静かな夜②
セレネはしばらく黙っていたが、やがて静かに口を開く。
「……私は」
カップへ視線を落としたまま、小さく息を吐く。
「殿下の隣へ立つ以上、今回の件から目を逸らすつもりはありません」
ルシアンは黙って続きを待った。
セレネの声はいつも通り静かだった。
けれど、その奥にある感情は普段より少しだけ柔らかい。
「王族になれば、綺麗なことだけでは済まないのでしょう」
ランプの灯りが、黒髪へ淡く落ちる。
「噂も、悪意も、利用しようとする人間もいる」
セレネはゆっくりと言葉を続けた。
「今回みたいに、“黒髪”というだけで勝手に意味を与えられることも」
ルシアンの眉がわずかに寄る。
セレネ自身も分かっているのだ。
王都で向けられている視線を。
あの空気を。
「……それでも」
セレネが顔を上げる。
海色の瞳が、真っ直ぐルシアンを見た。
「私は、殿下の隣へ立ちたいと思っています」
不意に、言葉が詰まった。
ルシアンは思わず視線を逸らす。
何だ、その言い方。
真面目な話をしているだけなのに、妙に胸の奥が落ち着かない。
「お前な……」
「はい?」
「そういうの、無自覚で言うな」
セレネが少し不思議そうに瞬きをする。
本当に分かっていないらしい。
ルシアンは小さく額を押さえた。
心臓に悪い。
セレネはそんなルシアンを見つめた後、小さく視線を伏せる。
「……怖くないわけではありません」
その声だけ、少し小さかった。
ルシアンの視線が戻る。
「地下礼拝堂も、ノクシア信仰も、正直あまり気分の良いものではありませんでした」
セレネは静かにカップへ触れる。
「ですが、目を逸らしたくはないんです」
「……どうしてそこまで背負おうとする」
思わず口から落ちた言葉だった。
セレネは少し考えるように目を伏せる。
「殿下が、一人で抱え込む方だからです」
ルシアンが目を瞬く。
「放っておくと、無理をしてでも進もうとなさるでしょう?」
「……否定できねぇな」
「ですから、せめて隣にいたいんです」
静かな声だった。
けれど、その言葉は妙に真っ直ぐ胸へ落ちる。
ルシアンはしばらく何も言えなかった。
窓の外では、夜風が静かに枝葉を揺らしている。
やがてルシアンは、小さく息を吐いた。
「……敵わねぇな、お前には」
セレネがわずかに目を丸くする。
「そうでしょうか」
「ああ。かなりな」
ルシアンは苦笑しながら、温くなり始めた茶へ口をつけた。
不思議だった。
さっきまで頭を離れなかった不気味な記述も、地下礼拝堂の気味悪さも、今は少しだけ遠く感じる。
その静かな時間を壊さないように、ルシアンはそっとカップを置いた。




