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徳を積みすぎたモブ願望の元聖女。 朝の挨拶で魔王が安眠し、なぜかお隣さんになりました!  作者: 黒武者
第三章 デラクストーン国

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第68話 消えた家名、愛の聖女の痕跡

【ヴォルガド】


姿を消したヴォルガドは、音もなく通路を進んでいた。


兵士が横を通る。


だが、誰一人気づかない。


当然だ。


そこにいるという概念そのものを、消しているのだから。


(ふむ)


余程の術者でもなければ見破れまい。


ヴォルガドは内心で呟く。


しばらく進むと、人の声が聞こえてきた。


「また運ばれたそうだ」


「今度は誰だ?」


「愛の聖女だ」


その言葉に、ヴォルガドの足が止まる。


「何人目だ?」


「知らん」


「どうせ戻ってこれんだろう」


兵士たちはそれだけ言い残し、去っていった。


(戻らぬ、か)


嫌な響きだな。


さらに奥へ進む。


通路は次第に狭くなり、やがて大きな鉄扉へと行き着いた。


その脇には、古びた石板が立てかけられている。


ヴォルガドは目を細めた。


そこには無数の名前が刻まれていた。


そして、その下には小さく分類が記されている。


【在任】


【帰還】


【不明】


(名簿か)


しばらく眺める。


知らぬ名ばかりだ。


だが――


ある名前で視線が止まった。


セラフィナイト


その名だけが刻まれている。


帰還でもない。


不明でもない。


在任でもない。


ただ、名前だけ。


(……ほう)


ヴォルガドの眉がわずかに動く。


その時だった。


足音。


しかも複数。


兵士ではない。


もっと重い。


ヴォルガドは即座に壁際へ身を寄せる。


現れたのは黒衣の男たちだった。


「記憶の部屋はどうなってる」


「例の侍女が留まってるようです」


「そうか」


「ならば何かを思い出すやもしれん」


「数年間も探し続けていたんだ。知っていれば隠し通すことは不可能」


「違えば、それまでだ。セラフ様の捜索は断念」


男たちはそれだけ話し、奥へ消えていった。


ヴォルガドはしばらく動かない。


(違えば、それまで)


妙な言い方だ。


まるで――


思い出すことを前提としている。


そして、もう一つ。


(奴らは知らぬな)


小さく笑う。


(あやつは、そういう女ではない)


脳裏に浮かぶのは、セラフィナイトの笑顔。


過去がどうであれ。


今のあやつは、今のあやつだ。


(さて)


余も少しばかり動くとするか。


魔王は静かに闇へ溶けた。



【モルディナ&カトレア】


ヴォルガドが去ってからしばらく。


二人は慎重に通路を進んでいた。


「ねぇ」


カトレアが小声で言う。


「私たち、本当に何してるのかしら」


「潜入よ」


「迷子じゃなくて?」


「失礼ね」


そう言い返したものの、モルディナ自身も少し自信がなかった。


似たような通路。


似たような壁。


何より、人が少なすぎる。


「牢獄ってもっと騒がしいものじゃない?」


「普通はね」


その時だった。


かすかな話し声が聞こえる。


二人は反射的に身を隠した。


角の向こうを歩いていたのは数人の女性。


質素な服。


青白い顔色。


どこか疲れ切っている。


「次はいつだったかしら」


「三日後よ」


「そう……」


会話はそれで終わった。


妙だった。


誰も笑わない。


誰も怒らない。


感情そのものが薄い。


女性たちが通り過ぎる。


その後ろ姿を見送りながら、モルディナが眉をひそめた。


「変ね」


「何が?」


「生きてる感じがしない」


カトレアも頷く。


「わかる」


「人形みたい」


「しかも、監禁されてるわけでもない」


その時。


さらに別の声が聞こえた。


今度は老人たちだ。


「昔は本当に良かったのぅ」


「セラフ様がおられた頃は……」


老人は懐かしむように続ける。


「毎朝挨拶が聞こえた」


「みんな笑っておった」


「今は笑顔が消えたんじゃ」


隣の老人が苦笑した。


「またその話か」


「昔話だ」


「もう忘れろ」


だが最初の老人は首を振る。


「忘れられるものか」


「命を救われたんじゃ」


そして、はっきりと口にした。


「聖女セラフィナイト様に」


モルディナとカトレアが顔を見合わせる。


今、何と言った?


「聞いた?」


「聞いたわ」


二人は息を潜める。


「どう考えても、セラフちゃんのことよね」


「名前だけならね」


だが、カトレアはそこで首を傾げた。


「待って」


「何か変じゃない?」


「何が?」


「今の老人」


一拍置く。


「聖女セラフィナイトって言ったわよね」


「言ったわね」


「でも――」


カトレアが腕を組む。


「姓がないわ」


モルディナが瞬きをした。


「……あ」


そこで初めて気づく。


「セラフちゃんは」


「セラフィナイト・ゴールドステイン」


「よね?」


「そうよ」


カトレアは眉を寄せた。


「聖女の伝承は私も多少知ってる」


「でも、聖女に姓があったなんて話、一度も聞いたことがないわ」


「確かに……」


モルディナも考え込む。


「他の聖女もそうなのよね」


「みんな二つ名ばかり」


「個人名は残っていても、家名まで語られることはほとんどない」


カトレアは小さく息を吐いた。


「それ、個人名なのかしら」


「そうね、その考えはなかったわ」


「だから余計に気になるのよ」


「セラフィナイトという名前は一致している」


「なのに、ゴールドステインだけが出てこない」


モルディナは壁にもたれながら呟く。


「隠されたのかしら」


「消されたのかもね」


「あるいは最初から記録されていないとか」


「どれも有り得るわ」


二人は顔を見合わせる。


答えは出ない。


だが、一つだけ確かなことがあった。


「セラフちゃんのこと」


モルディナが静かに呟く。


「私たち、まだ何も知らないのかもしれないわね」


カトレアも珍しく否定しなかった。


「ええ」


「本人ですら、知らないことが多そうだもの」


そして二人は再び歩き出す。


聖女セラフィナイト。


その名を胸に抱えたまま。


それはもう、伝説でも神話でもない。


この国で。


確かに生きていた、誰かの物語だった。

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