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花物語  作者: 浅見カフカ


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第四章 ブーケ⑮

役所の建物は独特の匂いがする。

説明しがたい香りを鼻先に携えて、窓口に並んだ。

「上田さん、時効寸前だったよ」

遠藤さんは北翔の書類を私にも見えるように、身体をずらした。

「有限会社北翔は九年と十ヶ月前に解散している。解散して十年が登記簿の保存期間なんだ」

少し早口の説明が、この場に不釣り合いなリズムを生んでいた。

(この人は新聞記者でいたかったのだろうな)

辞めた理由は知らない。

でも、そう感じた。

「上田さん、幽霊の足跡を見つけたよ」

そう言って振り向いた遠藤さんの目には、強い光が宿っていた。


運転席に向かう遠藤さんを制して、助手席を促した。

たてかべタウンは小さなタウン誌だ。

私はカメラマン採用だが、将来は記事も書くようになるだろう。

いつか誰かに教わるなら、今の彼に教わりたいと思った。


「どこに向かいますか」

私がそう言うと「少し遠いよ」と言って登記簿の下の方を指で示した。

「吾嬬町《あずまちょう》」

「吾妻町《あずままち》じゃないんですか?」

群馬か、少し遠いなと思ったが印象が違った。

遠藤さんが示す指先には東京府南葛飾郡吾嬬町とあった。

「デロリアンではないですよ、この車」

私の軽口に遠藤さんはニッと子供のような笑顔を見せた。

そして「ドクに任せなさい」とナビに住所を入力していった。


平日の東北道は空いていて走りやすかった。

次々と景色を置き去りにしてタイムスリップは順調に進んでいった。

「葛飾区じゃないんですね」

「ここは一度、向島区になってるんだ」

東京二十三区で聞いた事の無い区だ。

「戦後に新設された墨田区に吸収されて町も消えたのさ」

「戦後ということは空襲が原因でしょうか?」

「きっとそうだろうね。国は東京の街を作りかえたかったようだし」

私は現在の東京を思い浮かべた。

その様子に気付いた遠藤さんは「GHQの反対で計画はご破算さ」と小さく肩の辺りで両手を広げた。


それにしても墨田区が戦後生まれとは知らなかった。

先日お会いした忠重さんと同世代。

つまり私や秀美の親と同世代だ。

なんとなく親近感が湧いてきた。


「北翔のルーツがそこにあるんですね」

私は肝心なことに触れていないことを思い出した。

「ここには国井商店が登記されていたんだよ」

やっぱり——

今朝、遠藤さんに仕事を教わりたいと思った理由が分かった。

口調が違う。

今までのどこか陰を背負ったような。

秀美と出会うまでの私だ。

この人は今を生き始めたんだ


「上田さん、聞いてます?」

「ああ、ごめんなさい。運転に集中してました」

「なんだよ」

遠藤さんは笑って「次のサービスエリアで休憩しよう」と気遣いをくれた。


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