第四章 ブーケ⑱
「こんにちは、皆さんアレですか?春の大会には出られたんですか?」
遠藤さんは檄を飛ばす老人に声をかけた。
「なんだ兄さん、区民大会のことかい」
「そう、それです。このチームなら上位行けたんじゃと思って」
遠藤さんは、そのまま数人の老人達と話し込み始めてしまった。
「これだけ緻密な連携プレーだと、皆さんは相当長いお付き合いなのでしょうね」
「まぁ、ウチの一番の新人は二十年くらい前に越してきた田中さんだな」
そう言うと老人たちは大きな声笑い始めた。
一瞬、遠藤さんの表情が変わった。
また皆と同じ笑顔に戻ると「それじゃぁ一番の古株と言うか、長く住んでらっしゃるのはどなたになるんですか?」と、一番聞きたかった質問を投げた。
「ああ、それなら——」
「遠藤さん、春の大会ってなんですか?」
「知らないですよ」
遠藤さんは笑ってそう言うと「高齢者向けの大会を真夏に開催するのは、可能性として低いと思ったんですよね」と続けた。
「はは......」
笑うしか無いと思った。
この人は——
私は息をついた。
一度だけ、深く。
「国井さんの弟の名前が聞けるなんて、思いもしませんでしたね」
「あれは棚ぼただったよ」
嘯く遠藤さんに「棚の下まで歩く努力をしたからですよ」と言った。
「よしてくれよ。もっと違う努力をすべきだったな、私は」
きっと家庭の話なのだろうな。
この人は後悔しているのだろうか?
四宮商事は新橋の雑居ビルに事務所を構えていた。
香織さんが約束を取り付けてくれた時間が午後三時。
迎えてくれた四宮氏は、白髪を丁寧にオールバックにまとめた老紳士だった。
名刺交換を終えて、応接室の黒いソファーに腰を下ろすとお茶が運ばれた。
事務員が退室したのを見届けると、遠藤さんが口を開いた。
「本日はお時間を頂きありがとうございます。実は、北翔についてお伺いしたいのです」
「ええ、香織さんから伺ってますよ。でも今更お話できることがあるとは思えないのですが」
「きっと、大丈夫です」
「お答え出来ることには全てお答えしますよ」
「ありがとうございます。三点です、お聞きしたいのは」
四宮氏は目を細めて遠藤さんを見た。
「日下商事時代から、四宮さんがお会いした北翔の方は何名居ましたか?」
「おひとりですね。沼田さんと仰いました」
遠藤さんは二つ目の質問の前にお茶を一口頂いた。
「ありがとうございます。では、何処で会われましたか?」
四宮氏が質問の意図を汲めずに怪訝な顔をした。
「質問を変えます。北翔の事務所には行きましたか?」
四宮氏の顔色が変わった。
「いいえ」
「そうですか。ありがとうございます」
遠藤さんはそう言うと鞄から茶封筒を取り出してテーブルに乗せた。
そして中からモノクロームの集合写真をさり出すと、滑らせるように四宮氏の前に置いた。
「この中に沼田さんは居ますか?」
四宮氏は眼鏡を外すと写真を顔に近付けて、一人一人を丁寧に記憶を手繰るように見た。
そして写真を置くと人差し指をスッと下ろした。
「間違い無いですね」
念を押す遠藤さんの喉がゴクリと鳴った。
四宮氏は、無言で顎を引くように頷いた。
「彼は北浦将吉です」
遠藤さんの言葉に、部屋の空気が熱を失っていった。
「推測でしかありませんが——」
遠藤さんはそう前置くと、湯気の消えたお茶を啜った。
四宮氏もきっと、喉にヒリつく渇きをおぼえているだろう。
私も同じだった。
「沼田と名乗った北浦さんは、営業マンとして四宮さんから情報を得たり雰囲気を察したのでしょう。北翔として自然に助けられるかぎりは通常の取引を。日下商事の財務が逼迫している時には幽霊会社使った大型案件を——」
四宮氏は遠藤さんの言葉を、目を閉じて聞いていた。
やがて大きく息を吐くと「ようやく胸のつかえが取れましたよ」と、眉を下げた。
「弊社が軌道に乗って安定した頃、北翔さんは突然事業を辞めてしまいました。あれは沼田さん——いえ、北浦さんのお礼かお詫びだったのでしょうね」
そう言った四宮さんは、湯呑みのお茶を一気に飲み干した。
「おかげで私は息子に代を譲り、隠居が出来ましたよ」
四宮氏は写真を再び手にすると、祈るように深く厳かに頭を下げた。




