表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
感情を持たない婚約者は怪異の真実を知っている 〜第三王子と月夜の怪異事件録〜  作者: 葉月うみ
第3章 選ばれなかった物語

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

101/162

真実なき誓い

 南区へ近づくにつれ、王都の空気はゆっくり色を変えていった。


 昼間は人で溢れている通りも、夜更けになると別の街のように静まり返る。閉ざされた酒場の扉。人気の消えた石畳。軒先へ吊るされた灯りだけが風に揺れ、細い路地へ弱い光を落としていた。


 馬車の窓から外を見ていたルシアンは、無意識に肘掛けへ指先を打ち付ける。


 シオンの言葉が頭から離れなかった。


 向こうだけで終わると思っていた。


 あれは、ただの推測ではない。


 何かを知っている声音だった。


 向かいへ座るセレネは静かだった。先ほど星見宮で見せた不安定さはもう消えている。薄い灰色の外套へ着替えた姿はいつも通り落ち着いて見えたが、馬車の揺れに合わせて窓の外へ向けられる視線は、周囲の気配を探るように細かく動いていた。


 やがて馬車が止まる。


 南区外れの倉庫街だった。


 運河沿いへ並ぶ古い倉庫群は、夜になるとほとんど人の気配が消える。積み上げられた木箱。濡れた縄。湿気を吸った木材の匂い。古い埃の臭気が夜気へ混ざり、息を吸うだけで喉の奥がざらつくようだった。


 警邏隊が周囲を封鎖している。


 集まった野次馬達も妙に静かだった。低い囁きだけが暗がりを這うように流れている。誰もが倉庫の奥を気にしながら、けれど近付きたくはないという空気を漂わせていた。


 ルシアンが馬車を降りると、警邏隊の男がすぐ頭を下げた。


「第三王子殿下」


「状況は」


「遺体は中です。検視官が確認を進めています」


 男は緊張した顔のまま続ける。


「周辺の聞き込みも行いました。被害者はここ数日、かなり派手に飲み歩いていたようです」


「名前は」


「バルト・エルグラン。子爵家次男です」


 聞き覚えのある名だった。


 派閥争いで婚姻を利用しているという話を何度か耳にした家だ。真面目な評判は聞かない。


「婚約者とは政略か」


「はい。周囲もそう認識していたようです」


 男は少しだけ声を落とした。


「……女性関係もかなり派手だったとか」


 横で聞いていたクライヴが小さく眉を寄せる。


 アルヴェリアでは、婚約後の不貞は軽く見られない。特に貴族社会では、家同士の信頼へ直結する。


「酒場で婚約者の愚痴をよく話していたそうです。愛のない婚約だ、自由がない、真実の愛でもない、などと」


 警邏隊員はそこで一度言葉を切った。


「数日前、酒場で騒いでいた時に、妙な手紙を見せびらかしていたそうです」


 ルシアンの視線が上がる。


「手紙?」


「はい」


 男は布へ包まれた紙片を差し出した。


 紙は何度も折り畳まれていた。深く残った折り跡。端へ滲んだ黒い染みは酒だろうか。酔った男が卓の上で笑いながら広げた光景が、妙にはっきり想像できた。


 書かれていた文字は短い。


『偽りの誓いを結ぶ者へ。3日目に死を』


 風が吹く。


 積み上げられた木箱のどこかで、乾いた軋みが鳴った。


「本人は何と言っていた」


「婚約者に呪われたかもしれない、と笑っていたそうです」


 男の声にはわずかに嫌悪が混じっていた。


「周囲も冗談半分で聞いていたとか。本人もかなり酔っていたらしく……真実の愛だなんだ、面倒な女は嫌だと騒いでいたそうです」


 ルシアンは紙片を見つめたまま何も言わなかった。


 その翌日から男は姿を消した。


 そして数日後、首のない死体で発見された。


「婚約者は」


「当初は疑われました」


 警邏隊員は続ける。


「ですが、証言がおかしいんです」


「どういう意味だ」


「婚約者本人が、最後に会った時期を曖昧にしか答えられない。周囲の使用人達も同じです」


 男は困惑したように眉を寄せた。


「誰もが最近見ていない気がすると言うのですが、いつからなのかが噛み合わないんです」


 ルシアンは無意識に紙の端を押さえていた。


 そこまでは、人間の犯行で説明がつく。


 つくはずだった。


「その後、婚約者も屋敷から姿を消しました」


「……そして死体で発見された」


「はい」


 倉庫街へ沈黙が落ちる。


 夜風が吹き抜けるたび、積み上げられた縄が小さく揺れた。灯具の光は弱く、倉庫の奥までは届かない。木箱の隙間だけが黒く沈み、どこまで奥行きが続いているのか分からなかった。


 ルシアンは隣へ視線を向ける。


 セレネはまだ手紙へ触れていなかった。


 代わりに、倉庫の空気を確かめるように周囲を見ている。海色の瞳が暗がりをゆっくりなぞった。


「どう思う」


 問いかけると、セレネはすぐには答えなかった。


 わずかな沈黙のあと、静かに口を開く。


「……噂が広がるのが早すぎます」


 低い声だった。


「しかも、真実の愛や3日目など、条件が整理されすぎています」


 ルシアンは頷く。


「誰かが怪異らしく見せている」


「はい。条件がはっきりしている噂ほど、人は自分へ当てはめます」


 セレネは続けた。


「特に今回は婚約や伴侶に関わる内容です。貴族社会では、噂だけでも十分に恐怖になります」


 理屈は通っている。


 だが。


「……それにしては妙だな」


 ルシアンが低く呟く。


「婚約者まで消える必要がない」


 警邏隊員も重い顔で頷いた。


「我々もそう考えています」


 その時だった。


 倉庫の奥から別の隊員が駆けてくる。


「隊長」


「どうした」


「遺体の確認ですが……婚約証書が見つかりました」


 空気がわずかに張る。


「どこだ」


「遺体のすぐ傍です」


 隊員は青ざめた顔で続けた。


「ただ、署名欄だけが破られていました」


 ルシアンの眉が寄る。


「名前が分からないのか」


「いえ……片方の名前だけ、綺麗になくなっているんです」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ