第54話 触れられない記憶
階段は、思っていた以上に深かった。
足音が、ほとんど響かない。
まるで、この空間そのものが音を吸い込んでいるようだった。
降りるほどに、空気が変わっていく。
重苦しいわけではない。
むしろ逆。
静かすぎる。
「……変ね」
カトレアが小さく呟く。
「さっきまでの“嫌な感じ”がない」
「ええ……」
モルディナも周囲を見回す。
「むしろ、落ち着きすぎてるわ」
「気味が悪いくらいにね」
ヴォルガドは何も言わない。
だが、その視線だけは鋭いままだった。
やがて。
階段が終わる。
その先に広がっていたのは、円形の広間だった。
天井は高い。
だが光源は見当たらない。
それでも、不思議と薄暗い視界は保たれている。
「……何これ」
カトレアが足を止める。
壁一面に、彫り込まれていた。
古い文字がまるで呪文のように続いている。
そして紋様。
――五人の女性。
全員が、祈るように両手を組んでいる。
だが、衣装は微妙に違う。
時代も、立場も、恐らく異なる。
だが、どこか共通していた。
「……なんとなく似てるのよね」
モルディナがぽつりと漏らす。
視線は、自然とセラフィナイトへ向いていた。
カトレアも息を呑む。
「ちょっと待って……」
「これ、セラフに……」
言葉が止まる。
完全に同じではない。
だが、目元や雰囲気。
祈る時の空気感まで、どこか重なる。
セラフィナイトは、ゆっくりと壁画へ近づいた。
どこか、引き寄せられるように。
「……綺麗」
小さく呟く。
そして。
そっと、一人目の壁画へ触れる。
何も起きない。
二人目。
三人目。
変化はない。
だが――
四人目。
その女性へ触れた瞬間だった。
空気が、揺れた。
「……っ!」
セラフィナイトの肩が、小さく震える。
壁画から、淡い光が流れ出す。
映像。
いや、“記憶の残滓”のようなもの。
声は聞こえない。
だが、景色だけが脳へ流れ込んでくる。
燃える街。
祈る人々。
崩れ落ちる塔。
差し伸べられる手。
そして――
閉ざされる、大きな扉。
「……セラフ!」
カトレアが思わず声を上げる。
セラフィナイトは、目を見開いたまま動かない。
光が、細い糸のように彼女へ流れ込んでいく。
まるで。
壁画に残されていた“何か”が、彼女を見つけたかのように。
「大丈夫よ、セラフちゃん」
モルディナがすぐに支えるように声をかける。
「ゆっくり息をして」
「無理に見ようとしなくていい」
セラフィナイトは、小さく息を吸う。
だが、動揺は隠せなかった。
「……今の……」
震える声。
「知らない、はずなのに……」
頭に残っている。
景色の断片が。
感情だけが。
まるで、自分がそこにいたように。
ヴォルガドが低く言う。
「記録か」
「だが、普通の魔術ではないな」
モルディナも壁を見る。
「記憶保存系……?」
「でもこんなの、見たことないわ」
カトレアが苛立ったように言う。
「いや普通じゃないでしょこれ!」
「セラフ、貴女は……本当に何者なの?」
その問いに。
セラフィナイトは、ゆっくり首を振った。
「……分かりません」
本当に。
分からない。
だからこそ、怖かった。
壁画の女性たちを見るたびに。
胸の奥が、静かに痛む。
そのときだった。
ヴォルガドの目が、わずかに細くなる。
「……来る」
低い声。
空気が変わる。
モルディナの表情も、一瞬で引き締まった。
「複数……!」
「しかも速いわね」
カトレアが舌打ちする。
「最悪のタイミングじゃない」
セラフィナイトが振り返る。
「敵、ですの?」
「判断は後だ」
ヴォルガドが即答する。
「だが、戦闘は避ける」
理由は全員が理解していた。
騒げば終わる。
毒ガス。
その制約が、今も頭に残っている。
モルディナが即座に判断する。
「隠れるわよ」
「この部屋、空間がズレてる」
「何かあるはず」
カトレアが周囲を見る。
「どこに!?」
その時。
セラフィナイトが、静かに壁の一角を指差した。
「……こちらです」
何もない場所。
だが。
「信じなさい」
モルディナが即答する。
全員が動いた。
次の瞬間。
空間が、わずかに歪む。
視界が反転するような感覚。
“壁の内側”へ滑り込む。
気配が、完全に消えた。
そして。
直後に扉が開く。
無機質な足音。
複数。
「……反応、消失」
「この区画に侵入者の痕跡あり」
「だが、現在確認不可」
カトレアが息を止める。
モルディナも動かない。
ヴォルガドの存在感すら、完全に消えていた。
その中で。
セラフィナイトだけが――
静かに、その者たちを見つめていた。
どこか、哀しそうな目で。




