第72話 隊長、あるいは知り過ぎた男
【サイラス視点】
サイラスとミレニアは、慎重に通路を進んでいた。
足音を殺し、視線は常に左右へ向ける。
角を曲がるたび立ち止まり、周囲を確認する。
「ここはどうだ?」
サイラスが小声で尋ねる。
ミレニアは首を横に振った。
「いないわね」
周囲を見回し、小さく息をつく。
「広すぎるわ。探し出すまでが大変」
一拍置いて続ける。
「しかも囚人が多いわけでもないし」
それが意外だった。
監獄と聞けば、反乱分子や政治犯、国家への反逆者たちで溢れている場所を想像していた。
だが実際は違う。
牢は数多く並んでいるものの、その大半は空のままだった。
「拍子抜けだな」
サイラスが呟く。
「そうね」
ミレニアも頷く。
「でも、脱獄しやすいわけじゃない」
その視線の先には、確かに囚人がいた。
だが数は少ない。
そして何より静かだった。
騒ぐ者も、助けを求める者もいない。
諦めているわけでもない。
ここで騒げば何が起きるのか。
それを全員が理解している。
そんな空気が、この監獄をいっそう不気味にしていた。
「おい」
不意に声が飛ぶ。
二人の足が止まった。
「そこのお二人さんよ」
鉄格子の向こう。
無精髭の男がこちらを見ていた。
「何してんだ?」
一拍。
「メシの時間か?」
この区画は珍しかった。
壁ではなく、太い鉄柱が一定間隔で並ぶだけ。
中も外もよく見える。
当然、囚人からも通路は丸見えだった。
(面倒だな)
サイラスは内心で舌打ちする。
だが表情には出さない。
「メシはそのうち来る」
ぶっきらぼうに返す。
「慌てんな」
男は鼻で笑った。
「そうかい」
それ以上は何も言わない。
騒ぎもしなければ、助けも求めない。
妙な監獄だった。
二人は再び歩き出す。
左右を警戒しながら、目的の人物を探し続ける。
「ちょっと」
ミレニアが小声で言った。
「今の、適当すぎない?」
「黙れ」
サイラスは即答する。
「話しかけられたら、それっぽく返すしかねぇだろ」
「それっぽくって……」
「案外バレねぇもんだ」
「その自信、どこから来るのよ」
「知らん」
「知らんじゃないわよ」
軽口を交わしながら歩いていると、通路の先に重厚な鉄扉が見えてきた。
ミレニアが足を止める。
「待って」
「ん?」
「区画が変わるわ」
サイラスも気づいていた。
ここまでの牢とは造りが違う。
鉄扉の向こうから流れてくる空気そのものが重い。
ゆっくりと扉を押し開く。
嫌な軋み音が響いた。
その先を見た瞬間、サイラスは思わず呟く。
「……なんだ、ここ」
壁。
壁。
壁。
そして、無数の小窓。
人が一人覗ける程度の小さな窓が、左右の壁に規則正しく並んでいる。
まるで蜂の巣だった。
完全個室の独房。
「気味が悪いわね」
ミレニアが小さく呟く。
サイラスは最初の小窓を覗く。
空。
次も空。
さらに次も空。
その次には、老人が一人、壁にもたれかかっていた。
目が合う。
だが何も言わない。
次。
空。
次。
誰かが眠っている。
次。
また空。
「これ全部探すの?」
ミレニアが顔をしかめた。
「探すしかねぇだろ」
二人は一つずつ、小窓を確認していく。
静寂だけが続く。
そして――
「おせぇな」
聞き慣れた声だった。
二人の足が止まる。
サイラスが振り返る。
小窓の奥。
薄暗い独房。
壁にもたれかかる男。
伸びた長髪。
無精髭。
だが、その鋭い眼差しだけは少しも曇っていなかった。
サイラスが目を細める。
「……おい」
「ん?」
「ミレニア」
隣を肘でつつく。
「あの無精髭」
「長髪」
「鋭い目つき」
「どう見てもリーダーだよな?」
ミレニアは小窓へ飛びついた。
一瞬見つめると、満面の笑みで頷く。
「うん」
「間違いないわ」
さらに顔を輝かせる。
「あのイケメンはリーダーよ!」
サイラスは額を押さえた。
「そこなのかよ」
「だって格好いいじゃない!」
声を抑えながらも興奮している。
「監禁されてても格好いい!」
「意味が分からん」
「分からない方がおかしいわよ!」
サイラスは深くため息を吐いた。
昔からこうだった。
ミレニアは。
レジスタンスへ入った日。
アレミニール・ラスタルを見た、その瞬間から。
危険な任務にも志願し、無茶もする。
今回の潜入だって、本気で「私一人でも行く」と言い出した。
結局、自分が止める羽目になったのだが。
(ほんと困ったもんだ)
本人は隠しているつもりらしい。
だが、隊の誰もが知っている。
ミレニアは、アレミニール・ラスタルに惚れている。
ちなみに「ミレニア」という名前も本名ではない。
昔はミカと呼ばれていたらしい。
レジスタンスへ入ってから、本人が勝手に名乗り始めた。
理由は誰も聞いていない。
聞かなくても分かるからだ。
アレミニール。
その名を並べ替え、切り取り、繋ぎ合わせる。
出来上がったのが「ミレニア」。
本人だけは否定しているが、誰も信じていない。
「よう」
小窓の奥。
アレミニール・ラスタルが軽く手を上げた。
まるで酒場で待ち合わせでもしていたかのような気軽さだった。
「ずいぶん時間がかかったじゃねぇか」
その余裕ある笑みに、サイラスは思わず苦笑する。
「探す側の苦労も、少しは考えてくださいよ。隊長」
「ははっ、悪かったな」
そう笑うアレミニールだったが、その目は笑っていなかった。
いや。
笑えない理由があるのだろう。
その視線の奥にあるものを見て、サイラスは直感する。
(隊長は……何かを見つけている)
そして、それはきっと。
この国の根幹に関わる何かだった。




