偽りの痕跡
翌朝から、王族特務隊は慌ただしく動いていた。
地下水路の調査班、王城周辺の聞き込み班、ローディア家側との連絡役。それぞれへ人員が割り振られ、執務室の中も朝から落ち着かない空気が流れている。
ルシアンは机へ広げられた地下構造図を見下ろし、小さく眉を寄せた。
「ローディア公爵は、まだ戻っていないのか」
「はい」
答えたのはエドガーだった。
銀縁の眼鏡へ朝の光が淡く反射する。
「昨夜から屋敷内も騒ぎになっているようです。ただ……」
「ただ?」
「ローディア小公爵が、地下水路の調査許可を出しました」
ルシアンがわずかに目を細める。
「随分あっさりだな」
「父親の失踪もありますからね。何か隠していると疑われる方が面倒だと判断したのでしょう」
エドガーは淡々と続ける。
「“父上が不在の今、隠し立てをするつもりはない”とのことです」
ルシアンは小さく息を吐いた。
少なくとも、ローディア小公爵本人は冷静らしい。
あの屋敷で見た限りでも、公爵本人とは随分空気が違った。
「調査班はもう入ってるのか?」
「はい。ローディア家側の地下水路は想像以上に広く、旧礼拝堂側とも繋がっている可能性があります」
その時、執務室の扉が静かに開いた。
セレネだった。
淡いラベンダー色のドレスは装飾こそ控えめだが、仕立ての良さが分かる。黒髪は後ろで緩くまとめられ、銀糸の刺繍が入った薄いショールが肩へ掛けられていた。
「おはようございます」
「ああ」
ルシアンは短く返した。
だが視線は一瞬、セレネへ向く。
柔らかなラベンダー色が黒髪とよく合っていた。
昨夜の姿を思い出しかけ、ルシアンは小さく咳払いをする。
「……殿下?」
「いや、何でもない」
セレネは少し不思議そうな顔をしたが、それ以上は追及しなかった。
代わりに、机上の地下構造図へ視線を落とす。
「ローディア家側の調査許可が下りたんですね」
「ああ。昼頃には何か出るかもしれん」
「出ない方がおかしい規模ですからね」
フェリクスが後ろからひょっこり顔を出した。
いつの間に来たのか、片手には大量の資料が抱えられている。
「兄上、朝から元気だな」
「人聞き悪いなぁ。寝不足だよ」
そう言いながらも、フェリクスの目は妙に冴えていた。
「ただ、地下礼拝堂とローディア家水路が繋がってるなら、かなり面白いことになる」
「面白いで済ませるな」
「学者的には面白いんだよ」
セレネが小さく息を吐く。
「その感覚、少し分かります」
「セレネまで言うのか……」
ルシアンは額を押さえた。
数時間後。
昼を少し過ぎた頃だった。
地下水路へ向かっていた特務隊の一人が、泥で汚れたまま執務室へ戻ってくる。
「ルシアン殿下」
「戻ったか。何か見つかったか?」
「はい」
隊員は一礼し、それから布へ包まれた細長いものを机へ置いた。
ルシアンが眉を寄せる。
「……何だこれは」
「地下水路で発見しました。壁際へ隠すように置かれていました」
布を外した瞬間、執務室の空気がわずかに変わる。
木製の棒だった。
だが、ただの棒ではない。
先端部分が靴底の形になっている。
泥が乾きかけており、実際に使われていたことが分かった。
「……靴型か」
ルシアンが低く呟く。
「おそらく、右足を引きずった跡を作るためのものかと」
隊員が続ける。
「実際、水路内の痕跡と形状が一致しました」
今まで何度も見つかっていた、“右足を引きずる人物”の痕跡。
それが、人間の歩き方ではなく、意図的に作られたものだった。
フェリクスが興味深そうに棒を覗き込む。
「じゃあ、最初から“足の悪い人物”がいるように見せてたわけだ」
「おそらく」
隊員が頷いた。
だが、セレネは棒ではなく、机へ置かれた記録紙を見つめていた。
「……違います」
静かな声が落ちる。
全員の視線がセレネへ向いた。
「地下水路で残っていた足跡ですが、左側だけ女性物だったんですよね?」
「あ、ああ」
隊員が頷く。
「かなり細い靴跡でした」
セレネは小さく眉を寄せる。
何かを考え込むように、視線が記録と棒の間を行き来した。
「……おかしいんです」
「何がだ?」
ルシアンが問う。
セレネは棒の先端を静かに見つめる。
「この棒は、“右足を引きずる人物”を演出するためのものだと思います」
「そこまでは分かる」
「ですが、それだけなら右側だけ細工すればいいんです」
フェリクスがわずかに目を細めた。
セレネは続ける。
「それなのに、左側の足跡まで不自然に細い」
エドガーが記録紙へ視線を落とす。
「細い足の女性も、いるのではありませんか」
セレネは頷いた。
「もちろん、います。ですがこの足跡は、細いというより“歩くための幅”ではありません」
「歩くための幅?」
「はい」
セレネは記録紙へ視線を落とした。
「王都の靴職人組合が扱う成人女性用の標準木型なら、この長さで横幅は8センチ前後あるはずです。でも、この跡は6センチ程度しかありません」
フェリクスが眉を上げる。
「2センチも違うのか」
「はい。細い足の方はいますが、地下水路を歩き回れる形ではありません」
セレネは棒の先端を見る。
「犯人は左側につま先の細い女性物の靴を履き、右側はこの棒で本来の足跡を消していたんだと思います」
執務室が静まり返る。
ルシアンは腕を組んだまま、ゆっくり目を細めた。
「つまり、“右足を引きずる女”を最初から作ってたわけか」
「はい」
セレネが静かに頷く。
「黒髪の女。歌声。右足を引きずる足跡。“水鏡の魔女”として噂が広がりやすい要素ばかりです」
フェリクスが小さく息を吐いた。
「ここまで徹底してると、逆に感心するね」
「感心するな」
ルシアンが即座に返す。
だが、その表情は険しかった。
ここまで細かく噂を演出していたなら、犯人は最初から王都全体へ“水鏡の魔女”を広げるつもりだったことになる。
ただの殺人ではない。
何か別の目的がある。
ノクシア信仰か。
神降ろしか。
それとも――。
ルシアンは、机の上の靴型をじっと見つめた。




