第89話 迷い
サイラスと別れ、一行はネルファの待つ場所へ向かって歩き出した。
王城を背にして、しばらく進む。
先頭を歩いているのはセラフだった。
足取りに迷いはない。
時折、周囲を見渡しては、小さく頷いている。
「……こちらでしたわね」
どうやら、道はちゃんと覚えているらしい。
――モルディナには、そうは見えなかった。
「セラフちゃん」
「はい?」
「そっちは違うわよ」
「…………え?」
セラフがぴたりと足を止めた。
そして、自分が今まさに進もうとしていた道を見る。
「……違うのですか?」
「ええ」
モルディナは、くすりと笑った。
「ネルファちゃんのところは、こっちよ」
そう言って、反対側の道を指差す。
セラフはしばらく、その方向を見つめていた。
「……ですが、こちらの景色には見覚えがありますわ」
「そうでしょうね」
「やはり、こちらで合っているのでは……?」
「セラフちゃん」
モルディナは、少しだけ困ったように笑った。
「来た道を戻るのは、逆になるから景色も違って見えるのよ」
「……逆?」
「そう。だから、その記憶は反転させなきゃね」
「…………」
セラフは目を瞬かせた。
それから、今まで歩いてきた道を振り返る。
もう一度、周囲を見渡して。
「……あ」
何かに気づいたように、小さく声を漏らした。
「そういうことでしたか」
「ふふ」
「さすがモルディナさん!」
セラフの顔が、ぱっと明るくなる。
「わたくし、景色をそのまま覚えて、何となく歩いてしまいました」
「そういうところ、セラフちゃんらしいわね」
モルディナは楽しそうに笑いながら、セラフの手を取った。
「ほら。今日は私が案内してあげる」
「ありがとうございます」
素直に手を引かれながら、セラフも嬉しそうに微笑む。
その様子を見ていたヴォルガドが、ふと顎に手を当てた。
「……なるほど」
「何が?」
モルディナが振り返る。
「余にも、少し心当たりがある」
「もしかして……ヴォルガド、貴方もなの?」
「余は、いつも一瞬だからだ」
「……一瞬?」
リゼルが首を傾げる。
「移動するときは、魔法で一瞬だからな」
「ああ……」
カトレアが納得したように頷く。
だが、すぐに呆れた顔になった。
「それ、ずるいわよ」
「何故だ?」
「方向音痴かどうかを判断する機会すらないじゃない」
「余には必要ない」
「だから、ずるいって言ってるの」
そんな二人のやり取りを、リゼルは少し離れたところから見ていた。
思わず、頬が緩む。
王城で一年という時間を与えられたばかり。
大切な話をして。
これからのことを考えて。
それでも今は。
こうして、くだらないことで笑っている。
そのことが、なんだか嬉しかった。
「……ふふ」
小さく笑ったリゼルに、セラフが振り返る。
「リゼルさん?」
「いえ、あの」
リゼルは首を横に振った。
「なんだか……皆さんと一緒にいると、安心します」
「そうですか?」
「はい」
「それなら、よかったですわ」
セラフは嬉しそうに微笑んだ。
そして、ふとモルディナを見る。
「モルディナさん、こちらで合っていますの?」
「ええ。今度は大丈夫よ、セラフちゃん」
「よかった」
セラフは安心したように頷いた。
モルディナに手を引かれながら、一行は今度こそ、ネルファの待つ場所へ向かって歩いていった。
しばらく歩くと、やがて――。
「あ」
セラフが前方を指差した。
「見えましたわ」
道の先。
周囲の建物よりもひときわ大きな木が、枝を広げている。
見覚えのある木だった。
ネルファと出会ったとき。
そして、彼女をシェルターに残したときにも見た木。
「もうすぐなのですか?」
リゼルがたずねる。
「ええ」
セラフが頷く。
けれど。
その足が、ふと止まる。
「……あら?」
大きな木の近くに、人がいる。
若い女性だった。
周囲を何度も見回しながら、木の根元や茂みのあたりを覗き込んでいる。
手には、小さな布包みを抱えていた。
「何か……探しているのでしょうか?」
リゼルが小声で尋ねる。
女性はしばらく辺りを探したあと、困ったように息を吐く。
「……やっぱり、いないか」
小さな呟き。
その声が風に乗って、こちらまで届いた。
セラフは、その女性をじっと見つめていた。
「……」
そして、女性が手にしている包みに目を向ける。
「食べ物……でしょうか」
「みたいね」
カトレアが答える。
女性はもう一度、木の周囲を見渡した。
そして――。
「……ネルファ」
その名前が、かすかに聞こえた。
セラフの表情が変わった。
「……ネルファさん?」
思わず声が漏れる。
女性が振り返った。
「え……?」
目が合う。
女性は一瞬、驚いたように固まった。
見知らぬ一行。
その中に、自分が探していた少女の名前を口にした女性がいる。
「あなた……」
女性は警戒するように、わずかに後ずさった。
セラフは慌てて、敵意がないことを示すように両手を胸元で軽く合わせる。
「驚かせてしまって、申し訳ありません」
穏やかに頭を下げる。
「わたくしたちは、ネルファさんのお知り合いなのかと思いまして」
「……あなたたち、ネルファを知ってるの?」
「はい」
セラフが頷く。
「今、わたくしたちはネルファさんのところへ戻る途中なのです」
「……!」
女性の目が大きく開いた。
「ネルファ……いるの?」
「はい」
その答えに。
女性の手が、布包みをぎゅっと握った。
「……よかった」
小さく。
本当に小さく。
安堵の声がこぼれた。
その様子を、セラフは静かに見つめていた。




