第28話 回収命令と、切り捨てられた名前
重厚な扉が、静かに閉じられる。
その音は低く、鈍く、外界との境界を断ち切るように響いた。
室内は、ひどく静かだった。
高い天井。
壁に刻まれた古い紋章。
差し込む光は細く、床に長い影を落としている。
その中央に、一人の女が立っていた。
背筋は真っ直ぐに伸び、無駄な力みはない。
ただ、そこに在る。
それだけで、任務遂行のための存在であることを示していた。
「――結論から言う」
低く、抑えられた声が落ちる。
「聖女セラフィナイトの捜索は、一年前をもって打ち切られた」
その言葉は、あまりにもあっさりとしていた。
長年続いたはずの探索が、まるで帳簿の一行のように処理される。
だが。
女――オリエッタ・デラローズの表情は、微動だにしなかった。
「……承知しております」
短く、正確に応答する。
そこに感情はない。
必要とされていないからだ。
「現在、結界は五柱で維持されている」
「はい」
「だが均衡は崩れつつある。これ以上の損失は許容できん」
一拍。
空気が、わずかに張り詰める。
「ゆえに、任務を変更する」
オリエッタの視線が、ほんの僅かに上がった。
「対象は――リゼル」
その名が告げられた瞬間。
胸の奥で、何かがかすかに触れた。
だが、それを拾うことはない。
「消息を絶った侍女。だが、生存の可能性が高い」
机の上に資料が置かれる。
紙の上に並ぶのは、断片的な記録。
転移の痕跡。
歪んだ魔力の残滓。
無理を重ねた移動の軌跡。
――逃げているのではない。
辿っている。
そう読み取れる軌道。
「各地の観測結果より、現在は辺境の小さな町に到達していると推定される」
オリエッタは一瞥する。
それだけで十分だった。
情報は整理され、目的は明確。
「確保し、連れ帰れ」
命令は簡潔だった。
「彼女は、次の聖女候補に付ける侍女として再編する」
合理的な判断。
失われたものは切り捨てる。
残った資源は再配置する。
それが、この国の在り方。
「……よろしいのですか」
オリエッタが、初めて問いを挟む。
「何がだ」
「セラフィナイトは――」
言いかけて、止める。
不要だと理解しているからだ。
だが、それでも。
返ってきた言葉は、予想を裏切らなかった。
「不要だ」
断定。
迷いは、一切ない。
「存在しないものに、資源は割かん」
光が、わずかに揺れる。
その一言で、すべては終わった。
「……承知しました」
深く、正確に頭を下げる。
それが終わると同時に、踵を返す。
「オリエッタ・デラローズ」
呼び止められる。
足を止めるが、振り返らない。
「お前なら適任だ」
その評価は、称賛ではない。
ただの事実確認。
「無駄な感情を挟まない。任務遂行において最も安定している」
ほんの一瞬だけ、沈黙が落ちる。
そして。
「……光栄です」
それだけを残し、部屋を後にした。
長い廊下。
足音だけが、規則的に響く。
窓から差し込む光が、床に淡い帯を作っていた。
(リゼル)
心の中で、その名をなぞる。
優秀な侍女だった。
忠実で、正確で、無駄がない。
――消える理由がない人間。
(五年)
短くはない。
だが、痕跡は残っている。
完全な消失ではない。
(ならば、生きている)
結論は、それで十分だった。
任務は単純だ。
見つけて、連れ帰る。
それだけ。
思考は、極めて明確。
曇りはない。
――そのはずだった。
ふと。
意識の底に、引っかかるものがある。
「……セラフィナイト」
無意識に、名がこぼれる。
すぐに、消す。
「……不要な情報」
切り捨てる。
任務外。
考慮不要。
既に終わった存在。
そう、定義されている。
だが――
完全には、消えなかった。
(……あの侍女は)
思考が、わずかに続く。
(最後まで、あれに仕えていた)
だからこそ、選ばれた。
だからこそ、今も追われている。
だが、それ以上は考えない。
意味がないからだ。
オリエッタは歩き続ける。
迷いなく。
一定の速度で。
その足は、すでに辺境へと向いていた。
城を出ると、風が外套を揺らす。
遠くに広がる見慣れた景色。
そのどこかに、目的地がある。
小さな町。
どこにでもあるような場所。
特筆すべき点はない。
――はずの場所。
(回収せよ)
それだけを、繰り返す。
だが。
視線の奥で、何かがわずかに揺れた。
――いや。
任務を遂行するだけ。
それが、オリエッタ・デラローズという存在だった。
そして。
彼女は、まだ知らない。
“不要”とされたはずの名が。
その町で――
誰よりも穏やかに、朝の挨拶をしていることを。




