第四章 ブーケ⑲
「凄いです!いつ気付いたんですか!?」
広場のSLの前で、人目もはばからずに言った。
「香織さんのお陰ですよ。私はたまたま、写真と国井さんの弟の情報を持っていただけ」
遠藤さんは静かにそう言った。
私の熱を鎮めるように、努めて冷静に。
「——明日、会いに行くのですよね」
「裏付けは欲しいからね」
遠藤さんの瞳は、午後の陽射しの中で輝いて見えた。
国井義光は確かに死んだ。
戦友の死を冷徹に利用して、家業を簒奪した北浦将吉。
七十年以上、ただ一つの想いを貫き続けた北浦将吉。
彼はロマンティストだったのか。
マキャベリズムの遂行者だったのか。
或いは——
その晩、私は泥のように眠った。
体力が尽きるまで遊んだ、少年時代の心地よい疲労と秀美の温もりを感じながら。
さくらの自動ドアを抜けると、居合わせた田中さんと目が合った。
「あっ」
田中さん短く声をあげると会釈してこちらへ来てくれた。
私たちも「おはようございます」と頭を下げた。
「今日はどうなさったのですか?」
「こちらに国井孝光さんが入所されていると聞きまして、お話を伺えたらと」
遠藤さんが柔和な表情を向けた。
「お約束はされていないのですか?」
田中さんが眉根を寄せて顎に手を当てて、少し考え込む様子を見せた。
「是非、お見せしたいものがあるのです」
「それは——」
「とても大切なものです」
低い声だった。
そして遠藤さんは田中さんの言葉を遮って、逼迫した様子で目を見た。
「分かりました。本人に確認して来ますので待っててください」
そう言うと田中さんは、施設の奥の方へ小走りで消えていった。
しばらくすると田中さんと、もう一人。
おそらくは担当の介護士だろう。
老人が座る車椅子を押してやってきた。
遠藤さんは介護士と老人に名刺を渡して「たてかべタウン遠藤です」と名乗った。
私も倣って同様に名刺を差し出した。
「国井です」
老人は喉の奥から絞り出すような声で、そう名乗った。
「お兄様、国井義光さんの生前の写真が見つかりました。最期の写真だと思います」
遠藤さんの言葉に、力無く下がっていた老人の瞼が大きく開かれた。
テーブルの上に写真をそっと差し出すと、遠藤さんは老人の隣に寄り添うように立った。
国井さんの彷徨う視線が、写真の右上で止まった。
そして瞳が揺れるように潤んだ。
「兄......ちゃん」
しわがれた声が、喉をつかえながらこぼれた。
「とても素敵な、向日葵のような笑顔をしています」
遠藤さんがそう言うと「ありがとう」と、国井さん笑顔を向けた。
どこか写真の笑顔の面影を宿すような、そんな笑顔だった。
「ところで国井さん。吾嬬町の国井商店はどうして畳んだのですか?」
老人の心が綻んだところに、遠藤さんは本題を投げかけた。
「あれは売ったんだよ。兄ちゃんの生死も分からんようなって、空襲で父ちゃんも死んで——」
戦争が終わって五年が経った頃。
穀物店と質屋を営んでいた母子の元に「屋号を買いたい」と弁護士が訪れた。
名前はもう忘れてしまったが、新宿から来た弁護士だった。
悪化する治安。
女主人の質店と言う危うさ。
米穀通帳による主食の統制。
破格の条件の提示もあって売却を決めた。
「それが北翔と言う会社だったのですね」
遠藤さんの言葉に国井さんは大きく頷いた。
「国井さんは、いつ頃からさくらに入居されたのですか?」
思い出そうと視線を彷徨わせたり、眉根を寄せたりする様子に「十二、三年くらい前だと思います」と田中さんが口を挟んだ。
「北浦さん、御存命の頃——」
「ああ、そうですそうです。国井さんのお迎えを北浦さんがやられたはずです」
「よく覚えてますね」
遠藤さんがそう言うと「菫子さんと国井さんだけですから、北浦さんがお出迎えしたのは」と田中さんは答えた。
私と遠藤さんは顔を見合せた。
「貴重なお話をありがとうございました」
私たちはさくらを出ると、それぞれに確認作業を始めた。
遠藤さんは先日のカフェに電話を。
私はオンラインでの土地建物の権利の確認——
「菫不動産ですか」
答え合わせが始まった。
佐々木さんに不動産屋の名前を聞くと、即答だったそうだ。
「ワイオーレ財団の地所部門だね。上田さんの方は?」
「土地はワイオーレ財団ですが、建物の権利が十三年前に国井孝光さんに移っています」
最高の茶番だった。
北浦将吉演出の三文戯曲。
だが、私たちは拍手を贈らずにはいられなかった。
佐々木さんの払う家賃が、そのまま国井さんのさくらの入居費用になっているのだと思う。
「まるでブーケのような人だな」
遠藤さんが不意に呟いた。
「彼が束ねた花たちは、散る瞬間まで花であり続けるのでしょうね」
それは、佐々木さんも四宮さんも——
「掴む側でも良かっただろうに」
誰に言うでもない言葉が風に流れた。




