第81話 国王
旧施設をあとにしたセラフたちは、王城の中を静かに歩いていた。
磨き上げられた白い回廊には、大きな窓から柔らかな陽光が差し込み、赤い絨毯の上へ幾何学模様を描いている。
行き交う騎士や侍女たちは、足を止めることなく、それぞれの務めを果たしていた。
誰一人として、無駄な動きはない。
それでいて張り詰めた空気というより、長い年月をかけて築かれた秩序のようなものが、この城全体を包んでいた。
(素敵……。)
セラフは歩きながら、そっと周囲へ視線を向ける。
廊下に飾られた絵画。
丁寧に磨かれた窓枠。
柱の彫刻。
小さく飾られた花々。
一つひとつが大切にされていることが伝わってくる。
(毎日、お手入れされているのでしょうね。)
美しい城というより。
大切に想われている城。
そんな温かさを感じ、自然と頬が緩んだ。
目立たないように。
そう思っていても、美しいものを見ると、どうしても嬉しくなってしまう。
それは昔から変わらない。
「セラフさん。」
隣から優しい声が聞こえた。
「はい?」
振り向くと、リゼルが小さく微笑んでいる。
「もう少しで応接室です。」
「あっ……。」
セラフは少し照れたように笑った。
「申し訳ありません」
「とても素敵でしたので、つい見入ってしまいました」
リゼルは穏やかに首を振る。
「お気になさらないでください」
「わたくしも最初は、同じでしたから」
その言葉に、セラフは嬉しそうに微笑む。
「そうだったのですね」
「はい」
「このお城には、長い歴史があります」
「だからでしょうか」
「どこを見ても、皆さんが大切になさっていることが伝わってくるのです」
リゼルは一瞬だけ、周囲を見渡した。
毎日歩いている廊下。
いつしか見慣れてしまった景色。
けれど、セラフの言葉を聞いていると、不思議と違って見えてくる。
「……ありがとうございます」
思わず、そんな言葉が漏れていた。
「え?」
「いえ」
リゼルは小さく首を振る。
「何でもありません」
やがて、一行は重厚な扉の前で足を止めた。
扉の両脇には二人の衛兵が控え、司祭へ静かに一礼する。
「ご案内いたします」
ゆっくりと扉が開かれた。
案内された応接室は、息を呑むほど美しかった。
高く伸びる柱。
天井いっぱいに施された精巧な装飾。
大きな窓から差し込む光が、磨き上げられた床へ柔らかく広がっている。
壁には美しい絵画が並び、季節の花々が部屋へ彩りを添えていた。
「……。」
セラフは思わず足を止める。
(まぁ……。)
どれほど豪華かということではない。
この空間を守り続けてきた人々の想いが、静かに伝わってくる。
飾られた花も。
磨き抜かれた調度品も。
誰かが毎日、心を込めて手入れをしている。
その積み重ねが、この美しさを生んでいる。
だからこそ、美しい。
セラフは静かに部屋を見渡した。
絵画。
花。
窓の向こうに揺れる木々。
どれも優しく目に映る。
その様子を見たリゼルは、小さく笑みを浮かべた。
セラフは、やはり変わらない。
豪華さではなく、人の想いに目を向ける。
だから見ているこちらまで、少しだけ嬉しくなる。
やがて司祭が口を開く。
「こちらで少々お待ちください」
一同が静かに頷いた。
その時だった。
部屋の外から、衛兵の凛とした声が響く。
「国王陛下、ご入室!」
室内の空気が一変した。
リゼルは静かに姿勢を正す。
オルテシアも緊張した面持ちで、背筋を伸ばす。
セラフもそれに倣い、静かに一礼した。
重厚な扉が、ゆっくりと開かれる。
静寂の中、一人の男が姿を現した。
威厳に満ちた佇まい。
その一歩一歩には、この国を背負ってきた王としての重みが宿っている。
国王は静かに歩みを進めながら、一人ひとりへ視線を向けていく。
司祭。
オルテシア。
リゼル。
そして――。
銀色の髪の少女。
「……。」
ほんの一瞬。
国王の足が止まった。
少女は静かに頭を下げたまま、その視線に気付いてはいない。
見覚えなど、あるはずがない。
それでも。
胸の奥で、何かが静かに揺れた。
「陛下」
司祭の声に、国王は小さく我に返る。
「ああ」
何事もなかったかのように歩みを進め、玉座へ腰を下ろした。
誰一人として、その一瞬の沈黙に気付く者はいない。
ただ国王だけが、胸の奥に残る小さなざわめきを静かに押し殺していた。
応接室は再び静寂に包まれる。
誰も口を開かない。
流れる沈黙は、決して居心地の悪いものではなく、この場に集う者たちが王の言葉を待つ静かな時間だった。
やがて国王はゆっくりと玉座へ腰を下ろす。
胸に去来した感情を表へ出すことなく、一人ひとりへ穏やかな視線を向けた。
そして静かに口を開く。
「皆、ご苦労であった。」




