第88話 約束
王城を出た一行は、しばらく街の中を歩いていた。
先ほどまでの緊張が、少しずつ遠ざかっていく。
リゼルには一年の猶予が与えられた。
そのことについて、皆でいくつか言葉を交わしながら歩いていた時だった。
セラフが、ふと足を緩めた。
「……あら?」
「どうしたの?」
モルディナが振り返る。
セラフは、少し離れた場所へ視線を向けていた。
「いえ……」
そこには、一人の男性がいた。
王城の外壁に沿うように歩きながら、壁面や地面をじっと調べている。
時折しゃがみ込み、石の継ぎ目に触れては、何かを確かめるように視線を動かしていた。
「……あの方」
セラフが、小さく呟く。
「どこかで見た気がするのですが……」
カトレアも目を細めた。
「……ん?」
モルディナが男性の姿をじっと見る。
しばらくして。
「ああ……。あの人、サイラスじゃない?」
「やはり、そうですよね?」
セラフが振り返る。
カトレアも頷いた。
「間違いないと思うわ」
「サイラスさん……」
リゼルも、その名前を口にする。
セラフはもう一度、彼の方へ視線を向けた。
どうやら、何かを探しているらしい。
「……何をなさっているのでしょう?」
「さあ」
モルディナが肩をすくめる。
「でも、あの様子じゃ声をかけても大丈夫そうね」
「そうですね」
セラフは頷いた。
そして。
「サイラスさん」
少し離れたところから、声をかける。
男性が顔を上げた。
「……?」
視線がこちらへ向く。
サイラスだった。
「セラフ?」
驚いたように目を見開く。
「お久しぶりです」
セラフが微笑む。
「どうしてここに?」
「それはこちらの台詞だ」
サイラスはそう言いながら、周囲を一度見回した。
「王城へ行っていたのか?」
「はい」
セラフは頷いた。
「少し、国王陛下にお招きいただいておりまして」
「そうか」
サイラスは短く答える。
それから、先ほどまで触れていた壁へ視線を戻した。
「俺は少し調べ物をしている」
「ここを?」
カトレアが尋ねる。
「ああ」
サイラスは壁面を見ながら答えた。
「地下監獄の中で、少し気になることがあってな」
「地下監獄?」
モルディナが眉を上げる。
「内部だけでは分からないことがある。だから外側から構造を確認している」
「なるほど……」
セラフも壁を見る。
ただの石壁にしか見えない。
けれど。
サイラスがわざわざ調べているのなら、何かあるのだろう。
「それで……」
セラフが、少しだけ迷うように言った。
「実は、サイラスさんにお願いしたいことがございまして」
「俺に?」
「はい」
セラフは頷く。
「ネルファさんのことなのです」
その名前を聞いた瞬間。
サイラスの表情が変わった。
「……あの子か」
「ご存じでしたか?」
「ああ」
サイラスは頷いた。
「以前、君たちから話を聞いている」
「それで……」
セラフは、ゆっくりと言葉を選んだ。
「わたくしたちは、あの子をこのまま一人にしておくわけにはいかないと思っております」
「ですが」
一拍。
「ネルファさんが、これからどうしたいのかは、まだ分かりません」
リゼルが静かにセラフを見る。
その言葉は、先ほど自分自身が王城で話したことと、どこか重なっていた。
「だから、まずは安心して過ごせる場所を見つけてあげたいのです」
サイラスは黙って聞いていた。
「それで」
セラフが続ける。
「もしご迷惑でなければ、しばらくサイラスさんたちにお願いできないかと思いまして」
「……」
サイラスは少し考えた。
すぐには答えなかった。
やがて。
「俺一人で決めることじゃないな」
そう言った。
「ミレニアにも相談したい」
「はい」
セラフは頷いた。
「ありがとうございます」
「まだ引き受けると決めたわけじゃないぞ」
サイラスが苦笑する。
「もちろんです」
セラフも微笑んだ。
「ミレニアさんのお気持ちも、お聞きしたいと思っております」
「そういうことだ」
サイラスは懐から、小さな通信端末を取り出した。
操作をする。
しばらくして。
『どうしたの?』
ミレニアの声が返ってきた。
「ミレニア、今どこだ?」
『地下よ。まだ調べてるわ』
「そうか」
サイラスは、セラフたちへ一度視線を向けた。
「セラフたちと会った」
『セラフ?』
「ああ」
少し間を置く。
「ネルファのことで相談したい」
『……あの子?』
「そうだ」
『わかったわ。今から戻る』
「頼む」
通信が切れる。
サイラスは端末をしまった。
「すぐ戻ってくるそうだ」
「はい」
セラフは頷いた。
「では、わたくしたちは先にネルファさんのところへ戻っておりますね」
「場所は?」
「はい。南の森の奥にある、少しだけ結界が弱くなっている場所ですの。わかりますか?」
「他に何か目印はないか?」
「でしたら、このリボンを途中に置いておきます。確か森に入って数百メートルくらいでしたので、サイラスさんならおわかりになるかと」
「ああ。分かった。探してみる」
サイラスも頷いた。
「ミレニアと合流したら俺たちも向かう」
こうして。
一行は、いったんネルファの待つ場所へ向かうことになった。
その途中。
セラフは、ふと後ろを振り返った。
サイラスはまだ、先ほどの壁を見ていた。
何かを確かめるように。
静かに。
壁の継ぎ目へ指を沿わせている。
「……何か、見つかるのでしょうか」
セラフが小さく呟く。
「さあね」
モルディナが隣で答えた。
「でも、あの顔なら簡単には諦めなさそうよ」
「ふふ」
セラフは微笑んだ。
そして。
今度こそ、前を向いた。
待っている少女のもとへ。
戻るために。




