第87話 冷たい石像
地下牢の奥。(旧区画)
サイラスは、薄暗い通路を抜けた先にある広間へと足を踏み入れていた。
かつては何かの儀式にでも使われていたのだろうか。
広間は妙に広く、壁際にはいくつもの石像が置かれている。どれも長い年月を経ているらしく、表面には薄く埃が積もっていた。
サイラスは広間の中央まで進み、周囲を見渡す。
「……ここも、特に変わったところはないな」
少し離れた場所では、ミレニアが壁や床を調べている。
ここまでの視察でも、いくつか気になる箇所はあった。だが、決定的なものは見つかっていない。
サイラスはもう一度、広間を見回した。
そのときだった。
ふと、壁際に立つ一体の石像が目に入った。
「……ん?」
何故か、気になった。
理由は分からない。
ただ、その石像から目を離せなかった。
サイラスはゆっくりと近づいていく。
石像は人の姿を模しているようにも見えるが、風化が激しく、顔の造形すらほとんど残っていない。
周囲の石像と比べても、特別変わったところはない。
それでも――。
サイラスは石像へ手を伸ばした。
指先が、冷たい石の表面に触れる。
「……」
その瞬間。
ほんの僅かに、違和感があった。
「……なんだ?」
石そのものは冷たい。
だが、その奥から何かが伝わってくるような感覚。
サイラスは手を離さず、指先に少しだけ力を込めた。
――……。
「?」
どこからか、音が聞こえた。
サイラスは顔を上げる。
広間を見渡した。
何もない。
ミレニアは少し離れた場所で、まだ調査を続けている。
サイラスは耳を澄ませた。
――……。
また聞こえた。
微かな音だった。
遠くから響いているようにも聞こえる。
人の声なのか。
風が地下を抜ける音なのか。
それすら判断できない。
ただ、その音には妙な特徴があった。
一定の間隔で、低く二度鳴る。
まるで、何かが内側から石を叩いているようだった。
サイラスは石像へ視線を戻した。
「……石像から、か?」
もう一度、手を触れる。
すると――。
……コツ、コツ。
確かに聞こえる。
先ほどよりも、ほんの少しだけ近く感じた。
その二度の音は、サイラスが指先に力を込めるたび、わずかに間隔を変えていた。
まるで、こちらの存在に反応しているように。
サイラスは眉を寄せた。
「ミレニア」
声を掛けると、彼女が振り返る。
「どうしたの?」
「ちょっと来てくれ」
「分かったわ」
ミレニアが歩み寄ってくる。
サイラスは石像に触れたまま、先ほど聞こえた音について話した。
「この石像に触れたら、何か聞こえた」
「音?」
「ああ。かなり小さい。今も聞こえるかもしれない」
ミレニアは石像へ近づき、じっと見つめる。
そしてサイラスの手が触れていた場所へ、自分の指先を添えた。
「……」
二人で耳を澄ます。
だが――。
音は、もう聞こえなかった。
「……何も聞こえないわね」
「そうか」
ミレニアは石像の周囲を調べ始めた。
台座。
床。
背後の壁。
指先で軽く叩きながら、慎重に確認していく。
サイラスも周囲を見渡す。
しかし、これといったものは見つからない。
しばらくして、ミレニアが小さく息を吐いた。
「特に変わったところはないわ」
「……やっぱりか」
「でも、サイラスが聞いたっていうのなら、何かあるのかもしれないわね」
「ああ」
サイラスは石像を見上げた。
音は確かに聞こえた。
気のせいではない。
しかも、あの音は一定の間隔で二度鳴っていた。
まるで、何かが内側から応答しているように。
だが、ここに留まって調べ続けても、手掛かりが出てくる気配はなかった。
サイラスはしばらく考えたあと、壁へ目を向ける。
「……外から見てみるか」
「外?」
「地下だけじゃ分からない。地上側から、この辺りの構造を確認してみる」
ミレニアは少し考え、それから頷いた。
「分かったわ。私はもう少しここを調べてみる」
「ああ。何かあったら端末で呼んでくれ」
「ええ」
サイラスは石像を振り返った。
先ほど聞こえた音は、もう聞こえない。
ただ、何かがある。
そして、あの二度の音は、偶然ではない。
そんな感覚だけが残っていた。
「じゃあ、行ってくる」
「気をつけてね」
「ああ」
サイラスは短く返し、広間を後にした。
「それにしても広いわね。何から調べようかな」
サイラスの足音が、通路の奥へと遠ざかっていく。
やがて、それも聞こえなくなった。
ミレニアは一人、広間に残った。
静かだった。
あまりにも静かで、先ほどまで確かに聞こえていた音が、本当に存在したものだったのかと思えてしまう。
ミレニアは、もう一度石像へ近づいた。
風化した石の表面に、そっと手を触れる。
「……」
何も起こらない。
目を閉じ、耳を澄ませる。
地下を流れる空気の音。
遠くで滴る水の音。
それ以外には、何もない。
「……やっぱり、何も聞こえないわね」
手を離す。
そして、もう一度だけ石像を見上げた。
サイラスが聞いたという音。
それは確かに気になる。
けれど、この石像自体には、目立った仕掛けも異常も見当たらない。
ミレニアは小さく息を吐き、別の場所へ移ろうとした。
そのとき――。
……コツ。
「……?」
足が止まった。
振り返る。
石像は、何も変わらない。
ミレニアはゆっくりと近づいた。
「今の……」
耳を澄ます。
しばらく待ってみる。
……。
何も聞こえない。
ミレニアは眉を寄せた。
聞き間違いだったのだろうか。
そう思いながらも、石像から目を離せない。
「……気になるわね」
けれど、今はそれ以上調べる手掛かりがない。
ミレニアは石像に背を向けた。
いつか、この場所に戻ってくることになるかもしれない。
そんな予感だけを胸に残して、再び広間の奥へと歩き始めた。
音……
その正体が何なのか。
今の二人には、まだ何も分からなかった。




