第四章 ブーケ⑯
北翔は昭和二十五年に国井商店を買収して、国井商店の社長をそのまま北翔の社長に据えたようだった。
「これ、おかしくないですか?」
国井義光には代表権が無かった。
「ああ。違法ではないけれど、良くない形態だね」
「なんか、きな臭いですね」
「上田さん、いい鼻してるよ」
遠藤さんは自販機にコインを入れると、缶コーヒーを手に車に戻って行った。
吾嬬町に答えはあるのだろうか。
私も自販機で一本買うと、遠藤さんを追い掛けた。
「他の役員はどうなっているんですか?」
「ああ、北浦将吉が居るよ。ただ一人の代表取締役だ」
「滅茶苦茶じゃないですか」
「私の考えだけどね——死人を代表に出来なかったからだろうね」
「社長だって無理——」
言い掛けて息を飲んだ。
北翔は有限会社だった。
役員の改選の必要の無い企業形態。
「そうか、日下を......菫子さんを助けるためだけの会社だった」
「それを確かめる為の現地取材だよ」
「アテはあるんですか?」
「香織さんに一人は紹介してもらったけれど、あとは足だね」
今日は汗をかきそうだ。
いまからこのエアコンの風が、既に恋しく思えた。
「息子がね、元嫁の苗字になったよ」
車が都内に入った頃、遠藤さんは呟くように言った。
「男親と子供の繋がりなんて、不確かな血じゃないんだよ」
「......」
「もっと不確かで確固たるものなんだよな」
「遠藤さん......」
DNAとか陳腐な話ではなく、もっと陳腐な普遍的価値の話だろう。
絆を喪った人間は飄落するだけだ。
それは私がよく知っている。
「貴方は伯楽の文士ですよ」
私がそう言うと「言い過ぎだ」と、窓の外を見詰めていた。
吾嬬町に着く頃には、もうお昼だった。
予想はしていたが、当時を感じさせるものは何も無かった。
「さて、やりますか」
「え、何を始めるんですか?」
私の言葉が届かないうちに、遠藤さんは住宅のインターホンを押し始めた。
商店やオーナー住居付きのコンビニ、町工場——
「ローラー作戦ですか」
「地味だろ」
そう言った遠藤さんの表情は、とても晴れやかだった。
額に滲む汗も気にならないほどに。
それにしても嘘みたいな話だった。
貴重な情報。
無関係な話。
知らないという情報。
無価値な情報はひとつも無かった。
先ず、国井商店の場所が分かった。
その場所に行くと、今はお洒落なカフェになっていた。
遠藤さんは外観を眺めると満足気に頷いて、店内に入って行った。
元の建物の躯体を活かした構造だ。
レンガ調のタイルが壁の一部に貼られ、奥には脱穀機のような大きな機械がオブジェのように置いてあった。
「二名様ですね。あちらのお席で」
「ああ、いや。カウンターでいいかな」
遮るようにそう言うと、並んで珈琲を二つ頼んだ。
「オーナーさんはいらっしゃいますか?」
遠藤さんはカウンターの女性に名刺を差し出して、そう尋ねた。
「私がそうです」
女性は名刺を受け取るとそう言って「佐々木です」と名乗った。
「ここはかつて国井商店という場所だったのですが、ご存じでしたか」
遠藤さんが単刀直入に切り出すと「屋号までは存じてませんでした」という返事と同時に珈琲が出てきた。
「ブレンドです。今日はブルーマウンテンにキリマンジャロを合わせています」
遠藤さんは立ち上る湯気の香りを吸い込んで言った。
「毎日違うブレンドを出しているのですか?」
「はい。毎日変えてます」
次に一口啜ると「豆で売っていれば百グラム、分けて貰えますか?」と言った。
「ありがとうございます」
そう言った佐々木さんの顔は、売れたこと以外に違うことも喜んでいるように見えた。
「ブルックリン風の内装のようですが、あの機会や後ろの棚は元からあったものでしょうか?」
私も気になっていた事を訪ねてみた。
「そうですよ。物件のオーナーが別に居るのです。どう改装しても構わないけれど元々の家財や機械は捨てたり手を付けたりしないで欲しいとの事だったので」
遠藤さんが私を見た。
私も頷いて佐々木さんを見上げた。
「それらを見せては頂けないでしょうか?」と頼むと快諾された。




