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感情を持たない婚約者は怪異の真実を知っている 〜第三王子と月夜の怪異事件録〜  作者: 葉月うみ
第1章 水鏡の魔女

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閉ざされた書庫②

 セレネはさらにページをめくった。


 古い事件記録。ルシアンはすぐ年代に気づく。


「……643年か」


 王家禁書庫でも確認した年代だった。“歌う魔女”という記述が増え始めた時期。セレネは静かにページを見つめる。


「やはり同じです」


「何がだ?」


「黒髪の女性へ疑いが集中しています」


 フェリクスが肩を竦めた。


「しかも解決部分だけ綺麗に抜けてる」


 ページの一部は不自然に破り取られていた。ルシアンは小さく舌打ちする。


 まただ。


 地下礼拝堂もそうだった。誰かが都合の悪い部分だけ消している。


「……誰かが、“水鏡の魔女”を作ってる」


 ルシアンが低く呟く。


 歌声。赤いリボン。黒髪。全部、最初から存在していたわけじゃない。後から継ぎ足され、形を変えられている。


 そして今も。


 誰かが同じことを繰り返している。


 静かな空気が落ちる。


 セレネは記録を見つめたまま、小さく眉を寄せていた。


 学院時代から、セレネはこういう顔をする。難しい問題へぶつかった時ほど、静かに思考へ沈んでいく。そして大抵、その推測は当たる。


 その時だった。


 コツ――。


 静かな書庫に、小さな足音が響く。


 全員の視線が止まった。


 廊下側。


 誰かが歩いた音。


 ルシアンは反射的にセレネの前へ出る。


「誰だ」


 返事はない。


 静寂だけが落ちる。


 ルシアンはゆっくり扉へ近づいた。古い床。薄い埃。そして、その上に残った跡を見て目を細める。


 右足を引きずった跡だった。


 エレノアが小さく息を呑む。


「……っ」


 白い指が杖を強く握る。


 ルシアンは床へ視線を落としたまま、ゆっくり跡を辿った。廊下の奥から書庫前まで、一直線に続いている。


 だが妙だった。


 整いすぎている。


 引きずる幅も、深さも、ほとんど変わらない。


 まるで、“右足を引きずる人間”を誰かが丁寧に演じたみたいに。


「殿下?」


 セレネが後ろから声をかける。


 ルシアンはしゃがみ込み、床へ指先を触れた。


「……なんで今まで気づかなかった」


 思わず小さく舌打ちする。


 こんなもの、本当に足を悪くした人間の歩き方じゃない。


 誰かが意図的に残した跡だ。


 フェリクスが小さく目を細めた。


「誘導が上手かったんだろうね」


 ルシアンはもう一度足跡を見る。


 黒髪。


 歌声。


 赤いリボン。


 右足を引きずる跡。


 全部同じだ。


 “水鏡の魔女”という怪異を作るために、誰かが証拠を並べている。


「誰かが、エレノア嬢へ疑いを向けてる」


 セレネが静かに言った。


 エレノアが青ざめた顔で首を振る。


「わ、私ではありません……」


「分かってる」


 ルシアンは即答した。


 こんな露骨な痕跡、逆に怪しすぎる。


 犯人は、“怪物らしさ”を作ろうとしている。


 ルシアンはゆっくり目を細めた。


 もう怪談じゃない。


 これは、人間が作っている事件だ。

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