燭台には、新しい蝋が残っている。
床には泥の跡。
古い場所特有の放置感がない。
「崩落区域って話だったよね?」
フェリクスが周囲を見回す。
「これ、普通に人が出入りしてるじゃないか」
その時だった。
「殿下」
前方の特務隊員が足を止める。
ランタンの灯りが、床の一角を照らした。
そこには、乾きかけた赤黒い染みが残っていた。
ルシアンの表情が険しくなる。
「……血か」
「おそらく」
さらに奥。
崩れかけた祭壇跡の周囲には、最近動かされたような箱や布も残されていた。
地下の冷たい空気の中で、それだけが妙に生々しい。
セレネが静かに祭壇跡へ近づく。
その視線が、床の隅で止まった。
「……これは」
しゃがみ込み、そっと拾い上げる。
淡い金色の装飾。
小さな白石が埋め込まれた髪飾りだった。
ルシアンが眉を寄せる。
「知ってるのか?」
セレネは髪飾りを見つめたまま、小さく頷く。
「……エレノア様が、先日つけていらっしゃったものと似ています」
地下水路へ、重い沈黙が落ちた。




