幼少時代
ラディンは、湖の反対側にある山肌には不釣り合いなほど大きな岩にもたれてうずくまっていた。 心の中が複雑に入り交じり、息も荒く、しばらく落ち着けないままでいた。
そんなラディンの脳裏には、幼い頃の思い出が蘇っていた。
小さな山の麓にあるサウロパという村に、一人の元気な少年がいた。
両親は優しく、決して裕福ではなかったが、毎日を心の豊かさで埋め尽くしてくれていたので、それほど不便さを感じることもなく過ごしていた。
少年は、黒髪に黒い瞳の両親とはまったく違った、金のサラサラした髪の毛に茶色い瞳をし、肌は透き通るように色白だった。
その少年は「ソルティヤ」と呼ばれていた。
物心付いた頃から、ソルティヤは村の子供たちに苛められていた。
両親とは髪の色も瞳の色も全く違う子供など居るハズがないと罵られ、「拾われ子」と笑った。
だがソルティヤは自分を真っ直ぐに見つめ愛してくれる両親が大好きだったし、愛していた。 だから誰に何と言われようとも、両親を疑うことはなかった。
そんなある日、外で一人遊んでいたソルティヤが家に入ろうとすると、中から両親が話す声が聞こえてきた。 それは小さな声だったが、何故だか胸騒ぎと共に気になったソルティヤは、そっと扉に耳を付けた。
「あの子も十歳になろうとしている……そろそろ本当の事を話すべきかもしれないな……」
重苦しく低い声に、高く柔らかな声が答えた。
「そんな……ソルティヤは誰が何と言おうと私たちの子供です! あの日村はずれで泣くソルティヤに出会ったとき、子供が出来ない私たちに神様が与えてくれたのだと、あなたも喜んだじゃありませんか?」
「それはそうだが……このまま本当の事を隠し通せると思うか? 実際あの子は、両親との成りが違うというだけで、心ない言葉を掛けられている。 このままでは、ソルティヤが可哀想だと思わないか?」
「でもあなた……」
二つの声は、それきり押し黙ってしまった。 ソルティヤはどうしたらいいのか分からなくなり、激しい動悸と共に扉を離れた。
近所をあてもなく歩いていると、村一番のガキ大将ナルクと出くわした。
ソルティヤはナルクが苦手だった。
いつも二人以上の子分を従えて肩で風を切るように歩く姿は、子供ながらに人を圧倒する気迫がこもっていた。 子供たちは誰も逆らわないので、ナルクはすっかり王様気分だった。 そんなナルクにとってソルティヤは、格好の苛め相手だったのだ。 顔を見るたびに蔑んだ目で見下し罵声を浴びせるナルクが、ソルティヤにはとても苦手な相手だった。
珍しく今日のナルクは一人だった。
夕刻近いので、家に帰る途中だったのだろう。 だが子分がいてもいなくても、ナルクは変わらなかった。
「おう、ソルティヤじゃねえか? こんな所で何やってんだ? やっぱり『うちの子じゃない』って追い出されたか?」
人目もはばからず大笑いするナルクに、ソルティヤはいつも以上に胸が騒めくのを感じた。 さっき聞いてしまった両親の会話によって、ソルティヤは何を信じていいのか分からなくなっていた。 ソルティヤの睨むような目に気分を害したナルクは、眉をしかめた。
「なんだ? 何か不満でもあるのか?」
そう言いながら、握りこぶしを見せた。 太く褐色の腕は、数々の喧嘩を乗り越えてきた傷が幾つも刻み込まれている。 大抵の子供たちは、それを見せられると尻込みして何も言えなくなる。 ソルティヤも例外ではなかった……
だが、今日のソルティヤは違っていた。 少し俯いて自身の両拳を握ると、ぎゅっと目を瞑ってナルクへと殴りかかっていったのだ。
「うわああああっ!」
「なっ?」
突然ソルティヤが飛びかかってきたので、面食らったナルクは思わず尻餅を付いてしまった。
「うわあああっ!」
ソルティヤはナルクに馬乗りになると、言葉にならない声を出しながらナルクの頬に拳を叩きつけていった。
「っにするんだ、てめえ!」
ナルクもやられてばかりではなかった。 二人は土煙をあげながら転げまわり、殴りあった。
やがて日が暮れ、足を引きずりながら家の扉を開けたソルティヤを迎えたのは、いつもと変わらない両親の笑顔だった。 それはすぐに、驚きの顔になった。
ソルティヤの傷だらけの顔や体、ボロボロになった衣服。 母親はソルティヤに駆け寄り膝まづくと
「一体これは……また苛められたのね?」
と涙目で言いながら、ソルティヤの腫れた頬を包んだ。 その手は、細く暖かかった。
「母さん……」
ソルティヤは、笑顔を作って見せた。
「俺は、母さんの子供なんだよね?」
母親は目を見開いた。 次にソルティヤは奥に座る父親の顔を見た。
「父さんの子供なんだよね?」
ソルティヤを見つめる父親の顔が少し固くなった。
三人は初めて作り物の笑顔を交わした。
その夜、ソルティヤは家を出た。
ほんの少しの着替えと食糧だけを小さな鞄に詰め込み、覚えたばかりの字を並べて書いた置き手紙を、そっと台所のテーブルの上に残し、静かに家の扉を開けた。
遠い思い出だった。
もう思い出すことはないと思っていた。 育ててくれた恩は忘れることはない。 だが、嘘をつき続けられるのは、耐えられなかった。
一人でも生きていける。
そう思った。
今まで『独り』だったのだから。
いつの間にか、うずくまるラディンの傍にカイルが立っていた。




