ラディンの本当の名前
「シリウは、そのまま出て行っちまった」
ラディンは話終えると、ひとつ息を吐いた。
「ハアヤという村に何があるのかしら?」
ヤツハの呟きに、ラディンはそこなんだ、と指を立てた。
「ハアヤ村には黒い噂があって、なんでも、魔女が住んでいるとか……」
「魔女?」
カイルが繰り返したので、ラディンは頷いた。
「確かにすぐ近くにある村なんだが、何か面白いものがあるわけでもないから観光に訪れる人もいないし、いつも霧だか雲だかに包まれてるっていうんで、ゴロナゴ町も気持ち悪がって関与したがらないんだ。 だから、噂のまま放ってあるってわけだ」
「……」
カイルの胸に、一抹の不安がよぎった。 ヤツハがそれに気付き、カイルの肩を叩いた。
「きっと大丈夫よ」
「そうさ! シリウを信じて今まで来たんだ! ちゃんと手紙も送ってくれてるし、心配ないって! な!」
気遣うサクの笑顔に、カイルの表情が和んだ。 深く信頼しあう姿を見て、ラディンは安心したように息をついた。
「あんたら、前よりずっといい顔してるよ!」
ラディンは立ち上がると、湖畔に立って水面を見つめた。
「シリウの事でナーバスになってんじゃないかって、正直心配してたんだ。 おせっかいだったみたいだな」
「まあな!」
「うわぁっ!」
サクがいきなりその背中を蹴った拍子に、ラディンの体はバランスを崩して湖に落ちた。 拍子に、水しぶきが高々と上がった。
「「ラディン!」」
驚くヤツハとカイルの前で、サクもまた服のまま湖に飛び込み、腰までの深さの中で慌てるラディンの腕を掴むと力任せに引き揚げた。
「いきなり何すんだよ!」
全身ずぶ濡れのラディンは、サクに向かって飛び付いた。 二人は再び湖に沈み、ずぶ濡れで体を起こすと、同じタイミングで笑い始めた。
「オレたちはたくさんの経験を乗り越えてきた。 今あるのは、お互いに支え合った結果なんだ。 その絆は、ちょっとやそっとじゃ切れねえんだよ!」
サクは、たくましさを備えた笑顔で言い、ラディンに拳を差し出した。
「?」
きょとんとしているラディンにサクが
「なんだよ、お前もオレたちの仲間だろ! だからシリウのことを教えに来てくれたんだろ?」
と言うと、ラディンは照れたように鼻を擦り、自分の拳をサクのそれに突き当てた。 二人が笑いあう様子を見ながら、ヤツハとカイルは顔を見合わせ、呆れたように肩をすくめると笑った。 四人の笑い声が湖畔に揺れた。
「ったく……それにしても、いきなり突き飛ばすなんてひでぇことするよな!」
やがて湖から上がったラディンは、おもむろに服を脱ぎ始めた。
「なっ! 何してんのよ!」
頬を赤くして慌てて踵を返すヤツハに、ラディンは怪訝な顔で
「服を乾かさなきゃ、帰れねぇだろうが! 風邪ひいてもいいってのか?」
と、少し震えながら脱いだ服を木の枝に引っ掛けた。 湖畔では、カイルが薪を集めて淡々と火を起こし始めている。
「カイルは平気なのっ?」
と慌てた口調で言うヤツハに、カイルは
「もう慣れた」
と笑った。
「何言ってんだよ? カイルも男だろ?」
とサクもそそくさと服を脱ぎながら言った。 いつも性格を表すかのように立っている短い黒髪が、ぺたりと寝て雫を垂らしている。
「あ、そっか!」
ヤツハの慌てた言葉に、ラディンが
「カイルも脱げば?」
と笑った。
「なんで俺が脱ぐんだよ!」
「ついでついで!」
「俺は濡れてないだろっ!」
「男同士なんだから、いいじゃん!」
サクも面白がってカイルの腕を取ると、ラディンが嬉しそうにその裾を掴んだ。
「お前ら~~!」
カイルの声は怒りに奮え
「もう一回、頭冷やしてこいっ!」
と言う怒号と共に、二人の体はまとめて湖へと叩き落とされた。 大きな水しぶきが上がる前で、カイルは大きくため息をつき、その後ろではヤツハが大笑いしながら拍手を贈っていた。
「ったく……ひでぇことするよな!」
再び岸に上がった二人は、並んで火の前にしゃがみこむと大きなくしゃみを連発した。
「自業自得だろ!」
と言いながら、不機嫌そうに薪をくべるカイル。 その様子を面白おかしそうに笑い続けるヤツハ。
「あなたたち、まるで兄弟みたいね!」
ヤツハの言葉に、サクとラディンは顔を見合わせた。 そしてお互いに指を指すと
「「なんでこいつとっ!」」
と声をハモらせた。
「そういう所が、よ!」
笑うヤツハに、憮然としていたカイルもつられて笑っていた。
「ったく! 勝手に言ってろ!」
ラディンは肩下まである縮れた髪の毛をひとつに束ねると、絞るように水を落とした。 水を大量に含んでいた髪の毛から雫が滴り落ちて、褐色の背中を滑り落ちる。 適度についた筋肉の盛り上がりは、今まで独自に訓練を続けてきた証なのだろう。 無駄の無い体を見事に作り上げている。
カイルはぼんやりとその後ろ姿を眺めながら、突如ハッとした顔をした。
「ソルティヤ……」
その唇からこぼれ落ちた言葉に、ラディンはビクリと肩を震わせた。 そしてゆっくりカイルに振り向くと
「な、なんでその名前を……?」
と声を震わせた。 カイルは思わず洩れた言葉に驚きながらも、確信したように改めてラディンを見つめた。
「! やっぱり……」
「何の話?」
ヤツハが興味深そうに寄り添った。 サクも何事かときょとんとしている。 無言でカイルに食い入るように見つめられたラディンは、観念したように言った。
「ソルティヤ……俺の本当の名前だ」
「なんだって?」
サクが飛び上がって驚いた。
「何で二つも名前があるんだよ? 普通一つだろ?」
納得出来ない顔で尋ねるサクに、ラディンは
「いや、【ラディン】っていうのは、俺が勝手に付けた名前なんだ」
と苦笑いして頭をかきむしった。 水しぶきが周りに飛んだ。
「でも何で、そんな名前をカイルが知ってるわけ……? カイルって一体どんな情報網を持ってるのよ?」
ヤツハの問いに、カイルはラディンを見ながら呟くように言った。
「首の後ろに、カモメのような形のアザがある……」
その言葉に、ラディンは慌てて自分のうなじを押さえた。
「だ、だから何であんたが知ってるんだよ? 誰も知らねえハズだぜ?」
驚きの眼差しで見るラディンの手をサクが取って首の後ろを見ると、そこにはカモメのような形をしたアザがくっきりと浮かんでいた。
「本当だ! カモメのアザがある!」
「カイル、なんで?」
驚きながら言うヤツハに、カイルはラディンに言った。
「俺は、お前の母親を知ってる」
「えっ?」
ラディンは目を見開いてカイルを見た。
「俺の……母親……?」
それっきり言葉を無くすラディンの前で、カイルはおもむろに立ち上がった。
「会いに行こう!」
そう言うカイルを見上げ、動けないでいるラディンの肩を優しく抱いたヤツハがカイルに尋ねた。
「えっ? ラディンの母親は近くに居るっていうの? すぐに会えるの?」
サクもカイルを見つめて答えを求めた。 カイルは微笑みながら頷いた。
「ああ。 すぐに会える。 行こう、ソルティヤ!」
その名前に、ラディンの肩が再び震えた。 それに気付いたヤツハが見ると、ラディンは固い顔をしていた。
「ラディン……?」
「……ない……」
小さな声で何かを呟くラディンに、サクが言った。
「どうしたんだよ? お前、自分の母ちゃんに会えるんだぜ? 良かったじゃねーか!」
サクも、母親に会うということはラディンにとっては幸せなことなのだと感じ、その背中を押した。
「俺は会いたくねえ!」
ラディンはサクとヤツハの手を振り払って、後退りした。
「? なんでだよ?」
「お母さんに会えるのよ? ずっと会えなかったんでしょう?」
訳が分からず困惑するサクとヤツハ。 カイルもまた、ラディンの意外な反応に戸惑っていた。 ラディンは不機嫌さを体いっぱいに表して、叫ぶように言った。
「母親だと? 俺はそいつに捨てられたんだぜ! そんな奴に会いたいわけねえだろうが! それに、その母親って奴は、俺に会いたがってるのかよ?」
「いや、それは……」
カイルは言葉に詰まった。 行方知れずの息子の話をしているミランの顔は、カイルには半ばあきらめているように見えた。 カイルには、自信を持ってラディンの背中を押すことが出来なかった。
その時
「自分の子供に会いたくない親が居るわけないじゃない!」
ヤツハが言った。
「どんな理由があったのか分からないけど、きっとラディンだって会いたかったはずよ! ずっと一人で生きてきたんだもの。 ずっと寂しかったはず!」
「くっ!」
ラディンは木の枝から生乾きの服を無造作に掴み取ると
「あんたらに、一体俺の何が分かるってんだよ! 放っておいてくれ!」
と言い捨て、走り去ってしまった。
「ラディンっ!」
三人はラディンの姿をあっけにとられて見送った。 我に返ったカイルが
「ラディン待って!」
と走りだした。
「カイルっ!」
ヤツハが引き止めると、カイルは悲痛な顔で振り返った。
「ラディンのお母さんって……?」
「ミラン先生だよ。 ……俺、あいつのこと何も考えてなかった……謝らなきゃ!」
カイルはそう言って踵を返すと、ラディンの母親の正体を知って再び驚いている二人を残して、ラディンを追った。