第58話 削られていくもの
奥の通路から、音が近づいてくる。
複数の足音。
規則的で、迷いがない。
その中に混じる、かすかな声。
モルディナが即座に手を上げた。
「……隠れて」
四人は素早く動く。
壁の陰。
視線だけを残し、息を潜める。
やがて――姿が現れた。
一人の女性。
白い衣。
両腕には、淡く光る拘束具が巻かれている。
その後ろを歩くのは、無表情の男。
硬質な装い。
感情を感じさせない目。
まるで、“運ぶためだけ”に存在しているようだった。
「嫌だ……あそこは……!」
女性が足を止める。
だが次の瞬間、拘束具が淡く光を強めた。
「っ……!」
身体が、強制的に前へ進まされる。
「何を怯えている」
男は淡々と言った。
「今は英気を養う時間だ」
一拍。
「再び、聖女として務めるためのな」
「嘘よ……!」
女性の声が震える。
「あそこに行った人は……戻ってこないって……!」
男は歩みを止めない。
「誰に聞いた」
「みんな言ってるわ!」
「真実かどうか、確かめればよい」
「それって……!」
女性の喉が詰まる。
「やっぱり戻れないってことでしょ……!」
沈黙が落ちた。
男は、ほんのわずかだけ視線を下げる。
「さあな」
「我らは関与せぬ。ただ連れて行くのみだ」
冷たい声。
そこに悪意はない。
だからこそ、不気味だった。
「運が良ければ、戻れるだろう」
その“運”という言葉に、希望はなかった。
「じゃあ……」
女性の足が震える。
「なんで……私が……?」
ようやく、核心に触れる問い。
男はそこで初めて、わずかに眉を動かした。
「……自覚がないのか」
「え……?」
静かな声。
だが、その静けさが恐ろしい。
「貴様は――」
淡々と告げる。
「記憶が曖昧になっているはずだ」
女性の表情が固まった。
「……そんなことないわ」
即座に否定する。
「私は……愛を司る聖女よ」
誇るように。
(そうよ、何も間違ってない)
男は問い返す。
「いつからだ」
「……え?」
「その役目は、いつから務めている」
女性は迷った。
ほんの一瞬だけ。
「……確か……六年」
答える。
だが、その“確か”は揺れていた。
男の声は変わらない。
「確かか?」
「当然でしょ!」
焦りが滲む。
「だから早く、この拘束を外して――」
「無理だ」
即答だった。
言葉を断ち切るように。
「今の答えが全てだ」
女性の呼吸が止まる。
男は続けた。
「貴様はまだ、二年も経っていない」
「……え?」
理解が追いつかない。
「何を……言ってるの……?」
声が崩れる。
「私は……ずっと……」
言葉が途切れる。
「この国に……捧げて……」
記憶が繋がらない。
時間が、抜け落ちている。
男は、それ以上何も言わなかった。
ただ歩く。
女性を引きずるように連れていく。
その背中が、ゆっくり遠ざかっていく。
声も、やがて消えた。
沈黙。
重い沈黙だった。
誰も、すぐには動けない。
カトレアが歯を食いしばる。
「……何よ、それ……」
怒りを押し殺した声。
モルディナの目は冷えていた。
「……削られてるのね」
静かに言う。
「記憶も……時間も……」
ヴォルガドが短く補足する。
「管理しやすくするため、だな」
一拍。
「長く“保たせすぎない”ためか」
カトレアが振り返る。
「じゃあ、さっきの子たちって……!」
「ええ」
モルディナが頷く。
「あれは、“使い終わり”に近い状態よ」
セラフィナイトは、何も言わない。
ただ。
さっき女性が消えていった通路を、静かに見つめていた。
長く。
そして――
「……急ぎましょう」
その声は、いつも通り穏やかだった。
だが。
その奥にある決意は、確かに深くなっている。
「これ以上……誰も、あのようにはさせたくありませんわ」
その一言が。
全員の足を動かした。
今度は迷いなく。
より深くへ。




